23 オリヴィアの魔術
恐縮ですが、前回分。
狩の季節を、夏→秋 に変更いたしました。
話は「狩の宴」に戻るーー。
「オリヴィア、上手くいったな。よくやったぞ! お前もあいつらの顔を見られたか。ははは。奴ら目を丸くして驚いていたぞ!」
当主からの挨拶の終わったアントワーヌがオリヴィアに馬を寄せ、大声で言う。
いまは魔術を解いたオリヴィアも大きく笑いかえした。
「さすがに見ているほどの余裕はなかったです。緊張していたし、馬は揺れるし、頭の中は魔術でいっぱいで」
「ふふふ。ここのところ、くだらない泥沼の宮廷に付き合わされていたからな、オリヴィアのおかげで胸がすいたわ」
狩の開始までの暫しの準備の間に、オリヴィアたちに向かって馬を駆ってやってくる一団があった。
「旗は宮廷魔術師隊です。数は五騎!」
従士の一人が叫ぶ。
「通せ」
アントワーヌも叫び返した。
宮廷魔術師たちは身につけている装備が軽い。近くまで来ると、一人を除いて馬を降り、アントワーヌとオリヴィアの周りに駆け集まった。みな一様に顔を赤くしている。
挨拶もそこそこ、顔を上気させて話しかけたのは、馬上に留まる魔術師団長だった。
「あれは、シュッドコリーヌ家の新しい魔術でしょうかな?」
「おお。魔術師団長殿。貴殿のお目に止まったのでしたら、光栄ですな」
満足げな笑みを浮かべ、アントワーヌは言う。
「魔術は見たところ、風の要素が強く出ておりましたが」
「ここに、先ほどの魔術を展開した者がおります。せっかくですから、その者に説明させましょう。さぁ、オリヴィア、説明してやりなさい」
オリヴィアは、声の増幅とその遠くへの伝達の魔術の原理を簡単に説明した。
概要だけで仕組みを理解した魔術師団長は感歎の声を上げた。
「あれは戦場だけではなく、舞踏会場にても劇場にても、色々と汎用できるものです。むしろ戦場から離れたほうが用途が広いことでしょう。侯爵家の御留流でなければ、今度我々にも教えていただきたい」
「それはオリヴィアに言ってもらいたいですな。このオリヴィアが発明したのですぞ」
ーーおぉ!
宮廷魔術師たちは一斉に声を上げた。
「なんと。先ほどの説明で、仕組みを深く理解されているとは思いましたが、なるほどそれでしたら納得です」
魔術師団長はそう言いながら、馬の距離を詰める。
オリヴィアは思わず馬を後退させて
「私は最初の考えのところだけです。洗練させたのは、当家の魔術師たちです」
と、謙遜した。
「とんでもない! その最初の発想こそが難しいのですぞ。そして新しい魔術の考えに触れることができた貴家の魔術師たちには、嫉妬しますぞ。ああ、私も立ち会いたかった!」
大袈裟に言って、冗談めかして嘆くそぶりをする宮廷魔術師団長に、アントワーヌは大笑いし、オリヴィアもくすぐったそうに笑った。
そこに、従士から新たな声がかかった。
「王太子旗が来ます!」
馬に乗ったイワン王子たちがやって来た。
王子が引き連れているのは、側近たちと、それらを囲むように進む数人の武装した護衛騎士たちだ。
宮廷魔術師たちは、急いで王子たちに恭しく礼をすると、「では侯爵殿、失礼いたしますぞ」と彼らに場所を譲った。
魔術師団長は、去り際に、
「またゆっくり、お話をいたしましょう!」
とオリヴィアに向けて片目をつぶって挨拶をしていった。
アントワーヌたちは騎乗のまま、近づいてくる王子たちに一礼をした。
「これは王太子殿下。この場は重き軍装にて、御前、馬上からにて失礼を申し上げます。殿下のご尊顔ご機嫌よいように拝察いたしました」
アントワーヌは、目一杯に口を引っ張り上げた愛想笑いで出迎えた。
オリヴィアもアントワーヌに並び、頭を下げる。
「私も馬上にて失礼を申し上げます。イワン殿下におかれましてはご機嫌よう拝察申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよい。アントワーヌ。先ほどの魔術、人を驚かすのにちょうど良いな。宴の趣向として悪くなかったぞ」
「殿下、お褒めのお言葉を有難うございます。先ほどの魔術は、殿下の婚約者である我が愛娘、オリヴィアの編み出したものです。さ、オリヴィアからも殿下にご挨拶とご説明をして差し上げなさい」
イワン王子も愛想笑いを二人に向けて言った。
「そうか。ご苦労だったな。オリヴィア。しかしアントワーヌ。娘可愛さから、他人の功績まで娘のものにするのは施政者として感心しないぞ。親馬鹿もほどほどにしておく方が良いぞ」
アントワーヌは貼り付けた笑顔を崩さずに返事をした。
「いやいや殿下。お言葉ですが、確かにこの魔術は侯爵家の総力を上げてここまで練り上げてきましたが、この大元の発想は、娘の発案ですぞ」
イワンは、アントワーヌの言葉に対して、眉をかすかに顰めた。
「では、その閃きを彼女に与えてやった侯爵家の魔術師が素晴らしかったのだろう。優秀な家臣を抱えているのは羨ましいぞ」
アントワーヌはなおも言葉を重ねようとしたが、雲行きの怪しさを感知したオリヴィアが割って入った。
「イワン殿下。シュッドコリーヌ家の魔術をお褒めくださり、恐悦至極でございます。当家は、亡き母エメロードをはじめ、多くの才能ある魔術師に恵まれ、魔術にも力を入れてきておりました」
イワンはオリヴィアに顔を向けず、言った。
「オリヴィア、私はいま侯爵殿と話しているのだ」
「失礼しました」
