女子高生は豁サ縺ォました
お手拭きが入っていたビニール袋を、ストローに結び付ける。ちょうちょ結びにして、可愛らしく見えるか試したけど、映えない。
足を揺らすと、スカートの裾がぱたぱたと膝に当たる。試しに制服のブレザーを脱いでみたけど、気分転換の「き」の字にもならなかった。学校指定のリボンも外して、ブラウスのボタンを1つ開ける。
(……あー、飽きちゃったなぁ)
目の前に広がる、終わる気配のない学校の課題に肩を落とす。とりあえず日付だけでも書こうと思って、スマートフォンの画面を見た。
4月10日、14時という表示を見て、もう2時間はここにいることに気が付く。ずいぶん長くいるけど、ファミレスの店員は声をかけてこない。食べ終えたパスタランチの皿は、トマトソースが乾きつつあった。
店員らしい人は、たった一人だ。しかも急に具合が悪くなった女性の対応に追われている。レジ打ちや注文への対応は、キッチン担当と思われるシェフがしていた。いくら昼下がりのファミレスとはいえ、もう少し人が居そうなものだけど。
(どうしたんだろう……どこかで、事故とか?)
ここは、それなりに交通量が多い国道に面したファミレスだ。バイトが単純に少なすぎるとはどうも考えにくくて、私はそう思った。
日付をノートへ書き写していると、ぴこん、と音を立てて、スマートフォンにメッセージが浮かんだ。見慣れたゆるいアイコンと一緒に「皆空楓」という送り主の名前が表示されている。なんのためらいもなくタップすると、
『三峰悠様のご自宅には、お勉強のためにお伺いしても良いのでありましょうか!』
と、いう、精いっぱい考えたであろう「彼女なりの丁寧な言葉」というものが並んでいる。不要な「お」が付きすぎているあたり、友人である皆空楓の国語の成績が伺えた。
(……まあ、確かに遊びに来てもいいんだけどさ)
両親は8日前から海外旅行だ。娘の私は、高校3年生という大学受験を控えた大切な時期だというのに、余裕のあることだ。両親の仲が良いのはいいけれど、親という存在がいないことが、こんなにも学校の課題に影響を及ぼすとは思わなかった。
気が引き締まらない。もう、家の中には受験生には誘惑が多すぎる。テレビとか、ベッドとか、お布団とか。
でも楓がいるなら、意外と勉強もはかどりそうだ。
『いつごろ来れそう?』
楓からのメッセージに返信して、
「……その間はがんばるか」
と、呟いて、シャーペンを手にした。コップに残っているオレンジジュースを吸い上げたところで、ストローに結び付けたビニール袋の邪魔さを思い知った。思い付きで、やるものじゃない。
楓が何時頃来れるかによっては、課題の時間配分を考え直す必要がある。次の行動が決まった以上、ダラダラ進めるのは私の性に合わない。
楓はスマートフォンを見る間隔が遅くて、返信もよほどのことが無いとすぐには来ない。現に、送ったメッセージはまだ既読マークがついていなかった。
その時だ。私は、違和感をおぼえた。
(あれ? ……)
二つ並んだ、ガラスのコップ。
もう残りのないオレンジジュース、最初に置かれたお冷。その表面が、かすかに揺れている。いや、それだけじゃない。オレンジジュースのコップに残った氷が、少しずつ組み合わせを変えて、隙間を埋め合っている。
振動とともに訪れる、小さなちいさな耳鳴り。空気が張り詰める感覚とともに、衝撃が右からやってきた。
甲高い破砕音が、店全体を揺るがす衝撃に代わる。
轟っ!!
悲鳴。混乱。爆音。火炎。ガス。臭い。充満する、これは。
「ひっ……!」
思わず、横に置いた鞄を盾にして、足をソファの上に勢いよく持ち上げた。ぎりぎりのところで、 飛んできたガラス片がテーブルの足に突き刺さり、アスファルトの土埃が巻き上がる。濛々と立ち込める煙の向こう、店の出入り口からレジが私から見て右手の壁へと吹き飛んで、アコーディオンみたくぺしゃんこになっていた。
そして。薄暗くなった店内に、トラックが薄く煙を噴かせて止まっている。
「……は?」
焦げ臭い。お札が足元に落ちてくる。遅れて響く、悲鳴。
ガラス片が散らばって、子供が泣き声をあげている。外からも、怒号のような、意味を理解できない叫びが聞こえる。
(嘘……ト、トラックが、突っ込んできたってこと!?)
