3、子供だからって甘く見てはいけないもの
誰とも婚約しなかったリルルは姉のラウラのように事務処理がある訳でもなく、謁見の間を出ると、自分の部屋に戻って着替えて、いつものように動きやすい小姓の格好になった。髪を後ろで三つ編みに結ってもらい、一見すると可愛らしい男の子が出来上がる。
小姓部屋に向かうと、既に貴族の子供達が何人か集まって話をしていた。
彼らは行儀見習いを兼ねてお城に小姓の仕事を覚えに来ている貴族の次男三男達で、いつかは家を出て自分の力で生きていく術を学ばなければならなかった。初等学校が始まる10歳から5年かけて読み書きや武術、剣術を学び、16歳で進路を決めていた。そのまま進学する者もいれば働いたり騎士になったり軍人になった。
リルルはわずか5歳ながら、そういう子供達に交じって仕事を学ぼうとしていた。
いや、どっちかと言うと、邪魔をしに小姓部屋に入り浸っていた。
本人は意識していなかったけれど、やっている事は『身分の高い女性が身分の低い者をいじめる』悪役そのもので、身分は王女であったのでまるっきり悪役令嬢だった。ただ、本人に自覚がないのと、誰もがそれを「王女様の気まぐれ」としか思っていないので、可愛い5歳児の我儘と認識されていた。
今日も何人か貴族の子息が侍従に言われるまま、書類の整理に追われていた。どうやら年代ごとに資料をまとめて箱に詰めるという、たった一枚の契約書を見つけるためにあちこち誰かが引っ掻き回した後の資料を整理して城の書類庫に持っていくという作業らしかった。
「ねーねー、つまんないからこの紙で紙飛行機作って飛ばして遊ぼうよ。」
手伝う早々に飽きてひっくり返ったリルルを、傍で年代ごとに書類の分別をしていたミーシャが窘めた。茶金髪で薄い黄緑色の瞳をした背の高いミーシャは、いつもリルルに優しくて落ち着いて対応していた。
「リルル様、邪魔をするならご自分のお部屋に戻って下さい。」
「やだやだやだ~。ミーシャがいるところにいる。」
「じゃあ、僕はお仕事が出来ないので、お城の小姓のお仕事はクビになりますね。」
ミーシャが苦笑いをすると、傍にいたウィルが笑った。「ミーシャがいないと仕事がはかどらないからなあ。ほら、僕はもう自分の山を片付けたぞ。」
中央の大きな机で大まかな年代ごとに仕分け作業をしていた一番年長のケニーが、新しい束をミーシャに渡した。
「どの書類がどの年代なのかを仕分けても、また引っ掻き回したらまた分別しなおすんだろうけどね。効率よく書類を分けていく術がない以上、僕達の仕事はこうやってあり続けるんだろうなあ。」
「そんなの簡単じゃん。まず、全部国ごとに箱にしまえばいいんだわ。」
リルルがミーシャの持つ書類の山を手に言った。小姓たちが6人程でやっている作業部屋に、いくつも積みあがっている書類の山を、リルルは見渡した。
「箱の中は1年ごとにまとめて本にして、内容ごとにまた分けて本にしちゃうの。」
「なるほど、内容でも、月ごとにでも、項目を分別して分けていけばいいんですね。」
「そうそう。また探すのってめんどうだわ。」
リルルは口を尖らせて、ケニーを見た。「だってさ、穴開けちゃダメなんて聞いてないもの。」
「そうですね。では、その分別をいつやるんです?」
「んー。」
年代ごとにまとめる作業をしている今、さらに細かく分けていくのが一番早いだろうなとリルルは思ったけれど、それをすると、ミーシャとますます遊ぶ時間が無くなってしまう。仕事が終わらないと遊ぶ時間はやってこない。
「じゃんけんで負けた人が総獲り?」
「リルル様、それは総獲りって言わないんです。全部押し付けたって言うんです。」
「やってみないと判んないじゃないー!」
リルルはミーシャの手から書類をひったくると天井に向かって投げた。パラパラと書類があちこちに散らかる。慌ててジャックが手を伸ばす。
「あーあー、リルル様やっちゃった。」
うんざりとした顔でロードが書類を拾った。屈んだ拍子にいくつかの書類の山を倒してしまう。
「太っちょロードがやらかした~、」リルルがぼそりと呟くと、体格の割に気の弱いロードが涙目になってしょんぼりした。
「リルル様はもう黙ってご自分のお部屋に帰ったらどうです?」
背の高いシルフィイが腰に手を当てて窘めると、リルルは首を竦めた。
「だって、書類、いっぱいなんだもん。」
「僕達はこれが今日のお仕事なんです。リルル様はお手伝いがしたいんですか? 」
「…手伝いがしたい…。」
上目遣いにミーシャを見つめて、リルルは小さくなった。
