5、やってしまったなと思ってしまうもの
リルルの今いる5人の婚約者は、誰も顔で選んだとまるわかりな容姿端麗な子供たちばかりだった。どの子も貴族の子供で、どの子も次男か三男だった。
エレナに鍵の話を聞いたので、リルルはその子たちが自分のことが好きなら鍵をくれるだろうと単純に思った。
熱が下がって自室からのお散歩が許されるようになると、真っ先にしたのは、そういった婚約者の御機嫌伺に出向くことだった。小姓の格好に着替えると、リルルは駆け出した。
お城の図書館で司書見習いの小姓をしているティンクにまず会いに行った。同い年のティンクはオルフェス侯爵家の三男で本名はティンカードと言い、リルルが最初に騙して婚約した相手でもあった。お城で道に迷ったティンクを案内するふりをして、大人達がいるところへ連れていってあげた後、すかさず名乗って握手を求めたのだった。ほっとして油断したティンクは友達になるつもりでもいたのか、綺麗な顔で微笑んで、握手をしながら名乗ってくれた。大人達の前だったのでごまかしがきかず、ティンクはあっという間にリルルの婚約者第1号となったのだった。
書庫に本を片付けている何人かの司書見習いの小姓の中に、ティンクの金髪の頭を見つけた。
「ティンク、リルルが来たよ。今、時間空けて?」
リルルは王女なので、こういう我儘が普通に通ってしまう。いくら可愛くてもいくら王女様でも、仕事中のティンクにとっては邪魔者でしかなかった。侍従見習の子供達はお小遣いも貰っているし、将来その仕事に就くうえで重要な人脈も手に入れている。その可能性が、こういう小さなことで減点されていくのはあまりいい気はしなかった。
緑色の瞳を曇らせて、ティンクはむすっとした表情で不機嫌そうに本を片付けると、リルルを見た。
「リルル様、何か御用ですか?」
「婚約者に会うのに、用がないといけないの?」
用があるから会いに来たくせに、リルルはそんな風に言って口を尖らせる。
「では、ご用件は何でしょう?」
他の小姓たちはリルルとティンクに気を使って、他の場所の本を片付けにをしに行った。
「あなたは私のこと、好きかなと思ったけど?」
目を見開いて驚いた表情に一瞬なり、すぐに無表情になると、ティンクは丁寧に答えた。
「あなたは婚約者ですからね。嫌いではありません。」
ティンクは機械のように感情をこめず続けた。「他にご用件は?」
鍵をくれないんだわ、とリルルは思った。この子は私を好きと言ってくれない。
「ん、もう終わった。またね、」
しばらく会わなくてもいいとリルルは思った。こんな調子が続くのなら、時機を見てこの子は婚約者から外してもらおう。もしそれが可能なら、の話だけど。リルルはごめんねとちょっとだけ反省した。
名前を名乗って相手も名前を名乗らせて握手を交わして婚約成立と初めて聞いた時、ちょうど都合よく現れたので面白がってやってしまった相手がティンクだった。別に好きなわけじゃなかった。
基本的に王女が成人して一人の婚約者に候補を絞るまでは、一度婚約者になってしまうと婚約者はずっと婚約者のままだと聞いていた。成人は18歳なので、リルルはあと13年は、彼らの人生を縛ることになる。その間、リルルの他に好きな女性が出来ても、思いを伝えることが出来なくなってしまう。
「ごめんね、邪魔して悪かったね。」
リルルはそう言って微笑むと図書館を出た。ティンクはリルルの後ろ姿を見送って、「バーカ、」と呟いた。
次の子も、その次の子も、同じような反応で、リルルは少し凹んだ。多少なりと私のことが好きと、嘘でも言ってくれればいいのに。そんな勝手なことを思った。
お城の庭で草むしりをしていたティリニー公爵家の次男のアルフレッドは、リルルを見るなり、背を向けた。茶髪のアルフレッドは3つ年上で黄緑色の瞳をしていて、体格も良く、手足が長かった。
