11 王子殿下の園遊会
オリヴィアたちが王都に移り住んで、しばらく過ぎたある夜ーー。
「イワン王子殿下の園遊会?」
封蝋のされた豪華な封筒を片手に、アントワーヌは怪訝そうな声を出した。家令は頷いて答えた。
「はい。先程、王宮からの使者がこちらをお持ちになりました。王都にいる貴族たちへのお披露めの会とのことです。オリヴィアお嬢様も王都にいらしたのでぜひに、と」
「それはあれね。王子の将来のお嫁さんと側近探しの会ね」
「そんなものがなんでうちに?」といったふうに首をかしげているアントワーヌに、エメロードは口を挟む。
アントワーヌが驚いたように声を上げた。
「オリヴィアにか。やっと六歳になるところだぞ」
エメロードはため息をついた。
「あなたも、自分の娘のことになると、周りが見えなくなっちゃうのね。よく考えてみなさい。この国の貴族の子どもたちが、いつごろ婚約の話合いをしているのか。正式に結ばれるのはもっと後でも、内々に話あっているものでしょう」
「旦那さまも、奥さまとは子どもの時分に婚約を結ばれておりましたな。私はまだ駆け出しでしたが、よく覚えておりますよ」
「婚約式は十二になってからだったけどね」
「あぁ、そうか。しかし、まだオリヴィアには早かろう」
「男の子は、側近探しのためだから、もう少し大きくなってから招待されるのよ。
私も小さい頃、両親に連れられて、その手の王家の催し物に行ったわね。
伯爵家は王家の婚姻対象としては低めだから、王家へのご挨拶も行列のなかの一家として流されただけだし、後は端のほうでお友だちと大人しくしていただけだったけど。
ご身分の釣り合う家の威圧はすごくて、近づこうとも思わなかったわ。
そういう意味では、侯爵家のお嬢様のオリヴィアは大変ね。私たちもしっかり王様たちにご挨拶しなくてはならないわよ」
「子どもの君が王家の目に留まらなくて、本当によかったよ」
間を開けずに言うアントワーヌに、エメロードは思わず笑った。
「政略結婚で、いつまでもお世辞を言ってくれる夫を引き当てるなんて、私も人生の幸運に恵まれたわ。あなたと結婚できて、私も本当によかったと思っているわよ」
「やれやれ。良かったですな。では、皆様ご出席されるとお返事するということで、良いですね」
✴︎
園遊会は、王宮の広大な園庭で行われた。
咲き誇る花々に囲まれた中央のテーブル席に座る国王夫妻、そしてイワン王子への挨拶を侯爵一家は型通りに済ませた。挨拶の場から下がると、アントワーヌはエメロードとオリヴィアに笑顔を向けた。
「思ったほど、話を引っ張られなかったな」
エメロードは呆れた声を出した。
「あれほど、あなたに『うちの娘に手出し無用』とアピールされては、話ができないわよ。両陛下も苦笑いだったじゃない」
「実際、オリヴィアも侯爵領から出てきたばかりなんだし、君もこれから大変なんだ。面倒ごとは少ないほうが良いさ」
「さて、これからどうしたい?」とアントワーヌが聞くと、エメロードは言った。
「テラスのテーブルで、私のお友だちが待ってるの。久しぶりだから、近況を交換させてもらうわ。オリヴィア、あなたもいらっしゃいな」
エメロードと手をつないだオリヴィアは、もう少し庭をまわりたかった。エメロードについていけば、テーブルで「ご挨拶しなさい」と「行儀よくね」が待っていることは、容易に想像ができた。
「お父様についていって、このお庭、もう少し見てもいい?」
「あぁ、いいぞ。じゃあ、オリヴィアを少し預かるな」
「分かったわ。オリヴィア、お庭を見た後でいらっしゃいな」
とはいえ、アントワーヌもエメロードをテラス席にエスコートして、別れた途端に、挨拶にやってきた貴族たちにつかまってしまった。
「オリヴィア、挨拶なさい」
「おお、この子が。賢そうな子ですな」
貴族たちの儀礼的なやり取りに早々に飽きたオリヴィアは、といって、王都に出てきたばかりで知りあいもいなかった。
