16 内々の使者
春の、まだ薄寒い夕暮れ時。王都のシュッドコリーヌ侯爵邸へ、密かに使者が訪れた。
「ご使者はプルミエール宰相閣下からでした。お手紙の内容についても、かんたんにご説明されていきました。オリヴィアお嬢様のご婚約について、宰相閣下が内々にご仲介のご相談をしたいのだそうです」
銀の盆に手紙を載せて、家令のユーゴがアントワーヌに告げた。
「おいおい、まだ妻の葬儀から、半年しか経っていないのにか」
「もう半年です」
「夫婦は、一年は喪に服すものだろう」
「今の王国貴族の社会通念では、夫の死には一年ですが、妻の死の場合は三か月から長くて半年の服喪が相場です。
私個人としても、エメロード様のことを悼むのは大変結構なことだと思っておりますが、宰相閣下のお手紙は、世間の常識に配慮したものであることも、ご理解されていた方がよろしいかと」
「わかった、わかった」
儀礼的な修飾に彩られた文面を、詰まらなそうに眺めて、アントワーヌは言った。
「なぁ、ユーゴ。つまり、ここにはオリヴィアを王家の誰かと結婚させろ、と書いてあるようだ」
「憚りある名前だから伏せられていますが、イワン王子殿下のことでしょう」
「うちは候補に名乗りを上げてなかったのにか」
「王家が直接婚約の話をしてくるのは、候補者から選ばれる内定の前の、根回し段階である内々定からです。
これは、その前の段階の、宰相閣下によるご相談の話でしょう。候補に名乗り上げてなくとも、ご相談はされるのでしょうね」
「どうしたら良いと思う?」
家令は片眉を上げて答えた。
「お父上にも、ご相談されてみてはいかがでしょうか」
アントワーヌの父、ルイは家督を息子に譲った後、侯爵領の居城に隣接する隠居屋敷に移り住んでいた。
エメロードの第二子出産を機に王都に上がってきていたが、彼女の死によるアントワーヌの憔悴ぶりを心配し、王都の屋敷の離れに引き続き逗留していた。普段は孫たちの面倒を見ている。彼もまた妻を亡くしていた。
「そりゃ、我々のような老貴族には、これから王太子になるような、王国の輝かしい第一王子殿下との婚約は、一族にとって誉れとしか思わんがな」
アントワーヌにオリヴィアの婚約について訊かれたルイは即座に答えた。
「だが、いまのオリヴィアには、その話は辛かろう」と続けたルイに、アントワーヌは訊いた。
「どうしてですか」
ルイは、呆れ返ったように言った。
「なるほど。おまえは嫁がいなくなってから、子どもたちの現状について、何も目に入っておらんようだ。
王都で育つ貴族の娘というのは、はじめから、貴族の妻となるべく仕込まれておる。六歳ともなれば、いっぱしの貴族の娘の覚悟を持ち、淑女を気取る。
しかしオリヴィアは違う。彼女は侯爵領で育ち、いっぱしの魔術師になりたかったのだ。無論、我々もその幼い夢を、これまで捨てさせてこなかった。オリヴィアの母も魔術師であったし、我がシュッドコリーヌは武門の家であるしな。
しかも、いまのオリヴィアにとって、魔術師の道はただの夢ではない。それは亡き母の道を辿り、自らのものにすることなのだ。わかるか。言葉遣いも考え方も、淑女のそれとは全然違う。
さて、そういう子がいきなり、王国の淑女たちのトップである王子の婚約者として引っ張り出されたら、周りの淑女方にどう見られるか」
「なるほど」
「なるほど、じゃないわ。そもそもオリヴィアのような娘は、普通は対象外だ。そういう娘が、なぜ担ぎ上げられそうになっているのか、お前は判っているのか」
アントワーヌは少しむっとして言った。
「父上は、判っているんですか」
「私のではなく、お前の娘だぞ。自分で調べておけ。
隠居ジジイには、王都に出回る通りいっぺんの話しか入ってこないが、先日、イワン王子の側近に、前の宰相のプライム伯爵の倅がついたそうだな。
