31 好機
「待たせたな」
トゥリーチェイがマントを翻しつつ、大股で営所内にある大会議室に入った。
その姿が会議室の入口にかかるや、全員が起立し、トゥリーチェイに身体を向けて一斉に敬礼をした。
オリヴィアはトゥリーチェイの補佐の騎士らとともに、彼らに紛れるようにして会議室に入った。
トゥリーチェイは振り返り、こそこそとしたオリヴィアの行動を見た。少しだけ両肩を持ち上げると、黙ってそのまま作戦卓の彼に用意された席に座った。
出席者たちそれぞれが互いに気遣いなく物音を立てて着席する中、オリヴィアは周囲の騎士たちとともに、トゥリーチェイの背後の椅子に腰を下ろした。
作戦会議の正規の参加者の後ろで、室外との連絡や資料持ちなどの雑用をこなす者たちのための質素な椅子だ。
オリヴィアのことは、ここにいる全員が承知していた。つい先日まで、オリヴィアたちの訓練のための集まりだったのだ。
厳密にいえば、彼女は会議の正規の参加資格者ではないが、将来彼女が就く立場上、作戦卓の一席に座っても問題はなかった。
オリヴィアが壁際の粗末な椅子に黙って座ったことに、会議室にいる者たちは一様に奇異さを感じたが、誰も何も言わなかった。
王太子宮でオリヴィアの受けているという「王太子妃教育」からの影響かと、王宮にも伝手をもつ耳聡い少数の者たちは思った。
イワン王太子を立てるため、その妃に一歩引いた振る舞いを強調させるものであると噂されていた。
作戦卓にはすでに、衛府にいる主だった人物たちが集められていた。
王太子の送迎を勤める近衛騎士団の小隊長、その副官たち、衛府長官である衛府督、衛府詰めの騎士隊の幹部などだ。
彼らが作戦卓の左右を占め、部屋の奥側、中央に座るトゥリーチェイの向かい側には、馬を駆ってきた連絡係の騎士がいる。
「さて、すでに話を聞いているかと思うが、わしはまだ何も聞いておらんのでな。すまんが、最初から聞かせてもらえるか。パーシバル、頼む」
物音が落ち着くと、トゥリーチェイは大きな声で切り出した。近衛騎士団の小隊長、パーシバルはトゥリーチェイに目礼をすると話を始めた。
「では、彼に最初から報告させましょう。
森のへりの見張り塔からの急報です。といっても、ほとんど内容はわからないのですが」
その言葉を受けて連絡騎士は立ち上がった。
「本日早朝、日の出るすこし前、森の奥から王太子殿下の隊からの緊急事態を報せる光の柱が上がりました。色は黄と赤。光源は森のヘリからさほど離れておらず、直進すれば半日ぐらいの距離に思われます」
「黄色と赤色の発光は、魔獣遭遇の報せだったな。討伐隊に対処できぬ魔獣に遭遇してしまったのだと思うが……強い魔獣が棲息しているような奥地でもない」
トゥリーチェイは、間違いなく全員に聞かせる声量で独り言をつぶやく。
「見張り塔には少数の者しかおりませんので、いま、光源のもとには偵察に二名ほど向かわせておりますが、それ以上の人間を送ることができません」
連絡騎士は続けた。
パーシバルの隣の副官が発言をした。
「今から駆けつけても我々の到着は、救援を求めてきた時点からだとまる一日近くなってしまいます。あまり余裕がありません」
トゥリーチェイは椅子に身体をあずけ、白い髭をしごきながら聞いていたが、「まぁ、実際に行ってみるしかないな」と言うと、作戦卓の面々を見回した。
「殿下のお出迎えには、取り急ぎこの衛府に来ている近衛騎士団の小隊が向かうことにしよう。いいか、表向きの名目は、あくまで王太子殿下のお出迎えだ。現時点であまり事を荒立てるわけにはいかない。だが、わしも見張り塔まで行って、状況を確認することにしたい」
作戦卓を囲む騎士たちは、「おうっ」と声を上げる。
