30 魔獣討伐隊の悪夢
「そろそろ夜明けですね」
「あぁ、今日で最終日だ。無事に帰れると良いな」
狩人の男が隣の従士に声をかけると、肩をすくめて従士もため息まじりに返事を返した。
「今日は我々はヤノーシュ様を探さなければならないんですよね」
「夜は動かずにいたということで、明け方にひょっこり戻ってきて欲しいな」
「それが一番、助かるんですがね」
討伐隊の三日目の野営。いまは夜の見回りの最中だ。
赤々と火を焚き、テントを張って眠りにつくイワンたちの周囲で、騎士団と雇われ冒険者たちは交代で見回り、警戒を続けていた。
※
王都郊外で活動をしている狩人は、近隣に広がる森の狩で得た魔獣や、森の行き来で採取した物を売ってもう十年以上になる。地元の森について熟知する冒険者だった。
いつもの仲間たちとともに、森の案内人として近衛騎士団に臨時で雇われた狩人は、目的については騎士たちの野営訓練として聞かされていただけだった。
それ故、当日の朝に現れたのが王太子たちだったことに仰天した。
仲間はリーダー格の自分を入れて三人だけだ。弓を得意とする狩人の自分、剣の使い手である剣士、そして女魔法使いが一人。
王太子であるイワンたちを、森のなかで護衛するには、あり得ない少人数だ。
目的の変更は、両膝をつき、左右の手を胸に重ねる平民の敬礼の姿のまま、頭上から聞かされた。
「私どもは、貴族様の乗る馬車のために、森の中のあまり使われることのない細い道を案内するものと聞いておりましたが」
困惑しながらも話の確認をとる狩人に、目の前に立つ騎士装束に身を固めた少年が胸を張って応えた。
「それではまったく魔獣と会わぬかもしれぬからな。我々は魔獣を討伐するのが目的だ。そのためには森の奥まで行ったところで、森に分け入る必要があろう」
おいおい、これは騎士団も認めた話なのか。
狩人が少年の背後の騎士たちの顔を見ると、一様に苦い顔をしている。
騎士たちの反対を押し切ってのことなのだと狩人にも察せられた。
身分の違う狩人は、騎士たちの反対をこの場で繰り返すことはしなかったが、
「恐れながら、この人数では殿下の身の安全を保てるか、心配です」
とだけ、重ねて言った。
「私の護衛は騎士たちがする。お前たちには、森の案内以上のことを望んではいないので、安心して欲しい」
王太子からかかった直々の言葉に、冒険者たちは改めて頭を下げた。
※
話がややこしくなってきたのは、森に入って二日目に入ってからだ。
森のなかを討伐隊は縦列になって進んでいた。
冒険者と、騎士たちの連れてきた従士たちで膝丈の藪を切り払い、その後ろを、騎士たちに前後を守られた王太子の一行が歩く。そしてさらに荷物持ちたちが後を追い、最後尾にも騎士が一人、後方の警戒をしていた。
大きな円を描くように森の中をまわり、最終日に森から出られるよう、狩人は道案内をしている。
冬に入るこの季節、空気は澄んでいる。木漏れ日が差す木々の下は静かで、鳥たちの声と討伐隊の立てる音が周囲に響いていた。
「それにしてもいっこう、魔獣どころか普通も獣も出てこないではないか」
歩きながら、イワンは側近のジョンにぼやいた。
前方で冒険者たちが藪を切り払ってくれているとはいえ、足場は自然の荒いままだ。登り下りが続き、平坦なところはほとんどない。
すべてがお膳立てされた狩に赴く時以外、あまり運動する機会のないイワンは、疲労が溜まっていた。
「明日は帰還の予定になっておりますので、今日、一頭ぐらいは現れて欲しいところですね」
書類仕事が大半のジョンも、足取りが重い。
ジョンは、イワンの疑問を近くの騎士に伝えた。騎士が前の方へと走り狩人に訊く。
「討伐隊の人間もそこそこ多いので、獣たちも警戒しているのだと思います」
狩人は立ち止まり、汗を拭いながら答えた。
「もちろん、魔獣と鉢合わせない方が良いのですが」
