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悪役令嬢の歩き方  作者: 高坂千穂
第二章 リルル 10歳
10/161

10、躊躇ってちゃ身動きが取れなくなるもの

 リルルはさっそく名前の書いた一覧を手にすると、朝、学校に行く前に父の執務室に向かった。王配である父の一日は早くて長い。もうすでに父の姿は執務室にあった。

「お父さま、よろしいですか?」

 仕事をはじめようとしているのか、机の上に広げた書類に目を通しながら袖まくりをしている父は、部屋のドアをノックしながら制服姿で入ってきたリルルに目を留めると「おはよう、リルル、朝から何の用だい?」と尋ねた。

「おはようございます、お父さま。ちょっとお時間を頂きたいのです。」

 リルルが畏まってお願いに来るときはどうせロクでもない事なんだよなあ、と父は思ったけれど顔には出さずに頷いて、「その紙は何だい?」と手を差し出した。

「申し訳ないのですが、リルルは少し考えまして、婚約者を検討したのです。婚約してから今までの間に接してみて反応の良くない者を婚約者から外そうと思うのですが、いけませんか?」

 物は言いようだなあと父は思った。把握しきれなくなったからお払い箱にしたいと言いたのだろうなと思う。自分もかつて沢山いた婚約者の一人だっただけに、望まれなかった者の気持ちも何となく察することが出来た。リルルから紙を受け取ると、目を通しながら父は答えた。

「リルルの言い分は判った。実は現在までの間に、婚約解消の申し入れのある者は何人かいる。その者達とリルルの希望が同じなら、婚約解消の手続きを取ろう。リルルだけが婚約解消をしたいと言っている者は、保留となるけれど、いいかい?」

 リルルは父の顔を見て、上目遣いに尋ねてみた。きっと今のタイミングでしか聞けない事だろうとリルルは思った。

「お父さま、リルルと婚約する事で、得をしている者はいるのでしょうか?」

 姉のラウラのお守りの婚約のように、リルルと婚約する事で少しでも恩恵を受けている者がいればいいなとリルルは思う。

 父はリルルを見て、優しく微笑んだ。

「どうしてそう思うんだい?」

 質問に質問で返す時は、答えが逆の時だ。リルルは経験で父の癖を知っている。

 そっか、恩恵がある者はいないのか…、残念だけど仕方ないなと思った。そこまで嫌がられているとは想像していなかっただけにショックを受けたけれど、リルル自身も興味がない婚約者がいるのだからおあいこなんだろう。この際、手放せる者はすべて手放してしまおうと思った。

「リルルとの婚約が嫌なのなら、お父さまのところに希望してきている者をすべて婚約解消して貰いたいなと思ったのです。」

 俯いてリルルが提案すると、さすがに父もリルルが哀れに思えた。こんなに可愛い自分の娘を傷つけるのは、例えリルルが悪いとしても許せないと思ってしまった。父は結構親バカだった。

「いいんだよ、リルル、お前がそこまで折れてやる必要はない。お前が持ってきた紙にある者は3人だね。その3人と私の手元にある希望者が同じなら、その3人でいいじゃないか。」

 父は自分の執務机の引き出しから深紅の書類挟みを取り出すと、中の書類の名前と照らし合わせた。

「そうだね、お前が持ってきたこの3人はこちらの希望者にも名前がある。これでいいだろう。」


 リルルは2番目と3番目と4番目の婚約者を手放すことにした。ティンクは友達だからまた次の機会に先送りにして、ルーファスは向こうから婚約を希望してきていたので迂闊に動けないなと思って何も行動を起こさないことにしたのだった。

「アルフレッドは意外だったね。ルーファスを手放すと言いだすかと思っていたよ。」

 父は書類に目を落としたまま呟いた。

「アルフレッドは進路のこともあるでしょうし、早めに自由にしてあげた方がいいと思ったのです。ルーファスは私のことが嫌いではないようなので、何もしなくていいだろうと思いました。」