トゥリーチェイは、部屋の壁際に控えている連絡役の従士たちに声を上げた。
「魔術師団へ人を走らせよ。結界の術を使える魔術師を何人か内密に呼んでこい。負傷者を守っての戦いになるやもしれん。魔術師の結界や治癒術も必要になろう。くれぐれも大っぴらにするなよ。ここには魔術師の護衛と案内だけ残し、我々はとりあえず先に出るぞ。それから……パーシバル」
「は!」
「軍装は持ってきていたか」
「略式で、魔獣と戦える装備ではございません」
略式は主に平時における対人目的の装備だ。この日近衛騎士たちは王太子一行を迎えるため装備の少ない制服で集まっていた。
「ではとりあえず、追加の必要な装備は衛府から借りよ。ここに衛府の責任者も来ていて助かった。衛府の方々、お願い申し上げる」
「とんでもないことです。装備は倉庫から急いで引き出します」
その場で身を屈めて礼をとるトゥリーチェイに、衛府督が即座に返す。横に座る備品管理の事務官が背後に控える従士たちに指示を飛ばしはじめた。
「わしにも鎧一領頼む。あぁ、悪いがなるべく臭くないのをお願いしたい」
衛府の備品はあまり整備と保管の程度が良くないという「常識」を踏まえて、冗談めかして言った。
「一番新しいのを閣下にご用意しましょう」
事務官も口角を上げて応える。
「あと何かあるか……、なければ準備整い次第に出るぞ」
トゥリーチェイは作戦室を再度見回すと、彼の背後から遠慮がちに声がかかった。
「お待ち下さい、私も行かせてください!」
オリヴィアだった。
立ち上がり、手を固く握りしめてトゥリーチェイに言う。
トゥリーチェイは振り向いて告げた。
「オリヴィア、いくらなんでも騎士の資格があるとはいえ、お前は年若いし、正式な近衛任官前の身だ。何が起きているかわからんところに連れて行くことはできん」
「私は結界を張ることができます」
すげなく断るトゥリーチェイに、オリヴィアは急いで付け加えた。
思わぬオリヴィアの返しに目を丸くするトゥリーチェイに、「ちょっと小さいですが」とオリヴィアは付け足す。
真剣なオリヴィアの様子に、ふと何か気が付いたかのように頷いて、トゥリーチェイは前言をすぐに翻した。
「そうか。それはすごく助かるな。よし、魔術師代わりにして悪いが、ここはオリヴィアの手を借りよう。魔術師団の奴らが来るまで結界による支援を頼みたい。だが、そんなやわい声では連れていけない。腹から声出してやり直せ」
「はい! わが力の限り、守護の結界を張らせていただきます!」
声の大きなトゥリーチェイの指示に、オリヴィアも負けず大声を出した。
「よし!」
トゥリーチェイは満足げに頷いた。
傍でふたりのやり取りを聞いていたパーシバルは慌てて止めにかかった。
「お待ち下さい。もうすぐ王太子殿下とご婚約を結ばれるシュッドコリーヌ家の令嬢に、何かあったら、いかがされるのですか」
「聞いたか、オリヴィア。どうする?」
「重々気をつけます」
「そうか、うん。気をつけよ」
「なんですか、その掛け合いは」
オリヴィアとトゥリーチェイとのやり取りに、パーシバルは呆れた目でみる。
トゥリーチェイは笑って言った。
「なに、その王太子殿下に何か事あれば、その婚約話自体も無くなるのだ。婚約者が将来の夫の危機に駆けつけた。そういうことだよ。ここに残す魔術師護衛の人選はお前に任す。急ぎ支度させよ」
「は!」
※
オリヴィアが、自身の護衛騎士にも救援参加のその準備を伝えるために席を辞すと、焼き芋を焼いていたトゥリーチェイの従者役の騎士が主人に訊いた。
「本当に、オリヴィア様をお連れしてよろしいのですか」
トゥリーチェイは、先程までのにこやかな顔を、真面目なものにつくり変えて返事をした。