「アルフレッド~、久しぶりに会うのにそれはないんじゃないの?」
リルルが背中に触ろうとすると、アルフレッドはぶんぶんと首を振ってそそくさと別の場所に行ってしまった。同じような背格好の同じような子供が草むしりしていると、誰が誰だかわからなくなる。アルフレッドを見失って、リルルはつまんないの、と思った。いっそのこと、みんな石をぶつけて飛び上がって怒った者を今度の婚約者にしてしまおうか、とリルルはいら立ちを妄想にぶつけた。
結局4人とも、会話すら成立してないじゃん。リルルは悲しくなってお城の中に戻った。婚約して迷惑かけちゃったのかなとちょっとだけ反省した。
最後の一人、ルーファスは北の塔の小姓部屋にいた。北の塔の小姓部屋は財務官たちを手助けしていて、計算が得意な子供が集められていた。読み書きができ大人しい子が多くて、どの子もソロバンを使って計算をしていた。リルルは待っている間、子供達が持つ道具を見て「おはじきのようなじゃらじゃらカチカチ鳴る道具ってそんなに楽しいのかな、」と思って見ていた。
ルーファスは何故か、自分から名を名乗ってリルルと握手した男の子だった。年は4つも上で少し背も高く茶金髪に茶色い瞳で顔は綺麗だし賢いルーファスを、実は苦手に思うリルルは、理由が自分でもわからないと意識し始め余計に苦手意識を募らせていた。
「リルル様、何か御用ですか?」
ルーファスは他の小姓たちに、「ちょっと王女様のお仕事に行ってくるね」と言って部屋を出た。誰も返事もなく、気にならないのかカチカチじゃらじゃらソロバンの音が鳴り続けている。
廊下で二人で向き合うと、ルーファスはリルルの手を両手で握った。彼は辺境にある伯爵家の次男だった。
「リルル様、何か御用ですか?」
「あのね? 何でもないけど、会いに来たのよ?」
リルルが上目遣いに見ると、にやりと笑って「で、御用は?」と聞いてきた。
鍵が欲しいから好きって言って欲しいんだけどなと思って、リルルははっとした。ルーファスに好きと言える気がしない。
「ん…、えっとね、何でもないの。」
「そうですか? そんな風に見えませんが?」
ルーファスはリルルの頬を撫でて、そっと耳元に囁いた。
「何か秘密の匂いがしますよ?」
辺境にあるレニエ伯爵領には、古の魔法が使える魔法使いの血が流れている者が住んでいると噂があった。揶揄われているとはつゆ知らず、リルルは慌てた。
「な、何でもないわよ? 元気かなって思っただけだもの。」
リルルは「またね、」と手を振って、その場からすたこらさっさと逃げ出した。やっぱりルーファスは苦手だ。何で私、婚約なんかしちゃったんだろうと思った。まさか自分が、他の婚約者達から同じように思われているとはリルルは考えたこともなかった。
婚約って何なのか判んないけど楽しそう、その程度の感覚で、リルルは彼らの人生を縛ってしまっていたのだった。
※ ※ ※
リルルが眠ってしまった気配がするのに、なかなかやってこないリルルに痺れを切らして、姉リルルはリルルの部屋の鍵を使うことにした。リルルをまねてネズミに変身した方がいいのかしらと悩んだ挙句、結局いつもの自分の姿で鍵を手に壁の前に立った。壁に出現するドアのカギ穴にリルルの鍵を差し込むと、ドキドキしながらドアを開けた。
ザッパーン!
「!!!」
波しぶきをあげて大量の水が流れ込んできて、姉リルルは目をぱちくりしながら急いでドアを閉めた。しょっぱい味で、海水だと判る。
あっという間に水はどこかに引いていき、見渡せば部屋の中に被害はなく、ずぶぬれになったのは姉リルルただ一人だった。
「な、何が起こったの?」
この前見たリルルの部屋は月夜の花畑だったよね? もしかして今日のリルルは海の夢でも見てるの?
