1.伯爵家からの縁談
「その縁談、お受けします!」
家族がそろった屋敷内の会議室、わたしは拳を握りしめ、勢いよく宣言した。古びたシャンデリアに朝の光が反射して、綺麗じゃないとはいえなくもない。このシャンデリアは夜になると、所々の灯りがついて趣深い。要するに、全部の灯りはつかないということだ。壊れているから。
「なにを言ってるんだ。相手はあの『呪いの伯爵』だぞ?」
「わかっておりますわ」
心配するような顔をする家族たちに対し、わたしはむしろ、ふふふ、と微笑んだ。安心させるためなんかじゃない。純粋に喜んでいるのだ。
呪いの伯爵?
どんと来いだ!
我が子爵家の状況を一言で言うならば「貧乏」である。我が家の紹介をする第一声がそれだとは何とも悲しい。でも仕方がない、それが事実なのだ。とりあえず、壊れたシャンデリアを新調するどころか直せない程度には貧乏である。
そう、金がない。いつもない。
片田舎にある子爵領は、よく言えばのどか、悪く言えば何もない。狭くもなければ広くもない。大きな特産物もない。経営はいつも火の車。それでも何とかなっているのは、領民たちに子爵家が慕われて、お互い助け合っているから。
なにせ父と母は人柄がいい。何かあれば私財を投げうってでも領民を助ける。そんな父母だからこそ、領民たちも何とかしてあげなくちゃと思ってくれている。もしその信頼関係がなくなったら子爵家はすぐに崩壊する。
子爵家なので一応貴族だが、領民との距離は非常に近い。忙しい時期は領民とともに畑に繰り出し、イベントがあれば駆け回り、領民の子供らに勉強を教えたり一緒に遊んだりもする。わたしたち兄弟、兄、わたし、弟、妹の四人もそんな環境で領民たちと共に育った。
そんな子爵家だが、今まさに特大のピンチに襲われている。取り引き先の別の子爵家から、取り引きの中止を言い渡されてしまったのだ。これがなくなると火の車だった領の経営は燃え尽きるかもしれない。
爵位返上、領地は没収。
子爵一家としては、なんとか領地と領民を守らなければいけない。
ついでに言うならば、頭の回転が速くて優秀な弟には高等教育を受けさせたい!
妹も学校に通わせたい!
とにかく、お金が必要なのだ。金だ、金。
切羽詰まって、お金!
そんな中で新たな取引先候補として上がったのが、グレーデン伯爵家だった。グレーデン伯爵家は国内でも有数の家柄で、ここと取り引きができるのならば子爵家の状況は一気に解決する。そんなグレーデン伯爵家から、取り引きを持ちかけてくださったのだ。
なんという僥倖!
きっと神様が日頃の行いを見て下さっているんだわ!
ただし、ひとつの条件を付けて。
それが、わたしの嫁入りだった。
貴族の縁談は家と家の結びつきを重視した政略結婚が基本だけれど、貧乏子爵家と結びついてもいいことなどあまりない。むしろ援助しなければならないとなると、どの家だってそんな縁は欲しくない。
そんな理由で、我が貧乏子爵家には上位の爵位を持つ家から縁談が来ることなどなかった。断じてわたしの魅力のせいではない。
ついでに言うならば、下位の爵位からもない。こちらもわたしの魅力のせいではないはずだ、きっと。
とにかく、伯爵家からの縁談だなんて、両手を上げて歓喜の歌を大声で歌いながら走り回る程度にはすごいことなのだ。
それにも関わらず家族が悲観するのは、縁談の相手であるグレーデン伯爵は「呪いの伯爵」と呼ばれ、恐ろしい評判があるから。
彼の顔には、この国では呪いの象徴だと信じられている痣がある。生まれつきのものらしい。噂によれば、彼は小さい頃から数々の呪いの力を発揮していたという。
そして一年前、彼は若くして伯爵当主の座についた。彼の家族を全員呪い殺して。
「グレーデン伯爵は恐ろしい顔をしているんでしょう?」
「化け物のような顔だって聞いたことがある」
「顔なんてどうでもいい、怖いのは実績さ。一人目の妻は体調不良で離縁、二人目の妻は家族と共に呪い殺されたんだぞ。もし三人目の妻にでもなったら、どうなるかわからないじゃないか」
「お姉様、そんなところにいくなんて、絶対に駄目」
兄弟が口々に反対する。
わたしも噂なら聞いたことがある。だから、怖くないわけではない。
それでもわたしは、大好きな家族と子爵領を潰したくないのだ。
