2、縁は自分でつなぐもの
「もう行った?」
こたつの向こう側から這い出てきた小さいリルルは、眠たそうに瞼を手でこすりながら大きいリルルに抱きついた。
「うん、おばあちゃん、いろいろ教えてくれたよ?」
小さいリルルの頭を撫でてやりながら、大きいリルルは膝の上に座らせると抱っこをした。
「鍵、返すね。ありがと、リルル。」
「うん。」
リルルは姉リルルから、姉リルルの鍵を返してもらった。大事そうに自分のポケットに入れて満足そうに姉リルルを見上げた。誰かに渡す鍵はリルルのいる部屋に直接はつながらないのか、姉リルルの部屋につながってしまった。リルルが好きと言うと私の部屋につながるのならそれも面倒な話ね、と姉リルルは思った。もっとも、リルルの部屋につながってしまうと姉リルルはそれはそれで困る。
「おばあちゃん、リルルが覚えていられるように紙に書いてくれたよ? 字は読めるよね?」
「うん、お姉ちゃんが教えてくれたもの。」
大きいリルルは自分のことをお姉ちゃんと呼ばせていた。小さいリルルが『リルル』で、転生者である自分は『姉リルル』と認識しているのだった。
「今日、おばあちゃんと鍵の交換したのは覚えてる?」
「うん、寝て夢の世界でお姉ちゃんに会ったら、鍵が増えてたから知ってる。」
エレナの鍵はプラチナの輝きで、とても美しかった。
「あの鍵はお互いに好きって言ったら貰えるんだって。」
膝に抱っこしたリルルに紙を見せながら、姉リルルは説明した。リルルはまだ幼くて、話を聞いていても聞いているそばから忘れてしまうことがまだある。きっと隠れて聞いていた話も半分は既に忘れているだろう。
「まあ、誰かの夢の中へ鍵を使って遊びに行く時は、必ず私と一緒よ? 一人で行っちゃだめよ、リルル。」
「わかった。ちゃんと小さい鳥に変身してお姉ちゃんの肩にとまってついていくわ。」
ポンっとリルルは姿を変えて、小さな青い鳥になって部屋の中を飛び回った。先ほどエレナが来た時は、鳥の姿になってこたつの布団に隠れていた。リルルは鳥の姿になるのが好きだった。
「お姉ちゃんとお話しているのも、おばあちゃんには内緒ね。」
「うん、わかってる。おばあちゃんにバレても、お姉さまに見つかっても、面倒だもの。お姉ちゃんはいつか私と混じり合うんでしょう?」
鳥リルルは姉リルルの膝の上に戻ってくると、姿を元の子供リルルの容姿に戻した。
「たぶんそうなると思うわ。あなたがもう少し、そうね、心が大きくなった頃かな。」
「それはいつぐらい…?」
第二次成長期くらいかしら、姉リルルは前世の記憶で考えた。思春期になって精神的に未成熟なものが統合されていくくらいに、たぶんは私は溶け合うと思うけれど…、どっちが主人格になるのかなんてわからないわ。実際のところどうなんだろう。
考え込んでしまった姉リルルを見上げて、リルルは尋ねた。
「私はお姉ちゃんだし、お姉ちゃんは私だもの、急がなくったっていいと思うわ。」
「そうね。」
「それにまだ、お姉ちゃんには私と別にいてほしいの。」
「どうして?」
「私が苦手なことをお姉ちゃんにやってもらいたいの。今日みたいに。」
くすくすと笑った姉リルルは、リルルの頭を撫でて、頬を寄せた。
「そうね。明日も頑張ろうね、リルル。お姉ちゃんは寝てるから、またいろいろ教えてね。」
日中はリルルが活動していて、姉リルルは基本自分の世界にいて、リルルの世界を見てはいるけれど何かを伝えることもなく何も行動を起こさなかった。夜寝てしまってから、二人の時間が始まった。もともといた姉リルルの部屋にリルルの部屋がつながったのは、リルルの世界が文字に興味を持ちはじめてからのことだった。
姉リルルはリルルの部屋に入ることが出来なかった。リルルは姉リルルの部屋に入ることが出来た。エレナにはリルルと姉リルルは繋がっていないと敢えて嘘をついた。出来れば活動できるリルルは同じ時間に一人と勘違いさせたかったからだった。二人同時に存在できると知られたくはなかった。
「おばあちゃん、また来るかな?」
