22.呪い薬
「なぜ君がここに? とりあえず、少しだけ待ってくれるか? もうすぐ終わるんだ」
ブルーノはその赤黒い液体を鍋に入れ、ぐるぐるとかき混ぜた。火もないのにボコボコと音が聞こえる。完全に怪しい薬だ。見た目だけならば呪い薬である。
「ななな、何を作っているのですか?」
「薬だ」
間違ってなかった!
いや、美味しいジュースだよ、とか言われた方が怖さが募るので、はっきり言われてよかったのかもしれない。
ブルーノは赤黒い何かの付いた手で鍋をかき混ぜ、ニヤリと笑った。
今のこの姿を見れば、誰だって本物の呪いの伯爵だと思うだろう。覚悟して伯爵家にやってきたわたしでさえ、ぶるりと体を震わせた。
「できた……」
恍惚ともいえるような表情をしたブルーノは、わたしに向き直るとまた一瞬で表情を戻した。
「すまない、待たせた。大丈夫か?」
「ちょっと、腰が抜けただけです」
ブルーノが手を差し伸べてきたが、赤く染まっている。ビクッとしたわたしを見て、彼はハッと気が付いて手を戻した。
「手を洗ってくる」
よろよろと歩いて、床に落ちて……積んである何かに躓きながら出ていき、少しして戻ってきた。わたしはその間に逃げたほうがいいのだろうかと思ったけれど、一度ぬかしてしまった腰はすぐには戻らなくて立ち上がれなかった。
「洗ってきた。たぶん匂いも取れたと思うけれど」
くんくんと自分の手を嗅いでから、ブルーノはわたしを掴んで起き上がらせてくれた。まだ足元がおぼつかず、しかも床にはいろいろと散乱しているので、自然とブルーノに寄りかかるような体勢になってしまった。こんな状況ながら、華奢に見えるけれど意外しっかりとした身体つきなんだな、なんてことを思った。
隣の部屋に移動して、ソファに座らせてもらうと、「あらあら」とマリーが入ってきた。絶対「タイミング」とやらを狙ってきたに違いない。
そしてさらに彼女は届ける予定だったパウンドケーキとお茶をささっと並べて出て行ってしまった。「後は若いお二人でどうぞ、ふふふ」とか言いながら、何の説明もせずに。なんてこった。
「いろいろすみません、ブルーノ様」
「いや、俺は特に何もしていないが。何か用があったのか?」
「このパウンドケーキを届けようと思っただけだったんです。解毒薬を作ってもらったり、食事に招いて下さったりといろいろお世話になったので、お礼をしたくて」
ブルーノはケーキが乗った皿を持ち上げて、じっくりと眺めた。
「君が作ったのか?」
「そうです。ハンスに教わりながら、ですけど。お時間が大丈夫であれば食べてみてください」
わたしは自分の分を先に口にした。しっとりとしていて、少し酸味もあって、美味しいと思う。ハンスがブルーノ好みにできたはずだと言っていたけれど、どうだろう。
ブルーノが優雅な手つきでケーキを口に運ぶ。彼は基本的に残さず何でも食べるらしいが、好みでない物を口にした時は一瞬だけ眉間に皺が寄るそうだ。美味しくないとか好きじゃないといった言葉を滅多に言わないブルーノの好き嫌いを見分ける術だと、ハンスが教えてくれた。
「どうですか?」
「うん、美味しいと思う」
眉間に皺は寄らなかったから、少なくとも嫌いではなかったようだ。よかった。
「あの、作っていた薬って、何の薬なのですか?」
「風邪薬だ」
「風邪薬」
「呪い薬だとでも思ったか?」
完全に思っていた。意外にも普通の薬だった。
目を逸らすと、クッと笑った声が聞こえた。
「新しい薬の依頼を受けてな。何でも、風邪を引いても仕事が休めないから、症状を抑えつつ眠くならない薬がいい、と言われたんだ」
「風邪を引いても休めないなんて大変ですね。寝ないと治らないのに」
「まぁそうだよな。だから少しでもと思って、症状を抑えつつ眠気が出るような成分を抜いて、ついでに栄養が取れるように改良していた。ようやく良さそうなのができたよ」
それが先程の液体なのか。思い浮かべて、あまり美味しそうな色ではないなと思った。緑色だった液体が、最後に部屋を出るときにチラッと見たら紫になっていた。血みたいなのを入れて変わったのだろう。
「あの血みたいな赤い液体は?」
「あぁ、あれはカララという花をすりつぶしたもので、咳を抑えるのに使われるんだ」
「カララ? あの小さい花がたくさん咲くやつですよね? でもあの花は毒があるのではなかったですか?」
