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22 狩の宴

 

 秋。丈の長い草が地面を覆いつくす広大な空閑地。


 ゆるい風が、その草葉を撫でるように吹いている。


 視界の向こうには、季節にかかわらず常に黒々としている大森林が、横に広げた帯のように広がっていた。


 王都から馬で一日の距離にある、魔の大森林だ。


 今、その大森林に向きあうように、ずらりと並んだ騎士や魔術師たちの姿が見えた。


 彼らの背後には、所属する各貴族家の、さまざまな色やかたちをした旗がひるがえっている。


 中央には、一際大きな正方形の旗がある。薄い黄色の地に双頭の鷲が黒と銀とで縫い取られた、王太子旗だ。


 この春、立太子を済ませたばかりのイワン王子は、王の名代を務めている。彼はこれが初めての参加だ。


 王国の五大侯爵家が、年に一度、持ち回りで主宰している、王都周辺の魔の大森林にむ魔獣を掃討するための共同作戦、通称「狩のうたげ」。


 かつては、定期的に溢れ王都を脅かす魔獣を間引くための軍事作戦そのものだった。しかし予防的な討伐も進んだことで、現在では貴族、とりわけ舞踏会ではあまり存在感のない軍事貴族の社交の場にもなっている。それは通称からもうかがえた。


 武張った客人たちをもてなすのは、この年の主宰家であるシュッドコリーヌ家の騎士団。彼らは、客人たちを迎えるように大森林を背にして斜め前に布陣している。



 

 馬上のオリヴィアは、緊張を逃すようにぐっと息を吐いた。


 左手は手綱から離さず、右手を胸に当てる。


 目の前のアントワーヌと、その向こうに見える客人たちとの距離をはかるように何度か見つめ、口の中で声を出さずに詠唱をはじめた。


 十四歳の彼女は、王太子の婚約者筆頭候補ではあったが、この日は侯爵家騎士団の団長付き従士の一人として、騎士団の前に出ている。


 団長付き従士は四人。一人は騎士団長旗を掲げもち、一人は団長の背後を守る。一人は各部署への連絡担当。いずれも十代後半の男たちだ。


 そしてもう一人が、アントワーヌ団長の子である、オリヴィアだった。


 従士たちは、揃いで真紅の地に幅広の白い縦の帯が一筋、背中と前身頃に入ったマントをまとっている。


 真紅一色は、団長であるアントワーヌのみに許された色であり、縦に入った白帯はその従士の印だ。

 

 アントワーヌは先年、ようやくシュッドコリーヌ家の侯爵家騎士団の団長に就任したばかりだった。


 アントワーヌから見て先先代の団長のルイは、アントワーヌの結婚、続く孫のオリヴィアの誕生を機会に、侯爵家の当主の座を譲った。


 しかし、まだ若い彼を団長に据えるのはあやぶみ、親族のベテラン副団長に中継ぎの団長を任せていた。


 魔術を学ぶ者であり、まして王家へ嫁ぐ予定であるオリヴィアの従士職は、騎士見習い出の従士たちとは異なり、便宜的なものだ。


 彼女が身につけている鎧も、後衛職の軽いものである。最前線で敵と切り結ぶことは想定されていない。


 とはいえ、オリヴィア自身がただの飾り、というわけではなかった。


「オリヴィア、準備は良いか」


 アントワーヌがふりかえらずに訊くと、オリヴィアはマントをゆるやかにひるがえして騎馬を操り、アントワーヌの真横まで出てきた。団長の斜め後ろへと後退させながらアントワーヌを一瞥(いちべつ)して頷く。顔が強張っている。


「はい。いつでも」


 オリヴィアの合図を受けて、アントワーヌは集まった客に向かって声を上げた。


「シュッドコリーヌ家の宴へ、ようこそ!」


 大きな声量ではあったが、大きいばかりの怒鳴り声ではない。笑みを含み、野外の戦いの場のそれとは思えぬ表現だ。とても、距離を置いて布陣する各貴族家の騎士たちに向けた発声ではない。


 ところが一拍置いて、客人たちは一斉にどよめいた。


 彼らには、それこそパーティの席で目の前で親しげに声をかけられたようにアントワーヌの声が間近く聞こえてきたのだ。


 アントワーヌは悪戯(いたずら)が成功したかのように、オリヴィアに顔を向け、片目をつぶってみせた。

 