「たぶんね、リルルがおかしなことをやったりしたら来ると思うわ。」
「その時はまた隠れていてもいい?」
「そうね、大丈夫よ。適当に流しておくから。」
姉リルルは愛おしそうにリルルの頭を撫でた。
「ラウラはどうするの?」
リルルはちょっと考えて、口を尖らせた。
「お姉さまは鍵を渡さない予定なの。昼間あれだけ煩いのに、夢の中でまで会いたいとは思わないわ。」
「ふうん? じゃあ、この部屋には呼ばないのね?」
「うん。うっかり交換しちゃうかもしれないわ。お姉さまは口がうまいもの。もし来たら、ドア開けなくていいから。鍵かけておいたらいいから。」
「了解。」
姉リルルはくすくす笑って、リルルを抱き締めた。
「明日は何して遊ぼうかな。」
「今日の続き?」
ぶんぶんとリルルは首を振った。
「今日やった追いかけっこはしばらくはやんないわ。そうね、明日はミーシャに頑張って告白するわ。ミーシャだけなの、名前を教えてくれないのは。」
リルルは口を尖らせた。お城にやってくる貴族の子息達は、もう何人もリルルの婚約者になっていた。ティリニー公爵家のアルフレッドに、オルフェス侯爵家のティンク、レニエ伯爵家のルーファス…。前情報なくリルルに対面して、リルルが真面目に名乗って握手を求めると、たいていの子がはにかみながら名乗ってくれ握手してくれた。おかげですでに5人の婚約者がリルルにはいた。
「ミーシャは不思議よね。きちんと名前を教えてくれないから、いつまでたっても婚約できないんだものね。」
姉リルルは見ていたのでその様子を思い出して笑った。リルルが執着しているミンクス侯爵家のミーシャの兄はラウラの婚約者の一人だ。警戒しているのだろうと姉リルルは思った。
「侯爵家の人間だし、別に名乗ってもおかしくない身分なんだけど、教えてくれないの。不思議よね。」
「背が高いし、顔も綺麗だし、頭もいいし、次男だし…、理想的な結婚相手なんだけどね。」
姉リルルは前世の感覚でそう答えた。
3歳年上のミーシャは、あと2年もすればこの国の初等学校へ通ってしまう。学校へ通いはじめれば会えなくなるのは必然で、リルル以外の誰かと恋に落ちる可能性だってある。
「そうなの、お姉ちゃん、一番ミーシャが好きなんだけど、一番婚約させてくれない相手なの。でも、私、頑張るから!」
リルルはそう言って笑うと、姉リルルに抱きついた。
「沢山いる誰かのうちの一人になるのが嫌なら、初めからミーシャが名前を教えてくれたらいいのに。そしたら、ミーシャ以外、誰とも名前の交換なんてしないわ。」
それでもこの子はするんだろうなと姉リルルは思った。じゃないと、ミカエルの結婚相手としてリルル・エカテリーナの名前が出てくるはずがない。
ローズという少女が主人公の『ときめき四重奏』という乙女ゲームの、主軸となる王太子ミカエルのノーマルエンドの結婚相手であるリルルは、この国から遠く離れた中つ国の寄宿学校へ通ってそこで駒の一つになる。
ローズは、王太子ミカエル、公爵令息エリック、異国の王子サニー、宰相の息子リュートという四人の攻略対象者と恋愛して、それぞれの攻略対象者とハッピーエンド、ノーマルエンド、バッドエンドのいずれかの結末を迎える。ローズが攻略対象者と幸せな結婚をしないとハッピーエンドにはならないので、なかなか難易度は高かった。
極端に言えば、男爵家出身の半分平民のローズが、ミカエルの婚約者であり悪役令嬢と呼ばれる公爵家の令嬢を踏み台にのし上がるゲームで、リルルの役は、公爵令嬢が絞首刑になった後に登場してハッピーエンドをひっくり返す悪役令嬢だった。
自分以外の誰かも、運命に引き寄せられるようにして中つ国の寄宿学校へ通うことになるんだろうなと姉リルルは思った。それまで自分が前準備として出来ることは、健康を保ち、程よい評判を維持し、それなりの学力を身に付けることぐらいだった。
「リルルは、中つ国に行ってくれる?」
憧れの本物のミカエルに会ってみたい。あの声で囁かれたい。姉リルルは逸る気持ちを隠しきれずに顔を輝かせた。
