6 「乙女ゲーム」?
「ここで一応言っておきたいのだけど、私自身は乙女ゲームを遊んだことはないわ。
ただ向こうの世界では、一部の若い人たちの間でそれをもとにした小説が流行っていた。
こちらは選択肢で結末が変わることのない、私たちもよく知っている一本道の普通の物語と考えて良いわ」
オリヴィアは極めて真面目な顔をしてアンヌに言った。アンヌも真剣な顔で応える。
「わかりました。ではその、乙女ゲームの説明をお願いします」
「乙女ゲームというのは、清潔で、素敵なお顔の、お金持ちで身分も高い男性を、与えられた機会を逃さずに手練手管を駆使して落とす、乙女向けのゲームのことね」
アンヌは唖然とした顔をした。
「それだけ聞くと、乙女の所業とは思えない不潔な遊びに聞こえるんですが……」
オリヴィアは肩をすくめる。
「だから先に断ったのよ。
ゲームのなかでうまいことやって男性を落とすと、溺愛といって、その男性がむちゃくちゃ主人公を愛してくれるのね。愛の具体的な内容については私に聞かないように。
ゲームのなかでは、たくましい野性的な男性とか、すらりとして知的な雰囲気の男性とか、年下の庇護欲をそそる男の子とか、各種の男性が攻略対象として揃っていて、全員を落としてハーレムを目指すツワモノもいたわね」
「オリヴィア様は、本当にやっていないんですか」
アンヌが疑いの目で見る。
「私は、そのゲームから派生した小説ばかりだったから、本当にやっていないわよ」
「でも小説は読み漁っていたわけですね。オリヴィア様が、各種揃った男をとっかえひっかえする破廉恥な小説を……。
そんなキツイのと比べたら、お子様ものとしかいえないロマンス小説ですら、私がお勧めしてもご関心をお寄せくださらなかったあのオリヴィア様が……」
「誤解よ。そういうスキモノな内容の小説もあったようだけれども、私のような普通の女の子の読者に人気があったのは、その乙女ゲームの世界に転生して入り込んでしまう話なの。それも主人公の敵役のポジションに生まれ変わってしまう話」
「オリヴィア様が、自分は普通の女の子とおっしゃると、ドキドキしますね」
「悪いけれど、向うの世界での私は貴族のような特別な存在でもなんでもなく育ったから、平民としてすっかり油断しきった生活をしていたの。あまりに体裁の悪い話は、アンヌにも言えない」
「逆にすごく気になりますが。やはり読んでいたんじゃないですか。破廉恥小説」
「別に大したことをしていたわけじゃないわ。ていうか、むしろその破廉恥な小説にアンヌが執心なのは分かったから」
アンヌは笑った。
「オリヴィア様、以前から気安く仕えさせていただいておりましたけど、少しやわらかくなりましたね。夢の中での平民生活の影響ですかね。子どもの時分に戻ったみたいです。私は好きですよ」
「そうね、自分にとっては、夢から覚めたとはいっても、ついさっきまでのような感覚も残ってるから。
えーと、話を戻します。さっき、向うの世界は平民しかいないという話をしたけれど、二百年ぐらい前までは、私達の世界のように、王がいて、貴族がいて……という社会だったらしいわ。
だから、ロマンスの理想の社会を描くのに、そうした昔の世界の貴族たちの社会を舞台にするのが、よく使われる手法だったの。
平民同士の物語って、お金の問題とか生活の問題とか嫁と姑とか上司がどうとか現実が現実すぎて、なかなか娯楽として愛そのものを楽しむことができないから、別の世界でのお話ということにするのね。便利な機械技術もないけれど、そこは魔法が使えるなどで補ったりして」
「魔法が使える貴族の世界というと、こちらの世界に近いですね」
「ここでいわゆる乙女ゲームの基本的なかたちを概略として説明しとくわね。
まず主人公の女性。