 リルルが案外きちんと受け答えをするので、父は書類をリルルに見せてもいいかなと思い始めた。

「他の婚約解消を希望している者を知りたいかい?」

「…可能なら、知りたいです。」

 怖いもの見たさで答えたリルルに、父は残り4枚の紙を見せてくれた。

「この4人は全員、今年になってからリルルが婚約した者達だ。リルルが今、手放したいというのなら、全員解消しても構わないけれど、どうする?」

 リルルは5人のうち一人がそれでも婚約を継続したいと言ってくれていることに驚いていた。

「1年も経たないうちに婚約を解消して、この者たちは不名誉になりませんか?」

「ならないだろうね。ラウラに婚約解消されたのなら不名誉になるだろうが、リルルは第二王女だ。しかも幼い。特に向こうも支障はないだろうね。」

「あの、お父さま?」

「なんだい?」

「結構簡単に婚約できて、結構簡単に婚約解消できるのって、私が第二王女だからですか?」

 父は目を細めると、小さく頷いた。

「リルルがまだ幼いから、というのもあるよ? 成人が近くなってからする婚約と、こんなに幼いうちからする婚約とでは、向こうも意味が違ってくるからね。ラウラのように幼いうちから相手の行動を縛り付ける意味があったのならともかく、リルルの場合はそれがかえって負担にもなるからね。」

「婚約は相手の行動を縛り付けるのですか?」

 きょとんとするリルルに、父は優しく答えた。

「婚約する事で、勉学に励み人望を集め心身を鍛える者も出てくるだろう。ラウラのように将来女王になる者と婚約するということはそういった覚悟を幼い頃から植え付けるのだよ。お父さまのようにね。」

「お父さまも、お母さまと幼い頃に婚約なさったのですか?」

「私は…、あれは初等学校に入ったばかりの頃だったね。お母さまと出会って、臣下の忠誠を誓って、結婚相手と選ばれなかったとしてもこの方に仕えようと思ったものだよ?」

 リルルはそんな風に扱われたことがないなと思った。みんな騙し討ちで婚約しているので、リルルに対して冷たい。私が思っているよりも、みんな真剣に結婚相手と将来の自分のことを思い描くのね。私ももう少しきちんと自分の将来と向き合った方がいいのかもしれないな。

「同じように、リルルとの婚約を名誉と捉えることが出来るように励むことが理想だが、婚約者が長子ならともかく、お前は次男や三男ばかりを選んでいるからなあ。」

「いけませんか?」

「自分の将来が不安定なのに加えて、リルルを養う気概がある者ばかりではないだろう。もともと親の財力や家の爵位を獲られない彼らに、そんな財力や権力を期待してはいけない。」

 リルルは覚悟を決めた。

「お父さま、今年入って婚約した4人も、手放せるなら手放したいです。もっと丁寧に相手の気持ちも立場も考えて、婚約しなおすことにします。」

「では、リルルの婚約者は3人まで減るけれど、構わないのかい?」

「ええ、何も不都合はありません。」

 よくよく相手の事情も知らずにした婚約だった。第一印象だけで決めて、その後仲を深めようともしなかった。いっそのこと、全員婚約解消したっていいとさえ思う。

「この3人以上の者が見つけられない場合は、いつかこの3人から選ばなくてはいけない日が来たとしても、リルルはいいのかい?」

「人数が多くても、そんなに解消を希望する者達ばかりの中で選ぶのなら、いないのと同じです。」

 寂しそうに笑ったリルルを見て、父はリルルが悪いのだと判っていてもすんなりとこの者たちと婚約解消させたくないなと思いはじめていた。こんなに可愛い私の娘が正当に評価されないこの世の中は間違っているとさえ、身勝手にも思えてきていた。

「わかった。リルル。いったん数を減らそうか。この後婚約者を選ぶ機会が来る日の為に、リルル自身の魅力をもっと磨いていこう。お父さまも協力するよ。」

「ありがとう、お父さま。」

 自分の首に抱きついて頬にキスしてくれるリルルをぎゅっと抱きしめて、父はこんなに可愛いリルルが傷付くくらいなら、いっそのこと、嫁になんかいかせないでこのまま王女の身分で手元に置いておいてもいいとさえ思ってしまった。いざとなれば時見の巫女として大切に保護してやろうとさえ思っていた。

