14 伯爵夫人の詮索
菓子店の個室は円テーブルだった。
騎士二人が入り口の扉の両側に立ったのを見て、アンヌはオリヴィアの椅子の後ろに立とうとしたが、エメロードは言った。
「アンヌもお座りなさい」
「はい」
やがてテーブルにはお茶が用意され、中央にはとりどりの菓子が盛り付けられた銀の二段皿が据えられた。
オリヴィアとアンヌは思わず歓声を上げた。アンヌはその後恥ずかしそうにしたが、エメロードは、「良いのよ。今日は魔法の先生からの日頃の鍛錬のご褒美だからね」とアンヌに片目をつぶって見せた。
オリヴィアはさっそくに一つ取って口に入れると、「このお菓子、ふんわりしていて、中に甘い卵のクリームが入ってる!」と二人に言った。
「どうやって入れたのかしらね」
そう言いながら、エメロードとアンヌも同じ菓子を手にとった。
「お母様、底に穴がありました!」
「あら、本当だわ」
「きっとここから入れるんですよ」
オリヴィアは菓子を強く押しすぎて、クリームが穴から出てきてしまい、慌てて底に口をつけた。
菓子も食べ終えてお茶を飲みつつ、エメロードの現役魔術師時代のとっておきの話を、オリヴィアとアンヌが前のめりになって聞いていた最中。
個室の扉を遠慮げにノックする音がした。
扉の側で控えていたジェラールが薄く開けると、隙間から店員がそっと一礼して紙片を手渡した。
受け取った紙片に目を走らせたジェラールは、エメロードの近くに寄って、小声で用件を告げた。
「エメロード様。財務尚書、バス伯爵のご夫人、ミジョック様がお店にいらっしゃっており、ご挨拶をされたいと。その扉の近くまでお越しになられているそうです」
エメロードは顔を顰めて囁やきかえした。
「私、あの人苦手なのよね。どうしようかしら」
そう言いながらも、エメロードは立ち上がった。慌ててアンヌも立ち上がりかけるのを、エメロードは片手で止めた。
「私が外に出るわ。アンヌもオリヴィアもそのままそこにいなさい」
ジェラールが小声のまま尋ねた。
「こちらにお連れしないでよろしいので?」
「いいわ。絶対に楽しいことにならないから。あ、ジェラールは一緒に来て。いざと言うときはサインを出すから、よろしく頼むわね」
「かしこまりました」
そうやりとりして、二人は出ていった。
店内の個室の前には、休憩用の椅子が用意されており、ミジョックはそこに座って待っていた。歳は五十を越えたところ、豊かな銀髪姿の女性だった。側にミジョックの護衛がひとり立っている。
エメロードたちに気がつくと、満面の笑顔を浮かべて立ち上がり、ミジョックは言った。
「あら、出てきてくださったの。私からお伺いするつもりでしたのに」
「いえ、ご機嫌よう、バス伯爵夫人。ご無沙汰しております」
傍らに控えるジェラールの一歩前に出て、エメロードは愛想笑いを浮かべてミジョックに挨拶をした。
「私もこちらのお店のお菓子が好きで、常連なのよ。いつもは予約がなくても頼めば個室に入れてもらえるのだけれど、今日に限って、珍しい方が個室を使われていて、使えないと聞きましたの。せっかくですから、ちょっと挨拶できればと思って」
「そうだったのですね」
ミジョックは、エメロードの腰回りが広いドレスの腹部に何度も視線を向けながら、
「おめでたと聞いていたけれど、そろそろですわね。いつかしら。このようなところまで出歩いていて大丈夫?」と訊いた。
「あと一か月といったところでしょうか。今日は最後のお出かけになるかもしれないので、娘たちと街に買い物に出てきたんです」
エメロードが答えると、すかさずミジョックは言った。
「今度は、男の子だと良いですわね。侯爵家の皆様も、今度こそは男の子と望まれていらっしゃるのではないかしら」
エメロードは苦笑いをした。
ミジョックは話の接ぎ穂を探すように目を忙しなく動かして、続けて言った。
「うーん、じゃぁ、今日はあなたの御息女もいらっしゃるのね。せっかくですから、王都の噂のお嬢様にも会わせて頂けないかしら」
エメロードは即座に答えた。
「ごめんなさい。今日は一日、私的な用事で出てきたから、子どもたちに他所行きのご用意がないの」
「あら、私は気にしませんよ」
エメロードは今度は先ほどよりはっきりと答えた。
「私が気にするから、ここは遠慮していただけないかしら」
ミジョックは、少し驚いたように目を瞬かせた。
「でも、あなたの家のお嬢様って、大変ご活発な子と聞いておりますわよ。騎士たちと毎日泥だらけになって駆け回っているとか。他所行きとか、今更ですよ」
そこまで言っても、エメロードが笑顔を崩さずに黙って動かない様子を見て、
「でも、そうね。イワン王子殿下のお妃候補の趣味としては、それはどうかと思いますわね。子どもの時分はなんでも可愛いものですけれど、矯正するのは早い方が良いですわよ」
ミジョックは笑みを浮かべながら、身体の前で両手を小さい人形を型どるように動かした。
エメロードは愛想笑いもつきかけて、話を打ち切ることにした。ジェラールへのサインとして右耳のイヤリングの位置を直すようにそっと触れつつ、ミジョックに言った。
「先日、イワン王子殿下の園遊会がございましたが、我が家の娘よりも、ずっと王子に相応しいお嬢様がいらっしゃいましたよ」
「まぁ、シュッドコリーヌ侯爵家といえば、王国の五大侯爵家の一家。大変なご名家ではございませんか。どんなお嬢様でも、お声はかけてきますわよ」
そこで、ジェラールがゆっくりと割り込んだ。
「奥様方、ご歓談のところ失礼致します。エメロード様、次のお約束が少し……」
