霹靂:ブルースカイ①
「あれー? おっかしーなー」
実験室を訪れると、沢の唸り声が聞こえてきた。彼は実験台で測定器を弄っている。ボタンを押したり、蓋を開けて中を覗き込んだり、下から見上げたりと忙しない。
「おーい、頼むよー。動いてくれってー」
どうやら機器の調子が悪いようだ。僕が見たところ電源は供給されている。なのに動かないというのは故障だろうか。
「うーん……最近調子が良くない気配はあったけど、これはとうとう逝ったか……」
「どーれ? ちょっと見せてもらえるかしら?」
「うお!?」
うお、と僕も沢と一緒になって驚く。声の代わりにピコンと高いシグナル音を出す。
いつの間にか隣にいたのは橋原だった。なんだ、彼女も実験室にいたのか。沢とは別の区画だったのだろうが、それにしても全然気づかなかった。
橋原は、驚いている沢に軽く微笑むと、彼に密着するくらいまで近づいて、同じように機器の中を覗き込んだ。
「動かなくなっちゃったんでしょう? そういうときはね、ここを……こうして」
橋原はそう言いながら、両手の指先で機器の一部を調整しているようだ。沢はきょとんとしながら、それでも作業をする彼女を黙って見ていた。
数十秒ほどすると、橋原は「よし」と呟いて機器の内部から手を引く。そしてボタンを一つ押すと機器は、沢が一人で唸っていたときとは見違えるほど快調に起動し始めた。
「え! 嘘!? マジで!?」
沢が目を見開いてぴょこんと跳ねる。橋原はそのリアクションが面白かったのか、淑やかにくすくす笑って沢に答えた。
「この子ね、私も前に使っていたことがあるのよ。その頃からたまに、どうしても動かなくなっちゃうことがあって」
「すげー! 橋原先輩マジすっげー! 今の! 今のどうやったんすか? 教えてください!」
「ふふっ、いいわよ。えっとね」
興奮する沢の頼みを、彼女はやはり微笑みながら快諾した。一度、機器の電源を落とし、二人でまたその内部を覗き込む。
「奥の方に、小さな箱があるでしょう? その箱から出ているつまみを調整するんだけど」
「でも先輩。それなら俺も、何度か弄ったことありますよ。上手くいくときもあるけど、これで絶対動くってわけじゃないですよね?」
「そうねぇ。そこはもう、あれよ!」
「どれですか!」
「愛よ!」
「……はい?」
期待した答えと違ったのか、沢は思わずポカンとする。
「愛……っすか?」
「そ。調子が悪くなっちゃったときは、どこが悪いのー? って聞いてあげて、それを感じ取るの。例えば泣いてる子供と同じよ。子供を泣き止ませるのに、決まった方法がないのと同じなの。機器に寄り添って、状態を知って、面倒を見てあげる。そうやって愛情を注ぐと、いつも期待通りに動いてくれる。そういうことよ」
「うえぇ……めんどくさいっすね。もっとないんすか、こう、困ったらこれやっとけば一発で直ります、みたいなの」
「そんなインスタントな愛は認めません!」
橋原は両手を腰にし、でんっと胸を張って沢に言う。
「機器一つ扱うにも、長い熟練度が必要なのよ。死なば諸共の覚悟で寄り添いなさい」
「愛が重いっす先輩」
便利な裏技などないと知った沢は、あからさまに肩を落とす。それでも、仕方なしに一歩一歩知識をつけることにしたのか、機器について橋原にいくつか尋ねていた。
しばらく二人が話していると、実験室の扉が開く。現れたのは白坂だ。彼女は両手にいくつかの荷物を携えていた。
「ちょっと、沢。あなた、なに油売ってるの。もうすぐ時間よ」
沢は名前を呼ばれて「え?」と振り向いたが、白坂の顔を見て何かを思い出したようだ。咄嗟に壁の時計を見やる。
「ああ、わりぃわりぃ。準備するよ」
沢は橋原に一言告げると、丁寧に機器を片付けていく。
