13、立場で扱いが違うもの
翌朝、弟のクリストフが母の部屋の前で侍女に連れられて紫色の花を抱えているのを見た時、リルルは胸が苦しくなった。
「リルルお姉さま、」
嬉しそうに顔を輝かせたクリストフがリルルに向かって手を振った。母の私室への入室を巡って、押し問答をしていただろう大勢の侍女たちがリルルに気が付き会釈をした。リルルからそれとなく事情を聴いていたクグロワが、リルルに一礼をすると先に侍女たちのところへ走り寄った。
母の様子を見に来たリルルは、母の部屋にクリストフが入れない事態に、母の容体はあまりよくないのだと理解した。母付きの侍女たちは口止めされているのか、クリストフに事情を話せなくて困っている様子だった。
クグロワがリルルを見たので、リルルも頷くと笑顔を作って、「お母さまはご公務でお疲れです。クリス、お姉さまのお部屋に行きましょう、」と誘った。
素直に頷いてクリスが持ってきた花を母付きの侍女に手渡すと、リルルはクリスたちを引き連れて自分の部屋へと戻った。ちらりと振り返ると、母付きの侍女たちはほっとした様子でリルルにお辞儀していた。
学校へ行く支度をしておいてよかったなとリルルは思った。廊下の隅に置かれた柱時計を見れば、まだ出発時間までしばらく時間があった。
「リルルお姉さまは今日は学校をお休みなさるのですか?」
手をつないだクリスが嬉しそうにリルルを見つめた。休んでもいいけど、一度休むと学校行きたくなくなっちゃうんだろうなとリルルは思った。
「ごめんね、学校には行くわ。少しだけクリスとお話して、また帰って来てからクリスに会いに行くわ。」
「そうですか…、」
クリスがしょぼんとした顔がやるせなくて、弟の可愛さと学校での気苦労を天秤にかけてみた。リルルはやっぱり学校なんか休んじゃおっかなと思った。
リルルの部屋に入ると、クリスは嬉しそうにリルルとピンクのソファアに並んで座った。
「クリスは、こんな早くからどうしてお母さまのところへ行ったの?」
早いと言ってもいつもの母なら起きている時間だった。王配の父は仕事を始めている時間でもある。ただ、事情が事情だけに、母を起こすのは可哀そうだと誰もが思ったので中へ取り次がなかったのだろうなとリルルは思った。
「お母さまが南都への公務へお出かけになる前にお話していた花が、蕾だったのが咲いているのを今朝見つけたのです。だから、見せて差し上げたかったのです…、」
そういう場合って、切り花にしないで、そのまま報告して一緒に見に行こうって誘った方がいいんじゃないのかなとリルルは思った。
「あれはなんの花?」
「桔梗です。お城の薬草園で育てている花なんです。根っこをお薬の原料に使うんですよ。」
ああ、だから切り花にして持って来ているのね、とリルルは納得した。花は薬の原料にいらないから薬草園の管理者も許したのだろう。
「へえ…、クリス、詳しいのね。」
得意そうな顔になって、クリスは嬉しそうに言った。
「ええ、僕、いつかお薬のお勉強をして世の中の役に立ちたいのです。だから、お母さまにお願いして、薬草園の小姓に入れてもらう約束もしたんですよ?」
「クリスはおりこうさんね。もう字は書けるの?」
「ええ、書けますよ? 本も読めるし家庭教師のマルムス夫人に計算も教えてもらっています。」
マチルダ・マルムスという細身の婦人は、子爵家の出身で若い頃に師範学校へ通った経験を生かして貴族の子供に勉強を教え、幼馴染のマルムス伯爵と結婚してからも家に入らず上級貴族の子供達に勉強を教えていた。リルルも初等学校へ通うまでの間、週に何回か来てもらって世界情勢や計算を教えてもらった経験があった。
「私もマルムス夫人に教えて頂いたわ。先生は優しい?」
クリスはちょっと黙って小さい声で、「優しいと思います、」と答えた。