ニュースでしか見たことはないが、どう考えてもそうとしか考えられない。
よく見ると、フロントガラスを突き破って、運転手らしい男性が垂れ下がっている。まるで、ベランダに干された布団のようにぐったりとしていた。トラックのナンバープレートの位置まで、彼の血液が赤く伸びている。
ソファの上で身を縮めたまま、私は硬直していた。
どうしていいかも、どうすべきかもわからない。しかし、その時、
「大丈夫ですか!?」
と、40代くらいのスーツ姿の男性が、運転席側のドアに手をかける。それはすんなりと開き、彼は迷うことなく運転手を引きずり出す。もしかしたら、運転手が突っ込む前に脱出しようとしたのかもしれない。
遅れて、店内にいた他の男性が救出を手伝い始めた。
「こちらへ! 避難口はこっちですっ!」
か細い、でもはっきりとした声で、店長らしい女性が手を振った。その声に、慌てた様子で子供連れの女性が動き出す。不安そうな小さな男の子の顔を見て、ハッ、と我に返った。
(わたしも、いかなくちゃ、にげなくちゃ!)
大変そうなその女性を、せめて手助けしようと思った。
学校の課題は放り出して、荷物にならないようにスマートフォンと財布だけをスカートのポケットに詰め込む。立ち上がって、彼女の後を追うことにした。
「うわっ!? なんで、うそ、ぎひっ……!」
異様な声に、思わず振り向く。
すると、助け出された運転手が、救助をしていた男性に噛みついていた。ワイシャツに、ばっ、と真っ赤な血が広がっていく。運転手の気が動転していた、とは、思えない。
明確な意思をもって、その首が上へと振られた。
「ひっ、ひぎゃあああっ!? あ、ぁ……」
ぶぢぶぢっ、と聞いたこともないような声、そして、
「か、ふ」
と、ため息のような音とともに、運転手を助けていた男性の首から血が噴き出す。彼はそのまま倒れてしまい、そこで動かなくなる。
「ころ、された……?」
誰かが呟いた。そうだ、殺された。殺されて、しまった。彼はぴくりともせず、血はどくどくと垂れ落ちている。噛みついた運転手の目は、真っ赤に充血していてた。
こけた頬を伝い、血液の涙が、彼の制服に落ちていく。
「い、ぃやだあっ!」
そう叫んだ高校生らしい少年が、外へ飛び出したのを皮切りに、店内から人が勢いよく逃げ始めた。もう、避難誘導も何もない。誰もかれもが自分のこと、そして自分の大切な人のことしか、考えられなくなっている。
でもそれは、私も同じだった。
(おとうさん、おかあさんっ……!)
無意識のうちに両親へ助けを求めながら、外へ走り出る。ファミレスの避難通路を通り抜けると、国道側にある駐車場に出た。その国道沿いにあるガードレール、その前で私は、立ち止まる。いつものように車が走っていて、そこから先に行けなかった訳ではない。
あまりの光景に、足がすくんだ。
「うそでしょ……」
外へ出れば、助かる。そのはずだ、そうだった。
「なにこれ……なによ、これ、どうして!?」
私はどうしようもなさに立ち尽くしてしまった。外へ出れば、助かると思っていた。だって外は、あの阿鼻叫喚の地獄絵図と言うがふさわしいファミレスの店内より、ずっとずっと、安全なはずだった。
歩道と車道を分けるガードレールがあちこちひしゃげている。歩道には車が乗り上げて、少なくともファミレスを背に左側の道路は無数の潰れた車で封鎖されていた。
右側を見ても、ほとんどの車が煙を噴き上げて、中にぐったりとした人がちらほらと見える。そして、その隙間を、あの真っ赤な目をした人がゆっくりと進んでいた。
あまりの惨状に、思考が停止する。
「……地震でも、起きたの?」
そんな理由をつけてしまいたくなるほど、酷い光景だった。あたりには車から出た煙が立ち込め、あちらこちらで人々がうずくまっている。そのうちの数人は、店内で突然人々を襲いだしたトラックの運転手のように、赤い目から血の涙を流し、ゆっくりと歩いている。
一方で、確実に生きていると分かる人もいる。しかしその人達は、事故で怪我をしているのか、動きが緩慢だ。
痛みと苦痛が交じり合った悲鳴、だけど、警察も消防も現れない。いや、警察官でさえ、赤い目になって人を襲っていた。無傷の人が声をかけても、反応しない。
それどころじゃない。無傷の人を見つけると、襲い掛かって首筋に噛みつこうとする!
