20 明らかになった狙い
プルミエールとの秘密会合から数日の後、家令のユーゴが、配下に調べさせたレッド子爵夫人に関する調査結果をアントワーヌに報告しにきた。
アントワーヌは、ユーゴの報告を居間のソファに座って聞いた。
「夫人は、特別に招かれた淑女指導の教師として雇われることが多いので、それほど実例を得ることができませんでしたが、子爵、伯爵家、公爵家それぞれ一家での仕事を確認出来ました。
確かに、彼女が指導した令嬢方は、いづれもその完璧なマナー、完璧なダンス、どんな状況でも崩れない完璧な微笑、人当たりの良い社交的な応対力で知られております。
一方で否定的な評価としては、自立心や判断力、面白みに欠け、深い話になるとついていけないとも」
「外見は完璧だが、中身のない令嬢ということか。しかしだからといって、そういう娘には、ことさら変なところはないな」
「令嬢たちが彼女の教育を受けたのは、十代前後。それまでご令嬢方は、元気さが少し度を過ぎることで知られておりましたが、婚約するにあたって、親が淑女教育を希望されて夫人を招いたそうです。どんな子でも、完璧な淑女に仕上げられるということで紹介されたのだとか」
「元気だった子が、完璧令嬢に化けるのは、ちょっと怖いか。このあたりが、夫人のワザのところか」
「まるで魔法のようと言われていたそうですよ。彼女は、自分のしていることは、〈育て直し〉と言っていたようです」
「育て直し?」
「はい。
『こびりついた垢を取り去り、まっさらな赤ちゃんの状態に戻した上で、あるべき淑女としての教育を与える』のだとか。
具体的には、密接な指導をすることを名目に、大半の時間を夫人と令嬢の二人だけで過ごすことが求められます。
離れや別荘など、隔離できるところに二人で暮らし、その間、身分の低い使用人を除いて、家族の者、親しくしてきた侍女、友人などの一切の接触を拒否しております。
そこでいったい何をしているかは、これまで知られていなかったのですが、今回、幸運にも出入りしていた使用人に聞き取ることができました。
それによれば、一日中、令嬢は自分のこれまでの人生を否定する懺悔を求められたり、夫人が指摘したことの反省文を繰り返し声を上げて読むことを求められるのだそうです」
「なんだそれは。それは淑女教育に必要なことなのか?」
思ってもいなかった話が明らかになり、混乱したアントワーヌが訊くと、ユーゴは片眉を持ち上げた。
「では失礼ながら、判りやすく、オリヴィアお嬢様に当てはめて考えてみましょう。
魔法や身体を動かすことへの関心などは、夫人が考えるような、大人しい、周囲にかしづかれる淑女として許されない振る舞いでしょう。
それは、夫人にとっては『垢』に過ぎません。
そういった垢が完全に消えたと彼女が判断するまで、ずっと部屋に閉じ込め、自分が悪いと声を上げて反省文を読み上げさせるものとご想像ください。
まだ幼い心が壊れるまで自己批判を繰り返させるのです。
そうして、自己を完全に自分で否定させ、彼女らしさを消し去った上で、夫人の考える理想の淑女の形を与えるのが、この夫人の基本的な手法のようですね」
アントワーヌは、ユーゴの言うように、夫人の指導を受けるオリヴィアを想像して、雷に打たれたようになった。居ても立ってもいられず、ソファから立ち上がり、部屋を歩きまわった。
「つまり、あの夫人は、オリヴィアを王宮の一部屋に隔離してオリヴィアの意思を奪って、夫人の求めるような淑女の人形にしようとしていたのか」
ユーゴは頷いた。
「オリヴィアお嬢様は、利発なことでも知られておりましたから。夫人の力で、自立心を持たず余計なことをしない〈完璧令嬢〉にしたて上げられれば、理想的な傀儡にできると宰相閣下は考えられたのかもしれませんね」
「イワン王子に、妃の立場からプルミエール側の言い分を上手に判りやすく伝え、プライム伯家の側近により過ぎないようにするためのな」
アントワーヌは、力が抜けたようにソファに腰を落とした。
「舐めた話だが、私はそんな提案に、愛想笑いを浮かべて至れり尽くせりの良い話だと言っていたのか。舐められて当然の振る舞いだな」
