【電子書籍化】 完璧な婚約破棄のはずでした ~自称悪女は婚約者の兄王子に外堀を埋められる~
「さあ来い、婚約破棄! 愛されポンコツ悪女と外堀を埋める王子の完璧な婚約破棄計画」に改題・改稿・大幅加筆の上、電子書籍配信決定しました!
2022/12/21 夢中文庫アレッタより配信開始。
(AmazonPODで紙書籍購入可能です)
「ジリアン・ローウェル公爵令嬢。君との婚約について、言わなければならないことがある」
――ついにきた。
ジリアンは喜びのあまり叫びそうになるのをぐっと堪え、努めて平静に笑みを返す。
公爵令嬢として身に着けた淑女の嗜みの成果を、ここまで実感したことはない。
婚約者の第二王子、その隣に立つ令嬢、そしてここは大勢が集う舞踏会。
これだけの条件が揃ったら、やることはひとつ。
ジリアンがちらりと視線を向けると、少し離れたところに立つ黒髪の美青年が優しくうなずくのが見える。
第一王子の無言の応援を受けて、興奮を鎮めるべく小さく深呼吸をした。
――さあ来い、婚約破棄!
今日のこの瞬間のために、ジリアンは一生懸命努力したのだから。
ジリアンと親友のファニー、それから婚約者のテッド王子とその兄のニール王子。
この四人でお茶を飲むのは、日常茶飯事だった。
だがある日、ジリアンは気付いてしまったのだ。
テッドとファニーが交わす視線が、友人へのそれにしては熱いものだということに。
互いに惹かれているのは一目瞭然なのにそれ以上何もないのは、その立場ゆえだ。
テッドは公爵令嬢であるジリアンと婚約しているし、ファニーはその親友で子爵令嬢。
このままでは二人の恋は実らないし、頑張ってもファニーは側妃か妾になるしかない。
婚約者とはいえ家族のような親しみだったので嫉妬など欠片もなく、二人の恋路を応援したいジリアンはすぐに両親にテッドとの婚約解消を申し出た。
だが、王家と公爵家の契約である婚約がそう簡単に覆ることはない。
そこでジリアンはひらめいた。
公爵家から婚約解消できないというのなら、王家から解消してもらえばいい。
ジリアンが、王子妃には相応しくない悪女になればいいのだ。
それを相談すると、ニールは青藍の瞳がこぼれ落ちるのではないかというほど目を瞠った。
「それなら、俺と婚約する?」
「嫌です。私は王家に嫁ぎたいわけでも、泥沼の展開にしたいわけでもありません。テッド殿下が私に捨てられるようなイメージは駄目です。あくまでも私が悪女だから捨てられて、ファニーはそれを癒す存在でないと」
ジリアンとテッドが婚約しているのも、テッドの心がファニーにあるのも事実だが、友人の婚約者を奪ったという形は困る。
「ファニーに泥を塗るようなことは、したくないのです」
「でも悪女として婚約破棄されたら、ジリアンが泥まみれだよ」
「構いません。我が家は跡継ぎの弟もいますし、私が泥と共に領地に引っ込んでも大丈夫でしょう。だいたい、ニール殿下のお相手は王妃になるのですよ? もっとしっかりと選んでいただきませんと」
「だから言っているんだけどな」
困ったように笑うと、ニールの黒髪がさらさらと揺れる。
その容姿の美しさはもとより、文武両道で名高い上に優しいニールならば、どんな女性でも惹かれることだろう。
「ちょっと、テッドとファニーが羨ましい」
「……もしかして、ニール殿下も好きな女性がいるのですか?」
「いるね。でも、手を出してはいけないひとだから。ずっと、見ているだけ」
次期国王であるニールが躊躇するお相手となると、既に婚約者がいるか、あるいは既婚か。
もしかすると身分違いの恋なのかもしれない。
兄のような存在として慕ってきたニールのまさかの告白に、ジリアンは緑色の瞳を丸くする。
なるほど。
だから自身の恋を諦めて、ジリアンと婚約するなどと言い出したのか。
「わかりました。テッド殿下の件が片付いたら、ニール殿下の恋路も手伝って差し上げます」
「……本当に?」
「悪女として婚約破棄されるくらいなのだから、身分違いの女性に非道な真似をしてもおかしくないでしょう? あとはニール殿下が颯爽と助けて、勢いでプロポーズでもすればいいのです」
「それで、上手くいくかな」
「お金や権力を好む方から見れば文句なしの逸材ですし、容姿も申し分なく優しく頼りがいがあります。大抵の女性は喜ぶと思いますよ」
正直、ジリアンはニールよりも素敵な男性というものが想像できない。
