25 脱獄
ーー王都旧市街にある、旧城。
二百年前まで王城だったここは、王都の古い都心に位置している。
王都や王宮が発展、拡大するなかで、都心であったことが災いし、城域を拡張することが難しかった。結局、手狭となったことで王宮は移転した。
現在では王都の行政、警備、防衛にまつわる諸機関がおかれている。
そして、その中に監獄もあった。
かつて王都の守りとして堅牢に作られた外壁や狭い開口部は、犯罪者を逃さぬようにするのにも役に立った。処刑を待つ重大事犯や、高貴な身分のものが拘留されている。
もちろん死刑囚と貴族犯ではまったく別の種類の存在であり、その待遇も違っていたが、「厳重に管理する」必要がある者としてここに留置されている。
なかでも東塔は、取り調べを受けている貴族を一時拘禁する施設としてよく知られていた。
牢といっても、貴族用である。十分な広さが用意されており、食事も専用の料理人による温かいものが毎食提供された。
使用人も一人までではあるが、呼び寄せることが許されていた。
その東塔には、先日の地下賭博場の手入れで、近年稀に見る人数の貴族たちが拘束されていた。
その一角に、ポルトフィーユ家のジャンもまた収監されていた。
「坊ちゃん……ご無事でしたか」
ジャンが夕食のあと、ベッドに寝転んでいると、自分を呼ぶ声が扉の向こうから聞こえてきた。
頭を上げて扉を見ると、囚人を監視するための小窓が開いている。
ジャンもまたポルトフィーユの家から使用人を呼んでいた。立ち上がり牢の扉まで近づくき小窓を覗くと、知った顔の男が立っていた。
いつも父についている家僕だと、ジャンは思い出した。
「やっと来たか。だいぶ遅かったな」
「坊ちゃん、勘弁してください。王府から坊っちゃんが捕まった通知と、坊っちゃんからの伝言が届いたのは、今日の昼でした。それからご当主様が宰相様のところに急いでかけつけて、私が指示を受けたのは、つい先ほどのことですよ」
牢の鍵を開けて、家僕は入ってきた。
「うん? 衛兵はいないのか?」
「大丈夫ですよ。話はつけてありますんで」
家僕は片頬を上げて笑うと、ジャンも「そういうことか」と含み笑いを返した。
「はぁ。父上はプルミエールのところにまで行ったのか。プルミエールにだいぶ借りを作ってしまったな」
「今回の手入れ。仕組まれたもののようです。ジャン様方が賭場に入ったところを見計らって、急襲したようです」
「やっぱりか……。プルミエールめ、大方、先日の立太子の式典準備でコケにされたことの仕返しだろう。よし。では、もう私は出られるのだな。監獄の飯はたいしてうまくなかったが、殿下たちに話してきかせる面白い経験ができたと思おう」
ジャンが家僕に背を向けて、両腕を振り上げ伸びをしながら言っていると、その背中に家僕が静かに声をかけた。
「いえ、少しお話をしましょう。
残念ながら、当家の力で正面から牢を開けさせるのは、無理でした。
枢密院裁判では、坊ちゃんの賭場の出入り以外の罪状も読み上げられることになっているそうです。賭場の出入りだけならともかく、重罪の嫌疑のかかる者を出すことは出来ないと言うことでした」
ジャンは家僕に振り返った。
「俺はなにもしていないぞ」
「坊ちゃん、賭場で使われたお金、どこからのものでしたか」
「……お前に言う必要はない」
「王太子付の予算、王府からの監査が入るそうです。それと、女性に対する暴行容疑なども、幾人かの密告が集まっているそうです。お心当たりは?」
「俺が声をかけたのは、身分の低い女たちだけだ。ちゃんと丁寧に語ってきかせて、最後はみな納得してのことだったぞ」
「はぁ。それはいったい何人いたことやら。ご禁制のお薬まで手を出されていたそうですね。当家としては、坊ちゃんがそのまま枢密院裁判にかかるのも困るのです。
そこでご当主様は次善の策でプルミエール様と話をつけられたようです。
