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のぼせる俺とエギュリッド

 おいで、と裸の女性から手招きをされるのは、男として喜ぶべきか苦悩すべきか。


 通路は薄暗くて、振り返ると俺たちの衣服を持った兎耳の女性、カテューシャが「行ってらっしゃい」と手を振りながら扉を閉めてゆく。


 陽の当たる観葉植物が見えなくなると通路はさらに暗くなり、湿ったタイルを踏んで歩き出す。

 向かう先には逆光となったエギュリッドがおり、豊かな身体の輪郭を映し出していた。


 少し変わった奴なのかな。

 そう思いながら伸ばされた手を繋ぐ。表情の乏しい奴だけど、唇の端っこに笑みを浮かべてから彼女は並んで歩きだす。


 後で聞いた話だけど、彼女はこの表情でも上機嫌だったらしい。ましてやフンフンと鼻歌を流すなど、周りの者たちが聞いたらギョッとするくらいだとも。

 そう、まさにそんなギョッとした顔の女性が出迎えて、ゆっくりと視線を俺に下ろしてくる。


「魔王様、こいつはもしかして……っ!」

「うん、つれてきた」


 あーあ、すぐにバレちゃうわ。人類側の主戦力、勇者隊の一角だってことを。

 名も知らぬ魔物はしばし悩み、ひとまず己の仕事をすることにしたらしい。タオルを手にすると花の香りがする油を染み込ませる。


 そして「寝そべってください」と寝台を指し示してきた。すぐ横には透明なガラスと呼ばれる板が使われており、その向こうは植物園みたいになっている。

 魔族の暮らしというのを俺は知らなかったが、これは貴族並みか王族並みか、かなり豪華な日々を過ごしているようだ。


 ではお言葉に甘えて良い思いをさせてもらいましょうか。そう思って寝台に手を伸ばすと、ぺたんと手首が握られた。見上げるとエギュリッドだった。

 彼女は俺を後ろから持ち上げて、片方の寝台にギシッと座る。


「静かに、ね?」


 そう囁きながら大きな瞳で覗き込んできて、あの柔らかい唇が、ちゅっとおでこに当てられる。

 いや、そうじゃない。寝台は1人づつ使うものであって、いくら俺を気に入ったからって一緒に寝そべったりしない。


 あーあ、お姉さんもどうしたものかと困っているし、キョドりながら拭き始めてるじゃん。

 実際、半日もの戦いによってエギュリッドはだいぶ汚れている。開戦と同時にもしも俺が接触しなければ、桁違いの殺戮数を記録しただろう。


 大事な陶器のように丁寧に磨かれてゆき、花のような匂いのする香油を擦り込まれてゆく。てらてらと輝く肌は眩しいほどで、こりゃ確かに丁寧に拭くわ、などと思う。


 そんな余裕は、俺が正面に向けられると同時に終わった。


 ぺたんっと柔肌に包まれて、エギュリッドの香りに包まれる。呻くことも出来ずに、ぶあっと仰向けになって新鮮な空気を吸うと……ああー、またさっきと同じポジションだよー、もーー。

 静かになさいと鼻で鼻をこすられたら、もう溜息も出ませんって。




 あったかい湯に入れられて、ぽやっとした。


 いや、みんなが言いたいことは分かる。人類たちは滅亡という予言を防ぐため、必死に頭を捻っているだろう。俺だってそうだ。


 あ、ごめん。嘘ついた。今はなーんも考えてない。

 だって柔らかいのに挟まれて、むにむに肩を揉まれたらあなた、ぽーっとしちゃうよ。


 しかし何を考えてるのかね、エギュリッドは。俺が敵だと思ってないの?

 そう思いながら見上げると、彼女はコクっと頷いてから唇を近づけて……違う違う、キスして欲しいわけじゃなくって、あっ、あーーっ!


