19 アントワーヌの焦り
エントランスでプルミエール一行を見送った後、ルイのもとへオリヴィアは駆け寄り、力いっぱいに抱きついた。
黙ったままルイにしがみつき、静かに嗚咽を漏らすオリヴィアの頭を、ルイは優しい笑みを浮かべてゆっくり何度も撫でた。
弱々しいオリヴィアの姿にアントワーヌは衝撃を受けたが、同時にオリヴィアが頼りにして甘えているのが、実の父ではなく、祖父のルイである事実に軽く打ちのめされる思いがした。
内心の焦燥を押さえ込み、平静を装って、「父上、さすがです。古き貴族としての矜持を私は忘れておりました」とアントワーヌが言うと、ルイはオリヴィアから視線を外さず、柔らかい表情のまま返した。
「あんなの、フカシに決まってるだろう。
どこの地方貴族も、王宮の好き勝手にさせないように、家の来歴を仰々しく持ち出すものだ。
プルミエールもそんなことは判ってるさ。判っていても、王家の使用人の先祖が爵位を得て成り上がった王宮貴族たちは、一歩引き下がらざるを得ないからな。今ごろ馬車の中で、あの田舎者どもめと足を踏み鳴らして罵りまくってることだろうよ。
お前もシュッドコリーヌの当主として、あれくらいは考えずとも口先で言えるようになってくれ」
「頑張ります」
「まぁ、あの子爵夫人のまやかしに、否を告げたのは褒めてやる。よく踏ん張った。あそこでお前が言わなければ、私が口を出していたところだ。
さぁ、オリヴィア、落ち着いたかい。今日はお疲れ様。もう部屋に帰ってゆっくりお過ごし。明日からの生活もいつも通りだよ」
ルイはかがんでオリヴィアの両頬に軽く頬を合わせた。オリヴィアの涙はおさまり、真っ赤になった顔でルイに小さな笑顔を見せた。
「オリヴィア様、お休みしましょう」
アンヌが声をかけると、オリヴィアは首をこくりと頷いて、
「お祖父様、そしてお父様、本日は有難うございました。私はお部屋に戻ります。また明日にでもお話をうかがいます。お休みなさい」
と礼儀正しく挨拶して、去っていった。
アンヌにオリヴィアを離れの部屋へ連れていかせると、ルイはアントワーヌの方を向きなおした。眼光鋭く、頬は厳しく引き締まり、孫に見せる好々爺の顔はそこにはなかった。
「あの子爵夫人について、よく調べておけ」
「え。もうあの夫人は、父上の勘気を受けてますし、オリヴィアのことで関わってこないのでは」
「プルミエールがわざわざ連れてきたのだ。彼女が教えたという令嬢たちと、その教え方を知ることができれば、そこから、プルミエールの考えていることも少しはわかろう。
今度こそ、家令のユーゴに任せるんだ。あいつはこうしたことが得意なんだぞ」
「わかりました」とアントワーヌは答えたが、ルイに問わずにはいられなかった。
「それにしても、いつ父上はオリヴィアとあんなに親しくなったんです。なんで、オリヴィアが父上に抱きついていたんですか」
冗談めかして言ってもやりきれなさの滲じむアントワーヌの声に、ルイは呆れた様子で、息子の顔を見た。
「はぁあ? 今さら私に嫉妬か。本当に見苦しい奴だな。オリヴィアとは侯爵領で赤子の頃からの付き合いなのを忘れたか。
逆に訊くが、お前は嫁が亡くなってから、オリヴィアとシャルルの様子を離れに何度見にきたか、答えられるのか。オリヴィアたちには、私がユーゴと時間を調整して、月に何度かは父親のところへ挨拶に行かせていたが、お前からは私の知る限り、自分から子どもたちに会うことを求めたことはなかったな」
アントワーヌは気まずさで黙った。
「先日から、今回の件の情報を集めるために、王都の旧友に何人か会っていたが、口を揃えてどこぞの侯爵家を心配しておったわ。
愛する妻を亡くした当主が、哀しみのあまり己の子どもへの関心も失くして、離れへと追いやってしまったと、王都の貴族たちの格好の噂になっているそうだ。
とりわけご婦人たちの今、大好物の話だそうだぞ」
「それは、父上が離れにいるからではないですか」
「私がいなかったら、オリヴィアたちは本館にいたというのか。それで私がいなければ、お前の子どもたちは、この本館で誰がその生活と成長ぶりを見てやっていたんだ。使用人がか? ここ半年、傷心のあまり自分のことで忙しいお前のもとで、子どもたちは地獄だったろうな」
「これは言わんでおこうと思ったが」とルイは続けた。
「お前に呼ばれたオリヴィアは、戻ったあと部屋でアンヌにすがって泣いておったわ。久しぶりに父親に声をかけられたと思ったら、魔術師は諦めて、王子と結婚しろと言われたとな。いよいよ捨てられると思ったそうだぞ。
だから、プルミエールの奴も、あんな恥知らずな提案を持ってくることができたのさ。要らない子でしたら頂きましょうとな。
オリヴィアの隣に座ってたお前は見ていないだろうが、さっきの会合でのオリヴィアの覚悟を決めた悲壮な顔つき、お前も見ておくべきだったな」
ルイは吐き捨てて、離れへと帰っていった。
本館で一人過ごすアントワーヌの夜は、いつに増して寒かった。
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