「私の可愛いリルルが、今日もいい日であるように、お父さまは祈っているよ。」

 リルルの頭を撫でて、父はほろりと涙ぐんだのだった。


 ※ ※ ※


 姉のラウラはその後の数日の間、リルルの顔を見て様子を伺い、リルルが俯いただけで頭を撫でるという過剰に優しい反応を見せた。姉リルルに言わせると、ラウラはリルルが落ち込んでいると思っているに違いないとの推測だった。挙句に、「どうしたの?」とリルルが首を傾げて尋ねると、「リルルが可愛いからよ」と頭を抱き締めてくる始末だった。

 ちょっとうざいな…と身勝手なリルルは思っていたけれど、ラウラの好意をうざいと思ってしまう私は何て心が狭いのだろうと悶々と悩んでしまい、何もラウラに言えなかった。

 そういう悩んだ様子が更にラウラにはかわいく思えて、「よしよし」と頭を撫でられているのだとは思ってもいなかった。

 リルルが一度に7人の婚約者との解消をしたことは学生間でちょっとした話題になり、7人の元婚約者たちは一躍時の人となった。

 教室で独占演説会(ヒーローインタビュー)よろしく戦果を語るモンドの様子を見ながら、リルルは我関せずと本を読んでいる隣の席のティンクに尋ねた。

「ねえ、ティンクはどうして婚約解消を希望しなかったの?」

 首を傾げて上目遣いにティンクを見つめるリルルの表情は、とても可愛かった。感情を表情に出さずティンクはじーっとリルルの瞳を見つめた後、目を細めて小さく言った。

「その顔。」

「へ、変?」

 頬を赤く染めてリルルがパッと両手で自分の頬を隠すと、その表情も可愛いなと思いながら、ティンクは小さく言った。

「僕は確かに君の婚約者ということでいろんな目にあってきたけど、君の婚約者じゃなかったら、もっと親の支配下に置かれて生活していたと思う。跡取り娘が適当な婿養子を欲しがっているような婚約を、無理やりさせられたりもしていたと思う。」

 ティンクは侯爵家の三男だった。貴族に生まれたからにはそういう結婚もあるだろう。

「でも、よく考えれば、君の婚約者でいるだけで自分の安売りをしなくて済んだし、お城で働いて一生を終えるという希望もお父さまは許してくれた。もしかすると、君と結婚しなくてもこの先、『第二王女の元婚約者』という肩書のまま自由に生きていけるかもしれない。」

「それでもいいの?」

「ああ、今はそれで十分。」

 隣で友達でいてくれる関係で、僕は今は十分、とティンクは思った。

 婚約とか結婚とか、このお姫様はそれがどういうものなのか、ちっともわかっていないだろう。結婚した後の生活なんて想像したこともないだろう。どうやってお金を稼ぐかなんて考えたこともないんだろうな、とティンクは思った。親から自立して生活は出来ても、王女のリルルを満足させれる程稼げるかはまた別の話だった。

 口を尖らせて何かを考えているリルルの横顔を見つめながら、ティンクは綺麗な顔だなと思った。同じ学校に通うようになって、同じ教室で隣で学ぶようになって、他の誰かとは違うリルルにますます愛着が湧いているなんて、素直に言える訳がない。

「友達で、十分。」

 リルルの頬をつつくと、ティンクを見てくすくすとリルルは笑った。笑うリルルの表情を見ると、ティンクは満足した。リルルのこういう顔を知らないなんてあいつらは馬鹿だと思い、こっそり婚約者の優越感に浸っていた。

 

 二人は騒いでいた者たちが自分たちを意識して騒いでいたことに、気が付いていなかった。リルル様は既にティンクを選んでいるから婚約していても名ばかりだと元婚約者たちが思い、卑屈な気持ちになるよりはと婚約解消を願ったのだとも知らなかった。

 同じ教室で二人だけの世界を語りいちゃつく二人を見ていれば、割って入れる気がしなかった。今なら、ティンクに譲れる気持ちでいるうちに手を引くのだと、胸を張れた。

「な、私は立派だろう、」と笑ったモンドに、友人たちは「よ、男の中の男!」と囃し立てた。


 ※ ※ ※


 婚約者が減って変わったことのいくつかの中に、ルーファスとの距離が変わったことがあった。ティンクと学食に行くと5年生のルーファスが待ち構えていて、「今日は私と一緒にランチしよう」と誘ってくれるようになったのだった。

