27 侮辱の波紋
「ええっと。あ、はい。記録しました」
唐突に話をふられた書記官は戸惑いつつもアランに答えた。
「よし。では…」
アランは机に手をかけて、おもむろに立ち上がった。
側近たちは何が起こるかわかりかねて身構えているなか、アランは書記官に体をむけ、利き腕の右手を胸に当てて、ゆっくりと声を上げた。
「私、ブジェイ家が子のアランは、いま先ほどのヤン殿の発言について、公文書保存に関する勅令による保護魔法の要請を貴官にします。立会人として…シモン様、よろしいですか」
「え、実際にするのははじめてなんだけど、どうすれば良いの?」
シモンは少し狼狽えつつ立ち上がりながらアランに訊くと、
「では、まず立ち上がって、私のお教えしますとおり、声を出して言ってください」
「ダメだ! やめろ!」
慌ててジョンも椅子音をたて跳ねるように立ち上がった。殺気だったジョンの大声にシモンは思わず後ずさったが、アランは顔色を変えることなくジョンに言った。
「お座りください。ジョン様。
これは王国のすべての貴族に与えられている権利です。
すでに私はこの要請を声に出しましたし、立会人のシモン様はその耳で、要請を聞いておられます。
王太子殿下がおられる場で、貴族の基本的な権利を蔑ろにするのは、次代の宰相候補としていかがなものでしょうか。
シモン様、続けますよ。このように繰り返してください。アランの要請に、フィノ家が一子、シモンが立ち会った。貴官がこの要請を、正しく、かつ速やかに取りはからうように望む、と」
ジョンを横目にシモンは急いでアランの発言を繰り返した。
書記官はジョンとアランの顔を交互に見返して動けないままでいたが、アランがかけた「どうした? 正しい手続きによる要請を無視すると、君が勅令に背いた罪に問われるよ」の声で、慌てて書きかけの議事録に経緯を記して保護魔法をかけた。
議事録の紙が一瞬輝いたが、すぐに光は消えた。
ここで保護魔法と呼んでいる魔法は、実際には内容の複写と転送を兼ねたものだ。一通は王府の、もう一通は枢密院の文書保管室へと送られ、それぞれ記録、保存されることになる。
ジョンは「あぁ…」と声を漏らし、身体の力が抜けたように背を丸め、両手を机に置いて支えにした。イワンも他の側近たちも何が起こったか分からぬ顔で、ぎこちない様子で動かないままだ。
「有難うございます。シモン様。書記官もご苦労様でした。さて、皆さんお座りください」
ジョンらが座ると、アランは立ったまま説明をはじめた。
「先ほどの発言の議事録は、証拠として保全させていただきました。この勅令による記録保護解除は、文書に基づく枢密院による指令もしくは王命によるものでない限り、何人も犯すことはできません。
王太子殿下の御前で、あたかも王国の貴族の間に対立する派閥があるという妄想を口にし、あまつさえ、公平無私であるべき側近という立場を忘れて、同じ側近を一方の派閥の人間として侮辱する。
これは王太子殿下に誤った予断を与えるものであり、王家と王国を支える貴族の間を分断させるものと思慮いたしました。王太子殿下の幕下に、王国の不安を煽る者ありとして枢密院に報告させていただきます」
王国の貴族間に利害が対立している派閥があるのは厳然たる事実である。
宮廷人事もその力学の大きく作用するところだった。
貴族の私的な集まりでは常に噂話の更新に忙しい。
しかし、これを公の場でおおっぴらに口にするのは、国王のもと一丸となっている建前を破るものとされていた。
とはいえ、ただ派閥の有無について口にするだけなら、周囲から顔をしかめられるだけで済んだことだろう。
その一面からいえば、アランの言は話を大げさにしているのだが、ヤンの発言は、活発な派閥活動の存在を認めるだけでなく、相手を侮辱するためにそれを口にしていた。二重に禁忌を犯していたのだ。
実際に対抗派閥があるとすれば、敵対する彼らがその失点を見逃すわけがなかった。
茫然と聞いていたヤンは、アランの話に再び立ち上がった。
「そんなつもりはない! むしろ事を荒立てようとしているのは、アラン、貴様の方じゃないか!」
「そうですか。ではヤン君はそれを枢密院の審判の場で訴えてください。君の見方が通ると良いですね」
ヤノーシュも顔を強張らせて非難する。
「君たちは、イワン様の側近会議の内容を漏洩するつもりか」
「人聞きの悪いことを。これは書記官が入り議事録をとるれっきとした会議です。それにヤン君の先ほどの発言のどこに、王太子殿下の秘密事項がありますか」
嘲笑いながらアランが返した。
ここまで黙って聞いていたイワンが、片手を挙げてアランに声をかけた。