「ふふ、私も怖かったから、あんまり優しいとは思わないわ。厳しいけど、間違ったことは言わないの。あの人、そんなものなのよ。ラウラお姉さまも教えて頂いていたと思うわ。クリスはラウラお姉さまと会った?」
ふるふると首を振って、クリスはリルルを見上げた。
「ラウラお姉さまとは今日はまだお会いしてません。ラウラお姉さまはお優しいですが、リルルお姉さまみたいにお話しできないので、またいつかお聞きしてみます。」
「あら、クリス、今のマルムス夫人のお話を聞いてみたらいいのではないかしら?」
「そんな噂話みたいなことを、ラウラお姉さまが教えてくださるとは思えません。」
うーん、もしかして、この子、ラウラお姉さまと私とで顔を使い分けてたりする? リルルは小さいけどこの子は凄いなと思った。
「今日はお時間いただいてありがとうございました。リルルお姉さま、もう学校へ行かれる時間なのでしょう? さっきから時計を見ておられますね。」
変に気を遣う子なのは賢いからなのかしら。リルルはクリスがしっかりしすぎていて弟ではなく兄のような気がするわ、と思った。
「気のせいじゃない? 今日はお休みしたっていいのよ?」
「元気なのにお休みはいけませんよ、リルルお姉さま。学校へ行かれると決めたのなら、ちゃんと行ってください。」
「わかったわ、帰ったらまたクリスに会いに行くわ。」
しっかりした弟だなと思いながらリルルは部屋を出て行くクリスを見送った。立ち上がって鏡の前に立つと、クグロワたちが学校に行く準備を整えてくれる。
「リルル様もあれぐらいしっかりなさればよろしいのに、」
クグロワにしっかり嫌味を言われて、リルルは優等生の姉としっかり者の弟に囲まれると大変だなと思った。
「まあ、いいのよ、私は私だから。ラウラお姉さまみたいにもなれないし、クリスみたいにもなれないわ。」
諦めたように答えて、ケイティに手渡されたカバンを手に取ると、今日も一日頑張ろうねとリルルは鏡に映る自分に小さく微笑みかけた。
※ ※ ※
母があんな状態なので浮かれた気分になれず、かといって沈んだ表情をしていて周りに気を使われるのは嫌だなと思ったリルルは、努めて普通のリルルでいることに気を配った。
それでもティンクには気が付かれたのか、教室で放課後、帰り際に、「何かあった?」と聞かれてしまった。
「何もないよ?」とティンクの顔を上目遣いに覗き込むと、「嘘付き」と鼻を弾かれてしまった。あまりの衝撃にリルルはのけ反った。
「痛いじゃん、何するの、」
「嘘ついた罰。」
ティンクは鼻を抑えたリルルの顔をじーっと見つめると、「言いたくなったら言いなよ?」と珍しく優しくしてくれた。
「リルルのこと好きなの?」
今がチャンスだと思って尋ねてみたのに、ティンクは口を尖らせて「バーカ」と言ってカバンを手に他の友達のところへ行ってしまった。リルルにそんな口をきくのはティンクだけだった。
男の子って難しい、とリルルは思った。
※ ※ ※
中庭のベンチを目指して歩いていると、リルルは正面玄関の靴箱近くの廊下で上級生の女子生徒たちに捕まってしまった。
「リルル様、ちょっとよろしくって?」
「ええ、よろしいですわ。」
女子が6人か。ふうん、月並み、とリルルは人数と容姿を把握する。
リルルよりも背が高くて、リルルよりも場数を踏んで状況に慣れていそうな彼女たちは、リルルの知り合いではなかった。
廊下で話すのは難有りだけど、どこか人目のないところに行く気もなかったリルルは、その場で立ち止まった。
「ここで構わないので、ご用件をお願いします。」
なんだろう、こういうのって断罪って言うんだっけ? 姉リルルの好きな乙女ゲームでは、悪役令嬢は悪いことをし過ぎて、みんなの前で悪行の数々を暴露されて軽蔑されちゃうんだっけ? 婚約も解消されて絞首刑だったっけ?
