15.貴族待遇
「はあぁぁ、ブルーノ様、今日も素敵でした」
倒れて目覚めてから三日目の夕食。
届けられた柔らかい具がたくさん入ったスープを口に運びながら、わたしは何度目になるかわからないアリーの言葉を聞き流していた。
このスープ、薄味だけどしっかりとうま味が出ていて、とても美味しい。
いきなり謝罪されてから、わたしの食事はとても豪華になった。食器からして違う。これが貴族待遇なのか。
体調を考慮してくれたようで最初はスープだけだったけれど、だんだん普通に食べられるようになってきた。今夜のメニューはハンバーグだ。
「ブルーノ様はエレナ様の症状から毒の種類を当てたんですよ。すごくないですか?」
「あぁ、うん」
カトラリーを動かすと、肉汁がじゅわっとでてくる。このソースとの相性も抜群だ。うーん、幸せの味。
毒の種類をすぐに当て、解毒薬を調合したことは本当にすごい。だけど同じことをもう何度聞かされただろう。このような反応になるのも仕方がないと思う。
「『体調はどうだ』っていう声だけで、もうゾクッとしません?」
しません。
「優しい声に冷ややかな瞳、凛とした横顔もカッコいいです。そう思うでしょう? あ、食べ終わりました? 薬はこちらです。一滴残らず飲んでください。ブルーノ様が作って下さった薬を残すとか、許しませんよ?」
アリーはなんだかんだと言いながらもわたしの世話を甲斐甲斐しくするようになった。「追い出すんじゃなかったの?」と聞いたら、伯爵から「頼んだぞ」と言われたから、期待に応えないわけにはいかないそうだ。
おかげでわたしは食事も出してもらえるし、暇になったら本を用意してくれるし、至れり尽くせりすぎて駄目人間になりそうだ。
アリーはそれだけ伯爵を慕っているのなら、婚約者になったわたしはさぞかし嫌な存在なのだろうと思ったけれど、それとこれは違うらしい。「好きは好きだけどその好きじゃない」「ブルーノ様は崇拝対象で、私は信者です!」と言っていた。よくわからない。
怪しい宗教? 呪いの伯爵だけじゃなくて宗教の教祖も兼務してるの?
「ねぇアリー、伯爵さまは館の中でもいつも顔にマスクをしているの?」
「そういえば、最近はしていらっしゃいますね。でも今まではしていなかったですよ」
「そうなんだ。あれはお顔の痣を隠しているのよね?」
「そうだと思います。エレナ様に気を使っているんじゃないですか?」
「わたくしに?」
どこに気を使うところがあるのだろう。
そういえば化け物みたいな顔をしているという噂もあったけれど、マスクの下はひどい顔だったりするんだろうか。アリーの様子からすれば、そんなことなさそうだけど。
ちなみにそのアリーは「ブルーノ様のお顔を見たことがないのですね」と、勝ち誇ったような顔をしている。
「もしかして、痣を見ると呪われたりするの?」
「そんなわけないじゃないですか。もしそうならば、使用人たちはもう皆、呪われてますよ」
「そうよね。……ハッ、もしかして」
思わずアリーを凝視した。湧いてきた可能性に、わたしは口元を押さえる。
「なんですか」
「信者? 信者になってしまうの? アリーのように?」
「はい?」
「それは恐ろしい。ある意味呪いだわ……」
ん、まてよ。それは、痣を見ると魅了されてしまうってこと?
そうだとすれば、わたしは婚約者なのだから、問題ない?
いやいやいや、問題しかないわ! 正常な意識を保ちたい!