「イワン殿下につながる貴重な石に違いあるまい。プライムの奴ばらが要らぬと捨てるなら、拾うまで。オリヴィアを騎士団に引き込んでおいて損はない」
騎士はため息をついて言った。
「閣下のおっしゃっる通りだと思いますが、悪ぶっても、彼女を可愛がっているのはまるわかりですよ」
トゥリーチェイは笑った。
「会議室でのオリヴィアのさまは見たか?」
「ええ、わざわざ閣下のうしろの壁際の粗末な椅子に座って。人の集まる公的な場ではあのように振る舞えと躾けられているのでしょう」
「プライム家の伜のジョンがあんな態度をとっていたところを見たことがあるか? あいつらなら何食わぬ顔で、わしの隣に座って騎士たちを顎で使ってそうだ」
「杓子定規に規定を守る国もあるのは聞きますが、我が王国はそこまでではなかったですからね。殿下の側近ともなればそれぐらいしそうです」
「オリヴィアは王太子宮では窮屈な思いをしているようだしの。ここで実績を得れば、オリヴィアのためにもなるだろう。
オリヴィアもそのつもりで手を挙げたようだ。まったく賢い奴だ。そういう奴は嫌いではないぞ」
※
「ヘリット、わかって。これは、私にとって好機なのよ」
トゥリーチェイが従者役の騎士に語っている頃、オリヴィアもまた彼女の身を危ぶむ護衛騎士に告げていた。
王太子宮を含む王宮内では、宮廷内の規則や「侯爵家令嬢」としての立場を強調され、オリヴィアの個人的な行動はほとんど認められない。
そして王太子妃としての教育では、オリヴィアは妃として王太子のイワンの後ろに従うよう教えられていた。
イワンの隣に立つのは儀式や夜会のときのみ。それ以外のときにはイワンだけでなく、その側近たちに一歩も二歩も譲ること。
「殿下の側近とは、文武儀礼それぞれの方面に秀でた人々であり、彼らの職掌領域について、素人が浅知恵で意見してはなりません。
妃としての貴女は、第一に彼らをやさしく労り、ねぎらうこと。皆に王太子殿下のご恩と徳を広めることです。
貴女の賢しらさは悪徳です」
王太子宮で用意された教師たちはオリヴィアにそう言い、イワンに対するように彼らにも下がるよう何度も教えていた。
王太子とその周囲に何も輝かしいものがない裏返しとして、隣に立つものを低める必要を、王太子宮の者たちは感じていた。
なにしろ、この度のオリヴィアの訓練を「王太子の魔獣討伐」に上書きした流れからして、その一端だ。
だが、現実の王宮では、政治においても王妃の影響力は大きい。有力貴族から娶られる王妃は、その立場から王家と貴族たちとを取結ぶことを期待されている。この国では「両陛下」と称されるように、国王とともに国の頂点に立つ身なのだ。
ムチと恐怖で躾けるような虐待を受けているわけではないもののーー「王太子妃教育」とは、「ルール」のかたちをとって、オリヴィアに押し付ける要求事項であることは、オリヴィアにとっても明らかだった。
オリヴィアは内心、腹を立てていたが、あからさまな虐待を受けているわけでない以上、彼らを斥けることは難しい。
後からきたオリヴィアには王太子宮での押し付けルールを跳ねのけるための味方がいなかった。もちろん教師による「教育」の体裁を崩すだけの材料もない。
「トゥリーチェイ閣下は、能力を重んじています。ここでは、自分に能力さえあれば動ける。そして、イワン殿下の危機に助けに入ったとなれば、無視できない功績になるでしょう」
オリヴィアは自らの手を握りしめて語る。
「それは確かに」
否定できないヘリットもしぶしぶ頷いた。
「私はここで手柄を立てて、褒美に陛下へお願いをするつもりです」
「いったい、何を求めるのですか」
合いの手のように入ったヘリットの質問に、オリヴィアは力いっぱいに答えた。
「もちろん、わたしの待遇改善よ!」
お読みいただき有難うございました。