28 練兵場の片隅にて
「あら、シュッドコリーヌ様。お疲れ様です。今日はお早いご到着ですね」
朝から王都西の衛府に、オリヴィアは来ていた。
王都を囲む城壁門はいくつもあるが、大門となると、東西南北にひとつずつだ。
それぞれの大門のすぐ外には衛府があり、王都を守る衛兵の駐屯する営所と練兵場が置かれている。
その営所の一角、事務官室の手前でオリヴィアを出迎えたのは、ふくよかさを見せる中年の女性事務官だった。
この日は、王太子とその側近たちが率いる近衛の一小隊が、三日間にわたる魔獣の森での討伐訓練から帰ってくる。
その際、王都の門外にあるこの衛府で汚れた装いを改め、出迎えの近衛騎士たちを前後に供奉させて帰城する予定になっていた。
この事務官も、その準備のために近衛騎士団本部から衛府に来ていた。直前になって大きな予定変更があったことで、事務官室からは慌ただしそうな声や物音が聞こえてくる。
彼女もやや殺気だっているように見えた。
「イワン王太子殿下、お付きのプライム家のジョン様方の衛府への到着は夕刻になるかと。
殿下方は本日ここで一泊。翌日午後に王宮の大広間にてこの度の討伐訓練の成果を、国王陛下の御前にてご報告されることになっております。
シュッドコリーヌ様は、本日お出迎えになられたあとご自邸へお戻りになるそうですが、王太子殿下の婚約者候補でいらっしゃるのですから、王宮の方でお出迎えされればよろしかったのでは」
言葉遣いは丁寧だが、少し圧を感じさせる口調の彼女に、オリヴィアは戸惑った。
とはいえ、騎士は自分で用件を語るものだ。少なくとも同僚に対しては。
オリヴィアには侯爵家から護衛が二人つけられていたが、このような場では基本的に後ろに控えている。
オリヴィアが幼少のときに従いていたジェラールは、老齢のため侯爵家領で祖父ルイのもとにいる。
いまはそのジェラールの甥のヘリットが、オリヴィアの護衛筆頭をつとめていた。
「正式な婚約前なので、王宮でのお出迎えは遠慮するよう王太子宮から連絡いただいてるんです。こちらなら、殿下だけでなく、お疲れの騎士の皆様にも声をかけられると思いまして」
事務官に答えながら、オリヴィアはマントのなかでつい互いの手指の先をもんでしまった。
事務官は何かを察したように頷いた。
「そうでしたか。まだシュッドコリーヌ様の近衛の制服もできていないうちから、お気遣い恐れ入ります」
この日のオリヴィアのいで立ちは、シュッドコリーヌ侯爵騎士団の制服に、近衛騎士団のマントを合わせたものだ。
実際のところ、彼女の籍はまだ侯爵家の騎士団にある。
予定されている名誉隊長への任官前であることもあり、彼女の制服は仕上がっていなかった。
マントと制服の意匠があまり噛み合っていないような気もして、それが現在の自分の立ち位置を表しているようで、オリヴィアの心を落ち着かなくさせていた。
「それと今日はその前に、閣下に少しご挨拶したいと思いまして」
「あら、閣下はまだこちらにいらしてないですね」
事務官は困った顔をした。
「あ、そうなんですか」
「おお、来たか! オリヴィア。こっちだこっちだ」
玄関の外から大きな声が聞こえてきた。
振り返ると、同じくマント姿の老人が大きく手を振って近づいてくる。
見れば顔こそ白く長い髭に、長年の風雪を刻んでいる肌色だが、背筋はしっかりとしていて動きは年齢を感じさせない。
「トゥリーチェイ閣下!」
「ふたりで声をそろえんでも、聞こえているわい」
トゥリーチェイ公爵は、その長い軍歴の後半で近衛騎士団の団長職を務めていた。そのため退任後も近衛騎士団に部屋を与えられ、団長としての名誉待遇を受けていた。
今日はその名誉団長の立場で、衛府で王太子一行を出迎え王宮に先触れする役目だ。
「閣下、もういらしていたなら、お付きから一言、事務官室にも声をかけてください。近くにいる誰かに声をかけて走らせるのでも結構ですから」
「おお、悪い悪い。まだわしが来るには早いだろうと思ってな」
トゥリーチェイは笑いながら言う。
事務官はふたりに挨拶をすると、事務官室に戻った。
その様子を横目に見て、トゥリーチェイはオリヴィアの耳に顔を近づけ小声で言った。
「オリヴィア、あっちにうまい芋があるぞ」
※
「そこの枝がいい感じの熾火になっているから、ここに置いてくれ」
トゥリーチェイは、練兵場の営所からさほど離れていないところで焚き火をしていた。
とはいえ、火バサミを握って焚き火をもっぱらに管理しているのは、トゥリーチェイに従者としてつけられている若い騎士だ。
「この灰の山に埋めたばかりだから、芋が焼けるのはもう少し先になるぞ」
「閣下のやることですから、問題ないことはわかっていますが、こんなことをしていて大丈夫ですか」
トゥリーチェイの傍でオリヴィアが恐る恐る訊くと、彼は声を上げて笑って応えた。