我々地方の貴族は局外に立っているとはいえ、お前も、首領同士が宰相職を競い合っている王宮貴族の二大派閥は知っているだろう。どちらも王家に仕える官僚たちに睨みを利かす大派閥だが、側近がプライム派になるのなら、妃はプルミエールに近い貴族から……と考えたのは想像に難くないことだ。うちは一応、プルミエール派と手を結んでいるからな。だが、それだけでは理由としては弱いだろう」
「そういう話は、私は苦手です」
「苦手だからと、目をつぶって娘を魔窟に投げ込むわけにはいくまいよ。これまでどうしていたのだ」
「妻がまとめてくれていました」
「やれやれ、お前たちは、まさに二人で一人だったのだな。嫁が頭脳で、お前が手足だったか。しかし、もうオリヴィアを守る嫁はいない。お前が頭脳役もやるしかないんだぞ」
「私だって、オリヴィアの幸せを願っています」
「それが口先だけでないなら、よく見て、よく考えることだ」
✴︎
判断がつきかねたアントワーヌは、翌朝、自分の執務室にオリヴィアを呼んだ。
「よく来てくれた。実はオリヴィア、お前に大事な話がある」
アントワーヌは自分の向かいのソファに座るように促すと、オリヴィアは半年前にはなかった落ち着きを見せて、静かにソファに座った。
これなら、この話は上手くいくのかなと、アントワーヌはなんとなく思った。
「まだ内々の話だが、お前とイワン王子殿下との婚約の話が届いている」
オリヴィアは両手を膝に置いたまま、驚いたように顔を上げ目を見開いた。
「父も、亡くなった母も、お前の幸せを願っているが、一般的な話でいえば、王家との縁談は貴族の家として名誉なことだ。だが、どうしても嫌なら、まだ断ることもできるぞ」
オリヴィアは俯いた。
「私は、お母様のように魔法や魔術に関わる仕事に就きたいのですが」
「お前が魔術師になりたかったのは、聞いている。しかし、有力貴族の娘の進む道として、それは難しいことは理解していよう。お前の母のように、政略結婚でいずれはどこかへ嫁ぐか、家をつなげるために婿をとることになる」
アントワーヌは、エメロードには惚れた弱みで魔術師として活動をいづれ再開して良いことを約束させられていたが、そのことについては、今は娘に伝えないことにした。
その座りの悪さを感じたアントワーヌは無理に言葉を続け、意図せず王家との婚約を娘に推す立場になった。
「そういう意味では、王家というのは、貴族が望みうる最良の選択肢であるな」
オリヴィアはしばらく黙っていたが、「私は、お父様の決められたことに従います」とだけ言った。
「では、断らなくて良いのだな」
アントワーヌはほっとした気持ちを表情に乗せてオリヴィアに念を押した。
「はい」
「そうか、受けてくれるか」
アントワーヌの顔を見るオリヴィアの、あまり元気のない様子は気になったが、世の中には、嫌でも飲み込まなければならぬ事情もあると、アントワーヌはあえて見ないふりをした。
好奇心に溢れた娘だ。いずれ新しい関心事を見つけて、元気になってくれるに違いない、と。
✴︎
侯爵家の内々の承諾の返事を受けて、今度は宰相自ら、直接相談したいという使者が来たのは、それから数日後のことだった。
ルイはアントワーヌに訊いた。
「それで、今回の婚約の話について、お前は何か掴めたか」
「いえ、特には何も」
ルイは呆然とアントワーヌを見て、それから頭を振って言った。
「ユーゴに頼まなかったのか。私の方は、昔の知人に何人か当たってみた。みな隠居の身だ。たいした話はでなかったが、まるでないよりはましだろう」
ルイは自身の得た情報をアントワーヌに語った。
ルイの精力的な動きに目を瞠ったアントワーヌは、父を頼む気持ちが生まれた。
「父上も、話合いに同席してください」
「わかった。大切な孫娘のためだ。今回は私も力を貸そう。だが、お前もいつまでも亡き嫁を恋しがって現実から目を背けていると、大切なものすべてを失うぞ」
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