「ジェラール、思い出させてくれて有難う。さて、バス伯爵夫人、大切なことですので、もう一度言いますけれど、イワン王子殿下には、当家の娘よりも、もっと相応しいお嬢様が、いらっしゃいます。私も夫も、娘を無理に、王子妃へと押し上げることは、望んでおりません。
私どもは本日、用事が詰まっておりますので、申し訳ありませんが、今日は、ここで失礼致しますわね。夫人の元気なお姿を拝見できまして、本当に良かったですわ。では、ごきげんよう」
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「あのご夫人、あそこから動かないでいます。奥様とオリヴィアお嬢様がここから出てくるのをどうやら待ち構えていますね」
ジェラールが、扉の橫にしつらえられた様子見のための小窓から廊下をうかがって小声で言う。
エメロードはため息をつき、
「そこまでしてオリヴィアの顔を見て、私達に何か言いたいのかしらね。仕方がない。あなた、ちょっとお店の人を呼んで来てもらえるかしら」
そう若手の騎士に声をかけた。
騎士に連れられてやってきたのは、支配人だった。
「奥様。お呼びと伺いました。なにかご入用でございますでしょうか。よろしければ私がお受けいたします」
エメロードは姿勢を正し、少し声を落して言った。
「頂いたものはどれも美味しかったわ。実は、今日は私的に出てきたから、なんの用意もなくて、廊下でお待ちの人とこれ以上お顔をあわせたくないの。あの方は社交界にお顔が広くてお話も広げる方だから。
こういったお店の個室は、人と会わずに出入りできるようになっていると思うのだけど、ちょっと利用させてもらえないかしら」
「かしこまりました。私どもの店は小さいので、店員用の通路と兼用になってございますが、よろしければご利用ください」
そう言うと、支配人は壁にしか見えない一面に、緑魔石の指輪をつけた手をかざした。
次の瞬間、鍵の開く小さな音がして、隠された扉が静かに開いた。
何もなかった壁から薄暗い通路が出現するのを見たオリヴィアは、控えめに喜びの声を上げた。
「それは、魔術?」
支配人に訊くと、幼いオリヴィアに微笑んで答えた。
「そうですよ。特定の魔力に反応して、隠し扉の鍵が開くようになっているんです。さぁ、倉庫代わりにもなっていて、雑然としていて恐れ入りますが、こちらの通路から外にお出ください」
「有難う。あの夫人、個室を利用したかったようだから、私たちが出たら案内してあげると良いわ。私たちは所用で急いでいるので、もう出たけれど、お詫びに侯爵家が費用を持つと言って、あの夫人に今日はお好きなものを提供してあげて」
「かしこまりました」
店を出て、馬車に乗りこみながら、「ごめんね。あなたたちとのお出かけの最後が、こんなことになっちゃって」とエメロードが言うと、
「ううん。お母様とみんなで冒険みたいで楽しかった」
オリヴィアは笑顔で言った。
「それなら良かったわ」
エメロードも微笑んだ。
侯爵邸への帰りの馬車で、アンヌは先ほどの出来事を思い出し、怒りを込めて言った。
「それにしても、なんなんでしょうか。あの夫人! ひどかったですね。奥様がご馳走される必要なんてないんじゃないですか」
「あら、聞こえていたの。あの夫人、声大きかったものね。お店の個室の扉一枚じゃ、あの夫人の声は通っちゃうわね。
本当は私も、ああいった人とのお付き合いはご遠慮したいところだけど、逃げたままにしておくと、他の場所で何を話されるか分からないのよ。だから、ちょっとだけ良い思いもさせておくのよ」
エメロードは、苦笑いしながら言った。
「だいぶご身分を色々と気にされていらっしゃるくせに、ご自分は侯爵夫人に対する物言いではなかったです」
「本当にね」と頷きつつ、エメロードは言った。
「実際、王都の高位貴族の女性は、地方の貴族を一段下に見なしているところがあるからね。彼女の夫は長官職だし、しかも私が年下だから、彼女のなかでは、後輩ぐらいな気持ちだったんじゃないかしら」
「それにしても、話の運びが一々ひどかったです」
「そうね……あの夫人は、イワン王子のお妃選びの状況を聞き出したかったのよ。うちは侯爵家だから、黙っていても有力候補の一つになるでしょう。面倒なことよね」
オリヴィアは、二人のやりとりを聞くともなしに、エメロードから贈られた魔杖を箱から出して撫でていた。そうして杖を手に持ったまま、エメロードにもたれかかった。スプリングの効いた馬車の揺れと、エメロードの温かさで、頭がぼんやりとしてくる。
エメロードはオリヴィアの頭に手をのせて、ゆっくりと髪をすいた。
「オリヴィア。あなたには、貴族の人生は息苦しいかもしれないわね。
あなたを小さな箱に押し込めようとする人たちが、たぶんこれから何人も現れることでしょう。それはピカピカの宝石がいっぱいついた宝箱かもしれないけれど、オリヴィアを収めるには、小さ過ぎるのよね。
オリヴィア、そういう人たちに真正面から当たれば、彼らは力づくで小箱に押し込んでくるわ。あなたがどう思ってるのか、気にも止めないで。どうしたらあなたの生きたい道を選べるのか、自分でよく考えて動きなさい」
エメロードはオリヴィアを撫でながら言った。
その時のオリヴィアには、母の言っていることが、まだよくわからなかった。ただ、撫でられている感覚が心地よく、オリヴィアは馬車の中でゆっくりと微睡へと誘われていった。
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