兄のような存在への欲目が入っているにしても、ニールは世の女性憧れの『王子様』そのものだった。
「わかった。俺も覚悟を決めるよ。……よろしくね、ジリアン」
「はい。両殿下とファニーの恋は、私が叶えて差し上げます!」
固い握手を交わし、その日からジリアンとニールは共にできる限りの努力をした。
ファニーには冷たい態度を取り、ドレスには紅茶をぶちまける。
テッドにはジリアンのような淑女はもったいないとアピールし、夜会ではファニーと踊れないようにつきまとう。
ニールにはそれとなく国王にジリアンの悪評を伝えてもらい、下準備を進める。
王子の妃となるにはどれだけの教養が必要かを誇張して説き、子爵令嬢であるファニーが劣っていると言わんばかりに見せつけることもあった。
正直、何も楽しくないどころか心苦しいばかりだったが、これもすべては悪女になって婚約破棄されるため。
ジリアンの演技に皆の幸せがかかっているのだと思うと、何とか頑張れた。
そうして迎えた今日は、王族も参加する大規模な舞踏会。
婚約者でありパートナーであるジリアンを差し置いて、テッドはファニーと共にやってきた。
実際は間違っても仲良くエスコートされないよう、わざとニールと早めに会場入りしたのだが、こういう地味な努力もやっと報われる。
この状況ですることなど、もはや一択。
――さあ来い、婚約破棄。
ここはスタンダードに「婚約破棄する!」と宣言するか。
それとも、これまでのジリアンの悪行を暴くところから始めるのか。
テッドの方向性に合わせて、最後まで横柄な態度の悪女にするか、惨めに縋るかを決めるつもりだ。
苦労の末に勝ち取った、絶望という名の勝利。
最高ではないか。
ドキドキとワクワクが交錯して、ジリアンの乏しい胸は張り裂けんばかりである。
いっそ張り裂けてくれたら少しは大きくなるかもしれないので、それはそれでありがたい。
思考が少し逸れた瞬間、テッドが意を決したように息を吸い込んだ。
「君との婚約を、解消してもらいたい」
「……はい?」
思わず上擦った声が漏れる。
婚約破棄ではなくて、解消。
しかも、宣告ではなくて要望。
弱くないか。
弱過ぎはしないだろうか。
もっと、どーんと。
ジリアンの人格さえも否定してけちょんけちょんに貶した上で、ボロ雑巾のように捨てるべきではないのか。
「もう陛下の許可は得ているが……駄目かな」
「かまいません、が」
結果はまだしも、過程がおかしい。
大体、国王が許可しているのならばジリアンの意思などどうでもいいではないか。
周囲で様子を見ていた貴族達も、何とも反応しづらそうにこちらを見ている。
もっと華々しい婚約破棄のはずだったのに、どうすればいいのかわからない。
今からでも騒ぐべきだろうかと悩むジリアンの肩に、そっと手が触れる。
いつの間にか隣に来ていたニールが、青藍の瞳を細めて微笑んだ。
「婚約解消、したね」
「しました、ね。弱いですけれど。弱々しいかぎりですけれど」
切ないほどに期待外れな展開だったが、これはきっとジリアンの悪女の努力が足りなかったのだろう。
不甲斐ない結果は悔やまれるが、とりあえずテッドとの婚約はなくなるのだからそれだけは救いだ。
もうジリアンにできることはないので、さっさと邸に帰ろう。
せめて負け犬っぽく、遠吠えをして帰ろう。
そうしよう。
「わおーん……」
しゅんと肩を落としながら立ち去ろうとすると、ジリアンの手をニールがつかんだ。
「待って」
戦に勝って勝負に負けたジリアンに、一体何の用があるのだ。
「もしかして、追い打ちですか? よくも弟を誑かしたな、とか⁉」
「いや、王家からの打診で決まった婚約だし。どちらかと言うとジリアンが被害者になるよ」
「なんてことを言うのですか、酷いです。せめて加害者でお願いします!」
ジリアンが被害者になってしまったら、テッドとファニーに悪い印象がついてしまうではないか。
必死に訴えるのだが、何故かニールは楽しそうに笑うばかりだ。
「婚約を解消したところで――俺と、結婚してくれる?」
「……はい?」
またしても想定外の言葉に、声が上擦る。
この兄弟は、ジリアンをからかって遊んでいるのだろうか。
いや、さすがにこんな公衆の面前でそんな馬鹿なことはしないだろう。
「ええと。私はテッド殿下に捨てられた悪女ですので」
「名門公爵家令嬢との縁談を、王子の心変わりで解消したんだ。君は悪くないよ」
悪いよ。