リルル、この人たちに何か悪いことしたかなあ。顔も好みじゃないんだけど。
首を傾げたリルルを見て、女子生徒達は頬を染めて言葉を飲んだ。思っていた以上にリルルが可愛くて、彼女達は圧倒されていたのだった。
美人のラウラとは違うとは聞いていたけれどこんなにも違うのね、と、間近で見たことがなかった彼女達はすっかり魅了されていた。
じーっと声を掛けてきた女子生徒の顔を見つめるリルルに、動揺を隠しながらも違う女子生徒が話始めた。
リルルが同じ学年にいたらこっそりファンクラブを作っていただろうなと、他の者たちは思いながら見つめていた。可愛いリルルの傍にいて黒猫のように可愛がりたい、そう思ってしまった。
みんな茶金髪に薄い緑色の瞳というこの国の人間にありがちな色彩で、貴族の子女にありがちな品の良い佇まいをしていた。
誰も伯爵家以上の階級の者たちなんだろうなとリルルは思った。
同じクラスの者達でも、リルルに自分から話し掛けてくるのは伯爵家以上の爵位の身分の者の子息子女で、みんな堂々としていた。
「リルル様はこの度、婚約を7人も解消されましたが、何かお考えがあってのことなのでしょうか。」
「特に何もありません。」
何か考えがあったら婚約解消なんかしないよ、とリルルは思った。何か考えて婚約もしたことないのだから、リルルにとって婚約で必要なのは勢いだけだった。
「また増やされるおつもりですか?」
「もう増やしません。」
ミーシャと婚約できたし、もう増やす必要はなくなっていた。
「そうですか。」
ほっとした表情になって彼女たちは胸を撫で下ろした。
「あなたたちの御用件をお聞きしても構いませんか? できればお名前と何年生かも。」
お互いの顔を見合わせて、女子生徒たちは小さな声で「私たちは3年生です、」と学年だけは教えてくれた。
3年生だと、誰も私の婚約者はいなかったはずなんだけどなあ、とリルルは思った。
「私の姉か私に、何か用事がありましたか?」
「いえいえそんな、滅相もありません。ラウラ様に何かをなどと…!」
「そうです、リルル様にはお聞きしたいと思いましたが、ラウラ様には何もございません。」
なんだろう、そのラウラお姉さまとリルルに対しての態度の違いは! リルルはちょっとイラっとした。一応同じ親から生まれた同じ王族なんだけどな。
「3年生で婚約者を増やしてはいけないってことですね?」
リルルは興味なかったけれど、2つ上には有力な長男か一人っ子が沢山いるんだろうなと察することが出来た。
お城に帰ったら情報通のチスエルか顔の広いケイティに聞いてみようと思う。今日はどっちが出勤だったっけ…。
黙ってしまった彼女たちの表情を見て、図星だったのねとリルルは思った。
「おねえさまたちは婚約者がいらっしゃるのですか?」
「まだ決めかねております。私達は社交界にデビューしておりませんので。」
社交界にデビューできるのは、この国では15歳からだった。成人が18歳で結婚できるのも18歳からだったので、15歳でも早いくらいだわとリルルは思っていた。
そんなに早くラウラがお嫁さんになっても嫌だった。お嫁さんて誰かのものになることでしょ? とリルルは思う。ラウラはもう14歳になる。
「社交界にデビューする時は、婚約者が必要になるでしょう?」
女子生徒の一人がリルルの顔を見つめながら言った。
「デビューの時、ファーストダンスを踊る相手は婚約者なのはご存知ですよね?」
「リルル様はおひとりではなく沢山の方をお連れになるのでしょうか?」
言われてみれば婚約者とはいえ、何人もの相手と踊るのは面倒なことに思えた。
「さあ、それまでに減らしているかもしれませんよ?」
にやりと笑ったリルルを見て、女子生徒たちは慌てたように取り繕って言った。王族に向かってする質問ではないとやっと気が付いたのだろう。
「とにかく、私たちは自分が婚約する可能性がある相手が減るのをあまり歓迎いたしませんの。判っていただけたようでよかったですわ、」
「名前を教えてくださらないおねえさまたち、またどこかでお会いした時、いろいろお伺いしたいことがあるのですが、お付き合いしてくださいますか?」
ぐっと言葉を飲み込んで、去り際に中心にいた女子生徒が「エリース」と答えると、他の者たちも「レミール」「ローイエ」「コッツェ」「エディーア」「ルジェ」と名乗ってくれた。
後姿を見送って、大量に頼れるおねえさま獲得! とリルルはほくそ笑んだ。今まで3年生に人脈がなかったのに、一日で伝手がずいぶん増えた。
見知らぬ3年生に囲まれた事実よりも、これで少しは世の中の事が判るようになる可能性を得たわと前向きに捉えることにした。
※ ※ ※
お城に帰ったリルルは、着替えをしながらさっそく侍女のサミラとリディアとカロヨンに尋ねてみた。
リルル付きの侍女たちは年頃になり結婚して家庭を持ったリディアとチスエルに加えて、ケイティの妹のサミラもリルル付きの侍女となり6人に増えていた。