まいったな~。姉リルルは指をパチンと鳴らした。くちばしの中に鍵を入れるつもりで思い切って白鳥に変身すると、部屋の天井近くに程よい大きさのドアを出現させた。
前世はゲーム大好き漫画大好き女子だった姉リルルは、少女漫画の王道な白鳥くらいなら姿形を難無く再現出来た。くちばしを器用に使って咥えた鍵を差し込むと、ドアを大きな羽で羽搏くように開ける。
眩しい太陽光に目を細めた。高く晴れ渡った夏の青い空と、海の潮の香りがする。遠くからカモメの鳴く声が聞こえた。
翼を広げて飛びながら、地上を見渡すと白い砂浜の海岸線が見える。日差しに澄んだ海水が揺らめいていて、白い砂の海底に影を落とすように色鮮やかな魚群が見える。煌めく波間に巻貝のような貝殻も見えて、白鳥の姿の姉リルルは美しいなあと思いながら低空を飛んだ。
この近くにリルルがいそうな気がするんだけどな。
リルルの姿を探すと、ぽつんと一匹の亀が浅瀬から沖に向かって泳いでいる様子が見て取れた。
昔誰かの結婚式の引き出物で見たような白い毛の生えたしっぽのある白く輝く甲羅の亀の背に、ネズミがサーフィンの姿勢で乗っていた。
「リルル?」
まさかねと思いながら近寄ると、優雅な白鳥な姉リルルを見つけたネズミが手を振った。
「もしかしてお姉ちゃん? 来てくれたの?」
「ええ、リルルが来ないから着ちゃったわ。」
「ありがと、私、今日は普通に夢を見ているみたいなの。」
「へえ…、夢なのね、これ。」
亀に乗って波間を進むって、もしかして吉夢なんじゃないのかな、と姉リルルは思った。
「ずっとこんな調子で今のところ夢が進んでいるから、きっとこんな調子で終わるんだと思うわ。」
つまりずっと亀の背中でサーフィンしてるのね?
「私がくちばしに摘まんでどこかへ連れていってあげようか?」
白い大きな鳥のあーんと開けた口を見て、ネズミリルルは笑った。
「大丈夫、結構楽しいの。」
「そう、なら良かった、」
それ、やっぱり吉夢だよね、と姉リルルは思った。
「じゃあ、また今度ね、今日は帰るわ。」
白鳥の姿のまま姉リルルは空の端を目指して飛んだ。吉夢を邪魔するほど野暮ではなかった。
青い空を塗り損ねたような疎らな暗闇に、白いドアが浮かんでいるのが見える。鍵、いらないかなと、くちばしでドアを突くとゆっくりと開いた。帰りはいらないんだわ、と納得して、姉リルルはリルルの部屋から自分の部屋へと戻った。
リルルとお話したかったけど、また今度にするかな、と姉リルルは思った。
※ ※ ※
翌日、リルルは侍女達にいつもよりも丁寧に髪を梳かされて白灰色のワンピースを着せられると、執務室に呼ばれた。執務室は王族にとっては公務の場なので、きちんとした格好で来るようにといつも言われていた。
国王である母は基本的に公務三昧で、内務は父が宰相たちと執り行っている。この部屋の中でも執務官達が何人か、隣の内務室と行ったり来たりしながら業務をこなしていた。扉でつながる内務室には宰相たちが座っていて、それぞれがあーでもないこーでもないと言いながら、執務官達と国政に頭を悩ましている。
「リルル、よくお聞きなさい。国の為に、今度お前は使節団に入ることになった。」
王配である父の口から、母である女王の命令を聞いた。
ソファアにちょこんとお行儀よく座って、リルルは父の話をきょとんとしながら聞いた。
「私は子供なのに、使節団に入れてもらえるんですか?」
「ああ、そうだよ、リルル。すべてはお前の頑張り次第だけどね、」
執務机の上に積まれた書類の上から何枚か書類を手に取ると、執務官に指示を出しながら父はリルルの傍に寄った。まだ30代にならない父は美しい顔をしていて、柔らかい物腰をしていた。父は侯爵家の次男で、頭がよくて遠く東方の国へ留学経験があった。先日の王子達の使節団が来るきっかけになったのも、父の語学力のおかげだった。