悪いに決まっているよ。
そのために悪事を働いたのだから、悪くないと困るのだよ。
「悪女と言っているのは、『教育』のことかな?」
「そう、それです!」
ジリアンは王子妃に相応しい淑女の教育を建前に、多くの人の前でファニーに嫌味を言っている。
子爵令嬢という決して高くない身分ゆえに不足していた部分をあげつらう形であり、屈辱的だったに違いない。
すると、それまで黙っていたファニーが一歩前に出た。
「私に淑女としての嗜みが不足していたのは事実です。それに、名門公爵家の御令嬢直々のマナー講座に、皆とても喜んでいました」
「何ですか、それ。だって、紅茶をかけましたし」
和やかなお茶会で突然紅茶をかけた時には、御令嬢達も騒然となった。
あれはどうやっても擁護できないだろう。
「私が火傷しないように、わざとぬるくなった紅茶を使いましたよね。しかも着替えも用意されていました。紅茶がかけられたのはちょうどレースが綻びている部分で、皆様に気付かれることなく済みました」
「だって、火傷したらつらいでしょう。それにあのレースをそのままにしたら、ファニーが恥ずかしい……」
そこまで言って、墓穴を掘ったと気付いたジリアンは慌てて口を押さえる。
「ええと。その、あなたのような方には熱い紅茶はもったいないからです。それから、見苦しいレースを私の前に晒すなんて、失礼でしょう」
どうにか誤魔化そうと必死にしゃべるが、ファニーやテッドどころか、周囲の貴族たちまで生暖かい眼差しを向けてくるのは何故なのだ。
「あのね、ジリアン。君がファニーを嫌ってなんかいないどころか、二人を応援しようとしているのは皆にバレているよ。どちらかと言うと、懸命な姿に好感を持つ人が増えた」
「なんてことを言うのですか。私は、悪女です!」
「名門公爵家の箱入りお嬢様の考えた悪事なんて、可愛らしいものさ。誰も傷ついていないどころか、ファニーのマナーレッスンになってちょうど良かった。……それに、本当に悪い人間は、それを悟られないようにするものだよ」
にこりと微笑むニールを見て、ジリアンはようやく目の前の美貌の王子が協力者ではないことに気が付いた。
「悪女として完璧な婚約破棄をされるはずだったのに、微妙にいい人として円満に婚約解消だなんて。……全然、駄目じゃないですか」
「ということで、もう何も問題はないよ。俺と結婚して」
無力感に打ちひしがれるジリアンに対して、ニールは実に晴れやかな笑みを浮かべている。
「仮に、私の評判がまったく悪女じゃなかったとしても、何故プロポーズなのですか。言うべき相手を間違っていますよ」
テッドの件は不本意ながら片付いたので、次はニールの番だと言いたいのだろう。
だがプロポーズの練習をするにしても、こんな公の場はおかしい。
「互いに立場があるからね。見るだけで満足しようと思っていた。でも、ジリアンが俺の恋路を手伝ってくれるというから、覚悟を決めたんだ。勢いでプロポーズすればいいと言ったのは、ジリアンだろう?」
それは、身分違いの女性を颯爽と助けた時の話ではないか。
何だか話がかみ合っていないのに、ニールの視線が常とは違って真剣なので目を逸らせない。
「大体、公爵令嬢が何かしたくらいで王家との婚約がすぐになくなると思っていたの?」
「でも、陛下は認めてくださったのですよね」
「認めたよ。俺とジリアンが婚約すれば、王家と公爵家との契約に大きな変わりはないからね」
「ニール殿下が犠牲になるということですか?」
身分違いのお相手との恋を応援すると約束したのに、覚悟というのは諦めることだったのだろうか。
ニールのことは嫌いではないが、こんな風に婚約するなんて寂しすぎる。
「ジリアンは俺がプロポーズしても断っただろう?」
以前に完璧な婚約破棄作戦を立てている時のことなら、プロポーズというのは大袈裟な気がする。
「そりゃあ、次期王妃なんて荷が重いですし。悪女になって社交界から去るつもりでしたし」
「だから、断れないようにしようと思って」
「……はい?」
本日何度目かの上擦った声にも、ニールの笑みは崩れない。
「王子と婚約解消となれば、いくら円満で非がないと言っても好意的な評価にはならない。当然王家も公爵家も認めない。でも次期国王が求婚するとなれば、ご両親はどう思う?」
「……捨てられた娘よりは、いいでしょうね」
それどころか王子妃から次期王妃になるのだから、家門としては喜ばしいことだろう。
