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魔王城への転移

 人を喰らい、大地を腐り果てさせる存在、魔王エギュリッド。

 この世界を喰らいつくしたとき、神々との戦いを始めるという予言もある。さらにはその戦いでも勝利をするだろうとも。



 ――こうして世界は終焉に飲みこまれ、他の星と同様にただの虚無と成り果てる。



 俺が子供のころに何度となく聞かされた話であり、どの本を読もうと、誰の予言を聞こうと、必ずその一節で締めくくられている。

 ふざけんなよって人々が抗い続けた結果、先日の大戦を迎えることになったのだが、ここに来て思わぬ方向に舵が切られるのを感じていた。


 その彼女が、深い深い紺色の瞳で俺を覗き込んでいるんだ。

 どこか宇宙の深淵を感じせる色であり、他の女性よりも瞳が大きいので瞬きをするだけでぱちんと音が聞こえてきそうだなと思う。


 ウェーブがかった髪は滑らかで、豊かな乳房を覆っている。どこか母性を感じる表情をしており、笑みを浮かべた唇はとても柔らかそうだった。


 と、そのとき変化が訪れる。


 淡い燐光を描いていた蜂蜜色がだんだんとくすんでゆき、亜麻色になってゆく。それは魔力の乏しさを伝えており、本当にギリギリまで俺が追い込んでいたのだと分かる。

 左右についた巻角も同様で、パキキっと音を立てて崩れてしまう。


 彼女、エギュリッドはもう一度瞬きをして、色素の薄い唇がそっと囁いてきた。


「私にしがみついて」

「やだ」


 きっぱりと断った俺も俺だけど、「良い子ね」と言うように頷いて、ぎゅっと抱きしめてくる魔王も魔王だ。


 とはいえ今では小学生かと思うくらい小さいし、ぺたんっと触れてくる素肌はやせ我慢や思考が薄れてしまうほどなめらかだと思う。


 豊かな輪郭を描いており、その先端は頭が痺れるほど鮮やかな色を……って、おいおい、しっかりしろよ俺。確かに色気がすごいし、むあっとエギュリッドの花のような香りに包まれるのは男として辛いと思う。


 だけどつい先ほどまで命の取り合いをしていた仲だろう?

 心臓に穴を開けてやったし、そんなことができるのは俺以外にいない。いわば天敵だ。違うか?


 ふかふかの乳房に包まれながらも、キッと睨みつけるとエギュリッドは意外な顔をしていた。「あーん、して?」と言うように艶のある唇を開いており、誰から見てもはっきり分かるくらい、俺はキョドった。


 分かんないよー、美人を相手にどうしたら良いのか分かんないよー。だって俺、そういう経験なんて無いんだもん。


 やや厚みのある唇で、彼女は尚も唇を開閉して見せる。ぱちりと大きな瞳は瞬きをして、少しだけ困ったような顔を浮かべていた。


「おくち、あけて?」


 ぽしょっと彼女はつぶやいて、小首を傾げて覗き込んできた。

 口? 口をあけてどうなるっていうんだ? 虫歯のチェックでもしてくれんのか? よーし、診てもらおうじゃないか。


 よし来いと開いて見せると、すぐにエギュリッドの唇が重ねられてしまった。厚みがあるのか、ふかっとした柔らかさがあり、先ほどよりもずっと濃い彼女の匂いが味として伝わってくる。


 もがく間もなく、ふううと熱い吐息が入り込んできた。それは俺の肺を膨らませて、甘い甘い花の香りがする吐息を内側にまで染み渡らせるものだった。


 かぽっと唇は離れてゆき、その瞬間、世界は暗転した。





 どこからか、悲しいピアノの音が聞こえてくる。

 淡々と響く音色は、決して戻れない過去を悲しんでいるように感じる。


 視界はすべて闇色で、空気は冷たくって、呼吸をするのも億劫だ。もしかしたら今は夜で、川の中を漂っていたのかもしれない。


 指先に触れるのは、俺よりもずっと冷たい肌をした女性、エギュリッドだった。彼女は空を見上げており、真っ白な月のようなものを見ているのか俺には尖った顎先しか見れない。


 ――何か、良くない感じがする。


 勘だけで生きてきた俺は、感覚というものをとても大事にしている。

 華奢なくびれに手をかけて、彼女の名を口から出す。

 それは俺には聞こえなかったけれど、彼女は空を見上げることを止め、その美しい顔を俺に向けてきた。


 ひんやりとした身体に包まれる。

 彼女は俺よりもずっと体温が低くって、夏場ならきっと良く眠れそうだなと思う。

 とがった顎先を俺の肩に乗せて、彼女もまた俺の名を囁いた。


 やはり何も聞こえなかったけれど、そんな気がした。




 どっすん。


 唐突に世界は明るくなって、俺は瞬きを十回くらいした。

 だって見上げるほど天井が広くって、全面ガラス張りの上、樹木が生い茂ってんだもん。なんでなんで、どうして温室があるの? プールまであるし、裕福な感じがして凄い。


 まさかだが、こんな場所がエギュリッドのお住まいなのか? 俺なんてものすごく活躍してるのに、いっつも街で一番安い宿を選んでるよ?