「私、字が書けるから分別してくれたら表紙の紙を貼ってわかりやすくするわ。そうしたら、今度から持ち出す資料が少なくて済むようになるもの。」
「リルル様、字が書けたって、読めないと、この資料が何なのか判らないでしょう? 子供の私達に出来るのは年代別に分けていくくらいなんです。今はこれで十分です。」
「わかったわ…、」
リルルはすごすごと部屋を出ようとした。ミーシャに後で遊ぼうと言おうとして、振り返った拍子に書類の山をひっくり返してしまう。
「リルル様!」
ミーシャはこけたリルルを抱え起こしてくれた。ミーシャ、優しい…。
「リルル・エカテリーナ・リュラー。」
リルルはすかさず名乗って手を差し伸ばした。ミーシャは微笑むと、リルルに問いかける。
「お怪我はありませんか?」
「あ、ミーシャ、無視した。」
「その手には乗りません。」
もう何回目かわからないくらい婚約の申し入れをしているのに、リルルは軽く躱されてしまう。俯いて鼻の頭に皺を寄せた。
「つまんないの。…怪我はないけど仕事が増えちゃった。」
「はいはい、後はやっておきます。」
すごすごと引き上げていくリルルの後ろ姿を見送って、「はあ、」と溜め息をつくとミーシャはドアを閉めた。
「あの方、自覚がないけど、ほんと、小悪魔なんだよなあ。」
呟いた声に、部屋にいた誰もが賛同して頷いた。
「恐れ多くて誰とは名指しでは言えないけれど、僕も賛成。」
ケニーも頷きながら言った。
リルルは天性の小悪魔だった。この小姓部屋の仲間内では、『可愛いばかりで空気を読まない天性の小悪魔なお姫様』と認識されていた。
「ラウラ・クリスティーナ様は何人婚約者をお増やしになっても素晴らしいことだと褒め讃えられるのに、あの方の場合、また犠牲者が出たのかと思われてしまうのは、そういうところなんだろうなあ。」
シルフィイが呟くと、うんうんと誰もが賛同した。同じように美しい容姿の姉妹でも、やはり立場でやっている事の評価は変わる。将来女王となってこの国を統治するラウラの婚約者は王配と呼ばれ、国に富みをもたらす可能性の高い者が選ばれていた。公主の息子であったり大国の次男や三男であったりと、国同士の要となる婚姻が結べる者が多かった。
一方、リルルの選ぶ者は、将来自分が降嫁して生きていく時に少しでも不安の要素がない相手として、長男や王太子を選ぶ方がいいと周囲から思われているのにもかかわらず、実際は次男や三男といった自力で生活を立てていく努力の必要のある者ばかりを選んでいた。
選ばれる方も大変なプレッシャーで、王族であるリルルを満足できる生活を維持させなくてはいけない重圧を幼い頃から強いられる始末なのである。しかも選ぶ相手の基準が同じなため、姉と対抗しているように思われてしまっていた。
「ミーシャはどうして婚約者にならないんだ?」
ロードが書類をとんとんと揃えながら尋ねた。ケニーも頷いて尋ねる。
「あんな風に婚約を望まれているなんて、ある意味凄い事なんだぞ。」
「婚約? 僕はまだ、そういうの、いいんだ。」
視線を合わせないように言って微笑んだミーシャに、シルフィイは「ま、そういうのも人それぞれだよな、」と笑った。
※ ※ ※
「どうしたの、リルル、今日は真面目に働くのね。」
姉リルルは、姉リルルの部屋を昨日散らかしたまま帰った分を丁寧に積み上げて片付けるリルルに、感心したように言った。
「お姉ちゃんの荷物も、箱に入れて倉庫に片付けてあげるね。」
「ギャー、やめてー!」
パチンと指を鳴らして箱をいくつも出してゲームソフトやディスクを分別せず片付け始めたリルルに、姉リルルは絶叫した。
「そういうの、余計なお世話っていうのよ、リルル。」
「私は親切でやってあげてるから、違うんだもん。」
口を尖らせてリルルは勝手に片付けを続ける。
「そういうのがいらないおせっかいなんだって。親切はやってあげるものじゃないわ。やりたいんなら自分の部屋に帰ってよ。」
部屋は、自分の中では重要だから具現化している記憶の集合体だった。勝手に片付けられ倉庫に入れられてしまうと、自分の中の記憶がちぐはぐになってしまう。
「お姉ちゃんのけちー。」
「そんなに言うんならリルルの部屋を片付けてあげるから、リルルの部屋の鍵を私にちょうだい?」
姉リルルは自分の部屋の鍵はリルルが持っているのを知っている。主人格であるリルルの記憶の一部が自分であるので、それも仕方ない事だとは思っていた。
「鍵はあげてもいいけど片付けられるのは嫌。」
「じゃあ、なおのこと、私の部屋のものも倉庫へ持っていかないで。」
「わかった~。」
ピンク色のネジネジした鍵を姉リルルに渡した。
