閑話 使用人会議 (第三者視点)
第三者視点です。
使用人たちは主である伯爵ブルーノ側の視点で考えているため、主人公エレナ視点で見ると不快に思われる可能性があります。
季節は夏に移り変わり、日中は暑いと感じる日が多くなったが、まだ夜には涼しい風が吹く。
婚約者としてエレナが伯爵家にやってきてから二ヶ月を越えたある夜、各自の仕事を終えたグレーデン伯爵家の使用人たちは、使用人の食堂に集まっていた。
使用人たちはこうして定期的に情報共有のために集まっている。これは非公式なもので、日時も明確に決まっておらず参加は強制ではない。なんとなく必要になったときに「やるぞ」と誰かが言い出し、適当に集まるのだ。
そして適当に皆でしゃべって、適当に方向性を決めていく。
そんな会だが、敬愛する主のためにどうしていくのが良いかを話し合う場なので、参加率は非常によかった。
「マリー、エレナ様が今度はタルトを焼くそうだ。いつなら時間が取れる?」
聞いたのは料理長のハンスだ。先日エレナがパウンドケーキを焼いてブルーノに出し、喜んでいたようだ、ということはすでに共有されている。その後仲良さげに話していたことと、離れの調合室でエレナがブルーノの手伝いをしたことも知られている。
ついでに言うならば、ツタに覆われた離れを見てエレナが「ブルーノがいるから怖くない」と発言したことや、薬関係ではほとんど使用人に手を出させないブルーノがエレナに手伝わせたことも、驚きと共に一気に広がっている。
つまり、二人の行動は使用人の目が届くところであれば、その使用人があえて隠さない限り、だいたい共有されているのだ。
「明日は駄目ね。先日のパウンドケーキのお礼にと、ブルーノ様がドレスを贈るそうなの。その採寸があるから」
「パウンドケーキのお礼がドレス?」
「エレナ様も驚いて断っていたわ」
「断ったのか?」
パウンドケーキのお礼にブルーノがドレスを贈るということも驚きだが、それを断ったということも驚きである。過去二人のブルーノの妻は、ドレスや宝飾品を当たり前のようにブルーノの金で買ってお礼も言わず平然としていたのだから。
そもそも使用人たちは、エレナがパウンドケーキを作って贈りたい、といった時点で驚いていたのだが、それを言うとエレナの行動は驚きだらけで話が進まない。
「えぇ、パウンドケーキにドレスじゃ見合わないでしょうって。でもブルーノ様は、いずれ来客があったり、王都の催しで同伴してもらうこともあるだろうから必要になるとおっしゃって」
「あぁ、たしかにエレナ様、ドレスをあまり持っていないものね」
アリーが相槌を打つ。
ちなみにアリーは別に蔑んでいるわけではない。事実を述べているだけだ。貴族の夫人やご令嬢となれば、部屋いっぱいになるほどにドレスや宝飾品をそろえている。それと比較してしまえば、エレナが持っている量はあまりに少なすぎた。
「明後日以降の午後ならば今のところエレナ様にご予定はないけれど、あまり頻繁に贈るよりは、ある程度間隔をあけたほうがいいんじゃないかしら?」
「それもそうか。では五日後くらいでどうだ?」
「いいと思うわ。予定に入れておくわね。そうすると、ブルーノ様にお出しするのはその次の日かしら?」
「タルトは生地を寝かせたり、フルーツのソースを作ったり、いろいろな工程があるんだ。全部をエレナ様がやるとなると、翌々日かその次の日になる」
「わかったわ。大丈夫かしら、ヨハネス?」
「その日は仕事が詰まらないようにしておこう」
こうして、本人のいないところでこっそり予定調整が行われている。
使用人たちは皆、ブルーノに何かしらの恩があり、主を敬愛している。マリー、アリー、リリーの母娘は瀕死のところをブルーノに拾われ、ハンスは前の職場を追い出されて帰る部屋もなくくすぶっていたところを拾われた。ブルーノの薬で命が救われた者もいる。
エレナが来た当初はブルーノが望まない婚姻を避けようとエレナに帰ってもらおうとした使用人たちだが、エレナと接する間に考えが変わってきた。今までのご令嬢とは全く違うこと、もしかしたらこの人ならば、ブルーノを尊重して、幸せにしてくれるかもしれないと期待し始めている。
「ヨハネス、エレナ様は執務もよくできると聞いたけれど、実際はどう?」
アリーは執務についてはよくわからない。エレナにつきそったりお茶を出すのを口実に執務室にはよく行くが、掃除や料理と違って成果が外からでは見えないのだ。
なお、執務室によく行く理由はブルーノを覗くためである。
「それはもう、驚いたなんてもんじゃない。あのブルーノ様がどんどん仕事を渡すんだ。嫉妬してしまうくらいだよ」
ブルーノは基本的に自分の仕事は自分でやろうとする。忙しくても、あまり周りに渡すことはない。