これから半時ばかり、この一帯を通る警備の者はおりません。ご当主様からの坊っちゃんへの伝言です。すまない。これが我が家に出来る精一杯だったとのことでした」
「うん? それはどういう意味だ?」
すぐに理解の追いつかないジャンは、家僕に聞き返した。家僕は傷ましそうに説明した。
「今後、坊ちゃんは、ここから姿を消した後には名前を変えて、当家とは関係のない者として生きていただきたいと言うことです。こちらが当座のお金と、市民の身分証です。そしてこちらが、替えの服です。いま着ている服は、売ると足がつくかもしれませんので、ここで私が回収していきます。
それと、やっぱり自活は難しいようでしたら、当家の荘園までがんばって向かってください。森番か何か隠れ住める仕事を用意してくれるそうです。私としては、こちらをお薦めしますね」
そう言いながら、家僕は袋を二つ渡そうとする。
受け取らずに、ジャンは叫んだ。
「待て。なぜだ!」
袋を放り出した家僕は、ジャンの後ろにまわり押さえ込んで口を塞いだ。
「大きな声を立てないでください。半時ばかり一帯に近づかない約束をしているとはいえ、知らされてない衛兵の耳に入れば、すぐに駆けつけてきます。良いですか。坊ちゃん、これはご当主様からの、極めて、甘い、ご温情なんです。
はっきり言えば、あなたはここで裁判前に病死ということになっていてもおかしくない。
このまま監獄にいれば、プライム伯家からの刺客が明日にでも忍びこむでしょう。あなたを殺した上で、プライム伯は当家に恩を着せてくるはずです。
あそこはそういう計算をする家だ。
そこをご当主は、プルミエール様に頭をめり込むぐらいに下げて、この機会を得たんです。そして私にあなたを手引して確実に逃がせという。もうこれ劇甘すぎるぐらいなんです」
家僕は暴れるジャンの首を軽く絞めて、意識を飛ばした。
ぐったりとしたジャンの体を横たえ、別の大きな袋に詰め込むと、肩に背負い直した。
「よっと。しばらくすれば復活するでしょうけれども、こいつは一人では絶対に失敗しますね。
もう片付けてしまう方が楽なんですが、私もあの甘いお人柄に助けられた口だし、王都の外にまで案内するしかないか。本当に面倒な……」
文句を言いながら、家僕は石階段を降りていった。
✴︎
朝食時に、ジャンの脱獄の報をアントワーヌから聞いて、オリヴィアは訪ねた。
「プルミエール宰相閣下は、彼が逃げるのを許されたのですか?」
社会的地位のほか、なんの力もない貴族の子息が簡単に脱獄できる場所ではない。手引があったと考えるのはごく当然のことだった。
アントワーヌが頷いた。
「ポルトフィーユ家との取引は、わりが良かったようだ。
ジャンには現行犯の賭場立入のほか、王太子付き予算の流用や違法薬物の取引など、幾つかの嫌疑がかかっていた。
しかし、もし枢密院裁判を受ければ、プライム家に頼って、力技で証拠不十分に持ち込み、大して処罰を受けなかったかもしれない。そうなると、王太子の側近たちの輪の中にまで手を入れられない。
ジャンも王太子の側近からは外れるだろうが、数年もすれば貴族社会に戻って来ていたかもしれない。
しかし脱獄となると話が全然違う。
これは王国の秩序からの逃亡者になるからな。ジャンはもう表に出てこられない存在になった。もちろん、ジャンの疑惑も灰色のままだから、金の流れを綺麗にする名目で徹底的に監査することだろう」
王太子付き予算は、以降は王宮に割り当てられる予算とともに、王府が直接管理することになった。そしてその予算の窓口として、プルミエール側で用意した側近たちが、王太子に付けられることになった。
王太子の側近の中では低い扱いになるにしても、金の出入りはプルミエールからの側近を通さなければならない。彼らをないがしろになど出来るはずもなかった。
ジョンたちは、その影響をすぐに知ることになる。
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