「アラン。ヤンは幼い頃から私とともに育った者だ。先ほどの発言も私を慮ってのことだろう。ここは許してやってくれ」
アランは顔を引き締めて、立ったまま答えた。
「殿下。幼い頃からの側近を大切に思う気持ちは素晴らしいことと存じます。
しかし、先ほどのように、殿下臨席の場にもかかわらず、党派性を剥き出しにして、意見が異なるものを排除しようとする者は、これまでどのように殿下のお考えを誘導してきたかわかりません。
殿下はこれから国王になられる方です。
国王となった後で、様々な利害を抱える人々の間で、ある一部の人間の声だけを重用されるのは甚だ危険です。
私としても、あのような雑言に耐えるつもりはありません。一度、殿下の側近に相応しい者かどうか、枢密院の判断を待ちましょう」
イワンはため息をついてアランに言った。
「この私がとりなしてもダメか?」
「イワン王太子殿下。殿下は先ほどから片方の肩を持つ行為をしている御自覚はございますか?」
「いや。そんなつもりはない」
「ヤン君の発言は国王陛下の御前でしたら、言い訳抜きに一発で枢密院の審判が下されるものでしょう。なぜなら、陛下に扈従している者は全員が枢密院の重鎮でもあるからです。公の場でとうてい許される内容ではありません。
そのようなヤン君の犯した暴挙について、殿下は私に一方的に甘んじて受けよとおっしゃっています。ここでヤン君が殿下の言いつけで口先だけの謝罪をいっても、お取りなしとは申せません。
私も貴族の端くれでございます。唾をこの顔に吐かれてそのままにすることはできませぬし、彼も吐いた唾をもとに戻すことはできないのです。
まずはヤン君の発言について、ヤン君が殿下の身の回りに今後も存在することが相応しいのか、枢密院の判断をお待ちください。
では、ジョン様。よろしければ議題に戻りましょう」
✴︎
「面倒なことになりました」
「ヤンとアランのことか」
ジョンがため息をつくと、すぐにイワンも反応した。
側近会議が終わり、アランとシモン、記録官たちが退出した後。
イワンのもとには、ジョンとヤノーシュが残った。
いつもならヤンも残るのだが、今日はアランの持ち出した一件があるので、実家にも連絡すると断り、そそくさと退出していった。
ヤンはこれから枢密院からの呼び出しに応え、自らの発言についての弁明をしなくてはならない。それは実家の子爵家にも大きな影響が及ぶことが予想された。
「あの程度のことで、ヤンが免職されることはないでしょう。アランも大袈裟に騒ぎ立てているだけです。ただ、先日のジャンの醜聞と立て続けになりますと、イワン様の身の回りへの周囲からの目がより厳しいものになりましょう」
ジョンの推測にイワンも同意した。
「そうだな。タイミングが悪すぎる」
「婚約式次第についての返答は延ばしましたが、この騒ぎが大きくなる前に、提案について承諾の返事をしてしまった方が良かったかもしれませんね。損なわれた威儀を正すことを目的とされれば、この後、シュッドコリーヌの追加の提案を拒みづらくもなります」
ジョンが言うと、ヤノーシュが不満げな顔で続けた。
「オリヴィア殿の活躍も次々耳に入ってきております。オリヴィア殿は、イワン様を立てるつもりがないのでしょうか」
「いや。さすがにオリヴィアは今起きた出来事は知るまい」
「それはそうですが。イワン様のお妃になるなら、もっと慎ましやかに屋敷でお迎えを待つぐらいでいてほしいです」
「まぁ、私もそれは思うがな」
ヤノーシュの軽い口調に、イワンは苦笑いをした。
「イワン様、一つ思いつきではございますが……」
ヤノーシュは一歩前にでた。
「ここは、オリヴィア殿に先じんて、その栄誉をいただくのはいかがでしょうか」
「そうか」
説明を聞く前にジョンが頷く。
イワンはヤノーシュに話の次を促した。
「オリヴィア殿は、翌週ごろに魔獣討伐に同行するとか。彼女が同道する予定の近衛はその準備をしている最中です。オリヴィア殿の同道は次回に延期していただき、我々がその近衛を引き連れ魔獣の森へと入りましょう。そこでヤンもイワン様と討伐に活躍すれば、今回の騒ぎは自然と消えるのではないでしょうか」
「なるほどな。先日の狩の宴は、シュッドコリーヌが名を挙げただけだったからな。私自身が主導したかたちで功績をつくるのが良さそうだな」
「侯爵令嬢のオリヴィア殿を森へ案内するぐらいですから、近衛は万に一つの間違いも起こらぬよう厳重に準備していることでしょう。殿下の安全も間違いありません」
イワンも頷いた。
「では、その案で進めてみてくれ」
お読みいただき有難うございました。