 などと思っていたら、傍らにバウッと音を立てて人影が現れる。これが転移というものなのだろうか。煙のようなものが一瞬で人……いや、魔族の姿となる様子に驚かされる。

 それは二人、三人と続いてゆき、戦場から続々と帰還しつつあると分かった。


 じゃあさっきの変な光景を見たのは俺とエギュリッドも転移をしていたからなのか。

 転移には闇世界をくぐる必要があると聞く。凝縮された時間のなかで、夢を見せられるとも。

 すると、先ほど見たものはただの夢だったのだろうか。


 そう思いながら視線を辺りに向けると、小柄な女が俺を見ていた。


 兎のような長耳と、日焼けをした素肌。ワンピースのようなもので前面だけを覆い、要所をアクセサリーで束ねているものだから、日焼け跡のある背中側はほぼ素肌しか見えない。だが健康的すぎる身体つきが、痴女などとは思わせない雰囲気を醸し出していた。


「君、琥太郎こたろうくん?」


 背の低い彼女は――って、今の俺よりかはずっと上だけどさ、何と答えて良いか考えあぐねているあいだに、ぷにっと頬に触れてきた。


「わっ、もちもちしてる! エギュリッド様、この子はどうするんですか?」

「ん、私が……」

「こら、カテューシャ、野暮なことを聞くな。魔王様はこれから魔力の回復を成さる。その糧として運んできたのだろう」

「いや、私が……」


 ん? なんだ、エギュリッドが口をぱくぱくしてる。

 いつの間にやら周りは女性で溢れており、俺の扱いについて、あーだこーだとやりあっているのだが、肝心の魔王がまるで会話についていけていない。

 ぴぴっと汗を飛ばしながら何かを言いかけるのだが、そのときはもう会話が次に行ってしまっている。


 おいおい、こいつもしかしてコミュ障か?

 そういや魔王語録なんてものをカンペとして用意していたし、そのカンペが無いときの会話はひどいものだった。10文字あれば良いほうで、おまけに表情が乏しいから何を考えているのかよく分からない。


 ふすんと不機嫌そうな息をする魔王に、皆は慌てて振り返った。


「これは私の、子」


 あげない、という意味なのか、ぎゅうっと抱かれながら遠ざけられてしまった。俺は呆然としたし、こいつらも呆然だ。ボスみずから子育て宣言をしたんだから、たっぷり十秒くらい時が止まって当然だ。


 皆の視線は魔王から俺に移り、どういうことだと無言で問いかけてくる。

 知らん知らん、お前らの上司がポンコツなだけだろう。俺よりもずっと付き合いが長いんだから、そっちでどうにかしろ。


「ま、魔王さま、とりあえず今は身の周りを整えませんか。いつまでもその恰好では困りますでしょう」


 慌てながらも、先ほどの兎娘が場を取りつくろった。凍っていた皆もようやく我に返って、本来すべき仕事に戻ってゆくように俺の目からは見える。

 半ば破壊されていたエギュリッドの鎧を脱がし、過ごしやすい薄手の服に着替えさせたりと皆はテキパキと動き回っていた。


 あ、そういえば女性ばかりだな。

 魔族というのは男性タイプのほうが圧倒的に多いというのに、ここでは目に入るもの皆が女性だ。

 様々な肌と髪の毛の色をしており、だれ一人として人間と大きな差がある。そして思うのは、俺だけほとんど全裸で恥ずかしいってことだ。


「琥太郎くん、しばらくこれで我慢してっ」


 先ほどの兎娘……カテューシャって言ったかな。その子が見せているのは長袖のシャツで、掴むと麻の感触が伝わる。

 皆は混乱しているようだけど、一番混乱しているのはこの俺だ。突然若返ったし、魔王の子供宣言をされてしまったし、周りに知っている人はだれもいない。


 とりあえず着るものだけは着ておこう、人として。

 そう思いながらありがたく袖を通すと、恐らく女性用だろうに膝まで覆うことになって、ちょうど良いと言うようにベルトで腰を固定された。


「私、カテューシャ。ここで働いているから、琥太郎くんも面倒をみてあげる。見ての通り魔王様の周りには女性しかいないけど、あんまり気にしないようにね」


 そう言われて眺めて見ると、たしかに女性しか見当たらない。そしてこちらを見てくる瞳のうちほとんどが明確な殺意を抱いている。

 黒髪の女は死霊使いだろうし、真っ白な半狐は多彩な術を使いそうだ。じいっと見つめてくる目は戦場でいつも味わっているもので、さほど怖いとは思わない。


 困るのはその向こうのソファーで、ぽんぽんと隣を叩きながら呼んでくるエギュリッドだ。


「琥太郎、こっち」


 薄手の布で全身を包んだ彼女は、肉付きの良さをより主張しており、言葉数は少ないながらも早く早くと瞳で訴えてくる。

 真っ白な肌にお付きの者は真珠飾りを付けており、女性としての美しさに拍車をかけつつあった。


「ほら琥太郎くん、お母さんが呼んでるよ」


 などとペチペチお尻を叩かれながら歩かされる。

 誰がお母さんやねんと突っこみを入れる間もなく、脇の下に手を入れられてカテューシャから持ち上げられてしまった。


 数え切れぬほど魔族を倒したこの俺が、わたわた宙で暴れることしかできないとはな。

 そして倒すべき相手だと言われ続けていた相手、エギュリッドはというと花の咲くような清楚な笑みと共に手を伸ばしており、やはりたわいもなく胸元に抱かれてしまう。


「んんーー」


 などと彼女からたまらなそうに頬ずりをされてしまうと……これから一体どうなるのかねと思い悩む。

 元勇者? それとも「身体は子供、頭脳は大人」ってやつ?

 これから何が起こるのかまったく分からないし、嫌な予感しかしない。


「お風呂、はいろ?」

「やだ」


 だけど俺のそんな否定の言葉なんてひとつも聞いてもらえないし、いい子いい子と頭を撫でられる始末なんだ。

 諦めの表情をひとつして、持ち運ばれながら先ほどの兎娘にバイバイと手を振った。

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