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36 路上に小石を置く

 

 レース越しの柔らかな日差しの入る窓辺の茶卓で、オリヴィアは気の抜けた様子を見せていた。


 一緒に座ってお茶の伴をしているアンヌは、少しれた思いを声にのせて、オリヴィアに尋ねる。


「本当に私たちは、このままここで過ごしていてよろしいのでしょうか。オリヴィア様がせっかく目覚められたというのに、情報を伏せられていて、だいぶ経ちますが」


 オリヴィアはアンヌにぼんやりと返した。


「いいの。これも私たちの作戦のうちだから。それに、まだ頭も身体も本調子でもないし、なにより魔力の制御が難しくなっているのよね」


 目覚めた後、リハビリに努めているオリヴィアだったが、身体の感覚のなにかが変わったのか、自身が動かせる魔力の全体像を掴みかねていた。いまはそれを棚上げして、身体能力の回復を優先させている。


「下手に復帰を伝えて、色々とお仕事をまたおおせつかってもイヤでしょ」


「確かに。オリヴィア様は、以前はすっごい働いていらっしゃいましたからね」


 王太子暗殺未遂の事件前、オリヴィアは、各地の式典警備などに引っ張り出されていた。


 この国では、基本的に「婚約者」といえども、王族の仕事の代行はできないことになっている。


 しかしオリヴィアは、「王太子の婚約者」という、王族にもっとも近い近衛騎士団の幹部だった。


 彼女の庇護者であり、王族でもあったトゥリーチェイの死後、近衛騎士団の本部はオリヴィアに、王族カードの代りとして動くことを暗に求めた。


 ほとんどのケースで、オリヴィアはお飾りの責任者としてそこに居るだけで良かった。何か事故があっても、王族以下の者たちがオリヴィアを罪に問うのは難しい。


 それでもオリヴィアから見れば、彼女は王族に近い立場とはいえ、王族ではない。騎士団側に杜撰な仕事があれば、オリヴィアは婚約者としての資質が問われることにもなる。


 実働を担当する騎士たちの仕事ぶりは確かだったが、オリヴィアの気は休まらなかった。


「無事故が当たり前。事故があったら減点」「閑職ではないが、出世の得点にはならない」、それに「怪我をさせては大変」。そんな理由から、野心的で退屈さを嫌う騎士あがりの幹部たちが敬遠するような仕事が、オリヴィアに回ってきやすくなっていた。


 そしてどんな扱いをしていても、王太子宮が関知しない様子を見て、近頃はあれもこれもとオリヴィアに頼むようになってきていたのだ。


「そういえば、今回の事件の警備の騎士たちは、けっきょくどうなったの?」


 話の流れからオリヴィアは思い出したように、アンヌに尋ねた。


「私も、昏睡しているオリヴィア様のことで頭がいっぱいでしたので、よく覚えていないのですが、旦那様のおっしゃっておりましたように、プルミエール様と王府の閣僚が、暗殺者を雇用してしまった責任を問われているみたいですね。

 逆に、王太子殿下の側近のヨハン様はすばやく動いたことで、殿下に褒められたという話がありました。名目上の警備責任者はヨハン様でしたので、現場の実質的な担当である騎士たちは、辺境に自ら異動願いを出したぐらいで、あまりお咎めはなかったようです」 


「呆れた話……それで殿下の御前で護った私は勝手に飛び出て負傷したという扱いって、彼らもよくそんな話を言い立てられたわね。

 しかも、近衛騎士団の幹部連中も、現役士官の名誉ある負傷を侮辱されてるのに、今までなんの反応もしていなかったようじゃないの。あれだけ私を使っておいて、薄情な話じゃない?」


「オリヴィア様の扱いのことをつつくと、警備の責任問題が再燃すると思われたのでしょうね」


「あの時、殿下の結界装置の起動は、暗殺者の攻撃に全然間に合っていなかった。私が飛び出ていなかったら、殿下は無事でなかったというのに。目が覚めてからお父様に聞いて、びっくりしたわ」


「その戯言(たわごと)は、王太子宮の者たちだけでの話です。ほかの貴族たちは信じていませんよ」


 話に軽く熱を持ち出したオリヴィアをアンヌが慰めたが、オリヴィアは眉を上げて、アンヌに重ねて言った。


「問題は、それで、彼らは公式の事実をつくるつもりだってことよ。凶事に飛び出すという頭の足らぬ真似をした婚約者が、大怪我を負って、自業自得にも婚約破棄されたーー私たちが黙っていれば、イワン殿下が国王になったら、それが王国の史実になるのよ。本当にあり得ないわね」


