29 王家の芋騎士
あの人たちーーイワンたちのことだ。
オリヴィアがこの日に衛府で彼らを出迎えることになったのも、婚約式前であることを理由に、翌日の王太子たちの帰還に同道することも、王宮での報告に参列することも差し控えるよう、王太子宮からの使者がわざわざ伝えてきたためだ。
この討伐訓練が、オリヴィアの参加する訓練を直前になって乗っ取ったものであることを誤魔化したい。王太子側の意図ははっきりしていた。
しかしオリヴィアとしては、つい先日まで親密に打ち合わせていた仲間の近衛騎士たちのことを考えると、ねぎらいのためにも出迎えたい。
そうなると、前日に衛府で非公式に出迎えるしかなかった。それすら王太子の一行からは歓迎されまい。
王太子側からの粗略な対応を、オリヴィアはもう何度も受けていた。
だが、なぜそんな態度をとられるのか、オリヴィアはいまひとつ納得できなかった。
やりきれない思いが、ついオリヴィアの口から出た。
「オリヴィア。お前さんも大概だな」
トゥリーチェイは呆れた声を出した。
「その歳で、新しい魔術を生み出した人間など、大昔はいざしらず、わしの人生のうちでは、いないからな?」
「あれは侯爵家のみんなで開発したものです」
「それでもだ。関わったということだけでも、同じ年頃の者なら大いに嫉妬するさ。
しかもあいつらは年上なんだ。成人を迎えて王太子の側近であるとえらぶっても、なんの実績もない奴らだ。お前さんへのどでかい劣等感に背中を押されて、無謀な魔獣討伐にも行ってしまうだろうよ。
あと、そうだな。奴らにとって、この婚約が気に入らないことがもう一つある。年寄りのわしには、むしろこっちの方が重要に感じるがな」
「派閥のことですか?」
トゥリーチェイは腕組みをした。
「まぁ、それもあるな。だが、プライムとかプルミエールとか、それも表面の話だろうて。
要するに奴らは、自分たちに権力を集中させたいのさ。
オリヴィアにはまだ早いかもわからんが、ちょっと立ち返っての話をしよう。
オリヴィアは、この国を動かしてるのは、誰だと思う?」
オリヴィアはトゥリーチェイの質問に面食らった。
「国王陛下ではないのですか?」
「違うな。この国を動かしてるのは、貴族たちだ。国王も大貴族のひとりではあるけどな。
この国は、王家と国王に封じられた領主貴族たちで、領地をそれぞれ治めている。
王家の直轄地は、王府が管理している。
王府は国政だけでなく、王家の直轄地、王宮の家政もしきっているが、その王府を動かしている者たちもまた貴族だ。
つまり全員、貴族たちだ。
国王はこの国でいちばん偉い。だから王の大権があるということになっているが、一方で貴族たちは枢密院のもとで団結し、自分たちの権利を王の勝手から守っている。
こうなると国王も大権を気ままに振るうことはできない。王の大権が実際に効力を発揮するには、王を佐ける貴族たちが不可欠だ。
まぁ、賢い王様なら、貴族たちを疎かに扱わない。弱い王様なら、貴族たちに逆らわない。愚かな王様なら…王族出身のひとりとして王へのご加護を精霊様に祈るのみだ。
さて、国王は貴族たちの上に乗っかっているだけで、実際には貴族たちがみなでしきってるとすれば、どうなると思う?」
オリヴィアが考える素振りを見せると、トゥリーチェイは両手を上げてすぐに答えを言った。
「そこでまた権力争いよ! 誰が第一人者か争うのさ。
イワンの側近たちは、いまイワンに自分の持ち金を全部かけている。放っておいてもイワンは国王になり、彼らはイワンの名のもとで、王としての大きな権力を動かすことができる。
ところがイワンが領地持ちの大貴族の家とつながったら、イワンが王様になったときに自分たちの取り分が減るかもしれない。
あいつらの心配事は大方そんなところだろうて」
「聞いていて、なんだか呆れますね。私、そんなことに関心がないんですが。今だって王家の教育に時間を取られて、他にしたいことの時間をとるのに大変な思いをしているのに、そんな有りもしないことの心配で、あの人たちから敵視されてるなんて!」
