魔王エギュリッドとの戦い
短編としてあげたものを、ひと段落するまで書き加えました。
――ギオッ!
金属がむしれるような音とともに大気が揺らぎ、俺の身体のすぐ横を通り過ぎてゆく。
おう、内臓まで振動させられて胃のなかの物を全て吐き出しそうだ。
背後が爆裂し、巻き添えをくらって人間たちの連合軍はさらに壊滅に近づいた。数多の悲鳴を掻き消すそれは、まさに絶望と言い表して良いだろう。
しかし恐れては駄目だ。唯一の活路、剣の届く間合いから決して俺は離れない。
こちらに伸ばされている魔王の手は、連鎖的に魔法陣をまとってゆく。
魔族を統べる魔の王とはこれほどか、と俺は思い知った。強力な魔方陣を10本の指にまとわせており、それひとつで国が滅びかねないほどの魔力を秘めている。
力の差を見せつけるよう余裕たっぷりに、魔王はニイと唇を笑みの形にした。
「人間たちの生み出した言葉に、塵は塵へというものがある。殊勝な心掛けだ。己は塵に過ぎないのだとよく理解をしておる」
「えーー? おっぱい丸出しでなにホザいてんの? 頭だいじょうぶ、魔王ちゃん?」
嫌らしくねちっこい戦いこそ、俺の真骨頂だ。
物理、魔法、双方の攻撃を無効化するあの鎧こそ、真っ先に俺が破壊したものだ。といっても戦闘開始から半日ほどかけてしまったが。
しかし俺の挑発など意にも介さず、魔王エギュリッドは十本の指それぞれに魔方陣を生み出しながら笑いかけてくる。
豊かな乳房を照らしている光景は、悲しいことに異性である俺にとって魅力的に映ってしまう。このような人類の命運を賭けた場だというのに。
「……大したものだ。物理、魔法を無効化するこの鎧の原理を解くとは」
「まーな、ずっと見てたし。それぞれ層になってんだろ? バウムクーヘンみたいにさ。あとは一枚ずつ剥いだら壊せるだろ、常識的に考えて」
そうは言ったが、どう考えても非常識だと思うよ。こんな化け物を相手に、20もの層を破壊するなんてさ。
だが、これでお膳立ては整った。
幾つもの魔方陣を操るのは確かに凄い。だがそのぶん繊細な制御を求められており、もしもひとつでも暴走をしたのなら、連鎖的な崩壊を起こす可能性が極めて高い。
エギュリッドもそれを知っており、鎧や指輪などによって安定化を図っていると推測をしている。対するこちらはというと、長い戦いによって体力も集中力もすっからかんだ。
ふうう、と熱い熱い息を吐く。
もう終わりは近いのだと互いに分かっており、長い激戦によって空は茜色に染まりつつあった。
「貴様の名を聞こう」
「国東 琥太郎」
泣いても笑ってもこれが最後だ。
せめて良いとこ無しで終わらないよう神様に祈る。
タッ、と燕のような速度で切り込むのと、周囲を無数の魔方陣で囲まれるのは同時だった。連鎖的に数を増しており、視界さえ真っ暗になるほどの密度だ。
ああ、くそっ! やっぱこいつ実力を隠してやがった!
そう思いはするが、最後の生命力を注ぎ込む連撃はもう止まらない。
長い戦いによって刃こぼれしていた剣を振り、ばしゃんと魔方陣を打ち砕く。その向こうにはほくそ笑む唇が見えており、しかし距離は一向に埋まらない。
遠い、遠い、間合いがクッソ遠くて嫌になる。
ジャッ!と黒い線状の熱射が手足を貫いて燃え上がる。こいつはマジでエグい術だぞ。血管を導火線のように焼いて、心臓まで達したらドカンだ。解決策は自分で血管を断ち切るしかないが、今はそんな悠長なことなんて出来ない。
うおおと叫ぶのは苦手だ。
気合ってのは聞かせるものじゃない。剣の先に乗せて相手に叩き込むものだと俺は思う。だからフシッという呼気をひとつだけして、ズタボロになりながら無数の刃をかいくぐる。
姿がブレて見えるほど人間離れした動きでたどり着いた俺に、魔王はわずかに目を見張る。
それで十分だ。
それだけでもう満足だ。
化け物として君臨する女に、そんな顔をさせられただけで俺の生涯は実りあるものだと思う。
最後の呼気は、もういらない。
ただ、こうつぶやけば良い。
――不帰ノ剣。
ざあっと刃は根元から塵と化し、風に乗って消えてゆく。
同時に、ずばあと魔王の胸は貫かれた。
美しい瞳を見開いて、見惚れるほどの唇には鮮血がほとぼしる。
女はこちらを見て、魔王らしからぬ笑みを浮かべた。
「……見事」
それは憎しみの言葉などではなく、人の身でありながら練り上げた一刀を褒めたたえるものだった。
そう、彼女は美しかった。人とは比べようもないほど、ずっとずっと美しい。だからこそ俺はしぶとく粘り続けて、ただ彼女を視界に収めておきたかったのかもしれない。
その視界に、血よりも鮮やかに輝くものが映る。
大ぶりの宝石は薔薇のようなカットを刻んでおり、俺とエギュリッドの視線の間を漂う。
ゆっくりとスローモーションのように映るそれを見て、うなじの毛が一斉に逆立った。
千本桜という宝石がある。
それは一日に一秒ほど、この世界の「時間」を吸うという、にわかには信じがたい性質を持っている。そして咲き乱れるそのときは、これまでに吸収していた時間を――巻き戻す。
「うっ、おおおーーーーッ!!」
瞬間、俺は飛んでいた。
ズタボロの身体など気にもせず、朽ちた剣の柄をにぎって矢のように飛んでいた。
終われ、終わってくれ、この地獄のような戦いを終わらせてくれ! 頼む!