「許す。オリヴィア。シュッドコリーヌから王家のもとに入った後も、いま以上の働きを期待しているぞ。お前は舞踏会よりこういった場がお似合いのようだからな。我が王家にますますの栄光をもたらすよう、励めよ」
オリヴィアの方を一瞬顔を向けて一方的にそう言うと、傍らにいたジョンに「行くぞ」と一声かけ、側近たちを引き連れ去っていった。
「聞いたか。あれが妻になる相手への言葉か? 今更ながら先が思いやられるな」
イワンたちの馬が、十分に離れたのを見計らって、アントワーヌは先ほどまでの笑みを消して苦い顔になって言った。
イワンが王子の身であった時には、オリヴィアも普通に会話ができた。しかし、立太子を終え、王太子となると、ただの侯爵家の娘とは身分が違う、という素振りをオリヴィアに対して好んでするようになった。
「仕方ありません。私は私でお役目を果たすまでです」
オリヴィアも苦い顔をして肩をすくめる。
婚約式は、この冬の予定だ。
本来は、この春の立太子の式に合わせて執り行われるはずだったが、イワンの強い主張で、婚約式は先延ばしにされた。
己の身に、シュッドコリーヌ侯爵家の後見という色がつくのを嫌ってのことだった。
オリヴィアとの婚約には、王宮貴族のプルミエールとプライムの二大派閥の均衡というだけでなく、中央の王家と地方の領主貴族の結びつきという象徴的な意味があった。
イワンとてそれは理解していたが、立太子の式に合わせて婚約を披露するのは、彼にとって己の権威を弱めるように見えたのだ。
式では、自分は誰によって立つものではないことを示すべきだとイワンは考えていた。
国王夫妻はじめ、プルミエール宰相は彼を諌めたが、イワンは「王家の尊厳」を大々的に掲げ、最後まで首を縦に振ることはなかった。
たかだか十六歳の王子が、自らの力だけでそのような我儘を通すことなどできるわけがない。
筆頭侍従のジョンの父であるプライム伯が、イワンの自尊心を煽り、庇護しているのは明白だった。
ブライム伯は王宮のなかで、イワンの「一侯爵家と王子の婚約と、立太子の儀式が並ぶことの疑問」に理解を示す態度をしてみせ、シュッドコリーヌの動きを牽制した。
一方でプライム伯の息のかかったイワンの側近たちは、婚約式に向けた王子とシュッドコリーヌとの連絡をことごとく妨害した。
「王子殿下のお考えですので」
それが王子の身のまわりをかためる彼らの主張だった。
プライムからの庇護がある以上、彼らが重く罪を問われることはない。たとえいま責められたとしても、次の世代、イワン王子の治世になれば、王子の意を汲んだ彼らが赦されることは目に見えていた。
準備が間に合わない状況になったことで、結局、プルミエールが折れ、シュッドコリーヌに詫びを入れにきた。
「やれやれ。父上が王都にいたら、一悶着あったろうな」
以前よりも老いたルイは、めっきり腰も重くなり、領都で過ごしている。
アントワーヌの言は、オリヴィアは少し考える様子を見せて、
「お祖父様でしたら、むしろこれを活かして、シュッドコリーヌに有利な条件を引き出す材料にされるでしょう。今回のお父様が王宮とのお話合いで決められた条件、お祖父様も良しとされたのでしょう?」
「婚約後、オリヴィアの転属任官と、オリヴィアの侍女と護衛を当家から増員して入れる話な。殿下の周囲がプライム側で固められている以上、安全のためだ。当たり前のことだろう」
オリヴィアが従士として所属する侯爵家騎士団は、王家直轄の騎士団とは別のものだ。しかし自前の騎士団を持つほどの大貴族家で、騎士としての職位を得ていれば、王家の騎士団への転属も可能だった。
オリヴィアは、王太子の婚約者の身でありつつ、近衛騎士団に騎士の身分を持つことが、王家と侯爵家との間で約束された。騎士は、貴族たちによる枢密院の管理下にある身分であり、ただの侯爵家の娘よりもはるかに自立した存在だった。
オリヴィアの特別な立場から、任官時より、近衛騎士団付の名誉隊長になるが、実力次第では騎士団の実務にも携わって良い。当然のことながら、オリヴィアの信頼のおける騎士たちを複数配下に入れることができる。
これは国王夫妻だけでなく、イワン王子も、渋々だが認めたことだった。
「それがまたイワン殿下は気に入らないようですけど。私も身の危険を感じるところで休むことなんてできないから、ひとまず良かったです」
「第二王子が生まれたことで、後継者危機感が生じてから、イワン王子もだいぶ勉強にも身を入れるようになっていたそうだがな。立太子を機会にまた昔の虫が戻ってきてしまったか」
「まだアレクサンデル第二王子殿下は、七歳ですからね。シャルルと同じくらい。今更ご自身の立場がくつがえることはないと自信があるようですね」
ため息をついてアントワーヌは言った。
「それにしても、父上の言う通り、お前を従士にしておいて本当に良かったと思ったわ。婚約式までに、お前を騎士に繰り上げておく。しかし何かあったら、さっさと逃げろよ。魔のものに襲われて大怪我をしたとでも、不治の病気になったとでも適当にでっち上げてやるからな」
父の思わずといった口ぶりに、オリヴィアは笑った。
「お父様、戦う前から逃げる話は、シュッドコリーヌ家の者としてダメじゃないでしょうか」
「違いない」
アントワーヌも笑った。
「さぁ、狩が始まるぞ! 我々も行こう」
お読みいただき有難うございました。
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