「そうだな。しかしそれは殿下たちは望んでいないのだ」
「私たち冒険者は、獣の素材を得るのが仕事ですから、森の中は少人数で入ります。獣たちに気が付かれぬよう、警戒されぬように。しかしそれは襲われる危険と隣り合わせのことですので、よくよくお考えください」
騎士がイワンたち本隊のところへ走り戻りジョンに伝えると、ジョンはイワンに言った。
「冒険者どもが言うには、魔獣は人間が少人数でないと現れないようです」
イワンはジョンの説明を聞いて、疑問をもった。
「おかしいではないか。オリヴィアたちの計画はどうだったのだ」
今度はヤノーシュが騎士たちの隊長をイワンのもとへ連れて来た。
「訓練自体は少人数に分かれてすることになっておりました。それと、魔物寄せの香も微量利用する手筈でした」
隊長の説明に、イワンは得心して言った。
「そうか。では、我々も焚こうか」
討伐隊は一旦、前進することをやめた。
「おい、休憩だそうだ」
従士に告げられ、先頭を進んでいた冒険者たちもいったん立ち止まった。
周囲の藪を刈り取り、踏み倒して座って休む空地を作る。
従士たちはそれを見て、自分たちの主人たちの本隊が休憩できる地面を作りに走り去った。
冒険者たちはそれぞれ背中合わせに輪になり、警戒しながら座り込み、汗を拭った。
「これから魔物寄せの香を焚くのだそうだ」
狩人が言うと、冒険者仲間のふたりは、示し合わせたように同時にため息をつく。
剣士は両手を後ろに投げ出して言った。
「案内だけの楽な依頼かと思ってたのに、藪漕ぎとか。こんな苦労するとは思ってなかったぜ」
「ほんと……」
魔法使いも同調した。
「まぁ、これだけの大人数だから、魔獣の好物の匂いといっても、そうそう来ないんじゃないか」
「逆に、来るのはこの人数を恐れないぐらい強い奴だってことよね」
「怖いこと言うな。現実になったらどうするんだよ」
魔法使いの皮肉に、剣士はわざとらしく震えてみせる。
「人間を恐れないような奴が近くにいたら、もうとっくに襲ってきてたさ」
狩人が笑いながら言った。
本隊から少し離れた位置で、従士たちが香に火をつけた。煙がもうもうと上がる。その煙の量に、周囲の警戒を怠らなかった冒険者たちも一斉に振り向いた。
「え、あんなに大量に使うのか」
「まじか。大丈夫なのか」
騎士が駆け寄ってきて、冒険者たちに告げた。
「香の効果がどれほどあるかわからんから、しばらく、殿下の周囲を囲むように見張ってくれ」
数刻待っても、魔獣は現れなかった。
いったん立ち止まったことで、かえって疲労が表に出たイワンたちは動けなくなっていた。
一行はまだ日のあるうちに、その場で野営をすることに決めた。
騎士たちが周囲を警戒するテントの中で、仮設のベッドに寝そべったイワンは苛立って言った。
「これでは恥の上塗りではないか!」
「いざとなったら、冒険者に魔獣を狩らせて買い取りましょう」
ベッドの側の椅子に座るジョンはイワンを宥めるものの、イワンの苛立ちは収まらない。
「おい、ヤノーシュ。お前はこの始末をどうつけるつもりだ」
顔を青くしたヤノーシュは片膝をついて言う。
「もう一度、香を焚かせてください」
「あの効かぬ奴をか!?」
「恐れながらーー」
ヤンは気の毒そうにヤノーシュに目を向けながら口を挟んだ。
「夜は魔獣が活発に活動する時間です。暗い森で見通しも悪い中で魔獣がやってきては危険かと存じます」
ヤンを一瞬睨みつけると、ヤノーシュはイワンに必死に訴えた。
「まだ日が完全に落ちるまでしばらくあります。まだ分かりませぬ!」
「勝手にするがいい」
視線も向けずイワンの投げた言葉を承認と受け取ったヤノーシュは、テントから飛び出した。
「夕方に香を焚くなんて、とんでもないことです」
「お前は、殿下に逆らうのか!」
騎士が反対すると、目を血走らせたヤノーシュが怒鳴る。
