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貧乏令嬢は呪いの伯爵と結婚したい  作者: 海野はな


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23/65

23.調合室でのお手伝い

「この部屋は片付けないのですか?」

「片付けようとは思っている」

「そう思ってからどのくらいですか?」

「……覚えていない」


 足の踏み場にも困る調合室。

 なるほど、よくわかった。


「ここは魔術関係のものや、調合の材料で毒となり得るものもある。使用人にはなるべく入らないように、入っても物に触れないように言ってあるんだ」

「ということは、ブルーノ様が片付けなければずっと片付かないということですね?」

「……まぁ、そうなる」


 ほうほう。

 いつか片付けてやろうと思いながら、まずは今日の手伝いを聞く。先程作った薬を小瓶に移し替える作業だそうだ。

 まずは小瓶を消毒して乾かす。消毒まではブルーノがやったので、わたしは魔術で風を起こして瓶に当てる。それをじっとブルーノが見てきた。彼は魔術師だと言っていたので、わたしの魔術のできをチェックしているかもしれない。大丈夫だと思うけれど、と少し緊張気味にブルーノに視線を向ければ、彼は何も言わずに目を逸らした。


 何も言われないってことは、大丈夫に違いない。

 うん、乾いた。


 あとはちまちまと瓶にできた薬を定量ずつ入れるという地道な作業である。ブルーノは乾いた小瓶に先が細いおたまのような物で紫の薬を一つ入れて見せた。鍋の中では濃く沈んだ紫に見えたけれど、小瓶に入れると透き通っていて淡い紫に見える。綺麗だ。

 わたしはその作業を引き継いで、小瓶に薬を詰めていく。


「いつもお一人でこの作業をしているのですか?」

「手伝ってもらうこともあるが、一人でやることが多いな。まぁこのくらいの量なら何とかなる」

「もっと大量の時は?」

「薬の作り方が確立されれば、外部で作ってもらっているんだ。領内で作って販売することもあれば、製法を王太子殿下に渡すこともある」

「王太子殿下に?」


 ブルーノは新しい薬の開発もしていて、今回の紫色の薬も新しく作ったものなのだそうだ。効果が良くて売上が期待できそうならば、外部に出して量産するようになるらしい。


「殿下に奪われているわけじゃないですよね?」

「それは違う。一応は、売っている」

「一応?」


 痛いところを突かれたというように、ブルーノはわざとらしく書類に目を落とす。

 領で作って売れば領の収入になる。だけど製法を売ってしまえば収入は一度きり。貧乏子爵家でがっつり商売と関わってきたわたしとしては、聞き捨てならない。


「どういう仕組みになっているのか、聞いてもよろしいですか?」

「緊急性の高い薬とよく使う薬は王太子殿下から出してもらうようにしているんだ。こちらの領だけでは作りきれないからな」


 緊急性の高い薬とは、疫病などで急ぎ必要な薬のことだ。少しでも疫病の広がりを抑えるには、一伯爵よりも王太子が出した方が国の隅々まで薬が早く行き渡る。それから、よく使われる薬は生産量も増えるため、伯爵領で作るのではなく王太子経由で各地で生産できるようにした方が、必要な人に届きやすいからだそうだ。


「それに、俺が作った薬だ、と宣伝すると売れなくなる。ちゃんと必要な人に届けるためには、王太子殿下のほうがいいんだ」

「え?」

「俺がどう呼ばれているかは知っているだろ?」


 わたしが言いにくいなと思いながらも「呪いの伯爵?」と口にすると、ブルーノは何の感情も乗せずにただ頷いた。


「呪いの伯爵が作った薬だと言われたものを、君なら買うか?」

「……買わないですね」

「だから、作った後は俺の手から離すほうがいいんだ」


 ニ十個目くらいの小瓶に紫の液体を注ぎ入れ、丁寧に蓋をして、できたものの列に並べる。これで半分は過ぎただろうか。その紫の小瓶が並んだ先に、ブルーノは視線を落としていた。まるで、薬たちを愛おしむように。


 なんだかとても悔しくなってきた。この薬だって、ブルーノが作ったもの。効果の程は知らないけれど、他にもこうしてたくさんの薬を作ってきたのだろう。それなのに、ブルーノが作ったものだと知る人はごく一部だけ。感謝されることも、褒められることもない。


「どうかしたのか? 手が止まっているぞ」

「それでは、王太子殿下にブルーノ様の功績を全部奪われているではありませんか」


 ブルーノが言っている意味もわかるのだ。薬を使う時に「呪い」という言葉が見えれば、怖くて使えない。それで躊躇して悪化するならば、ブルーノの名を出さずに使ってもらう方がいい。王太子の名だと広げやすいのもまた、よくわかる。


「ブルーノ様は優しい方ですね。わたくしだったら、良い薬ができたらどうやって儲けてやろうかって一番に考えますのに」


 どうやったら必要な人に行き届くか、なんてことを考えるブルーノは、本当に良い人だと思う。調合中の「ふふふふ……」という顔さえ見なければ、呪いとは無縁な気がしてしまうほどだ。


「俺は薬を作れればそれでいいんだ。むしろ伯爵家当主にならなければ、そうして過ごしていくはずだった」

「え?」


 伯爵家当主の座がほしくて家族を呪い殺したという噂だったけれど、その言い方ではむしろ、望んでいなかったように聞こえる。


「当主になりたくはなかったのですか?」

「そもそも、なりたいかなりたくないか、ではないんだ。なる予定がなかった。先代は俺の弟に爵位を渡すつもりだったし、俺もそうなると思っていた」

「でも……」


 あなたが殺したんじゃないの?

