12.毒 (ブルーノ視点)
伯爵ブルーノ視点です
婚約者となったエレナが倒れたという知らせを受けたのは、彼女が館へやってきて一月が経った頃だった。
「倒れた?」
「はい。カールが発見してお部屋に運ばれましたが、意識がありません」
「カールが? とりあえず行こう」
カールとは庭師をしている使用人のことだ。
疑問はあったが、話を聞くより先に診るほうがいいと、急ぎ席を立った。なるべく関わりたくなかったが、倒れたというならば仕方がない。足早に本邸に向かいながら、ヨハネスに何があったのかを聞く。
「温室の前で作業中に気を失ったようです」
「温室? 作業とはなんだ? 温室に入ったのか?」
あそこは許可した者しか入れないように結界があるはずだが。
「いえ、入ってはいません。エレナ様は頻繁に菜園の手入れをされており、その一環で温室の近くにいたようです。庭師によれば、一度立ち上がったのが見えたので声を掛けようとしたら、そのまま倒れた、と」
「菜園の手入れ? 彼女の趣味か?」
「……どうでしょうか」
言葉を濁したヨハネスに何か隠しているような気配を感じながら本邸に入ると、リリーが青い顔で待っていた。軽く礼をして、「こちらです」と案内される。なぜか部屋の方向ではなく使用人が暮らす区域に向かっているようだ。
「待て、なぜこちらに?」
「……エレナ様は今、この先にいらっしゃいます」
リリーは少し進んだところの扉の前で止まった。ここは平民用の客間だ。なぜここに? 取り急ぎ運んだのだろうか。疑問はあるが、まずは彼女の状況を把握するのが先だろうと開きかけた口を閉じた。
「失礼する」
意識がないとは聞いていたが、一応一声かけて部屋へ入る。マリーとアリーがハッとこちらを向いて軽く礼をした。
この部屋は寝室と居間が分かれておらず、一部屋だけなのですぐに寝台が見えた。そこには青白い顔色のエレナが横たわっていた。
倒れてすぐに連絡が来たようだから、まだそれほど時間は経っていないはずだ。
覗き込んでみると、顔色が悪く、浅い呼吸を繰り返している。わずかに胃酸の臭いがした。
「吐いたか?」
「はい、こちらに運ばれた直後に一度、戻されました」
額や首筋、手首、胸の下に手を当て、脈と魔力の流れを診る。魔力の流れがとても弱い。
「彼女は魔術を使うのか?」
「おそらくそうだと思います。掃除をするときに風を扱っているのを見ました」
「掃除?」
「……はい」
追及することがいろいろありそうだと思いながら、指先に意識を集中する。脈にも少し乱れがあるようだ。毒か。
まさか使用人たちの誰かが?
「急ぎ、彼女が今日口にしたものを全て記せ」
「かしこまりました」
取り急ぎ魔力が回復する薬を飲ませると、解毒剤を調合するために部屋を出て、薬草を取るために裏手から外に向かう。
温室にさしかかったところでヨハネスが追いかけてきた。
「今日の食事のメニューです。料理担当者と配膳した者もこちらに」
小さく頷いて、二つ折りにされた紙を受け取る。開いてみると、急いで書いたことが分かる乱れた文字が並んでいた。必要な情報が全て記されているところがヨハネスらしい。
「これは……ヨハネス、料理そのものに毒が入っている可能性はないな?」
「それはありえません。もしそうでしたら、使用人が皆倒れていることになります」
メニューを見る限り、彼女は使用人と同じものを食べていたようだ。部屋といい、食事といい、使用人たちは彼女に対して貴族令嬢の待遇をしていないらしい。
「エレナは使用人たちに何かしたのか?」
「いえ、そのようなことは……」
「いや、いい。後にしよう。それよりも解毒が先だ。ヨハネス、疑いたくないが、エレナの元に届くまでに誰かが毒を盛ったとは考えられるか?」
「絶対とは言えませんが、それはないはずです」
ヨハネスがないというならば、誰かが盛った可能性は低い。とすれば、どこから?