わたしの役割は元々、領の為になる相手との婚姻だ。その相手が誰であれ、最大の利益を得られる相手と婚姻するつもりだった。老いぼれ公爵や伯爵の後妻もしくは妾かもしれないし、貴族でなく豪商あたりかもしれないとは思っていた。
伯爵の後妻であることには違いないけれど、グレーデン伯爵はまだ二十三という若さだというし、妾でもない。
呪いうんぬんの怖い話を除けば、条件は悪くない。
少なくとも子爵家長女の役割を果たすことができるというところで、わたしは満足である。
それになにより、わたしには絶対に回避したいことがあった。
「わたくし、あの人には絶対に嫁ぎたくないのです」
あぁ……と皆が納得した顔になった。あの人、だけで充分に通じている。ちゃんと「人」と言っているのだから、かなり丁寧なほうだ。
その「あの人」とは四十歳を少し過ぎたくらいの豪商で、平民であるけれど、その資産は貧乏貴族よりも多い。商売においては頭が切れるが女癖が悪く、汚い手を使って手に入れた女を自分のステータスとして扱う下衆野郎だ。
どうやったのかは知りたくもないが、数年前についに男爵家の末娘を迎え入れ、貴族の娘を妻にしたといやらしい笑みを浮かべていた。その際、美人だと評判だった平民の妻は用済みだとばかりに妾に落とされた。
そして男爵家の次に目を付けられたのが、男爵家よりも爵位だけは上の貧乏子爵家の娘。つまり、わたしである。奴はわたしが欲しいのではない。子爵家のご令嬢が妻である、という肩書が欲しいのだ。
「こちらの足元を見て圧力を掛けてくるような奴と結婚するくらいならば、呪われて死ぬほうがはるかにマシ!」
わたしを寄こさなければ今の取り引きを中止するぞ、そうなれば領民が飢えるなぁ、ゲヘへ、と笑ってくる汚らしい顔付きが、ナメクジみたいで本当に嫌だ。吐き気がする。
しかもだ。その状況に落とし込みながらも、あちらから求婚することもせず、「子爵家の方から嫁にしてほしいって言ってきたんでね、仕方なしに、ですよ」ゲヘへ、とかヌメッとした顔で言うような奴だ。
ううぅ、考えるだけで悪寒がする。
両親も絶対阻止の構えだが、本当に領が立ちいかなくなってしまったら覚悟を決めなければいけないのかもしれないと思っていた。たとえ相手が女をとっかえひっかえする生理的に受け付けない脂ぎったわがままボディのナメクジでも、領民たちの安寧には変えられない。
…………やっぱり死んでも嫌ああぁぁぁ。
それに比べたら、伯爵家に嫁げるとはなんて幸せだろう。子爵家は安泰、伯爵家との取り引きが無事に成立すれば、ナメクジ野郎が今度は妹に狙いを定められても守ってあげられる。
「それに、どちらにせよこの縁談に王太子殿下が関わっているという時点で、お断りするのは難しいのでしょう?」
なぜかこの縁談を後押ししてきているのが、王太子殿下だという。王家とかかわることなどほとんどない子爵家にとって、王太子殿下の意向とやらは、もうほぼ命令に近い。父はそれでも反発する気のようだが、それでは今後どうなってしまうかわからない。貧乏子爵家など、王家がちょっと吹けば飛ばされる程度なのだから。
「でも、おまえが呪われでもしたらと思うと……」
「大丈夫ですよ。わたくし、癒しが使えますから。なんとかなりますって」
「だが……」
「ナメクジは嫌なんです。絶対、死んでも嫌!」
あ、ナメクジって言っちゃった。
「ナメクジは何とか阻止する。他の縁談を探すからやめておきなさい」
ナメクジで通じているばかりか、父までナメクジと言い出した。家族みんな、何事もなかったように通じているし、深刻な顔で頷いている。
「その縁談が見つかるまで待っていたら、ナメクジにやられます」
「大丈夫だ、塩を撒いてやる」
「その塩を買うお金がないでしょう!」
「うっ」
ナメクジに嫁ぐなら、お金を得て呪われて死にたい。その方がいいと思えるくらいに、ナメクジは嫌だ。何度も言うが、嫌なものは嫌だ。わたしは力説した。
「この縁談をお受けすれば、お金も地位も手に入るのですよ。迷う余地などありませんわ。わたくし、もし呪われて死んでも後悔しません」
「こちらは後悔するぞ」
「お金と地位を手に入れるまでは、簡単に死んだりしませんよ。だから、大丈夫です。行かせてください」
項垂れた父と心配そうな家族たちの中で、わたしは一人、意気揚々と微笑んだ。
お読み下さりありがとうございます。
完結まで頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。




