12 「貴族の処世」
侍従の青年は、背後に連れた二人の侍従見習いの少年たちに、少女を連れていくよう命じた。
泣き顔の娘は信じられないという表情で、自分よりも背丈の低い少年たちに両腕を取られ引きずられていく。少年たちは、土に塗れたスカートを乱暴に踏んで引っ張って行こうとした。
リチャードは薄笑いを浮かべながら、侍従に御礼を言っている。
オリヴィアは愕然とした。
目の前で起きていることの意味がわからなかった。自分が証言すれば、事実を正せるはずだと思ったオリヴィアは、急いで飛び出ていって侍従に近づき訴えた。
「このお姉様は、今、こちらのお兄様に、いじめられていたのよ。どうしてこのお姉様が怒られているの」
侍従は突然出てきたオリヴィアを見下ろし、苛立ちを隠さずに言った。
「貴様はどこから湧いて出てきた。礼儀も道理もわきまえぬガキだな。高そうなドレスを着ていても、貴族らしさのカケラもない。大方、貴様も金で爵位を買った成り上がりの家だろう。おい、こいつも外へ連れだせ」
少女の腕を引っ張っていた侍従見習いが一人、オリヴィアに近づき、「貴様、ポール様に直接声をかけるなど、身の程知らずめ!」と叫んで背後から突き飛ばした。
オリヴィアは前のめりに地面に転がった。
「ほら、立て。お前も出て行くんだ」
「その子を、どこに連れて行こうというのかな」
植え込みの向こうからやってきたのは、アントワーヌだった。
不意に聞こえた指笛に、それがオリヴィアの特技だと知っていたアントワーヌは、もしやと思い急いで寄ってきたのだった。
侍従は慌ててアントワーヌに向かい、お辞儀をした。
「これは、シュッドコリーヌ侯爵閣下。私は国王陛下の侍従、本日はこの庭の見回りを仰せつかっております、ポールと申します。家はトロワ伯爵家でございます。以後お見知り置きくださいますよう」
「ほう、それでポール君、うちの娘、オリヴィアに先ほど何か言っていたようだが。なぜ、私の娘がそこで土をつけて座りこんでいるのか教えてくれるかな」
侍従は青くなった。
アントワーヌは、ショックで口が震えているオリヴィアを抱き上げると、顔についた土を払い、
「さあ、このお兄さんは、見回りのお仕事で国王陛下のご家族にご挨拶申し上げていた私たちを見ていなかったらしい。袖口の我が家の紋章を見せてあげなさい」
そう言って、オリヴィアの腕をとり紋章を示した。
「これは……誠に申し訳ございません。なにぶんお小さいご令嬢でしたので、この見習いめはご令嬢のお袖口のご紋章に気がつかなかったようです。貴様! シュッドコリーヌ侯爵閣下のご令嬢になんて無礼をしてくれたんだ!」
侍従は躊躇うことなく、アントワーヌを見つめて呆然と立ち尽くす少年を足蹴にして転がした。うずくまった身のまま地面に額をつけて、少年はアントワーヌに大声で詫びた。
「誠に申し訳ございません! 侯爵様、お許しください!」
「いや、詫びるなら、オリヴィアにだろう」
「申し訳ございません! シュッドコリーヌ侯爵御令嬢様!」
オリヴィアは侍従たちの豹変が気持ち悪くなり、アントワーヌの胸元に顔を埋めた。アントワーヌはオリヴィアの頭を撫でながら、先ほどの土だらけになった少女に目を止めると、侍従たちに言った。
「そちらの子も放してあげなさい。きっとそちらにも誤解があったんだろう。私の娘にしたことは許せる事ではないが、今日は王子殿下の晴れの日だ。荒立てたくはない。君たちは殿下のもとへでも行きたまえ」
「はっ」
侍従はアントワーヌに向かって最敬礼をとり、配下の少年たちとともに走り去った。リチャードも慌てて逃げ去った。
残った少女に、アントワーヌは「君も行きなさい」と告げると、
「私は、男爵、ホース家の娘、エイダでございます。本日は王宮で働いております母のお手伝いで参っておりました。お助けくださり、本当に有難うございました。お小さいご令嬢、オリヴィア様にも庇っていただきましたこと、このご恩は決して忘れません。いずれ必ずお返しいたします」
少女はその場を動かず深々と膝を折ってお辞儀をしたまま、アントワーヌたちを見送ろうとした。
「いや、そこに一人で留まられると、君も危ないから。一緒にここから出た方が良いぞ」
オリヴィアを抱いたままアントワーヌがそう答えると、少女は恥ずかしげに後ろをついて歩いた。やがて女官の服を着た少女の母と合流でき、アントワーヌは事情をかんたんに説明した。
少女の母も、深い感謝を長々と捧げようとしたので、アントワーヌは軽く手を掲げて押し止め、別れた。
その間、オリヴィアはアントワーヌの胸に抱かれたまま、彼らにも言葉少なく力ない笑みを見せるだけだった。
✴︎
顔を青ざめさせて口数の減ってしまったオリヴィアの様子に、アントワーヌたちは早々に園遊会を辞することにした。しかしオリヴィアは帰宅後、寝込んでしまった。
アントワーヌは、何があったかを一通りエメロードたちに話したが、寝込んだ理由まではうまく説明できなかった。
エメロードは心配そうにしているアンヌにそっと言った。
「オリヴィアの話を聞いて上げて。きっと、ひとりでいっぱいになってしまってるのだと思うの。もちろん、後で私もオリヴィアとお話しするけど、オリヴィアも、あなたにならきっと話すと思うわ」
アンヌは頷いた。
「オリヴィア様、入りますね」
ドアを静かにノックしたあと、アンヌは小声で断って、オリヴィアの部屋へと入った。小さなランプがひとつ点いてるだけの薄暗いなか、
「アンヌ姉さま?」
ベッドから弱々しい声がした。
「はい、来ましたよ。みんな、心配してますよ」
「うん……」
「大丈夫、ここにはオリヴィア様の味方しかいませんよ。そのままでいてください。少しお話ししましょう」
アンヌはベッドで横になるオリヴィアの話を聞いた。
その出来事の何が本当にショックであったのか、オリヴィア自身もわからなかった。それでもアンヌに一つ一つあったことを語った。
「痛かったんですね、オリヴィア様」
アンヌが相槌を打つ。
「うん、あのお姉様も痛かったと思うの。お姉様、叩かれていたのに、本当のことを話しても、信じてもらえなかった。悪いのはお姉様だと決めつけられて、すごく怒られてたの」
アンヌもまた、シュッドコリーヌ一門の末とはいえ、さほど高くはない家格の出身だった。それゆえ、園遊会での少女の身に起こった出来事は痛いほど理解できた。
本当は、オリヴィアは小道に入っては行けなかったのだ。指笛もダメだし、侍従の前に飛び出していって、自ら証言するのもダメだろう。たとえ目撃していても、侯爵家の令嬢として、彼らに関わらないのが良かったのかもしれない。
しかし、そんな貴族としての処世で、オリヴィアの行いをかんたんに断じてしまうことは、アンヌにはできなかった。
「オリヴィア様は、正しいことをしました」
アンヌは真面目な顔で、ゆっくりとオリヴィアに言い聞かせる。
「うん」
「でも、それには力が伴わないと、力のある嘘に負けてしまうことがあるんです。オリヴィア様、これから一緒に力をつけていきましょうね」
お読みいただき有難うございました。
✴︎漢字変換、表現の用法は意図したものである場合があります。
✴︎また書き溜めたいと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いします。