要領のいいサミラは仕事にすぐに追いつき、リルルの事情も理解してくれて頼もしい存在だった。
「今日ね、学校で面白いことがあったの、」と3年生たちに捕まった話をすると、侍女たちはぶつぶつと言いながら気色ばんで名前をメモに書き取り、「心得ましてございます」と答えた。
「何もしなくていいわよ。だた、そういうことがあったってだけ。面白そうな人達だからこの先学校でいろいろ教えてもらうことにするわ。お茶会に呼んでじっくりお話もしたいくらい。でね、」
リルルは自分がこの先、彼女たちを手足として使う気であると言外に匂わせてしまったと気が付かないまま続けた。着替えが終わり、ソファアに座ったリルルはリディアに肩を揉まれながら尋ねてみた。
「2つ上の年齢で、有望な公爵家や侯爵家の長男や一人っ子っているのかしら。」
少し考えて、リディアが答えた。
「リルル様のお目に留まる者は、基本、お城で小姓としてお仕えしていた次男や三男ばかりでしたからね、御存知ないのも仕方ないと思います。私達の耳に聞こえてくるような者は、グロケット公爵家のマクシミリアン・サウル様ぐらいですね。」
カロヨンも頷きながら続けた。
「グロケット公爵領は北東にあって、大きな港をお持ちです。リルル様は何度か公爵家のお城にお立ち寄りになっておられますよ?」
リディアが思い出したように続ける。
「あそこのお子様たちにも何度か面会されていると思いますが?」
「え、そうなの?」
6人いるので年ごとに入れ替わりリルルと祖母たちの旅行に同行してきているので、侍女たちはそれなりにマクシミリアンと家族に見覚えがあった。
「昨年と一昨年の御旅行の際にはお子様たちはご不在でお会いになっていませんから、記憶に残らないほどの人物だったと、お忘れになってもよろしいのではありませんか?」
くすりと笑ってサミラが提案する。彼女達にとって、リルルに会いに来ない者は、公爵家の人間だろうとリルルにはふさわしいと思えなかった。
「そう言われればそうなのかも。」
国内の貴族で公爵家で長男で将来有望ってお父さまの望んだ条件通りだから、婚約は敢えて避けたんだろうなと、過去の自分の判断を振り返った。
ミーシャと婚約していない段階でうっかり跡取りと婚約すると、その者に絞るように言われてしまう可能性があった。
まあ、今はもうミーシャと婚約したからどうだっていいことだけどね、とリルルはにやりと笑った。
自分の部屋で自分の気の許した侍女たちに囲まれて安心したからか、リルルは猛烈な眠気を感じはじめていた。とろんとした表情で、でも、話が聞きたくて頑張って起きていた。
「それにしても、身の程を知らない者たちですね。リルル様に向かって婚約者がどうのと言い出すなんて!」
気の強いサミラが鼻息を荒くして言うと、カロヨンがまあまあと宥めた。
「名前と学年さえ判ればこちらでも調べが付きます。何かあってからでは遅いですから私達も把握しますが、リルル様、よろしいですか?」
「ええ、お願いね。」
うとうとしながら答えたリルルを見て、カロヨンは優しく靴を脱がるとフッドレストにリルルの足を乗せた。しばらくすると、リルルの静かな寝息が聞こえ始めた。
し~っと親指を立てたリディアを先頭にそっと洗濯物を手にリルルの傍を離れ、クローゼットルームで片付けをしながら3人は溜め息をついた。
「女王様のご容態のお話を聞いて心配はしていましたが、やはりリルル様が夢で予知されたのですね。」
女王の健康状態は国民としては心配でも、自分たちの主のリルルの方が彼女達にとっては重要だった。
「今日は朝からクリストフ様とのことがありましたからね。今朝、突然、女王様のお部屋にと仰られた時は何故かと思いましたが、クリストフ様の行動まで察知しておられたのですね。」
仕事の引継ぎで、朝いなかったリディアとサミラは詳細をクグロワから聞いて知っていた。
「お疲れなのに学校にきちんとお通いになられて…、お休みをされると余計な詮索をされると気を使われたのでしょうけれど…、ラウラ様と違ってまだリルル様はお小さいのに。」
涙声になったカロヨンが俯くと、サミラが背中を撫でた。
「私達がお守りしましょう。お小さい体でお仕事をされているのですから。」
「私の妹達は、学校と家との往復だけでも文句を言っていますよ。リルル様とは大違い。」
涙を拭ってカロヨンが笑うと、サミラが頷いた。
「私も初等学校に通っていた頃は遊んでばかりでしたわ。うちの弟も似たようなものです。」
そっと隣の部屋で眠るリルルを見て、「きっとまた夢を見ておられるのですね、リルル様は、」とリディアは小さく呟いた。
「せめて夢も見ないくらいに眠らせてあげたいですわ。」
できない事と判っていても、彼女達にはそう祈ることしか出来なかった。
ありがとうございました