「え、ゾンビ映画の撮影、とか……? あはは……」
カメラもない、エキストラもない。
そんな環境で、何が映画だろう。自分で自分を笑いながら、逃げ道を探す。けれど恐怖に足がすくんで、動くことさえままならなかった。
「だ、大丈夫、ですか?」
その声に思わず振り向くと、逃げ途中の女性が、あの運転手を助けていた男性に声をかけていた。良かった、あの人、死んでいなかったんだ。
ファミレスの店内から出てきただろう彼は、一刻も早く病院へ行った方が良さそうな姿をしている。顔は血まみれだし、首筋からの血しぶきでスーツやワイシャツはドロドロだ。
「あ、ああ、ぁあああーっ……!」
しかし、男性の目はもう、真っ赤に染まっていた。声も、とてもじゃないけれど、彼の意思があるものとは思えない。
「だめ、ま、まって、だめ!」
でも私の声はひどくかすれていて、もう、彼女には届かなかった。
「いやっ、いやあああっ!」
彼女の首筋に、男性が噛みつく。そして、彼が店内で運転手にそうされたように、ゆっくりと噛み千切った。血が噴き出し、女性が一度、動かなくなる。
無意識のうちに後ずさった私は、
「きゃあっ!?」
と、悲鳴を上げて座り込んでしまう。倒れた道路標識が、私の右足に引っかかっていた。
その時、ぞぐり、と、地面を肉がこする音が聞こえてくる。
「だめ」
まさか、まさか。冷たい予感に震えていると、女性がむくりと体を起こす。
死んでいてもおかしくない量の血を流して、彼女はゆっくりとこちらに這いずってくる。逃げなくてはならない、そう思っているのに、どこへ行っていいのかさえ分からない。
ぃん。
(え、なに、この音……?)
ふいに、騒音とは程遠い、美しい音が聞こえた。目の前に、赤とは正反対の純白が広がる。眩しいほど綺麗な着物が風に舞い、雪のように白い髪が広がった。この世のものとは思えない光景、この世に生きているとは思えない少女。
死神は少女の形をしている。
そんな言葉が、ふと思い浮かんだ。私を連れに来たのか、それとも女性を連れに来たのだろうか。少女は宙を踏むように、私の前に来た。
地面に広がるガラス片やアスファルトのかけらなど無視して、柔らかそうな白い足でこちらへくる。桜色の爪はツヤツヤ、優し気な目、柔らかな頬。
(アニメや漫画なら、彼女はきっと、救世主だ)
助けに来てくれたんじゃないか。安堵に体が緩み、次第に肩の力が抜けていく。
もう大丈夫、そう言ってくれそうなほど、彼女の表情は穏やかだ。
「……あなた」
言葉を続けようとした、その時だ。
「……ふ」
彼女の唇の端が、つり上がった。ぎざぎざとした、犬のような牙が見える。そして真っ赤な舌が、だらり、と現れる。
「るぅおぁああああああぉああ!!!!」
間近で聞いたそれは、私の鼓膜を貫いた。どろり、としたものが、両頬に垂れてくる。それが合図であったかのように、少女は四つん這いになると、着物の裾をはだけさせ私の首へ飛びついた。じゃぐっ、と音が立ち、鋭い痛みが首に走る。
「ぎっ……!?」
悲鳴も、上げられなかった。
首の脇から、かひゅ、と音がする。ああ、私の首に、穴が開いたんだ。
もう、助からないだろうな。
私は、死ぬんだ。
目を閉じる。走馬灯は見えない。感じたこともない痛みが体を貫いて、死ぬ、ということだけが、全身を蝕んでいく。
ぶちり。聞こえた音と同時、私は何もかも感じることのない、暗闇にいた。
ああ、死んだんだ。死んでしまった。終わってしまった。
4月10日。私は、死んだ。
ついに始めちゃいました、ゾンビモノ。
既に後悔しちゃってるけど、やるっきゃねー。
次も主人公の悠ちゃんと悪夢に付き合ってください。