「殿下の身の安全を考えるからこそ、反対しているのです!」
「もういい! 僕が自分でやる! 殿下のテントから離れればいいんだろ。その香をよこせ」
戸惑う従士から香をひったくると、ヤノーシュは森の中へ走り去った。
「お待ちください!」
騎士は口では言ったが、がっくりとして身を翻し隊長のもとへ報告に走って行った。
ヤノーシュたちの声は大きく、討伐隊全体に聞こえていた。やり取りを遠くから見ていた狩人は、近くの従士に言った。
「あれ、追っかけなくていいんですか?」
「さあな。誰も追っかけていないんだから、良いのだろうよ」
従士は狩人に答えた。
「いくら野営地から離れたところで香を焚くといっても、ここに魔獣をおびき寄せる目的ですから、それほど離れられないですよね。どうなんですかね」
面倒くさそうに従士は返事をした。
「だったら、ヤノーシュ様もそう遠くまでいかないだろ。俺たちは、上に従うだけだ。お前たちも警戒だけはしてくれ」
ヤノーシュがこの夕刻に魔物寄せの香を焚く問題の方はどうするーーという言葉を狩人は飲み込んだ。
どこまで行ったのか、ヤノーシュはなかなか戻らなかった。
騎士隊の隊長は、テントから少し離れたところに冒険者を集め、言った。
「明日まで待って、戻らなかったらヤノーシュ様を捜索する。君たちのうち、ふたりにその捜索を頼みたい」
略式に片膝をついた冒険者たちは目配せしあった。
「森の中で迷子になったら、熟練の冒険者でも遭難します。そうそう見つかるものではありませんぜ」
「そうだな。だが、探さなければなるまい」
代表して剣士が言うと、隊長は苦いものを噛み潰した顔で返した。
「明日、私達が探せるのは午前中だけですが、ヤノーシュ様が見つからなかったら、どうしますか?」
魔法使いは訊いた。
「引き続き、探してくれ。我々は王太子殿下一行をお護りし帰らなければならない。君たちの依頼期間はしばらく延長する」
狩人はため息をついた。魔法使いを目で示しながら、隊長に言った。
「帰りは、彼女に道案内してもらってください。私と彼が残りましょう。お戻りになったら、話をギルドに伝えてください。割増をいただきたく存じます」
※
夜の定時見回りは、冒険者と従士のふたり一組でまわる。前方を比較的遠くまで照らせる魔導ランタンを持ち、左右に振って周囲を照らしながら進む。
枯れ枝を踏みしだく音だけが響いている。
しばらく黙って歩いていると、今度は従士から声をかけた。
「なぁ。ヤノーシュ様、見つかると思うか?」
狩人は頭を横に振り、「広すぎます」とだけ口にする。
「そうだよな……」
またふたりは口を閉じた。
「おい、あれは何だ」
最初に従士が何かに気がついた。
小山のような黒々としているものがうごめいている。
何頭もの獣が頭を寄せ合い、顔をつっこみ何かを咀嚼するような音がする。
従士が魔導ランタンの光量を最大に上げると、人間のような何かに群がっているのが見える。獣たちが頭を上げると、獣の目が何対も光った。
「魔狼だ!」
狩人が叫ぶ。
慌てて従士が笛を強く吹いた。
フィィイィヒイイィ、
次の瞬間、頭部を失った従士が音を立てて前のめりに倒れた。
魔導ランタンが跳ねるように転がって消える。狩人も持っていたランタンを放り投げ、すぐに飛びずさり、ありたっけの魔物避けの香水を頭からかぶった。
魔狼たちは唸りながら従士の死骸にも群がった。
死骸を夢中に漁っている魔狼たちから目を離さず、狩人は腰をかがめたまま、剣を引き抜くと、ゆっくりと元きた道を後ずさっていく。
遠くで、魔熊の吠え声が聞こえる。
魔狼たちも魔熊の吠え声に一瞬耳をそばだてると、目下の食事を加速した。
「そのままだ、そのままこっちに気がつくなよ……」
狩人は何度も念じつつ、一歩一歩遠ざかっていった。
お読みいただき有難うございました。