「えっと、中央の大陸の真ん中にある大きな国だよね? 古くからあって、大きな港も持ってて、久しく戦争をしていないからお金を持ってる国だよね。」
この子の基準はお金かあ…、幼いながらしっかりしている子だわ、と姉リルルは思いながらリルルを見た。
「きっと寄宿学校は楽しいわよ?」
ゲーム通りより下手にローズは攻略してくれるといいな。自分が登場するノーマルエンドを期待したい。
「あんまり行きたくないなあ…。」
リルルは不満そうに膨れっ面になる。
「どうして?」
「ミーシャと離れちゃうじゃない?」
「それもそうね。」
困ったな、ここにきてミーシャなのか…、姉リルルは考える。
「じゃあ…、ミーシャも連れていけばいいんじゃないかな。」
「それいいわね! 素敵!」
リルルはぽんとリスに変身すると、「ステキ! ステキ!」と言いながら部屋中を駆け回って、あちこちのゲームソフトの山や本を蹴り倒した。
あーあ、こんなことなら記憶のディスクを見せるんじゃなかった。姉リルルは溜め息をついた。
以前、小学校の頃ハマった動物園巡りの思い出の記録をリルルに見せたことがあった。大きくなってからのディスクはゲームのソフトが多くて、子供の頃のディスクは家族で出掛けた思い出が多かった。
ゲームばかりする姉リルルにリルルが違うのが見たいと言ったから見せたけど、こんなふうに使われちゃうとは思わなかった。そもそもこの国に動物園ってあるのかなあ…。リルルは一日のほとんどをお城の中だけで過ごしている。幼い故に外出する公務もない。
「ちょっと、リルル、落ち着いて!」
姉リルルは腰に手を当ててリルルに怒鳴った。
「もう! 悪い子は捕まえて食べちゃうぞ~!」
くすくすと笑いながらリスリルルはジャンプして一回転した。途中でリルルに戻って、こたつの上に着地する。
「もうじき私、起きちゃうかも。もう朝みたいだもの。」
「またね、リルル。」
「またね、お姉ちゃん。」
二人は抱き合って別れを惜しむと、「また今晩ね?」と約束してにっこりと微笑んだ。
※ ※ ※
侍女のクグロワに起こされリルルが目を覚ますと、リルルはまず着替えを手伝ってもらいながら今日一日の予定を事細かに聞いた。子爵家出身のクグロワは、リルル付きの侍女の中で一番年が若くて一番口が煩くて一番細かかった。
「今日は午後からラウラ様と女王様とご一緒に、遠く東方の国の使節団との面会がございます。」
「大人ばっかり?」
「いえ、お子様が何人かご一緒されておられます。」
「遠く東方の国の人ってかっこいい?」
クグロワを含めてリルル付きの侍女達は揃いも揃って長女でしっかり者で、上には兄がいて下の兄弟は妹を持つ姉揃いだった。
リルルが興味を持つことにいくらでも付き合ってくれ、趣味はお芝居鑑賞という伯爵家出身のケイティが指を立てて「いいですか、」と説明し始める。
「あそこは上2人が正妃様のお子様で、その下のお子様から寵妃様や側妃様のお子様です。正妃様は普通、寵妃様は美人、側妃様はやや普通ですから、お顔で選ぶなら3番目のお子様でしょうね。」
「じゃあ、リルルはその人にする。」
婚約がどういうことなのかよく解っていないリルルにとって、婚約者は綺麗な蝶を集めるのと同じ感覚だった。
「ラウラ様が先にお手付きになられた場合は、ご婚約できませんよ?」
婚約者は重なってはいけないのは暗黙の了解で、年長者にまず機会を譲るのも礼儀だった。
「お姉さまばっかりズルいな~。」
「こればっかりはどうしようもありません。顔がよくてもダメな男も世の中にはいますから、そういうものだと諦めましょう。」
「さ、お着替え、お済になりましたよ? 今日も一日、良いことが沢山ありますように。」
クグロワが満足そうに鏡の前のリルルを見た。「今日もいい子が一番何よりです。」
「はあい、お姉さまに叱られないように頑張るわ。」
リルルは鏡の前でくるっと回ると今日の装いを確かめた。薄いピンク色のドレスを着て、頭には赤いリボンでカチューシャにしてもらった。
「お姉さまは今日は何色なんだろう?」
「ラウラ様は紺色でしたよ。」