「私の鍵は?」
「ああ、これがお姉ちゃんの鍵だよ?」
同じような色のネジネジした鍵はリルルの部屋の鍵よりも小さかった。
「私の鍵はリルルが持っててもいいけど、勝手に倉庫へ持って行っちゃだめよ?」
「ちゃんとお姉ちゃんに聞いてからにするね。」
「絶対だよ?」
倉庫へ持っていったものは、たいてい次の日の朝には消えてなくなっていた。倉庫は眠っている間に脳が消去してしまう雑多な情報の処理場だと、姉リルルは思った。
姉リルルはゲームをしていた手を止め、セーブすると立ち上がり、リルルの部屋に向かった。
「リルルがその手を止めないなら、今から掃除に行くわよ? 全部元に戻してちょうだい。」
「ごめんお姉ちゃん、元に戻すから待って。」
リルルは慌ててゲームソフトを元あったように積み上げ始めた。
「箱もどっかへやって。」
「ごめん。今やる。」
パチンと指を鳴らして箱も片付けた。
「リルル、ロードに謝る気がないなら、仕事の邪魔はしちゃダメよ? みんな必死なんだから。小姓の仕事をきちんとしてお城でお仕事を貰わないと、あの子たちは将来お仕事に就けないのよ?」
「就けないとどうなるの?」
姉リルルは首をひねって考えた。そういえば、そういう話を今までしてこなかったな~。この子は5歳児なんだし、言われてみれば、世の中知らないことだらけだろう。
「次男や三男ばかりだし…、生活していけないわね。」
自分の現代日本人の感覚だと、親付きの長男より次男三男の方が条件は良く思えていたけれど、よく考えてみれば、リルルが自分の腕でお金を稼ぐなんて無理そうな気がする。リルルに金持ち貴族と結婚させるには、家を継ぐ可能性のある長男か一人っ子に候補を絞らなくてはならないだろう。
「それって大変?」
「ご飯食べられないだろうから、死んじゃうわね。」
リルルもこのまま次男三男ばかりを結婚相手に望んでいたら、死んじゃう可能性だってある。うわー、すっかり失念してた…。
「えー、そんな。リルル、そんなの嫌だー。」
「じゃあ、リルルはしばらく小姓部屋に行っちゃだめよ?」
小姓たちは基本次男三男で、自力で生きていく可能性が現段階で高い貴族の子供達だ。リルルの求めている将来の方向性と違い過ぎている。
「えーそれも嫌だー。」
口を尖らせたリルルに、姉リルルは溜め息をついて助言した。ここで修正しておかないと、寄宿学校へ入る前にリルルの人生は詰んでしまうかもしれない。それは非常にマズイ。
「リルル、今度名前を名乗るときは、長男か一人っ子にしなよ? 次男か三男はダメだよ?」
「どうして?」
「お姉ちゃんは今はじめて気が付いたんだけど、リルルって、結婚したら働くか、結婚相手に養ってもらうかなんだよ? このお城から出て行くの。」
「えー、嫌だー。ここでお母さまやお父さまやお姉さまと一緒にずっといるんだもん。」
「お城で女王様になるのはラウラだけだもの。リルルはお城の外で暮らすのよ? そしたら、貧乏な人より、お金持ちの方が楽しいじゃない?」
リルルの基準はお金だ。姉リルルは慎重に言葉を選ぶ。
「長男か一人っ子はお金持ちだから、リルルが一杯欲しいものがあっても買ってくれるわ。」
誰もがみんなそうではないだろうけどね、と姉リルルは言ってる傍からそう思った。
「だから、名前を教えるのは今度からは長男か一人っ子ね? わかった?」
「…ミーシャは?」
リルルがミーシャが好きなのは、姉リルルも知っている。困ったな…!
「ミーシャが好きなら、名前を聞いちゃダメよ?」
「どうして?」
「名前を聞かない代わりに、好きって言って、好きだよって言ってもらえばいいじゃない? そうしたら、鍵が手に入るわ。」
「鍵を貰ったらどうするの?」
「会えない日に会いに行けばいいじゃない。毎日はダメっておばあちゃんが言ってたから、時々。」
「そうね、それなら我慢する。小姓部屋にはもう行かなくてもいつでも会えるもの。」
嬉しそうに顔を輝かせたリルルに、ほんとにわかってんのかな~と姉リルルは思った。好きでも婚約していなければ結婚できないってわかってんのかな。
「じゃ、わかったら、リルル、リルルの部屋に行こうか。」
姉リルルは貰ったカギを手に、部屋の壁に出現したリルルの部屋のドアのカギ穴に鍵を差し込んだ。
ドアを開くと一面の銀色の花と満月、花畑の中央に置かれたベッドや机が見えた。夜風が吹いて花がひらひら姉リルルの部屋に舞い落ちた。
「向こうから名乗らせればいいのね。」
ぽつりとリルルが呟いた一言を、姉リルルは風景に見とれていて聞き逃してしまった。
ありがとうございました




