17 プルミエールの提案
「なるほど、さすがは五大侯爵家のシュッドコリーヌ。
この重厚な佇まいの内装は、四代前のイワン二世様式でしたかな。たいへん素晴らしい設えです。こちらにさりげなく飾られている花瓶も、骨董的価値がはかり知れない古代の逸品ではありませんか」
四十代に入り、髪に白いものが混じり始めたプルミエールは、しかし精力的な動きには衰えを一切感じさせず、顔に笑みを浮かべながら、侯爵邸の廊下をアントワーヌに案内されていた。
内密の相談に訪れたプルミエールが、邸内の奥まで連れてきたのは、初老の貴族女性一人のみで、プルミエールの数歩後ろに従って歩いていた。護衛たちは控えの間で待機している。
「宰相閣下は美術にも造詣が深いのですね。こちらの棚に飾られているものは、当家の先先代が、隣国との戦役で得たものと聞いております」
「なんと、これらは戦いの記念としての意味もあったのですね」
アントワーヌは廊下に飾られている品を軽く紹介しつつ、ふたりを広めの居間に案内した。
部屋の中では、客人の入室を迎えるために、ルイとオリヴィアが立っていた。
隠居したはずの先代侯爵の挨拶には、プルミエールも面食ったようだったが、鍛えられた愛想の良いプルミエールの表情は崩れることなく、オリヴィアの簡単な挨拶にはさらに満面の笑顔で応じていた。
オリヴィアは緊張のためか、礼儀正しくも言葉少なく挨拶をするだけだった。
侯爵家の居間の、長方形のローテーブルを中心にして、部屋の上座にあたる短い辺の一人がけソファに宰相であるプルミエールが座り、彼から見て左辺にアントワーヌとオリヴィア。その向かいにルイが座った。プルミエールの連れてきた貴族女性は、彼の後ろに立った。
彼女はおっとりとした所作で一つ一つの動きは緩やかに見せながら、眼光はやや鋭さを感じさせた。
「さて、この度は、イワン王子殿下の婚約について、内々のご相談を受けてくださったこと、シュッドコリーヌ侯爵殿には、誠に感謝申し上げる」
お互いに挨拶を交わして茶の用意が整い、人払いが済むと、プルミエールはすぐに本題を切り出した。
プルミエールは王国をめぐる現在の状況を交えつつ、この婚約がいかに重要なものであるかを、感極まったかのように目もとに涙を浮かべて語った。
アントワーヌは圧倒されたように聞いていた。
「この国へ捧げる私の至誠の想い、侯爵殿にも判っていただけたのでしょうな!」とプルミエールから投げられた時には、神妙な顔で即座に「もちろんです!」と返したが、アントワーヌの頭に残るような話はなかった。
熱いひとり語りがしばらく続いた後、プルミエールが咳払いして場を改めた。
「ところで、侯爵殿のお嬢様、オリヴィア殿がイワン王子殿下に嫁ぐにあたって、そのお支度、とりわけご教育については侯爵家ではどのようにお考えですかな」
「お話を伺ったのがつい先日ですので、準備とおっしゃられても、これからです。なにぶん私には初めてのことですので、調べることがたくさんありそうです」
アントワーヌは素直に返した。
プルミエールは大仰に頷き、「判ります」を繰り返した。
「うんうん。このようなお話、そうそう一代になんども舞い込むものでもございますまい。
とはいえ、男には、貴族の淑女の教育の勘所は判りませんからな。
そこで、お支度のご参考になればと思いまして、これまで何人もの令嬢を教育し、一流の淑女に育ててきた方に、本日は来てもらいました。
彼女は王宮で侍女として働いたのち、レッド子爵家に嫁ぎ、夫に早く先立たれた後は、残りの人生を淑女教育に捧げようと誓われたのだそうです。
現在では、貴族令嬢の淑女教育において、並びない者という評価を得ております。
彼女から淑女教育の現在の地平について、ご説明させましょう」
プルミエールのソファの背後に立っていた老夫人は、ソファの横まで前に出て、微笑を浮かべて改めて膝を折り、挨拶をした。
「オリヴィア様は、優秀な子と聞いております。
本日、はじめてそのお顔を拝させていただきましたが、本当に素直そうな、かわいらしい御子様です。
男親の御家では、いろいろと不都合もございましょう。まして、貴家は尚武の気風の御宅と伺っております。
ご息女を貴族女性らしい、美しくたおやかで優しい気立てに育てることに、なにかとご心配がおありではないでしょうか」
ゆっくりに見える所作に比べると、やや早口な口調で、昨今の貴族淑女に必要な技量とは何かについて、老夫人は熱弁を振るった。
「なるほど、すごい世界ですね」
気圧され気味のアントワーヌの素朴な感想に、プルミエールは何度も頷いた。
「そうでしょう。そうでしょう。淑女とは、女性の美しさを、さらに工芸的に磨きあげた美術品と言えましょう。
王宮の淑女ともなると、すなわち一つの人工宝石と言っても過言ではないのですぞ!