 アンヌは身を近づけてオリヴィアに尋ねた。


「それでは、彼らをこのまま放っておいて、オリヴィア様はよろしいのでしょうか」


 オリヴィアは肩から力を抜いて、ティーカップを手にとる。


「放っておいているわけではないわ。いま私が飛び出していって闇雲に走り回っても、得られるものは少ない。代わりに、お父さまに頼んで、小さな仕掛けを今つくってもらっているところ」


 オリヴィアは続ける。


「このゲームは、相手が仕掛ける前に私の目が覚めたので、本当はそこで私たちの勝ちみたいなもの。でも、それだと私たちには得るものが少ない。だから、勝利の条件をこちらで少し変えさせてもらったの」


「オリヴィア様が陰謀をはかるとは、大丈夫ですか。プライム家のジョンは、オリヴィア様よりずっと奸計に親しんでそうですが」


 心配そうに訊いたアンヌに、オリヴィアは笑って答えた。


「心配しなくとも、私がしているのは、全然陰謀じゃないわ。言ってみれば、通り道に小石を置くようなものよ。気をつけていればひっかかることもない。

 ただ、足元を見ていなければ、転ぶかもしれない。

 ジョンは、シュッドコリーヌ家は王太子の外戚に絶対になりたいはず、私ーーオリヴィアも王太子妃の立場を守りたいはずと考えている。そうした前提を疑わずに動いていると、ちょっと見えづらいかもしれないってだけ」


「はぁ、この国の貴族でしたらその前提は間違いないでしょうね」


「王都からほとんど出ない王宮貴族なら……ね。その前提で、彼らはずっと次の手を考えていているからね。でもその前提、本当に確かなのかしらね」


「領地貴族は違う、と?」


 オリヴィアの問いかけに、アンヌも問いで返す。


 オリヴィアはアンヌに身体ごと傾け、わざと小声で言う。


「さて、どうでしょう。我がシュッドコリーヌは、王太子妃を出したいと、もともと考えていたのかしら。そして私はイワン殿下に嫁ぎたいと思っていたのかしら。もっと言ってしまえば、イワン殿下が王太子であり続けることは、それほど盤石なことなのかしらね」


 アンヌも小声で返した。


「オリヴィア様、絶対に外では言えない本音の方のお話ですね」


「言わないわよ」


 ふうとため息をついたアンヌは、「お茶を入れ替えましょう」と席を立った。


 茶葉を入れ替え、温かいお茶を淹れなおすと、アンヌは訊いた。


「というか、やはりオリヴィア様、寝込んだ後、変わられました?」


 オリヴィアは少し考え、ゆっくりと答える。


「そうね。根本は変わっていないと思う。でも、現状について少し距離を置いて見るようになったかも。

 今まで、私も周りの考えに染まって、”王太子妃に望まれたのなら、イヤでもならなければ”と思っていた。

 そのために色々と時間や心、お金を費やしてきたし、それを費用と考えるなら、莫大な費用を王太子妃となるためにかけてきた。

 だから、妃になった後、殿下との協力関係のないことで、どんな大変な目に会うかとか、個人的な観点からいえばあの男と結婚したら、絶対に不幸になるということについて、あえて目をつぶってきたわ。

 これまでかけてきた莫大な費用が無駄になることを恐れていたから。

 これを、夢の世界での言葉では、たしかサンクコスト効果といっていた。オモテにでない水面下の費用に気を取られて、なかなか決定を変えられないことを言うのだけれど、まさに今までの私のことだったと思うわけ」


「サンクコスト効果ですか」


「たとえば……。どうしようもないクズ男に、大金を貢いでいる女がいるとするわね。下働きの仕事かなにかで毎日一生懸命に働いて、お給金を貰っているのだけれど、一緒に住んでいる男が、”おい、酒買ってきてくれよ”などと強請(ねだ)ると断れないでいる」


「わかりやすいですが、王族の話から、いきなりすごい卑俗な喩えになりましたね。それも夢の世界の影響ですかね」


「まぁね。私、夢の世界ですっかり平民だったから。それで、この男とずっといても、絶対に幸せになれないと頭で分かっていても、毎日のようについやしてきたこれまでのお金や苦労の大きさを考えると、簡単に別れられないでいる。今までの苦労も、ひとつひとつとして考えてみれば耐えられないほどじゃないし、もう少し我慢ができる間は一緒にいようかしら……まぁ、こういうことよ」


