かつて人の幸せを願っていた僕は、誰も幸せにできない大人になった。
子供の頃は誰だって、すべての人が幸せになりますようにって願っていなかっただろうか?
純粋な心で世界が平和でありますようにって強く、強く、願っていなかっただろうか?
僕もその一人だった。
貧困を知った。お金が無くて生活できない沢山の人たちが居ることを知った。
そう言った人たちが、助けを求めていることを知った。
僕は助けなくちゃいけないと思った。
差別を知った。生まれや育ちで線引きをされる人たちの存在を知った。
そう言った人たちが、線引きをやめるよう求めていることを知った。
僕はその声を聞かなくちゃいけないと思った。
戦争を知った。多くの人が望んでもないのに殺されていく現実を知った。
そう言った人たちが、戦火を避けるように右往左往していることを知った。
僕は彼らの逃げ道を作ってあげなくちゃいけないと思った。
環境破壊を知った。自然がどんどん壊されて、限界を迎えていることを知った。
僕らが暮らすこの地球が、悲鳴を上げていると言う現実を知った。
僕はこの地球に住むすべての生き物のために声をあげなきゃいけないと思った。
成長してくるとものを考えるようになる。
子供の頃に抱いた直観を鵜呑みにしなくなる。
本当はおかしいと分かっている。けれども論理の問題に置き換える。
僕はそんな若者になった。
誰かが貧困でいてくれるから、僕が豊かに暮らせてる。
誰かが差別を受けているから、僕が平等に暮らせてる。
誰かが戦いで死んでいくから、僕が平和に暮らせてる。
誰かが自然を壊しているから、僕が文明的に暮らせてる。
そんなこと不道徳的だと分かってる。
倫理的でないと分かってる。
だから大人になる前に、僕は精一杯の抵抗を試みた。
貧困と戦った。誰かを貧困に追い込む大企業を非難した。
差別と戦った。差別に立ち向かわない国を非難した。
戦争と戦った。戦争で利益を得ようとする帝国主義を非難した。
環境破壊と戦った。この地球の有限性に目を向けない現代文明を非難した。
けれども僕も大人になる。
若者ではなくなる。
その時訪れるのは現実と、現実と折り合いをつけた論理。
戦っていく過程で何がある?
戦った先に何がある?
僕は気づいてしまった。貧困問題と戦う僕たち自身は限りなく豊かであることに。
本当に貧困であえぎ苦しむ人たちは、立ち上がる力もなく、その日その日の生活のために労苦を強いられ、誰にも知られず朽ちていくことに。
それなのに僕らは彼らの労苦を肩代わりすることなく、声をあげて叫んでいる。
僕らがもっと働けば、彼らの労苦は取り除けるかもしれないのに。
僕らは見て見ぬふりをして、貧困のために戦っていた。
僕は気づいてしまった。たとえ革命が起きたとしても差別は無くならないことに。
もしこの世界に革命が起きたなら、誰がこの世界のかじ取りをやるのだろうか?僕がやるのか?
もし僕の言うことを聞かない奴らが現れたら、僕はきっとそいつらを排除する。
僕は差別と戦った先に、自分の価値基準で差別する。
差別と排除が同じものならば、結局差別によって世界を動かそうとするだろう。ただ差別の形が変わっただけ。
僕は気づいてしまった。自分たちの平和がよその国の戦争で担保されていることを。
戦っている者たちは目の前の敵にしか意識を向けない。
海を渡った先に居る僕たちのことを知らないまま戦い続けている。
僕たちはその戦争の外野に立って、戦争反対を唱えているけれども、実際に僕らは彼らの間に立って、身体を張って止めようとしたことなど一度もなかった。
僕たちは安全な場所で戦争反対を唱え、テレビの向こうの戦場を映画のように眺めていた。
僕は気づいてしまった。環境保全が環境破壊を止められていないことに。
ビニール袋の無料配布を取りやめていったいどうして環境破壊を止められる?
海を汚しているのは生活排水と、工場排水と、大きな大きな粗大ごみ。
ビニール袋をなくしたところで、海に垂れ流されている不純物は止められない。
僕たちは本当は止めなきゃいけない環境破壊を知らんぷりして、達成感のある保全活動にだけ努めていた。それで誰かの懐が潤うことに気づかずに。
そして僕は大人になった。
僕が生きている世界は直観の世界じゃない。
僕が生きている世界は論理の世界じゃない。
僕は僕が生きていくために、損得勘定の中で生きている。
若い頃、貧困を解決しなきゃいけないと叫んだ僕は、上司の命令で派遣社員のクビをきった。
若い頃、差別を解決しなきゃいけないと叫んだ僕は、技能実習生を左遷させて働かせた。
若い頃、戦争を解決しなきゃいけないと叫んだ僕は、休日に戦争映画を見て楽しんだ。
若い頃、環境破壊を解決しなきゃいけないと叫んだ僕は、新しいプロジェクトで海外に工場を建設し、工場排水の垂れ流しに一役を担った。
僕の身体は大人になった。
けれども心は大人になっていない。
けれども心は子供のままでもない。
現実と折り合いをつけているように見えて、実は折り合いをつけられていない。
もし現実と折り合いをつけているのならば、僕は僕がしでかした悪徳と向き合って、これから生きていこうと思っただろう。
でも実際は見て見ぬふりをしているだけ。
もし自分の悪徳と誠心誠意向き合ってしまえば、僕はきっと心を壊してしまうから。
だから僕はそんなことは知らないと自分に言い聞かせ続けている。
ブルシット・ジョブ。
クソどうでもいい仕事。
自分も他人も幸せにできないようなそんな仕事をして、僕はお金を稼いでる。
そのくせみんなにはこういうんだ。
僕の仕事で幸せが増えたって。
ある日、町を歩いてみれば、近くの小学校の子供たちがゴミ拾いをやっていた。
子供たちの手作りポスターを貼った看板が近くに立っている。
地球の環境を守ろう。
今目の前にいる子供たちは昔の僕たちだ。
そして今ここにいる僕は未来の君たちだ。
当初はヒューマンドラマ小説を書こうとしましたが、散文詩に変更しましたo(`・ω´・+o)
昔の "成長" は夢に満ちていたと思います。
でも今の時代の "成長" は諦め以外の意味がない気がします。
そんな労苦の多いこの時代だからこそ、僕は義妹小説で幸せを増やしていこうと思います!(๑• ̀д•́ )✧+°