18 ルイの弁
「いや、ダメだ」
「え」
唐突なアントワーヌのひどく低い発声に、夫人とオリヴィアだけでなく、宰相も驚いたように顔を上げ、アントワーヌを見た。一方、向かいのルイは彼の言葉に満足げに頷いているのが、アントワーヌの視界に入った。
「魔法のお勉強がダメって……お父様、どういう事でしょうか」
オリヴィアはいまにも泣きそうになってアントワーヌに訊いた。
「あ、そういう事じゃないんだ」
アントワーヌは、慌ててオリヴィアに向いて答えるが、それに被せて、今度はプルミエールも訝しげに訊いてきた。
「侯爵殿。では、どういう意味ですかな」
自分の発言に収拾のつかなくなったアントワーヌは、ルイに助けを求めるように視線を送った。
ルイは、アントワーヌの視線にやれやれといった風にため息をひとつつくと、プルミエールに姿勢を向けた。
「ここからは、説明が少し苦手な当主に代わりまして、隠居の身である私からご説明しましょう。オリヴィアもまずは落ち着きなさい。大丈夫だ」
それからルイは夫人とプルミエールに対抗するように笑顔をつくり、滑らかに話し出した。
「いや、簡単に申し上げると、つまりこういうことです。
我々もオリヴィアの母であるエメロードの生前に、オリヴィアにどう教育を施していくのか相談して決めていましてね。すでにオリヴィアはその方針で勉強を始めているのですよ。
ですので、宰相閣下の親切なお申し出は有り難く思いますが、我々には不要のお心遣いです」
「失礼ですが、その教育が、王家に嫁ぐ者に相応しいものと思っていらっしゃるのでしょうか。地方の方が思っていらっしゃる以上に、王宮の求めているマナーの水準というものは高いのですよ」
即座に夫人がルイに反駁した。
ルイはそれには答えず、プルミエールをじっと見た。プルミエールは居心地が悪そうに身じろぎをした。
「当家をただの田舎貴族と侮っている者が、どこかにいるようですな」
ルイは姿勢を正して続ける。
「王家と並ぶ家譜をもち、古の史書にはまつろわぬ土豪と記された、旧き盟約によって臣従を誓い、その誓いをもって侯爵位を賜った名誉あるシュッドコリーヌ家。
その家から、王家に嫁を出すという大事を、ここ数年のマナーの流行り廃りの手引書ごとき者に軽く扱われるのは、我々としては我慢ならんことです。
このシュッドコリーヌ家から王家に嫁ぐからには、その血の根本を、彼女にもちゃんと受け継がせたうえで、王家に嫁がせなければならない。
王妃陛下も、しっかりと実家モンテノルド家の風を王宮に入れていらっしゃるようにお見受けしております。
いやいや、確かにそうでなければ、王家と我らの関係を、いまさら婚姻によって深める意義はない。そうでありましょう?」
ルイは、旧家の傲慢さをわざと言葉の端々にのせた。
先程からルイはプルミエールのみに顔を向け話しており、いないものとして扱われている夫人は、自分の悪手に気がついて、顔色を悪くしていた。
「王家での王子妃教育は、高位の貴族出身の婚約者ならば、もともと一、二年が相場だったはずですぞ。それなら正式な婚約式を経てからで十分です。
そうだな。宰相閣下、このオリヴィアが十四歳を迎えたところでいかがでしょうかな。その時にまた、淑女教育ではなく、王子妃教育のためのご相談をいたしましょう」
「待ってください。ルイ殿。将来、王太子になられるイワン王子殿下を支えるために、オリヴィア殿には、幅広いご勉学をしていただきたいのです。そのためには、できるだけ早めに王族と同じ学問を始めていただいた方が良いのですが」
少しでも失地を回復しようと食い下がるプルミエールに、ルイはわざとらしく笑いかけた。
「妃が王太子を支えよとおっしゃいますが、イワン王子殿下のお勉強の進捗はいかがでしたかな。風の噂に聞くところによれば、だいぶ……」
そこでルイは笑顔をつくり、自分の頭を軽く打つ仕草をする。
「ハ、ハ、ハ。王子殿下について品評めいたことを申すというのは、臣下の立場では、誠に、その。実に言いにくいですなぁ」
イワン王子の勉学の進みは、周囲に当代きっての教授陣を揃えてはいたが、よくて人並みのものであり、子どもらしい我が儘さで、更なる努力を厭う様子も見せていた。
ルイは、そこを突いた。
「しかし、その足りないところを、オリヴィアに担わせようというのは、感心しませんな。
国政を総覧し裁可する立場になるのは、妃のオリヴィアではなく、王家の嫡子のイワン殿下です。
王子殿下もまだ幼い。立太子だってこれから先の話で何があるか分からぬ。にもかかわらず、幼さからの放縦を諌める者がいないのは、君側で支える臣は、次代の王冠が軽いことを望んでいるのではないかと、余計な詮索を受けますぞ」
ルイは一気に威圧をかける。掴みかからんばかりに身を乗り出し、眦を切り上げ睨め上げた。
かつて騎士団を率い、戦場の一線に立っていた男の迫力に、プルミエールは気圧されるようにソファに腰を沈め、横に立つ夫人の顔は真っ青になり、立つのがやっとのようだ。
緊迫した空気に包まれたところを、ルイは再び笑顔になり、場を和らげた。
「まぁ、これは老いぼれた王家の忠実な臣からの、老婆心が言わせた余計な一言です」
それから軽く冗談のように付け加えて言った。
「一介の孫バカな爺として申しますが、優秀さで宰相閣下のお耳にも名前が入ったこのオリヴィアが、年上のイワン殿下を同じ学業で優るようなことになったら、どうするおつもりですか。男の子は、拗ねるものですぞ。殿下に嫌われるようなことになったら、本末転倒というもの。
まぁ、ご安心ください。先ほども申し上げたが、オリヴィアには、亡き嫁エメロードが手配した優秀な教師陣がおりますのでね。
この爺は暇にあかせて、毎日孫のお勉強の様子を見ておりますが、魔法だけでなく、マナーや語学、歴史など、バランスよく学んで上達しておりますぞ。
五大侯爵家の娘として恥ずかしくない淑女として、いづれ殿下の御前に参りましょう!」
結局その日は、内々定の話をこれから進めていくということだけ話をして、お開きになった。
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