 最初の一撃がうまくいき肩の力が抜けたオリヴィアも、アントワーヌに笑みを返した。


 アントワーヌは前を向き直し、挨拶を続ける。


 オリヴィアもまた、改めて気合を入れ直した。

 


 風の魔術を操り、団長や指揮官の声を兵や騎士などの聴衆へと届ける。


 この魔術は、オリヴィアが十一歳の時に編み出したものだ。

 

 昔から遠くのものを聴きとったり、声量を大きくする魔術はあった。それらは、身体強化の一種で、一時的に人の聴覚を鋭くしたり、喉を強くしたりするものだった。


 オリヴィアには、声を伝えているものが、空気のふるえであり、それはこの大気中では風に近しい波のようなものだという確信が、どういうわけかあった。


 それゆえ、彼女は何気なく「発明」してしまった。


 遠くまで声を生き生きと届ける魔術を。


 最初は「わっ!」とか「おはよー」など短い呼びかけ程度だった。


 彼女はそのできたてで稚拙な魔術を、まず悪戯に使った。


 オリヴィア付きの侍女アンヌをはじめ親しい者たちを驚かせていたが、「手品の種」を聞き、この技術の新しさに気がついたシュッドコリーヌ家は、これを公開することをしばらく控えることに決めた。


 新しい魔術を編み出すことは、魔術師にとって大変に名誉なことである。しかしまだ幼い少女が、これまでにない手法を生み出したとなると、それは重い負担になると思われたからだ。


 代わりにこの技術を使いこなすため、シュッドコリーヌ領で同家お抱えの魔術師たちの力を使って、検証と効果の安定化のための洗練を続けてきた。


 したがって、この宴が侯爵家外に対する初めてのお披露目の場でもあり、発案者のオリヴィアが、その披露の大役を任されたのだった。


 そして、この魔術の発案は、アントワーヌの従士の立場としてオリヴィアをこの地に立たせることにもつながった。



     ✴︎



 三年前。オリヴィアの魔術が、シュッドコリーヌ家の暫時非公開事項に指定された直後ーー。


 シュッドコリーヌの居城の食堂で、共に朝食を食べていたアントワーヌとオリヴィアは、祖父であるルイの提案に驚きで目を見開いた。


 オリヴィアはいったん手にもったパンを置いて、黙ってルイの話を聞く姿勢を示した。


 アントワーヌも先ほど中身をこぼしそうになったカップを卓に置いた。


 シャルルは黙々と目の前の切り分けられたパンを食べている。


 口の中にものを入れたまま喋らないという教えをしっかり守っていたシャルルだが、ルイの「オリヴィアを従士に」という声にやや興奮している様を見せて、あごの動きが早まっている。