「これ以外に口にしたものはないか?」
「食事でお出ししたもの以外は食べ物をお持ちではないと思いますが、ずっと誰かが見ていたわけではありませんので……」
どの毒かが分かればそれにぴったり合う解毒剤を作れるが、それを突き止めるために時間を掛けるよりも、完全なものでなくともある程度合いそうなものを調合して早く与えるほうがよさそうだ。そう判断して温室の扉に手をかけたところで「あの……」と小さな声が聞こえた。
振り返ると、庭師のカール爺が立っていた。
「あぁ、カール。エレナが倒れたのを発見してくれたと聞いた。見つけてくれて感謝する」
そういえばこの辺りで発見されたと聞いている。あまり頻繁に人が出入りする場所ではないので、発見が遅ければ危ないところだった。
「いえ。すいません、立ち聞きするつもりはなかったんですが、あの、お嬢ちゃんの話ですよね?」
お嬢ちゃん、という言葉に違和感を覚えつつも、頷いて次を促す。
「お嬢ちゃん、いつも草をむしりながら、口にしていました。食事はもらっているけれど、足りない、とか言って」
「足りない?」
目を細めてヨハネスに視線を送ると、彼は元々細い目を見開いて「何も知りません」というように小さく首を横に振った。
「食べられる草とそうでないものの区別はしっかりついているようだったから放っていましたが、もしかしたら今日も何か口にしていたかもしれません」
「エレナが作業していたという場所はどこだ?」
「こちらです」
案内された場所はすぐそばだった。一部だけ綺麗に整えられ、刈った草が一つにまとめられて小さな山になっていた。その中にかじられた形跡のある毒草を見つけた。
……これか。
カール爺に礼を言ってから温室に入り、乱雑に茂った中から目当ての薬草をとって離れに戻った。
調合した解毒薬を手にエレナの元へ戻ると、零さないように丁寧に飲ませた。しばらく見守っていると、顔色が少し良くなってきた。アリーが心配そうに覗き込んでくる。
「エレナ様は大丈夫でしょうか?」
「薬が効いてきたようだから心配ない。また夜に飲ませに来る」
アリーは「あの」と開きかけた口をすぐに閉じた。こちらで薬をあげておくとでも言うつもりだったのだろうが、あいにく今はアリーを信じられない。アリーもそれが分かったのだろう、目を伏せて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
部屋を出て、部屋の前に控えていたヨハネスに話しかける。
「報告していないことがいろいろあるな?」
「……はい。すぐに報告書にまとめてお持ちします」
それからすぐに渡された報告書の内容は頭が痛くなるようなものだった。
俺が望んでいない婚姻を避けようと、使用人たちが一丸となってエレナを追い出そうとしていたらしい。
平民用の部屋をあてがい、食事を出す以外は一切手を出さなかったこと。
部屋の掃除も、洗濯も、一切の世話をしなかったこと。
食事も時折わざと下げたり、固いパンを出したり、使用人と同じ物にしたこと。
当然お茶や菓子の準備などはしない。
それどころか空いた部屋を掃除させ、庭や菜園の手入れまでさせている。
執事長ヨハネスと侍女長マリーは、それを知りながら傍観に徹していたという。
「よくこれで怒り出さなかったな」
「はい、その点に関しては使用人一同驚いております。貴族のご令嬢であればこれだけ手を出さなければ怒って出ていくだろうと、それを狙ってのことだったのですが」
逆に使用人の頼みにも嬉々として応じて、想像以上の働きをしているらしい。使用人たちは戸惑いを隠せないという。
「非常に温厚なのか、我慢強いのか、それとも気が付いていないのかわからないのですが、私たちの貴族のご令嬢という認識とは少し違う方のようです」
「報告書の限りでは彼女に落ち度はなさそうだが、使用人たちと揉めるようなことはあったのか?」
「いえ、特にございません」
毒については使用人たちが盛ったわけではなかったが、庭の草を口にしなければならないほど食事が足りていなかったのはこちらの責任だ。
どうするべきか、と額を押さえる。
「ヨハネス、この婚約が王太子殿下の意向でもあることは話してあるだろう? 婚約期間が終わるまでここで過ごしてもらうのは決定事項だ。勝手に追い出そうとしないでくれ」
「申し訳ございません」
「今後はエレナが恙なく生活できるように整えてくれ。これまでのことは、俺からも詫びを入れよう」
ヨハネスに下がるように指示を出すと、彼は「差し出口になりますが」とゆっくり目を伏せた。
「使用人たちは皆、ブルーノ様のことを思っての行動でしたので……」
「わかっている」
「それからこれは私の独り言ですが、私どもはエレナ様を今までに知るご令嬢と同じだろうと思い込んでこのように失敗しました。我が主が同じように思い込みで失敗されることがないように、祈っています」
では失礼します、と一礼して、ヨハネスは出ていった。
頭を抱えた。
まったく、ヨハネスの独り言ほどやっかいなものはない。
避けてばかりいないで、少しは関わりをもて、ということか。
はぁ、と大きく息を吐き、次の薬の調合に取り掛かった。