腹ただしさを見せて、オリヴィアは言った。
「オリヴィアがきれいなだけのお人形さんだったら、奴らもそんな心配なんかしなかったさ。お妃様としてお前さんに対してうやうやしく対応していただろうて。まぁ、その場合、自分たちの対等な相手として見てないということだがな」
「権力争いには興味がないので、その方が助かって、都合が良いんですけど」
「だが、オリヴィアはいまさらお人形さんにはなれまい」
オリヴィアは口ごもる。
しばらく黙って、それから大きなため息をついた。
「はぁあ。お父様には心配かけたくなくて、ついカッコつけてしまうけれど、王太子妃は、やっぱり私には荷が重いんじゃーー」
「おー、おふたりとも! 焼き芋、そろそろ焼き上がりますよ!」
焚き火を見ていた騎士が、オリヴィアの声に被せるように大声を上げた。
トゥリーチェイはオリヴィアに向けて肩をすくめ片頬を上げた笑みを見せて、
「すまんな。こやつは気の使い方がなってなくてな。ただ、お前さんも滅多なことを、こんなところで言ってくれるなよ」
そう言うと、騎士の方にも声をかけた。
「おお、焼けたか焼けたか」
騎士が灰の中から芋をいくつか掘り出し、籠に入れてトゥリーチェイの前に置いた。腰元の袋から厚手の手袋を出して、ふたりに渡す。
「芋、熱いので、こちらの手袋を、その制服の手袋の上からしてください。手先は動かしづらいですが、殿下のお迎え前に汚さずにもすみます」
手袋をはめながら、トゥリーチェイはオリヴィアに言った。
「まぁ、お前さんにはわしらもついておる。お前さんの父のアントワーヌは、ちょっと頼りないところもあるが、昔よりはだいぶ頑張っていると思うぞ。娘のことを大切に思ってるんだろう。
もう少し行けるところまで頑張ってみ。ほれほれ。この芋はうまいぞ!」
「はい、有難うございます」
オリヴィアも手袋をはめて、籠から大きめの芋を選び取ると、ついている灰を払って先の方を割った。芋の黄色い身から白い湯気が立ち上る。欠片を口にしたとたん、思わず声が漏れた。
「あ、甘い…」
「だろう」
トゥリーチェイは、口いっぱいに芋を頬張り顔をほころばす。
「細い枯れ枝どもが地面の上で精一杯に炎を上げてオレがオレがと競い合ってるなか、芋は灰のなかに潜り込んで己の身に甘みを蓄えている。その枝どもの上げる熱を利用してな」
オリヴィアはトゥリーチェイの顔を見た。
「そうそう、お人形といえばな。わしも騎士人形という手を使ってきたようなもんだ」
「騎士の人形ですか」
「そうさ。まず、こう顔をキリッとさせてな」
口から芋を離して、トゥリーチェイは背筋と両腕を延ばした。
その横で、なんとなくオリヴィアもトゥリーチェイに倣って背筋を延ばした。
「それから、こう言うのさ。『わたくしは一介の武辺者ですので、政治の難しいことは分かりません! ハイ、王家の剣として、陛下をお護りするのがわたくしの使命です!』」
目線を上げて、声を高め、芝居がかりに言うと、トゥリーチェイは顔を緩ませた。
オリヴィアも笑った。
「いまは手にもっているのは剣でなくて、食べかけのお芋ですけれどね」
トゥリーチェイはわざと目を剥きおかしな顔をつくってオリヴィアに見せた。
「王家の芋騎士よ。しかし、これでわしはこの歳まで生き永らえてきた。なんのとは言わんが、参考にしてくれ」
「はい、有難うございます。私も言い過ぎました。どうかお忘れになってください」
オリヴィアはトゥリーチェイの言葉について考えながら、芋をかじったその時ーー。
営所から騎士がひとりトゥリーチェイのもとに走ってきた。
「閣下! 殿下たちが!」
オリヴィアはとりあえず口にした焼き芋の欠片を、熱さをしのいで急いで食べると、残りの芋をハンカチでくるみ自分の腰元の袋に押し込んだ。
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