「そろそろ怒ってもいいですかね? 私が正常じゃないって言うんですか!」
「聞かれてた!」
倒れて目覚めてから一週間。
伯爵の見立て通り、わたしは復活した。伯爵すごい。
身体のキシキシ感もなくなったし、魔力の流れも通常に戻った感じがする。
ここ一週間、伯爵は毎日わたしの様子を見にきてくれた。噂のように冷酷無慈悲で残虐な人ならば、まず薬は作らないし、こうして見に来てくれることなんてないと思う。どこまで本当かわからないけれど、噂ってあてにならない。
「エレナ様、持っていらした服はこちらのクローゼットにあるもので全てですか?」
「そうよ」
「お荷物もこちらにあるだけですよね」
少なっ、と呟いたの、聞こえてますわよ、リリー。
そんな確認をされたのが今朝のこと。
午前中に様子を見に来てくれた伯爵から「通常の生活に戻って良し。ただし無理はしないこと」という許可をもらったので、昼食をとってから軽く散歩に出ることにした。
少し後ろに、ピッタリとマリーがついてくる。一人で大丈夫だと言ったけれど、病み上がりのわたしがどこかで倒れたら大変なので今日はお供します、だそうだ。
いい天気だったので、裏口から外に出て、表玄関のほうまで回ってみることにした。扉をくぐると、心地の良い風が頬を撫でた。久しぶりの外だからか、太陽がいつになく眩しく感じる。
そうか、もうすぐ夏だもんな。
裏口側は菜園も近く、いろいろな作物が植えられている。それを横目に建物沿いをゆっくり歩く。ずっと部屋にばかりいたせいか、身体が重く感じるのとは裏腹に気持ちは軽い。
「そんなにはしゃぐと疲れてしまいますよ」
「あっ、ハイ」
はしゃいだつもりなどなかったのだけれど、マリーからはそう見えたらしい。注意されてしまった。
表玄関に近づくにつれて、庭園はシンプルになってきた。玄関周りは花が植えられているものの、あとは整えられた芝生が広がり、所々に低木が見えるだけだ。実家の子爵家では表だろうと裏だろうとなんだか雑多に植えられていたので、広く何もない空間というのに違和感を覚える。
「マリー、こちらには何も植えたりしないのでしょうか?」
「使用人に敬語を使わない」
「あっ、ハイ」
チラチラと注意が飛んでくる。先日、「ブルーノ様の婚約者として相応しい立ち居振る舞いを身に着けていただけるように、しっかり指導させていただきます」と宣言された。圧の籠った笑顔で「何も心配はいりませんよ」と言われたけれど、心配しかない。
「前の当主の代では、こちらの広場でパーティーをしたり、人を招いて軽いスポーツや催しものをしたりしたのですよ」
「へぇ。伯爵……ブルーノ様も行われたりするの?」
「いいえ、当主がブルーノ様になってからは一度もありませんね。今はまだ、そんな余裕もありませんし……」
ちょっと寂しそうに言葉を濁したのは、きっと伯爵の噂によるものだろう。パーティーをするといっても、なかなか人が集まらないに違いない。
「もっとも、いろいろ植えると手入れが大変になり、人手が足りないという実情もあるのですけれど」
「なるほど」
「さぁ、そろそろ戻りましょう。良くなったばかりで無理をしては体に障ります」
「マリーが言うと説得力があるわね」
わたしの迎えで馬車酔いをしたマリーはしばらく寝込み、復活したとたんに張り切ってまた体調を崩して寝込み、それを三回繰り返してようやく本調子になったところなのである。
チラッとマリーを見ると、素知らぬ顔をしていた。
館の中に戻り廊下を歩いていると、前から使用人がわたしに道を譲って頭を下げた。わたしもつられてペコリと頭を下げた瞬間、後ろから圧の籠った声が飛んできた。
「使用人に頭を下げませんよう」
「あっ、ハイ。えっと、でも道を譲ってもらったでしょう? 無視して通り過ぎるのは良くない気がするのだけれど」
「使用人が道を譲るのは当然のことですから、気にせず通り過ぎて問題ありません。それでも気になるのでしたら、微笑んで軽く会釈なさいませ」
歩きながらこんな感じかしら、とマリーに向かってやってみせると、渋い顔をされた。
「そんなに大きな動きでなく、ごく軽く首を傾ける程度で結構です。それから、顔が怖い。もっと優雅に微笑みましょう。やり直し」
「えっ」
「変な声出さない」
「あっ、ハイ」
歩きながら笑顔の練習をする。
あ、使用人がこっちを見て、逃げていったぞ。
「ところでマリー、いつもと方向が違うようだけれど?」
部屋に戻ろうとしているはずなのに、なぜ今わたしは階段を上っているのだろうか。
「今日から違うお部屋に移っていただきます」
「はい?」
「今までいらしたお部屋は平民用の客間だという説明はしましたよね。体調が戻ったら本来の部屋に移動するようにとブルーノ様からも言われております。今朝、リリーがお荷物の確認をしましたでしょう?」
それから案内された部屋を見て、わたしは泡を吹きそうになった。
広いと思っていた前の部屋より広い居室に、さらに小部屋がついている。床には絨毯が敷かれ、暖炉の前には小さな机と大きなソファ。テーブルと椅子には細やかな細工があり、高そうな花瓶に生花が生けられている。壁には大きな風景画。天幕付きの大きな寝台が見える。
ご、豪華……。
奥の扉を開くと、また違う部屋があった。
「こちらは衣装部屋です」
人が入れるほどの広いスペースにちまっとわたしの服が掛けられている。
わたしの荷物があるってことは、本当にこの部屋で生活するの?
飛び出したわたしの目は、しばらく戻らなかった。