そこで、私に一つご提案があるのです。
晴れて王家より、ご婚約内々定が下された暁には、私にお嬢様のお支度のお手伝いをさせていただけませんでしょうか。
宰相である私が、王宮に将来の王子妃のためのお部屋を賜りまして、そこでオリヴィア殿に起居していただき、王宮の淑女たちの頂点として、完璧にお磨きしますことをお約束いたしましょう。
我がプルミエール伯爵家は、王宮勤めの貴族のなかで高い家格を誇っております。
オリヴィア殿のために、すぐにでも王都の一流の教師陣を揃えましょう!」
アントワーヌはプルミエールの突然の申し出に戸惑った。オリヴィアも隣で身を固くしているのが感じられた。
「さて、私どもにとっても至れり尽くせりな良い話にも聞こえますが……さすがに突然な話ですので」
「そうですな。しかしこちらの夫人が、全身全霊でオリヴィア殿にお仕えすると申しております。侯爵殿、もう安泰ですぞ」
アントワーヌの逡巡に、プルミエールは畳み掛けた。
「はい、オリヴィア様は、たいへん素晴らしい素養の持ち主でいらっしゃいます。私どもが、オリヴィア様を王家に相応しい、王都一の淑女に仕立てて差し上げますわ」
「あ、あの」
二人の猛攻のなか、オリヴィアが割り込んだ。
侯爵家の居間に、一瞬の静寂が訪れた。
オリヴィアは、全身の勇気を振り絞って声を出しているのか、手が震えている。
「なあに」
夫人はオリヴィアに優しげに返事をした。
「ま、魔法のお勉強はできますか」
夫人はかすかに眉を寄せた。
「魔法ですか……ええ、勉強できますよ。お嬢様には、王子妃として、淑女に必要な、いろんなことを学んで頂きますので、それらをオリヴィア様が、ちゃんと王子妃に相応しい水準で身につけられるようでしたら、その上で、たっぷりオリヴィア様の望むお勉強もできますからね。いっぱいお勉強しましょうね。オリヴィア様」
ーー嘘だ。
アントワーヌは、冷水を浴びたように感じて二人を見た。
にっこりと笑顔をつくってオリヴィアに優しげに語る夫人だが、早口で繰り出された彼女の言葉は、実際にはオリヴィアの望むような魔法の時間をほとんど入れるつもりがないことを、遠回しに言っているに過ぎなかった。
オリヴィアが超えなければならない「王子妃に相応しい水準」など、彼女の一存でどのようにもできるのだから。
だが幼いオリヴィアは、まだそうした大人の婉曲な言葉遣いは判らない。彼女の口先だけの言葉を受けて、オリヴィアはプルミエールの方を見た。
プルミエールが笑みを浮かべたままオリヴィアに頷いてみせるのを確認して、オリヴィアは夫人の約束が裏付けられたと判断したのだろう。
覚悟を決めたように、こくりと縦に首の動きを見せたオリヴィアに、夫人の笑顔は、勝利を確信したかのように広がった。
アントワーヌは、幼ない子どもの真剣な希望を、大人の手口を用いてもてあそぶ夫人に対して、瞬間的な憎しみを抱いた。
その強い感情が、つい口を突いた。
「いや、ダメだ」
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