おとなしい侍女のカロヨンがリルルが脱いだ洗濯物を片付けながら言った。カロヨンは男爵家の出身でとても美しい娘でも、出世競争に勝ち残れず、ラウラ付きではなくリルル付きで収まっている侍女だった。本人はクグロワとケイティと仲良くいられるだけで満足しているようなので、リルルはそういう人生もありなのかなと思って見ていた。リルル付きの侍女は他にも2人いて、出勤日が微妙にずれていて、5人とも仲良しだった。
「お姉さまは海の色がお好きね。」
リルルは窓辺に向かった。窓からは地平線に港が見える。王都は広く、港まで家屋敷が続いている。大陸一の繁栄を誇るこの都市は、この国の財力と軍事力の象徴でもあった。
「あれがあの国の軍艦かあ…。」
港には大きな軍艦が停泊している。異国の軍艦は、この国のいくつもある軍艦に引けを取らない。
「かっこいい人だといいのにな。」
お城の窓から見える景色は、いつも城下町の屋根ばかりで、生きている人は小さな点のようなものだ。王女であるリルルの住む世界は城の中だけで、城に来てくれて初めて『生きている人』に変わる。
「私をここから出してくれる人だといいな。」
小さな声で呟いて、リルルは遠い空を見上げた。
※ ※ ※
昼食を済ませたリルルは、ラウラと一緒に母である女王と父と、謁見の間に向かった。母は王配である父にエスコートされて歩いている。艶々と輝く漆黒の髪を巻き上げて真珠の髪飾りを付け深い紺色のドレス姿の美しい母と、サラサラの茶金髪で翡翠色の瞳の美しい父の深緑色の軍服姿で二人並んだ姿は、絵物語のようだった。美しいなとリルルはぼんやりと思った。両親が仲が良いのは素晴らしいことだけれど、私もその手をつないでほしいものだとリルルは思いながらついて歩いていた。
美しい両親の美しい部分だけを繋ぎ合わせて出来上がったような美しい姉のラウラは、ニヤニヤとリルルを見て、「手をつないであげましょうか?」と言って手を差し伸ばしてきた。
「小さい者に施しをしてあげるのも、姉である私の務めです。」
「いりません。」
拗ねて口を尖らせたリルルに、ラウラは無理やり手をつないできた。
「意地っ張りですね、リルルは。」
「お姉さまが押しつけがましいんです。」
「まあっ」
二人はお互いの言い分に腹を立てていたけれど、手をつないで謁見の間に入った。ふかふかの真紅の絨毯の上を歩いて奥へと進んだ。
王族として女王の傍に並ぶと、侍従が「では、お待ちくださいませ」と一礼して遠く東方の国の使節団を呼びに行った。
「二人とも、むやみと名乗ってはいけないよ? あの国は面倒だからね?」
父がそっと忠告した。
「今回第二王子と第三王子が外遊に来ている。歓迎はするが、だからといってお前たちをくれてやる気は無い。お前たちがあの者たちを振り回せる気が無いなら、何もするな。」
女王の威厳で母が静かに告げた。
「わかっております。私はこれ以上は増やす気はありません。」
ラウラは頷いて、父を見た。
「リルルは?」
「私はまだ欲しいから、かっこよかったら婚約したいです。」
「お前らしいな。」
くすくす笑った父とラウラに口を尖らせて、リルルは「笑い事ではありません」とむくれた。
入ってきた遠く東方の国の使節団は、深い群青色の軍服を着ていた。濃紺のマントを翻した一段の中に、どう見ても子供な軍人が二人いた。
一人は普通にかっこいい少年で、もう一人はとても綺麗な顔をした少年だった。
「どっちでもいいなあ。」
リルルが呟くと、ラウラは微笑んだ。ラウラと視線を合わせた二人の少年はにっこりと笑った。
なんだ、どっちもお姉さま狙いなんだ。リルルはつまんないの、と思った。
案の定、遠く東方の国の王子である、第二王子と第三王子は姉ラウラの沢山いる婚約者のうちの一人となった。姉は振り回せる自信があるのだろう。一人ならまだしも二人は無理だわ、とリルルは思った。
「リルルは良かったのかい?」
父が気を使って尋ねてくれたけれど、「またいいご縁を探します」としかリルルには言いようがなかった。
まだまだ私にはラウラお姉さまは越えられないわ。そう思った。
ありがとうございました