成り上がりの男爵の娘とか、聖なる力を授かった平民出身の娘とか、ちょっと身分的には平民に近く、平民の読者にとっても共感の持てる立場が一般的だったわ。この主人公を動かして、身分の高い男性を<狩る>の。
狩りの対象になる男性は、まず筆頭は王子様ね。そしてその側近たち。この側近には、宰相家の子息や騎士団長の子息というのが相場だったわね。もちろん、ゲームの胴元に追加料金を払うと、さらに男が追加されてくる。いずれもみんな顔が良いのは言わずもがな」
「王子と側近たちは、こちらの世界でもなにやら聞いたことのある構成ですね……。顔については、好みがあるでしょうけれど」
「主人公の女性は、物語上、色々と困難を乗り越えていくのだけど、一番のハードルは、王子には既に婚約者がいるってことよ」
驚いてアンヌはオリヴィアをまじまじと見る。
「いるんですか、婚約者」
「ゲームでは大概、この王子の婚約者は、ただ政略結婚の相手として選ばれた、身分と気位だけは高い女として登場してくる。恋愛成就にコマを進める主人公の前に“悪役”として立ちふさがることになっているの」
「あくやく」
「そう悪役令嬢」
オリヴィアは言葉をいったん切った。
「婚約者である悪役令嬢は主人公をちまちま妨害するのだけれども、ゲームの進行上、暗殺とかは最後の奥の手ということになっているの。こっちの世界では初手からありそうよね。それだと話がすぐ終わってしまうからね。主人公の王子攻略が成功すると、悪役令嬢は破滅して退場するというのが定番だったわ」
「男爵の娘が王子とくっつくのをちまちま邪魔すると、婚約者である侯爵家の娘がどう破滅するんですか」
「ちょっと待って。私は侯爵家の娘とは言ってないわよ」
オリヴィアはすかさず切り返した。
「ゲームの悪役令嬢は、奥の手を用意していることがバレて、処刑されたり、着の身着のままで国外追放になるのよ」
「えぇ! 極端すぎませんか」
「まぁ、物語だからね。悪が滅びて、真実の愛が讃えられるわけね」
「でも要するに浮気じゃないですか」
「そういうわけで、小説というのは、このゲームの基本ストーリーをひっくり返したものね。ゲームのなかの悪役令嬢のポジションに生まれ変わっちゃいました! という感じね。
ゲームの主人公が攻略を進めていくと、悪役令嬢はどんどん立場が悪くなっていく。このままゲーム通りに進行すると身の破滅。なんとかできる時間は限られる。そんな条件で、どう生き延びて、新しい人生を切り開いていくのかを物語として楽しむわけ」
「なるほど、オリヴィア様はこの一か月の夢のなかの世界で、平民となってそんな物語を楽しんできたと。それは……間違いなくご加護をいただく精霊様からの啓示ですね」
「え? あ、そうか。精霊の啓示……。そう考えれば良いのか。私にとって、今の私と地続きに感じるほどだから、なんだか思いもよらなかったわ」
「この状況でその体験の記憶を得るということが、まったくの偶然とは思えませんから」
「そうね。今の私のポジションって、要するに悪役令嬢。魔法を学んだりするのは、王太子妃としてふさわしくない趣味として、ずっと叩かれてきたし、いま現在も自業自得で寝込んで、出仕もさぼっている我がままなヤツと吹聴されてるみたいだし。向うが破棄したいのなら、婚約を継続しようとしても、まず良いことにならないと思う。下手をしたら、物語のようにさらなる罪をでっち上げられるかもしれない」
「オリヴィア様……」
「今まで払ってきた努力に、未練がないわけじゃないけれど。イワン殿下への執着心みたいなものは、夢の中の生活ですっかり消えちゃったみたい。あれは自分の頑張りの成果を手放したくないという思いの凝り固まったものだったわね。もうそろそろ、新しい人生スタートさせて良いと思わない?」
オリヴィアの言葉に、アンヌは大きく頷いた。
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