「ということで、ローウェル家の了承は得ている」
「は?」
「陛下としても、いつまで経っても婚約者を決めない次期国王の相手が見つかったので、歓迎するそうだ。名門公爵家の御令嬢で血筋も教養も申し分ない上に、美しく心優しい。ちょっと詰めが甘いというか、抜けているところはあるけれど……それも愛嬌だね」
「へ?」
何を言っているのか理解しきれず首を傾げると、肩にかかっていた亜麻色の髪がするりと滑り落ちる。
「婚約は円満解消。誰もジリアンを悪女と思っていないどころか、友人思いの御令嬢として好感度も上昇。両親も祝福。ここは公の場で、俺は次期国王である王子。これで結婚を申し込まれたら……断れないよね?」
うっとりと見惚れてしまうほどの美しい笑みと共に、ニールの手がジリアンの髪をすくい取って背に流した。
「……さ、詐欺では?」
ジリアンに協力すると言ってくれたのに、その裏では各所に根回ししていたのか。
まさかの裏切りと求婚に、思考が混乱して定まらない。
「俺のことを嫌っているというのなら、ちょっと考えたけれど」
「ちょっと、なのですか」
「でも、嫌いではないだろう?」
窺うように首を傾ける様は美しいのに可愛らしくて、何だか少し悔しい。
「嫌いではありませんが、おかしいと思います」
「おかしくなんてないさ。もともと、互いに顔も知らぬ相手と婚約するのも普通の家柄だ。気心の知れた相手で嫌いでもないのなら、十分ではないか?」
確かに、公爵令嬢である以上、家のための結婚は避けて通れない。
仮にそれが他国でも、浮気者の妻でも、年の離れた相手の後妻でも、簡単に断れるようなものではないのだ。
だからこそ自分の価値を落として婚約破棄を狙ったのだが、婚約解消できたのはニールの提案が通ったからであって、ジリアンの作戦は完全に失敗している。
となれば結局どこかには嫁ぐわけで。
それならば、確かに仲が良くて素敵な男性であるニールは悪くない……気もしてきた。
「ジリアン、手を出して」
言われるままに差し出すと、あっという間に左手の薬指に指輪をはめられる。
「え、ちょっと」
一体どういうことだと尋ねる間もなく、手を取ったままのニールがひざまずき、ジリアンをまっすぐに見上げた。
「――ジリアン・ローウェル、愛しています。私と結婚してください」
その一言に一瞬静まり返った会場は、すぐに歓声に包まれる。
御令嬢達は頬を染めて悲鳴を上げているし、貴族達も楽しそうにうなずいている。
国王と両親すら拍手しているのが目に入り、ジリアンの口からは深いため息がこぼれた。
「……この状況で、断れないじゃありませんか」
「だろうね。そのために準備したから」
飄々と言ってのける様に少しの苛立ちはあるが、それ以上に鼓動が早鐘を打っていて何だか胸が苦しい。
もしかして、はちきれるときは今なのか。
この乏しい胸もついに一段階成長するのかと思うと、自然と口元が緩んでしまう。
「今は俺のことを見てくれないと、困るな」
いつの間にか立ち上がったニールの両手に頬を挟まれ、強制的に思考を胸から現実に引き戻される。
目の前の青藍の瞳に秘められた情熱に、怯む心は少しある。
それなのに、頬から離れていく手が名残惜しいと思ってしまうのは何故だろう。
悔しいけれど、ニールはジリアンにとっても『王子様』……つまり、理想の男性なのだ。
兄のような存在という枷を取り払って好意を伝えられれば、ときめかない方がおかしい。
それでも手のひらで転がされていたというのは悔しくて、少しは抵抗したくなるのが人間というものである。
「今度こそ、完璧な婚約破棄作戦を実行するかもしれませんよ」
「いいよ。俺が完璧な婚約者になって、好かれればいいだけだから」
子供をあやすかのような優しい声と共に、そっとジリアンの亜麻色の髪を撫でる。
「――俺の恋を、叶えてくれるんだろう?」
ジリアンが敗北を悟って言葉に詰まると、ニールは微笑みながらその手を取り、そっと唇を落とした。
完結投稿のポリシーと長編順番待ちの都合で、削って短編投稿します。
よろしければ、感想やブックマーク等いただけると大変励みになりますm(_ _)m
今夜「残念令嬢」コミカライズの青井先生のエイプリルフールイラストに触発されて書いた短編も投稿予定です。
こちらもよろしければどうぞ。
※「残念令嬢」ではなく「残念の宝庫 ~残念令嬢短編集~」への投稿なので、お間違いなく。