その間、白坂は、沢の隣に立つ橋原に目を向けた。
「沢と唯花さんが二人で実験なんて、珍しいですね」
「ふふっ。沢くんと愛について語り合っていたのよ」
「そ……うですか。それは、大変お邪魔しました」
白坂は橋原の答えを聞いて一瞬だけ頬を引きつらせたが、すぐに無表情に戻って謝辞を述べた。でも、僕にはわかった。その無表情の裏で、何を話していたのかとても気になっている。
「沢くん。あと、私がやっておいてあげるから、りりちゃんと行っていいわよ」
「え? でも、悪いっすよ」
「いいのよ。私も久しぶりに、その子と遊びたいし」
橋原はその目線で機器を指す。
「そうっすか? じゃあ……お言葉に甘えます」
沢はやや遠慮がちではあったが、橋原の言葉通りに作業を任せ、白坂と一緒に実験室の出口に向かった。白坂の方も、ちゃんと橋原に向かって会釈をしてから。
「あーあ、気づいたらもう十月かー。夏休みが終わんのもはえーなー」
「ここまでくると、もうあんまり夏って感じでもないけどね。ほら、沢も荷物持って。あとでちゃんと段取り確認するからね」
「へーいへい。白坂は真面目だねぇ。梅田先生は?」
「少し遅れるから先に行っているように言われたわ」
「さーよけ」
そんな話をしながら去っていく二人の背中を見ていた橋原は、その場ですっとしゃがみ込む。彼女の瞳は僕へと移り、嬉しそうな声で言った。
「ねぇシータ。あの二人、ちょっと仲良くなったわね」
え、うーん? まあ、四月の頃に比べればね。
「互いの呼び方に棘がなくなった。一緒に学会へ行ったくらいで、あんなに変わるものかしら?」
あのときは、色々とあったんだよ。
「それとも、あなたが何かしたのかしら?」
いいや、僕は何もしてないよ。
「ふふっ、そうだ。今度、河村くんと学会に行くときには、私もあなたを連れて行きたいわ」
え……えっと、行き先によりけりかな。あんまり遠いとバッテリー保たないんだ。
それにもしかしたら彼女は、何か大きな勘違いをしているのではないだろうか。僕に橋原と河村の仲を取り持つ機能は搭載されていない。断じて、だ。だから、謂れのない効能を期待されても困るというもの。
それでも彼女はニコニコしながら僕の身体を数回なでると、やはり嬉しそうな様子で立ち上がって作業に戻った。
もしや、これから誰かが学会に出るたびに、リュックやバッグに押し込められて連れて行かれるのでは……。ふとそんなことを思うが、それはあまり想定したくない未来だったので途中で考えるのをやめた。僕は設計上、サイズも小さくはないし、重量だってそこそこある。客観的に見てポータビリティはとても低いのだ。その点をもっとわかってくれないと……。
内心で溜息をつきながら、一人鼻歌を歌っている橋原を後ろから見つめる。他に聞こえるのは、橋原が機器の内部を触る音だけ。カチャカチャカチャ、とその音だけで彼女の丁寧な手つきが感じ取れる。つまりはそれが、彼女の言うところの『対話』なのだろう。物言わぬ機械。それでもきちんと向き合えば、感じられることはいくつもあるのだ。
沢の片付けを引き受けた彼女だったが、結局、片付けだけとは思えないほどに長いこと、その機器をメンテナンスしていた。彼女に愛されたそいつは随分と幸せものだ、と僕は思った。
それから僕は実験室を出た。僕も久しぶりにメンテでも要請しようかな、なんて考えながら。
そのとき、廊下をものすごい勢いで駆け抜けていく人間を目前に見る。踏みつけられていたら本当にメンテどころかオーバーホールものだ。戦々恐々とした僕が怒りに任せて振り向くよりも早く、105号室の方では絶叫にも似た沢の声が響く。
「せっ、先生! 梅田先生! 実験会が、中止になった!」