それぞれ高位貴族の娘たちは、両親にしっかりついているか、同じぐらいの年頃の少女たちの中心にいて、仲間うちで結束しているかで、話しかけるすきもない。
オリヴィアはやはりエメロードのもとに行こうと思い、アントワーヌに断って離れた。
「オリヴィア、一人で戻れるか?」
アントワーヌは一応、声をかけたが、エメロードのいるテラスはすぐそこだ。
「はいっ!」とオリヴィアは元気よく返事をしたものの、王都に来てからは、屋敷から出られなかったオリヴィアにとって、王宮の庭は探検しがいがありそうだった。
ちょっとだけ……とオリヴィアは誘惑に負けて、庭の小道に入り込んだ。
そこかしこの花を眺め、地を這う虫を見下ろしつつ(しゃがみ込んで、じっくり見たかったが、見つかったら絶対に怒られることはオリヴィアにも判っていた)、植え込みの小道をもう少しだけ、もう少しだけと奥の方に入っていくと、その小道の折れた先から、くぐもった女性の悲鳴が聞こえた。
注意深く近づいて、木々の陰から覗くと、十五歳ぐらいの少年が、同じ年頃近く見える少女の腕をとり、引きずって行こうとするのが見えた。
少女は殴られたのか頬を押さえているが、それでも連れていかれるのを拒むように、懸命に腰に力を入れて引かれないようにしていた。スカートには土がつき、シワが寄っていた。
「もう一発殴られたいのか!」
「おやめください。お許しください!」
ーーこれは自分が出ていっても、とても少女を助けられない。
日ごろ、護身術の稽古として騎士ジェラールに向かっていっては転がされているオリヴィアは、「相手の力をしっかり把握せよ」と教わっていた。
彼我の物理的な力の差を正しく把握したオリヴィアは、身を隠したまま植え込みを少し戻り、別の大人の姿が見えたあたりで指笛を思い切り吹いた。
王宮の庭で、唐突に吹かれた指笛を耳にした男たちが走りよってくる。
オリヴィアはしゃがんですぐに葉陰に潜り込んだ。指笛は、お嬢様らしくない特技であり、知られると面倒なことになると、アンヌから念入りに教わっていた。自分が吹いたことは知られてはならない。
男たちは、隠れたオリヴィアに気が付かず植え込みの先へと走っていき、奥の少年少女を見つけたようだった。
「お前たち、そこで何をしている!」
オリヴィアは葉陰から這い出して、植え込みの角に身を隠して盗み見た。
駆けてきたのは侍従の服を着た青年だった。見習い侍従の服を着た少年を二人、付き従えている。
王宮の制服を着込んだ身分の高そうな人間の登場に、これで少女は助かると、オリヴィアは安堵した。
乱暴を働いていた少年は、少女を押しやると、すぐに背筋を伸ばして落ち着いた態度をつくろい、侍従に向かって恭しく答えた。
「はい。侍従様、私はフォア伯爵家が嫡子、リチャードです。この女は、どこぞの男爵家の娘のようですが、突然無礼を働いてきたので、打擲しておりましたところです」
「そんな」
ようやく少年の力から解放された少女は、今度は驚きで涙が溜まった目を見開いた。
「おい、何か、この説明に不満があるのか」
侍従は不快げに少女に聞く。
恐怖に身をすくませつつも、気丈に少女は答えた。
「お恐れながら申し上げます。私は、こちらのリチャード様に何もしておりません。先ほどリチャード様がお誘いになりまして、どんどん庭の奥へと向かわれるので、あまり母から離れては怖いと申しあげましたところ、大変に怒られてーー」
侍従は彼女の話に被せるようにして大声を出した。
「そうか。わかった。貴様がフォア伯爵家のご子息へ取り入ろうとして、色目を使った。そういうことだな。
おい、お前たち、この娘を外に連れ出せ。イワン王子殿下の目を汚すな。排除しろ」
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