 そんなことを聞けるはずもなくて口ごもると、「これで終わりだ」とブルーノは最後の小瓶を静かに並べた。


「こうやって小瓶に入っていると、美味しそうにも見えますね」

「なめてみるか?」


 鍋の端にうっすらと残った液体を指ですくって口に入れると、飲めなくはないが、お世辞にも美味しいとは言えない味だった。思わず顔をしかめると、ブルーノはクッと笑った。


「薬だからな。あまり味は気にしていない」

「でも、飲みやすい方がいいですよ」

「そうだな。次は考えてみよう」


 手早く器具をまとめ、それを洗って乾かした。ついでに散乱している机の上をわかる範囲で適当に片付けて、濡れ布巾で拭く。意外にも埃はたまっていなかった。


「君のおかげで早く終わった。助かった」

「お役に立てたならよかったです。他にやることはありますか?」

「特にない」

「では、あの辺り、片付けてもいいですか?」


 わたしは自分のいる場所から扉に向かうあたりの床を指差した。危険そうなものは見えないし、とりあえず部屋の中から足の踏み場を気にせずに扉まで行けるようにしたい。

 返事がないのでブルーノに顔を向けると、彼は不思議そうにわたしを見ていた。


「なぜ仕事をしたがる? 別に仕事をこなす必要もないのだから、部屋でゆっくり好きな事をしていればいいだろう?」

「居たたまれないのです。素敵なお部屋と美味しい食事をもらっているのですから、その分は働かないと」

「そんなこと考えるご令嬢は少ないと思うぞ」

「そうでしょうか?」


 わたしがここで生活するには、それなりのお金がかかっている。豪華な部屋を整える費用、食費、侍女たちの給金、それらは全部伯爵家から出ているわけだ。ただ消費して座っているだけなんて落ち着かない。


 まぁたしかに、良家のご令嬢は「お金」なんて考えないかもしれないけど。えぇ貧乏性ですとも。それがなにか。


「たくさん役に立って、こいつ便利だなって思われるようになって、いずれいないと困るなという存在になってやろうという下心もありますよ」

「どんな下心だよ」

「だってそうなれば、追い出されずに、ここに置いてもらえるかもしれないでしょう?」


 ブルーノはよくわからないというように目を細めた。


「君はここに留まりたいのか?」

「そうですよ? ずっとこちらで過ごすのだと思ってここに来たんです。それなのに、使用人たちには追い出されそうになるし、ブルーノ様からは婚約解消だとか言われるし」


 まぁ、使用人の追い出し作戦には気が付いていなかったけど。


「たくさん働いて役に立ちたいんです。そして、婚約期間中にわたくしが伯爵家に必要な人間だって思わせてみせます。そのために、何でもやりますよ」


 さぁ仕事をどうぞ、とニコッと笑うと、ブルーノは手を止めて腕を組んだ。窓からは夕日が差している。それを背に受けて立つブルーノは、どこか妖艶な気配をまとっているように見えた。


「俺は『呪いの伯爵』だよ。いつ君を呪うかわからない」

「ブルーノ様はそんなことしないでしょう」

「さぁ、どうだろうね?」


 ブルーノは少しだけ首を傾げて口端を上げた。

 その途端、ゾクリと背中が泡立った。ブルーノが身体に魔力をまとわせて、わたしを威圧したのだ。魔術を扱う者の本能が、彼が圧倒的強者であることを告げてくる。どうあがいても勝てないと瞬時に察した。

 彼は、強い。


「呪われたくないならば、ここを離れるほうがいいんじゃない?」


 ゴクリと唾をのむ。

 これは恐怖?


 たしかに怖いと感じた。それは自分より強い者に対する畏怖のようなもの。やろうと思えば、ブルーノは簡単にわたしを害することができる。わたしが防御の魔術を展開したところで、彼は易々と突破してくるだろう。

 だけど……。


 やろうと思えば、できる。でも彼からは、その「やろう」という意志を全く感じなかった。わたしは小さく息を吐いて肩をすくめる。


「正直なところ、わたくしには呪いというものがよくわかりません。全く怖くないといえば嘘になります。だけど、少なくともブルーノ様が気に入らないという理由だけで人を呪うような方じゃないことくらいはわかりますよ」

「買いかぶりじゃないか。俺がどんな人間か、君はまだわかっていないだろう?」

「出会ってまだ日は浅いですが、全くわからないわけじゃないですよ? わたくしこれでも、人を見る目はあると思っているんです。それに……」


 じっとわたしを見ている紫の瞳をまっすぐに見返した。挑発するように少しだけ口端が上がっているその顔は、やはりとても綺麗だと思う。たとえ痣があったとしても。


「ブルーノ様は意味もなく人を呪わないと信じています。だけど、もし呪われて死ぬのだとしても、わたくしはその覚悟も一緒に持ってきていますよ」


 わずかに目を見張ったブルーノとしばらく見つめ合う。


 先に目を逸らしたのはブルーノだった。目を伏せて、大きく息を吐く。その瞬間に、この場を支配していた圧力が一気に抜けた。


「ここを片付けてくれるのはありがたいが、今日は時間がもう遅い。暗くなってからのこの離れは不気味に見えるらしいぞ。そうなる前に戻る方がいい。片付けは別の日に頼む」

「また来てもいいってことですね?」

「好きにすればいい」

「では、また来ます」


 わたしは軽くお辞儀をすると、足元に注意しながら部屋を出た。誰もいないかのように静かな廊下を進んで階段を下りる。


 外に出て振り返ると、ツタに覆われた離れが夕日に照らされていた。不気味さは感じなかった。

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