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新たな……

作者: ゆいまる

 子どものころ、夜更かししてもいいって言われる大晦日が大好きだった。紅白を炬燵を囲んで家族で見るのが恒例なんだけど、毎年最後まで起きていられなくて、除夜の鐘が鳴る頃に起こされ悔しい思いをしていた。

 ゆく年くる年の、あの静かで厳かな中継画面は、幼い目にはつまらなさと同時に、あの華やかな紅白の画面との落差に肩を落とさせる苦々しいものだった。

 赤が勝ったの? 白が勝ったの? あの演歌歌手の衣装はどんな風だっったの?

 今思えば、どうでもいいような事だけど、当時の私はそれらを自分の目で確かめられなかったのが悔しくて仕方なかった。

 正面に座る姉が偉そうに「アンタが寝るから悪いんじゃない」と炬燵の中で足をつついた。

 右隣の母親が困った顔で「喉は乾いていない?」と私の火照った頬を撫で、前髪を掬いあげてくれる。

 炬燵のもう一面を二人仲良く並ぶのは祖母と祖父。祖母は私の為にみかんを丁寧に剥いてくれていて、祖父は姉の隣に座る父と日本酒を飲み交わしている。

― 除夜の鐘が一層大きく響いた。

 それまでざわついていた空気が、しんと引き締まり、誰もが口を噤んでテレビの左上の端に目を向ける。

― 0の数字が並んだ。

 不思議と、体中から何か持て余していた熱の様なものが抜け、自然に背筋が伸びる。

「明けまして、おめでとうございます」

 父の低くて優しい声がして、私達は口々に、新しい年を一緒に迎えられた歓びを言葉にする。

 父はそれを鼻にしわを寄せ、静かに微笑み見つめている。

 それが、我が家の年越しだった。


 私は顔を上げる。

 6畳のリビングには洋服ダンスに挟まれた小さなテレビがポツンと置かれている。他にもこまごまとした生活の欠片がそこかしこに転がっていて、炬燵を敷いた今はせせこましくて仕方ない。

 北風が窓を叩く。

 電気ストーブの赤が目にしみた。

 除夜の鐘がテレビから聞こえてくる。

 私の正面には、もう姉の姿はない。

 同じ炬燵を囲んでいた父も、祖父母も母も、もう、ここにはいない。

 あの家は遠い遠い場所にあって、あの時間は遠い遠い記憶の中だ。

 紅白の勝敗も見届けた。あの演歌歌手の衣装も楽しんだ。

 でも、あの日味わったような気持ちは、もう二度とこの胸の中には戻っては来ないのだろう。

 残っているのは、新たな年を迎える前のこの糸をピンと張ったような緊張感だけだ。

 あと少しで年が明ける。

 不意に、静寂を破る激しい泣き声がした。

 私は半ば反射的に立ち上がった。

 隣りの部屋の障子が少し開き、そこから可愛らしい手が覗いている。

「ママ〜」

 まだ3歳になったばかりの娘の手だった。

 私を探し、べそをかいている。

 私は駆け寄ると、そっと抱き締めた。

「ママいるよ。大丈夫よ」

 私にしがみつく小さな手。

 その手にひときわ大きな手が重なり、振り返る。

「アナタ。起きたの」

 私の隣に並んで座り、転寝したいた主人だった。

 主人は照れ臭そうに頷くと「紅白どっちが勝った?」なんて言いながら娘を抱き上げる。

 娘は主人の大きな胸に身を預け、寄せいていた眉間を解いていた。

― 除夜の鐘が一層大きく響いた。

 テレビの方を見た。

― 0の数字が並ぶ。

 年が、明けたのだ。

「明けまして、おめでとうございます」

 父ではなく、主人の声が聞こえた。

 私も同じ言葉を彼に返した。

 娘が私達の顔を不思議そうに見比べていた。

 もう、あの時間はここにはない。

 もう、皆で炬燵を囲んだ時間は戻って来ない。


 数字が0になる。

 新しい年が明ける。

 新しい時が流れ始めているのだ。


「ママ、パパ」 

 主人の腕の中のその声に目を向ける。

 娘は目が合うと、微笑みたどたどしくこう言った。

「あけて、おめとと」

 彼女の鼻には皺が寄っていた。

 父と同じ皺だ。

 そんな彼女に、思わず私は口元をほころばす。

 そして、その前髪をすくいあげ、そっと聞くのだった。

「喉は乾いていない?」

 と。


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