「オリヴィアをですか?」


「そうだ」


「なぜまたそんなことを?」


 前のめりになりつつアントワーヌが訊くと、ルイは片方の眉を上げて答えた。


「オリヴィアが、極めて優秀な奴だったからだ。

 検証はこれからとはいえ、お前もあの魔術の有用性には気がついているだろう。

 いずれ単なる侯爵家の娘というだけでは、オリヴィアを守るのに足らなくなるだろう。

 自ら騎士としての立場を得ておけば、身分的にもなにかと守られるからな。

 まぁ、従士は基本的には騎士職の見習いで、オリヴィアは騎士の卵ではなく魔術の徒だが、魔術師見習い的な従士もいて良かろう」


「オリヴィアは確かに侯爵家の娘ですが、王家に嫁ぐんですよ。婚約者、妃候補としての身分で守られましょう」


 ルイは静かにアントワーヌを見た。


「お前は、婚約者になれば、その身が守られるものだと信じているのか」とルイが問うと、アントワーヌは、疑わしそうに、だが自信ありげに頷いた。 


 ルイは小さなため息をついた。


「もう、お前の世代では知らない者もいるのかもしれない。あるいは知っていても、ピンとこないのかもな。

 私の祖父が若く、まだこの家を継ぐ前の頃の話だーー」


 ルイは、目を天井に向けて語りだした。


「ある貴族の家の娘が王家の控えの王子と婚約を結んだことがあった。

 彼女は婚約者の身だったが、婚儀の前から王宮に住まい、王子妃としての公務をこなしていた。今では異例のことだが、かつてはそれが普通のことだったそうだ。

 だが、王子とともに巡幸で訪れた地方貴族の領地の屋敷で、王子は彼女を断罪して屋敷から追い出した。同行していた女聖職者を娘が害そうとしたというのが王子の主張だった」


 ルイは話を続ける。


「娘につけられていた護衛や侍女は、王宮の者たちだった。王子がその立場を剥奪すれば、彼女を守る者はいない。

 護衛を雇うにも金がいるが、屋敷から着の身着のまま一人で追い出された彼女には前金を払うこともできなかった。

 そもそも、どこで護衛を雇うのかといった世俗の知識を、貴族の娘が知っていたかどうか。

 その地の貴族は、せめて実家まで送る手配をしようとしたが、それは彼女が強く断ったという。本当のところはわからんがな」


 アントワーヌは喉を鳴らした。


「彼女はどうなったのですか」


 アントワーヌは訊いた。


 話をはじめたルイは、シャルルをちらりと見て、しまったという顔をしたが、


「あー。そうだな。娘には、婚約者という立場以外に何もなかった。だから、その立場を失ったその夜のうちに、自ら行く道を選んだのだそうだ」


 幼いシャルルにはわからない言い回しを選んで語った。


 声を発する者がいなくなったところに、


「お父様、お祖父様、朝ご飯食べ終わりました!」


 シャルルの声が響いた。


 アントワーヌは、はっとしたようになって、努めてにこやかに言葉を返した。


「おお、そうか。えらいな! シャルル」 


「はい!」


 シャルルは笑顔で答え、それからオリヴィアに向かって言った。


「お姉様! 騎士になるんですか。格好いいなぁ」


 オリヴィアは、シャルルに向かって笑みを浮かべると、はっきりとした声で


「ええ。私も、お祖父様の話を聞いて、ぜひなりたいと思った。なれるとは思っていなかったけど、なれるなら」


 と答えた。


 シャルルを侍女に自室へと連れて行かせると、ルイは話を続けた。


「せっかくだから最後まで話すが、その後、王子は女聖職者と結婚した。これで終わるかと思いきや、後になって、王子は以前から彼女と親密な関係があったことが明るみに出た。

 なにせ、子が生まれたのが早すぎたのだから、誰もが悟ったさ。

 それで娘の家は王家への出仕を停め、枢密院に訴えた。

 王家は王子を王籍から抜き、彼は子爵となったが、子の代で途絶えてその家は今はない。

 王子の婚約者という立場は、王家に自分の立場の与奪を任せる不安定なものだ。

 この一件を機に、王子の婚約者が、王家の仕事で王宮に取り込まれるような情況になるのを、各家は避けるようになった。普通の家ならな」


 と、ルイはアントワーヌをちらりと見るが、アントワーヌはその視線に気が付かずに、


「そんな話があったんですね」


 と息を吐いた。


「オストバルドのミアといえば、結構有名な話だと思っていたんだがな。時がたつのは早いものだ」


 オリヴィアが声を上げた。


「ミア姫様の話って実話だったんですね。昔、アンヌ姉さまから物語として聞きました。隣国のかわいそうなお姫様の話になってましたけれども」


「残念ながら、うちの国の話だったんだよ」


 渋い顔をしてルイは答えた。


「まぁ、今どきそんなことが起こるとは考えられないがな。

 今では実家から信頼する侍女もついていけるから、たとえ放り出されても、護衛もできるアンヌがいれば安心だ。

 しかし王宮には口の悪い者たちが山ほどいる。

 侯爵家に対して一応はうやうやしく会釈(えしゃく)はしても、内心では田舎貴族と我々をバカにしている奴らだ。昔みた子爵夫人のような者が揚げ足をいくらでも取ってこよう。ダンスや身のこなしが王都風でないなどでオリヴィアがけなされるのも業腹(ごうばら)だ。

 我がシュッドコリーヌ家の娘として、オリヴィアは実に優れた素質を見せてきた。

 魔法しかり、護身の剣しかり。

 王子の婚約者という以外に、自らを守り、かつ皆に誇れる立場を得ておくのが良いだろう」


 ナイフを握りしめ力を込めて語るルイに、アントワーヌは仕方なさそうに、「まぁ、確かにそうですね。でも、鍛えてからです。すぐには無理ですからね。それに、あんまり危ないことはさせませんからね」と返事をした。

お読みいただき有難うございました。


繁忙期につき、しばらくランダムな投稿になります。


✴︎漢字変換、表現の用法は意図したものである場合があります。

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