これはもう技などではなく、純粋な想いに突き動かされてのものだ。
人類なんて正直なところ、これっぽっちも好きじゃない。臭いしガサツだし、金を巻き上げられたことだってある。あいつらの半分くらいは野蛮人だ。
でもさ、そうじゃないだろ?
一方的に殺されて、血濡れのズタ袋みたいにされて、ゲラゲラ笑われて良いような奴らじゃないだろう?
助けてくれって泣きながら言ったのに、大根みたいに首を引っこ抜かれて良いわけがない。
冗談じゃない。そんな世界なんて、魔物どもなんて、この俺がみんなブッ殺してやる!
スウウ、と魔王の傷が癒えてゆく。
彼女は俺に向けてうっすらと笑みを見せており、楽しかったよと確かに囁いた。
過去形にするんじゃねえよ!
かつてない憤怒を覚えて、武器も無い俺は拳を振り下ろす。
もう無理だ。この状態で魔王なんて倒せっこない。そんなの俺じゃなくたって、誰でも分かることだ。子供であろうと老人であろうと。
だが、その魔王の瞳は見開かれてゆく。
俺が拳を振り下ろすその先は、魔王エギュリッドなどではない。
紅く紅く咲き乱れるような輝きを放つ――千本桜だった。
ばしゃあ、と宝石は打ち砕かれて、同時に多大な熱量が体内に入り込む。
傷は瞬間的に癒え、みるみるうちに健康的な肌に変わる。そして吸い寄せられる砂鉄のように、塵と化した剣が形を取り戻してゆく。
嫌らしくねちっこい戦いこそ、俺の真骨頂だ。
お前がまた最初っから殺りたいって言うならさ、夜明けまで付き合ってやんよ。だろ? そういうもんだろ、人間ってのはさ。クソみたいにしぶとくて、いくら潰したって激減させたって生き残ることをずっと考えている生き物だ。
「エギュリッド、お前は俺を怒らせ…………ん?」
おかしい。千本桜の効果が切れない。
俺の身体にまとわりつく力、奔流する時間そのものがなかなか途絶えない。ちょっと待てと思いながら、俺の視線は魔王ではなく、己の身体を見下ろした。
みるみるうちに手足は縮んでゆき、これまで必死こいて鍛え上げていた筋肉まで無くなっていく。いや待て待て、ちょっとマテ。なにこれ、千本桜はどれだけの時間を吸ったの!?
などと驚愕していたところで、ぼすんっと魔王エギュリッドの乳房に挟まれていた。
思わずという風に彼女は俺を抱きかかえ、ぱちくりと大きな瞳をまばたきさせた。
ひゅん、と飛んでくる剣は俺が何年も愛用していたものだ。
反射的に手を伸ばしたのだが、なぜか握力がほとんど無くって……ぺんっと当たって落ちてしまう。痛っ!
えぇぇーーっ! なにこれ、ちょっと待って、なにが起きてんだ!?
いまだかつてない衝撃を受けながらも、誰かからの視線を感じる。言うまでもなく相手は魔王であり、じいっと俺を見下ろしていた。
「……んっ、可愛い」
ぽつりとつぶやく彼女は熱っぽい瞳をしており、これまでの戦いで決して見せなかった一面を見せた。それはどきゅりと心臓にナイフをつきたてられたような顔であり、先ほどよりもずっと近くから覗き込んでくる。
その両腕にぎゅっと抱きしめられながら、女性の身体の柔らかさというものを俺は初めて知った。
これがまた花のような香りがして、頬に触れる肌はどこまでも滑らかだ。ほんの少しだけ汗のにおいが混じっており、ちゃんと抱き支えたいのか俺の尻に腕を巻きつけられた。
なにがなんだか分からない。
分かるのは、呆然とこちらを眺めている連合軍の皆さまと、ざざあと海水が引くように退いてゆく魔物の群れ。
そして魔王エギュリッドは高らかに、こう宣言した。
「停戦」
その端的に過ぎる発言によって、人類と魔王の存亡をかけた戦いは、無期限の延期となった。いや、なってしまった。
「ちょっ、ちょっと待って。何を考えてるんだエギュリッド、さっきのシリアスな口調はどこいった……って、なんだこれ」
豊満な乳房に挟まっている何かに気づいて、俺は手を伸ばす。それは紙だったらしく、細かな文字がびっしりと書かれている。
「え、魔王語録? なんだこれ。マーカーがついて……『人間たちの生み出した言葉に、塵は塵へというものが』って、これさっきお前が言ってたやつじゃん! カンペかよっ!」
おいこら、よしよしと頭を撫でんじゃねえよ。空気読めよ。
あー、力が出ないのを良いことに、頬にキスとか――やっこいしあったかいし、なんか凄く良い匂いがする――って馬鹿、俺の馬鹿! いやでもほんと、こいつ美人だし身体の肉付きの良さが反則級なんだって。
などという激しいジレンマ(?)と葛藤しているあいだも、事態は着々と進んでしまう。
連合軍は停戦を了承するために旗をバサバサ振っており、魔物の治癒を扱えるものは敵味方かまわず辺りを癒してゆく。
そして魔王エギュリッドはというと「なんかすごく良いのを見つけた」と言うように鼻息をフンとさせており、俺を抱いたまま一向に手離さない。
こうして俺は、隠れポンコツの魔王、エギュリッドに預けられることになってしまった。
これからどのような日々が待っているのか分からないが、嫌な予感だけが胸を占めていたのをよく覚えている。