アントワーヌは相手が王家とはいえ、高位貴族どうしの、ただの婚姻のつもりだった。オリヴィアも貴族の妻として、政略結婚なりの穏やかな幸せを得るものだと思っていた。
それが、オリヴィアの心を殺して、ただその身を利用する目的とは、思ってもいなかった。
エメロードから託された「願い」を思い出す。彼女はオリヴィアについて、なんと願っていたのか。
「父上の言う通りだった。エメロードのことをずっと想い続けている、私はそんな自分に酔っているだけだった。その間に、どんどん大切なものを失っていた。
エメロードが最後に願っていたことすら、踏みにじっていた。踏みにじりながら、まだ君を愛してるなどと思っていた私は、とんだ笑い草だ」
アントワーヌはテーブルに突っ伏し、頭を抱えた。
「取り戻すのは、間に合うと思うか」
「そこは、間に合うよう頑張るしかありません」
アントワーヌはユーゴの手を取った。
「私は愚か者だ。エメロードにも何度も鈍いと言われていたが、ひとりでなんとかするのは、無理なようだ。これからもシュッドコリーヌの目としてよろしく頼む」
✴︎
「あいつらが、一度の失敗で懲りるとは思わんな。次は、王宮を動かしてオリヴィアを呼び出してくるんじゃないか」
ルイの言葉に、アントワーヌも頷いた。
ユーゴの配下が調べた子爵夫人の結果について、すぐにルイと共有し、アントワーヌは今後のことについて相談していた。
「王妃から正式に招待されると、断りづらいですね」
「年に一度や二度のお茶会程度ならともかく、頻繁に招いた上で、せっかくですから王宮で教育させましょうなどと言われたらな。私がプルミエールなら言わせるな。
それに、王都では、周りの貴族が多すぎる。婚約が内々定したとなれば、くだらん声がもっと増えることだろう。そこで……」
ルイはひと呼吸をおいて言った。
「オリヴィアたちを侯爵領に連れて帰ろうと思う。
もともと、エメロードは、この春に子どもを連れて侯爵領に戻る予定だったのだ。エメロードは生前、侯爵領に住んでいた私にそのことを相談していたし、お前にもちゃんと話をしていたはずだ。
王都の教師には、最初から数年間の侯爵領への移住込みで話をしてある。侯爵領の目ぼしい者たちにも、私から話を通してあった。
エメロードの死で、当主もぐだぐだになっていたから、計画がどうなるか判らなくなっていたが、予定通りに侯爵領に帰ってしまおう。
あとはオリヴィアは王都にいない、時々挨拶に出てきても、王都に定住していないで押し通せば良い」
「しかし、今となっては王家との婚約の話が出ているのに、王都を離れてしまっても良いのでしょうか」
アントワーヌの心配に、「お前は何を言っているんだ」とルイは返した。
「まだ内々定のさらに前の話に過ぎないのだから、奴らは我々に何もできまいよ。今のところ、王家へ正式な話を上げる前の段階じゃなかったか」
それからルイは、片頬を持ち上げ、冗談のように付け加えた。
「それにダメになったらダメになったで、かえってオリヴィアにとって願ったりだろうさ!」
ルイの返事に、アントワーヌは思わず笑った。
「あ、その通りですね。この話、そもそもから娘を利用するだけの、我々に対して不義理な話でした。プルミエールの一方的な都合の話など、我々にとって解消されても問題なかったのでした」
エメロードを失って以来、何を守るべきか判らなくなっていたアントワーヌは、深い靄の中で、漫然と生きていた。
「貴族の価値観」に頼って仕事をして、生活もそれに自ら縛られることで生きていた。
時にそれが大切なものを傷つけても、仕方のないことと目をつぶっていた。目をつぶっていても、痛みも悩みも消えることなく、迷いは深まるばかりだった。
だが、生きている子どもの幸せを土台に、ままならぬ現実と向き合っているルイには、ブレがなかった。
そのことにアントワーヌはようやく思い至った。
「お前もやっと笑えるようになったな。きっと、まだ間に合う。オリヴィアとシャルルをもっと愛してやれ」
ルイも笑い返して、続けた。
「ついでに侯爵領でお前も鍛え直してやる」
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