「別に王女であるリルルでなくてもいいのだけれど、おばあさまがお前と旅がしたいと言ってくださったからね。おじいさまとおばあさまと中央の大陸へ行ってきてもらいたいのだよ。」
暇を持て余すリルルはその命令は命令じゃないように思えた。これはご褒美だ、そう思えてならなかった。リルルは妄想の中で踊り子に変身して、頭の上で何度か拍手すると歓喜の舞をくるくると踊った。
「どの国にも、私達の国にあるような高等学校がある。その学校へ、友好記念の植樹をしてきてほしいのだ。」
きょとんとして父を見上げたリルルに、執務机の上に広げていた資料の薬草の図鑑のページを開いて、木の絵を見せた。
「この木だよ、」
テイカカズラと書いてある。リルルには読めなかったけれど、有毒成分があるとか、麻痺の効果がある生薬に用いるとか物騒な言葉が並んでいる。
「木を植えるの?」
「そうだ、私達の国に咲く木の苗を持って行って、おばあさま達と植えてきてほしい。出来そうかい、リルル。」
この木はこの世界ではリルルの国にしか生えていない希少種で、学術研究の為にそれなりの見返りを持って植樹されるのだった。
「大丈夫です、木なんてポンポーンと植えてトントーンと仕事を終えて帰ってきます。」
興奮した面持ちでリルルが小さなこぶしで胸を叩くと、父は嬉しそうに微笑んだ。
「お父さまにキスをしておくれ、リルル、可愛いリルルの元気な顔を、お父さまに見せておくれ?」
しゃがんだ父に駆け寄ると、リルルはチュッと頬にキスをして、首をぎゅっと抱きしめた。
「王女様のお仕事を頑張ってくるね。リルル、いい子だからきっとちゃんとやってこれるわ。」
嬉しそうに微笑んだリルルの頭を撫でて、父は少しだけ寂しいなと思った。姉のラウラは利発で聡明な子だ。妹のリルルはちょっとおバカさんでちょっと我儘で、ちょっと残酷な子だ。二人は同じような容姿なのに随分と性格が違う。
こんなふうに首根っこに抱きついてくれるリルルが、私は愛おしく思えて仕方ない。父は目を細めてリルルの頭を撫でた。
「お父さまはリルルが帰ってくるのを楽しみに待っているよ? 大好きだよ、リルル。」
リルルは嬉しくて飛び上がりそうになりながら、父の顔を見て言った。
「私も大好きよ、お父さま。もしかしたら世界で一番大好きかも!」
やったー! これで鍵が手に入った! とリルルが大喜びしている様子を見て、理由を知らない父は、純粋に自分の愛情が届いたのだと嬉しく思った。
そうそう、と父はリルルの顔を見て思い出した。
「ところでリルル、最近夢は見たかい?」
たまーに夢を見たかを聞いてくる父の両頬を小さな手で挟むと、リルルは嬉しそうに見上げた。父が何故そんなことを尋ねるのか考えたことのないリルルは、いつも正直に答えていた。
他愛のない雑夢の欠片を語ると、「昨日そんなことをしたんだね」と決まって苦笑いをされてしまうので、これが父のコミュニケーションの取り方なんだろうと姉リルルが説明してくれていた。
「昨日は夢を見たわ。白い毛の長い尻尾の生えた亀に乗って、海を移動するのよ。とってもきれいな海だったの。暑かったから真夏だわ。遠くの空から美しい白鳥が飛んできたわ。」
お姉ちゃんの白鳥姿は面白かったなとリルルは思った。いつも澄ましているお姉ちゃんが、あんな形で自分の夢に出てくるとは思わなかった。
父の肩越しに、内務室から資料を手にやってきていた執務官や宰相たちが驚いた表情で固まっているのが見えた。父も瞬きもせずにリルルを見ていた。いつもと違う反応に、リルルもびっくりする。
「リルル、それはいつ見た夢なんだい?」
「ん? お父さま、今朝? 昨日? 昨日寝て今朝起きるまでに見ていた夢よ?」
「その夢の中で、リルルはどこにいたんだい?」
「お父さま、私はネズミになって亀の背中に乗って海を渡っていたの。白鳥とお話もしたのよ?」
不思議そうに見上げたリルルの顔を見て、父は青ざめた顔になり、「リルル、少しここで待ちなさい。女王陛下に報告しなくてはいけない、」とはっきりと言った。
ありがとうございました