その花ならば子爵領でもよく見た。蜜がありそうな可愛い見た目だけど、毒があるから口にするなと教えられた。
ブルーノは軽く目を見張って、少しだけ口端を上げた。
「よく知っているな。そういえば、菜園の雑草を見分けて食べていたのだったか」
「……今は食べていません」
「たしかにカララの花には毒があるが、魔力を加えながらすることで体に害のない程度まで弱くなるんだ。同時に花自体は淡い赤色だが、色が濃くなってあの色になる。そのまま咳を抑える素材として使われているが、組み合わせによっては違う効果も得られる。先日アロエと合わせてみたら粘性が上がったのは面白かったな。効果に違いがでているのか試してみたいが、あぁ、分量を変えてみるのもいいかもしれない……」
少し驚いた。こんなにしゃべっているブルーノを見たことがない。
「そういえば、血が苦手なのか?」
「血? 積極的に見たいものではありませんけれど、別に平気ですよ。子爵領では鶏を捌いたり羊の解体とかもしてましたし」
「解体」
「あ、殺すのは男の仕事って決まってるんです。だからわたくしは仕分けして捌くだけなんですけど、そこそこ血も浴びますので慣れました。怖がっていたら肉が食べられませんから」
「なかなかご令嬢がしなさそうな経験をしているな」
「そうですか?」
紅茶をくぴっと飲む。足の震えも落ち着いてきたようだ。
先程は怖いと思ったブルーノも、こうして話していると怖さを感じることはない。むしろ安心して落ち着いてきた。なぜだろう。
「カララの花を血だと思って腰をぬかしたのかと思ったのだが、違ったようだ」
「血だと思ったのもそうですけれど、あまりにブルーノ様が『呪いの伯爵』っぽいから驚いたのです」
正直に言ってから、しまったと思って口を押さえた。本人を前に「呪い」だなんて。
おそるおそるブルーノを見ると、別に気にする様子もなく「あぁ」と顎に手を当てた。
「薬の試験や調合になると、どうしても周りが見えなくなってしまって、どうやら変な声を出したりおかしな言動をしたりしているらしい。怖いからやめてほしいとよく言われる」
「……そうですね、なかなか迫力がありました」
「憑りつかれているとか、呪いの儀式だとか使用人たちは呼んでいるらしいが、そんなに怖いだろうか」
あぁ、だからマリーがタイミングがどうのこうのと言っていたのか。
「気を付けているつもりだけど、熱中するとどうしてもそうなってしまうらしい。誰もいないと思っていたし、怖がらせるつもりはなかった。すまない」
「いえ、勝手に来て勝手に驚いただけですし……。とにかく、呪い薬じゃなくてよかったです。ブルーノ様は呪い薬なんて作りませんよね」
出会ってからまだ長くはないけれど、よく考えてみれば、倒れたわたしを介抱してくれるようなこの人が本気で人を害することができるとは思えなかった。ホッと胸をなで下ろしたわたしとは逆に、ブルーノは軽く首を傾げた。
「さぁ?」
当然「作らない」と言うと思ったわたしは「え?」と彼を見上げる。
「例えば時間が経つごとに少しずつ効果を発揮する毒薬。これを呪い薬というならその通りだし、作ろうと思えば作れる」
「作れるんですか」
「呪い薬、なんてものの定義はないだろう? 毒薬と呪い薬に明確な違いなんてない。薬と毒だって紙一重だ。いくら優れた薬だって、十倍の量を摂取したら毒となって身体を蝕む。体質に合わない事だってある。そういう意味では、今作った薬も呪い薬ではないと明確には言えない」
ブルーノは考えるような姿勢で静かに言った。まるで経験があるかのようだ。
「だから、何だって呪い薬になり得るんだ」
「なるほど?」
ちょっと難しくなってきた。
だけどとりあえず、意図して呪い薬を作るつもりはない、ということだろうとわたしは受け取った。
お互いのお茶がなくなったところで、休憩時間は終了だ。けっこうたくさん話せた気がする。ブルーノはまだ作業が残っているそうだ。
「何か手伝えることはありますか?」
聞いてみると、少し考えてから「それなら頼む」と言った。先程の部屋を見る限り、わたしに手伝いは難しいかと思ったので意外だった。
部屋を出て先程の調合室に向かう。途中でマリーに先に本邸に戻るように伝えると、「あらあら」となぜかほくほくした顔で下がっていった。