 俺は完全にのぼせた。




 さて、問題はこれだ。


 なんか知らんが世界を滅ぼすという恐怖の大魔王は、えらく俺を気に入ってしまった。最初は騙されてるんじゃないかと疑ったけど、そんなことはなかった。


 ベッドで目を覚ましたら、すうすうとエギュリッドは眠りについており、俺の胸に手を置いていた。真っ白い肌には亜麻色の髪が垂れており、それが俺の鼻をくすぐってくる。

 魔力が乏しいし、この身でなければ倒すことも出来そうな気がした。


 だけどこれじゃあ殺せないよ。もし力があったとしても、これは無理だ。

 青臭い考えだけど、できれば信用には信用で応えたい。相手が何者であろうとも。


「……分からないな、どうしたら良いか。エギュリッド、俺に教えてくれないか?」


 声が届いたのか、すうっと彼女は瞳を開く。

 それから言葉の意味を悟ったのか、こくりと静かに頷かれた。




 通路はどこも床がぴかぴかで、裸足でも歩けそうだった。

 外からの陽が差し込んで、夕暮れどきまでどこも明るい。気候はおだやかだし、ずっと向こうには青い海と砂浜まである。


 もしバカンスに来ていたら大はしゃぎをしていただろうけど、周りをうようよと女性型の魔物が歩いていたらそうもいかない。

 人間を嗅ぎ取ることに彼女たちは長けており、しかし主人の前だから静かにしている。仇敵でもあるので隙あらば、と俺なら考えちゃうね。


 そう思いながら歩いていると、通路の先に見慣れた人がいた。


「あ、琥太郎くん、ゆっくり眠れた?」

「えーと、カテューシャ。おかげさまでと言うべきなのかな」


 子供をあやすように腰をかがめて、兎耳を生やした女性が顔を近づけてくる。子供というのは警戒心を緩めるものなのか、少し獣の血が混ざっている瞳を細めてくれる。

 両手を突き出してくれたので、思わずという風にぱちんとハイタッチをしてしまった。


「んーー、相変わらず頬がもちもちしてるっ。肌触りが気持ちいいっ」


 んわっ、ごく自然とハグされちゃった。

 おまけにこいつはワンピースを前面しか覆っていないので、褐色の素肌が飛び込んできて目が眩しい。ぴょこんと揺れる尻尾まで何ひとつとして覆うものが無かった。


 すっくと彼女が立ち上がると、俺の視線はずっと高くなる。あーあ、だんだん抱っこされ慣れてきちゃったよ。

 などという文句を表情に出していると、カテューシャはたまらなそうに笑った。


「はーー、琥太郎くん抱き心地が良いねっ。魔王さま、これから二人でお散歩ですか?」


 しばし言葉を吟味して、エギュリッドはこくんと頷く。それからどうしたら良いか分からないという風に、左右の手をこちらに伸ばしてくる。


「あっ、ごめんなさい。お返しいたします」

「ん、ありがと」


 こらこら、俺は物じゃないんだぞ。

 あ、抱かれ心地がぜんぜん違う。なんだろう、エギュリッドは柔らかくて安心感があるというのかな……って、何を考えているんだ俺は。


 ドレスを風にはためかせて、じっとエギュリッドはカテューシャを見つめる。困ったように彼女は小首を傾げて、それから散歩の邪魔をしないよう道を開けてくれた。

 そんな彼女とバイバイと手を振り合って、また歩き始めた。



 夕闇が迫っているのだろうか。

 まだ明るいけれど影がずいぶんと長い。海に面しているから日暮れまでが長いのだ。そう思いながら勝手に流れてゆく景色を俺は眺める。

 そのとき、静かな声が耳を震わせた。


「私たちは、この島でないと生きられない」


 ここに辿り着いてからというものエギュリッドは言葉数がとても少なくて、俺は今の言葉にすぐ反応できなかった。無感情な声だったけど、なぜかとても大事なものを教えてくれたように思う。

 だから夕陽ではなくて、青い青い宇宙を思わせる瞳をじっと見る。


「? それだけ」

「え、つまりどういうこと? この島以外に侵略をしてるじゃないか」


 うーんと彼女はうまく説明をしたがっているような表情を見せる。それからすぐに諦めて、すたすたと歩き出した。


「こらこら、諦めないで。がんばってエギュリッド」


 こくっと頷かれたけど歩調はまるで緩まない。


 どうやら俺に正しく伝えたいという意思はあったらしい。そうと分かったのは古い建物に吸い込まれたからであり、まさに彼女の行動は正しかったと言える。


 そこは知識の宝庫、図書館だった。


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