「ははは。今日はわしもお前も、大した仕事もない一日だろ。端の方で芋ぐらい焼かせてもらってかまうまい。現役の連中も、勝手に焚き火で暖まってくれた方が、年寄りにいらん気遣いをせずに助かるだろうよ」
「殿下たちのお迎えでしたら、閣下までいらっしゃらなくても良かったんじゃないですか」
「ふん、何かと忙しい現役の団長に、王太子のお遊びのお迎えまでやらせるわけにはいくまいて」
「閣下。お言葉に気をつけてください」
トゥリーチェイ付きの騎士が焚き火から顔を上げて咎めると、
「お前が言わなければ誰にも漏れぬわ」
「そうは言っても、誰が聞いているかわかりません」
騎士は、そのままオリヴィアの護衛たちに視線を向けた。
「このくらいは大丈夫じゃろ」
オリヴィアは慌てて声を挟んだ。
「いえ、気が利かずすみません。下がらせます。ヘリット」
「承知しました」
ヘリットたちが距離を取ると、トゥリーチェイは肩をすくめた。
ヘリットたちが十分に下がるのを確認して、騎士は、「まぁ、閣下が聞こえよがしにぼやきたくなるのも、わかりますけれどね。お聞かせになるのはオリヴィア様だけにしておきなさいませ」とだけ言って、焚き火に顔を戻した。
「今回の変更の件、そんなに大変だったのですか」
「オリヴィア、お前も当事者だろう。焦ったのではないか」
「ええ、まぁ。でも私の方は予定がぽっかり空いただけですから。おかげで久しぶりにぼんやりできました」
「わしは後から聞いただけだが、ひどいもんよ。いやはや。ヤノーシュの奴め、いきなり近衛本部にやってきて『これは決定事項だ』とやったらしい」
「本当ですか」
とオリヴィアは驚いて訊くが、侯爵家に来た使者を思い出すと、さもありなんだったと思い返した。
「そういえば、うちに来た使者もこれは決定だと言ってました」
「あいつら……。そもそも、なんでこんなことになったのか聞いているか?」
「いえ。王太子宮で起きた詰まらない話をどうやら隠したいらしい、とか。それぐらいです」
トゥリーチェイはかがみ込み、焚き火のはしの方に散らばった枯れ枝を手に取ると二つに折った。
腰を下ろしたまま枝を焚き火の炎に投げ入れると、声を低めて言った。
「枢密院の審判所が動きだしたところに、ヤノーシュがこの訓練を理由に待ったをかけている」
「それって…」
「詳しい話はわからんが、ヤノーシュが表にでて色々動いているのだから、ヤンがらみなのかもな」
「よく審判所を停められていますね」
「そりゃあ、いまの枢密院の院長は……だもの」
「あぁ、そうでした」
トゥリーチェイは立ち上がって手をはたいた。
「さすがに事案を無かったことにはできないにしても、ヤノーシュの要望ぐらいは聞けるだろう。
で、そのヤノーシュだが、えらそうに王太子が訓練を率いると言っておきながら、今回の近衛の訓練の内容を知らなかった。
近衛騎士団は、基本的に護衛とそれに付随する戦闘が主要な仕事だからの。魔獣はあまり得意でないが、今回の訓練は、護衛をしている際の突発的な魔獣出現の対処が主目的だったそうだな」
トゥリーチェイがいったん話を切ってオリヴィアに目を向けたのを見て、オリヴィアは頷いた。
「はい。私が仮の護衛対象になって、騎士の方々が対象を守りつつ魔獣と戦う訓練の予定でした。
これから近衛騎士団に編入になる私たち、侯爵家の騎士の面々の実力を見るのを兼ねて。
だから森の浅いところで二三日野営するだけでしたし、いつもの護衛や訓練済みの侍女も連れて行くことになっておりました」
トゥリーチェイも頷く。
「オリヴィアは実家の騎士団で魔獣討伐に同行したこともあるし、野営の場でも自分の身のまわりのことはできよう。
森の中、その辺で取れた芋でも、オリヴィアなら文句を言わず食べられる。いま焼いているこの芋はその辺のものでなくて、王家の御用芋だがな。
しかし、騎士の家出身のヤンならわかりそうなものだが、ヤノーシュは、訓練の中身より見た目や人聞きのことしか気にしておらん。
それに、オリヴィアにできるのなら、自分たちにできないはずがないとも思いこんでおるようだしな。
こんな生ぬるい内容では、イワン殿下に箔がつかないと、そればかりよ。
いきなりの予定変更では都合もつかんし、危険だっていっているのに、ヤノーシュは『怖気づいたか』『お前たちはオリヴィア殿とイワン様、どちらに忠誠を誓っているのか』と煽ったらしい。大顰蹙だったそうだわ」
トゥリーチェイとオリヴィアはふたり揃ってため息をついた。
「それで、どうなったのでしょうか」
「しょうがないから、現団長がじきじきに無理だと言ってやった。当初の訓練内容を少しいじって、看板だけ替えたそうだ。それが今回の、『王太子殿下の魔獣討伐訓練』の中身よ」
トゥリーチェイの言葉が途切れた。
焚き火の爆ぜる音がしている。
焚き火番の騎士は黙って、火のついた枝を動かしている。
しばらく焚き火を眺め、オリヴィアは口を開いた。
「それにしても、なんであの人たちに敵視されているのか、よくわからないのですが」
お読みいただき有難うございました。