長年の信頼関係があるので、必要な時にはブルーノはヨハネスに頼る。だけど、ヨハネスにはヨハネスの仕事もあるのでどこか遠慮がちだ。ヨハネスにはもっと手助けしたい思いがあるが、伯爵の仕事のどこまでを従者の一人である自分がやって許されるのか、わからないところがある。
そんな葛藤を、エレナは軽く飛び越えてきた。
よく耳にするエレナとブルーノの「終わりました」「では次にこちらをたのむ」のやり取り。重要書類をさも当然のようにブルーノが渡すのを思わず二度見したし、当然のように受け取って平然とこなして「終わりました」と持っていくエレナにもまた二度見した。
「帳簿も理解できるし、公的文書の作成も問題ない。新しい仕事を任せてもすぐこなす。私はできるようになるまでかなりの年月がかかったというのに」
「貴族のご令嬢は、通常そういう教育を受けているのかしら?」
「いや、ブルーノ様は、普通はそのようなことは教わらないと言っていた。貴族令嬢としての礼節やマナー、それからいずれ女主人としてどう家を回していくか、といったことを学ぶ程度だと」
エレナは実家の子爵家で「全員が戦力。何でもできるようにならなければ子爵家が潰れるぞ」という教育を受けて育ったと言っていた。「事実、何でもできないと本当に潰れるので必死だったのです」と笑っていた。
そんな話をヨハネスがすると、全員が絶句した。ちなみにその話を聞いたブルーノも絶句していた。
それと同時に納得もした。自分の身支度も、掃除も洗濯も料理も、ご令嬢ならばできないだろうという数々のことをエレナは平然とこなしていた。「ご令嬢」という目で彼女を見ていたけれど、使用人たちが思い浮かべている「ご令嬢」のようにただ優雅に過ごしてきたわけじゃなかったらしい。
「すごいわね」
正直なところ、まだ伯爵家のやり方になじんでいないだけで、純粋な執務能力だけを見ればエレナはブルーノの上を行くのではないかとヨハネスは思っている。ブルーノは伯爵位を継ぐ予定はなかったので、父である前伯爵から次期伯爵としての教育を受けていない。一年と少し前、引き継ぎもないままにいきなり伯爵位を継ぐことになり、わからない中でがむしゃらに仕事をしてきた。そんなブルーノと、実家で何年も家族経営に携わってきたエレナ。
一年前にエレナが来てくれていたら。
毎日のブルーノの過労っぷりを見てきたヨハネスは、そんなどうしようもないことを思ってしまう。その程度には、わずかな期間の中でエレナは執務室にすでに自分の居場所を確立しつつあった。
「私はこのままエレナ様にはブルーノ様を支えてほしいと思っているのだけれど、実家に戻っていただきたい、まだそう思っている人はいるかしら?」
まとめるようにマリーが聞くと、アリーがおずおずと口を開いた。
「それって、ブルーノ様との婚姻を後押しするってこと?」
「もちろんお二人の意志に従うけれど、エレナ様はこちらに残る気でいらっしゃるし、はっきりと方向性が示されない間はその方向でと思っているわ。それに、私個人の意見だけれど、あのお二人は気が合うと思うの」
「私もそれに異論はないんだけど、エレナ様が求めているのは金と権力よ。ご本人がそう言ってたわ」
「俺もそれは聞いた」
ハンスはその時の事を思い出す。どうして伯爵家に来たのかと聞いたら、エレナは迷いなくそう答えていた。
「結局、ブルーノ様じゃなくて、伯爵家の金と権力が目当てなんでしょ。今はあの様子だけれど、もしこのまま結婚して金と権力を手に入れたらどうなるのかしら」
「エレナ様なら今と変わらなさそうな気がするけどなぁ」
「お金も権力も、必要だから欲しいと思っているのでしょう? 自分の為じゃなくて、ご実家の子爵家とか、周りのために。いまだにエレナ様はご自身の為に何かを購入しようとはされていないわよ」
前の奥様と違って、とマリーが小さく付け加えると、皆は頷いた。
「ブルーノ様はどう思っていらっしゃるのかしら?」
「今のところ、特別な感情ではなさそうに見える。でも、けっこう気に入っていらっしゃるとは思うな。少なくとも嫌がっている様子は全くない」
ヨハネスは苦笑しながら言った。執務室で遠慮なしに話したり仕事を割り振るだけでなく、他人の手を入れさせなかった離れの調合室さえ自ら招き入れているのだ。二人でいる時には自然と口数も多くなっている。ブルーノ本人は気が付いていなさそうだが、けっこうどころではなく気に入っているとヨハネスは思っている。
このままいけば、いずれは……と思わなくもないが。
「でも、ブルーノ様だからな」
「そうですね」
たぶん、エレナを実家に戻そうとするだろう。誰もがそう思った。
「私はブルーノ様とエレナ様、どちらにとっても望まない結果にはなってほしくないわ」
夜の使用人食堂。
以前ここでエレナを追い出そうと一致団結した使用人たちが、今度はエレナを留めるために一致団結したことを、エレナは知らない。
そして、「勝手なことはするな」と釘を刺したはずの使用人たちがまた動き出そうとしていることを、ブルーノは知らない。