 アンヌは頷いた。


「なるほど。オリヴィア様はクズ男を切れない女だったと……」


「ちょっと……私はともかく、王族に不敬なのはアンヌの方じゃなくて?」


「オリヴィア様には良いのですか?」


「ぜんぜん良くないけど! もう今さらだし」


「それで、オリヴィア様も今はクズを切れるようになったと」


「このまま行くと、シュッドコリーヌ家にも影響がでる事態になりそうだったからね。私ひとりだったら、切るのは無理だったかもしれない。これでもシュッドコリーヌ家の娘だから。お父様も今回の一件まで、全然分かってなかったから、話を理解させるのも大変だったわね。

 今回の一件は、そのあたりの問題を、全部表に出してきた。アレと離れられそうな今回の一件は私にとっても好機なのよね」


「アレですかーーオリヴィア様はアレから自由になったら、何をされたいのですか」


 アンヌの問いに、オリヴィアはすぐに答えず、頬杖をつくと窓の向こうに目をやった。


「そうね……とりあえず私には魔術師としての能力があるから、野良の魔術師をして、しばらくのんびり旅でもしたいかな」


 アンヌは微笑んで返した。


「オリヴィア様が野良になるのは、難しいかもしれませんけれど、旅ならお供したいです」


「のんびりは、したいわね。重要なのはのんびりのところだから」


「それで、とりあえず、のんびりここでお茶を飲んでいらっしゃる……」


「そういうことよ、アンヌ。私はここでもうしばらく寝たふりをするお役目です」


 そう言ったオリヴィアは、気のない声で続けた。


「それに、どうせもうすぐ事態が動き出すわよ」


 軽く目を見張るアンヌに、オリヴィアはもう少し説明を加える。


「少し前に、王太子宮の私付の侍女というのが使者としてきたわね。会ったこともなかった女が」


「はい。追い返しましたけど」


「書状はジョンの部下上がりだった側近の署名だった。使者の質からいえば、イワン殿下はかかわってなさそうだし、おそらくジョンの指図で、部下あがりの側近が自前の権限で動かしていたものでしょう」


「確かに王家ではなく、どこかのおいえの騎士のようでしたね」 


 アンヌは使者の護衛騎士たちを思い出して小さく笑う。


「こちらが、これまでと違う動きをしてることに、ジョンが気がついた。そろそろじゃないかしら」



    ※




 その日の夕暮れ時のことーー。


 二騎に守られた小型馬車が別邸に入ってきた。


 毎日一往復やり取りをしている王都本邸との定期連絡便だ。


 荷物や手紙のやり取りのほか、急ぎではない使用人の王都との往復などにも利用されている。


「アンヌ様、本邸の旦那様よりです」


 アンヌは赤い線の入った封書を連絡役の従僕から受け取った。


 シュッドコリーヌ家では、封書に入れる線に幾つかの取り決めがある。


 赤い線は基本的に重要事項の内容であり、シュッドコリーヌ家の中でも家令以上の要人しか使用できない。受け取り人に対しても、「親展」として直接渡されることになっている。


 そして、ここでは「アンヌに宛てられた赤線入りの封書は、書かれている内容にかかわらず、即座にオリヴィアに渡す」ようアンヌは、臨時に指示されていた。


 アンヌはオリヴィアの部屋へと急いだ。


 日中と同じ奥の間の続きの部屋で、オリヴィアは読書をしていた。薄暗い部屋のなか、オリヴィアの手元の周りのみに明るい魔導ランプが灯されている。


「オリヴィア様。先程本邸から連絡が来ました」


 オリヴィアは本を閉じて封書を受け取ると、アンヌに向き直った。


「アンヌも見ていく?」


「よろしいのですか」


「もちろん、よろしくてよ。私の日中の寝たふりもしっかり役に立っていることを、ちゃんと教えなくちゃ」


 オリヴィアは、アンヌからペーパーナイフを受け取って、封書を切った。


 短い走り書きが一行だけあるのを満足そうに見つめ、オリヴィアはアンヌにも見せた。


 ーーアンヌに新しい宝石を用意せよ。


「なんですかこれ」


「プライムが動き出したという符号ね」


 怪訝な顔をして思わず訊いたアンヌに、オリヴィアは得意そうに応えた。


「いやなんで……」


「この間、アンヌにお礼をしなければって、備忘に良いかなと思って決めていたのよね。これなら万が一、信書を奪われても怪しまれることはないでしょ?」


 オリヴィアの説明に、アンヌは肩を落とした。


「それは……有難うございます?」


お読みいただき有難うございました。

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