 先約をしたティンクに尋ねるように見つめると「行っておいで?」と言われてしまうので、「まあ、いっか、」とルーファスと週に一度はランチをすることになっていた。

「リルルは何か困ったことはないかい?」

 ルーファスはいつの頃からか呼び捨てするようになっていて、背が高くて手足が長く整った顔立ちのルーファスは、いつもリルルの歩幅に合わせて歩いてくれた。一緒に学食から教室に帰る時は手を繋ぐようにもなっていた。馴れ馴れしいなと思っていても、婚約者ってこういうもんなのかしらと思うと、リルルは何も言えずにいた。

「何もないわ?」

 社交辞令で聞いているだけの確認なんだろうな、とリルルは思う。

 3人掛けの丸テーブルの席で隣り合わせに座って答えると、ルーファスはリルルの顔じっと見て柔らかく微笑むと、「そうか?」と満足そうに言って、ぽつりぽつりと授業で学んでいる話を聞かせてくれた。

 ルーファスは卒業後、高等学校へ進学する予定らしく、お城で小姓の仕事をしながらいろいろ学んでいる様子だった。リルルが聞いている分には、将来的にはルーファスは財務官として国の内務の仕事に就きたい様子だった。

「財務官はややこしい仕事なので、給料もいいらしいからね。」

 ルーファスは意味ありげにリルルに微笑んだ。その為には高等学校でしっかりと勉強して、お城での登用試験も受けるつもりなのだろう。

「あら、素敵ね、」と微笑み返すリルルは、まさか自分の為にルーファスが将来を考えていたなんて想像すらしていなかった。

 リルルと話をする時は、得意な数学や経済の授業の話ではなく、ルーファスはいつも自然科学の分野の話を聞かせてくれていた。授業で博物史でも取っているんだろうなと思いながらリルルは聞いていたのだった。

 あと何年かすればリルルも博物史を履修することになるので、お楽しみを種明かしされていると思うのか予習が出来て嬉しいと思うのか微妙なところなのよね、と思った。

 時々合いの手を入れながらリルルはランチを食べながら聞いていたのだけれど、ふと、ルーファスに質問してみたくなった。

「あのね、ルーファス。」

「なんだい、リルル、」

 相変わらず不敵な微笑でリルルを見つめるルーファスは、何を考えているのか見当がつかない。

「ルーファスはリルルの婚約者で、不都合はないの?」

 リルルの顔をじっと見て、ルーファスは顔を近付けて耳元で囁いた。

「リルルが僕を選んでくれたらいいなって思ってるから、ちっとも不都合なんかないよ?」

 息がかかる距離にリルルは頬を染めて、上目遣いにルーファスを見た。

「ルーファスはリルルが好きなの?」

 面食らったように目を見開いて、ルーファスはリルルを見つめた。

「嫌いな人に婚約を申し込むのかい、リルルは。」

 ふるふると首を振って、リルルはそういえば好きだからって婚約を申し込んだりもしてないわ、と思った。私が婚約を申し込むのは面白いからだわ、と気が付いてしまう。


 名前を名乗って相手に名乗らせて握手したら婚約成立して、相手の人生をしばらく自分が束縛するって、面白いじゃない? 


 そう気が付いてしまうと、好きだから婚約している訳じゃないという身勝手な理由が見えてくる。

 私、もしかして好きでもない人と結婚するつもりで婚約しているんじゃないかしら。自分で思いついた答えに、リルルは愕然とした。今でこそティンクもルーファスも話をする関係だけど、今回縁を切った7人と結婚することになっていたら、なんて息苦しい生活が待っていたんだろう。自分がそう思うなら相手だって同じことだろう。好きでもない相手となんて結婚したくないから解消を願ったんだわ。


「私は、リルルを初めて見た時に、なんて綺麗な子なんだろうって思ったよ? これが王族特有の固有の遺伝の漆黒の髪なのかって、感動すら覚えたね。傍にいてくれたらどんなに素晴らしいだろうって思ったから、仲良くなりたくて名乗ったんだ。自分の名前を覚えてもらいたかったからね。」

 ふふっと笑って、ルーファスはリルルを見つめた。

「まさかお互いに名乗って握手したら婚約成立なんて、あの当時は知らなかったよ。知らなかったとはいえ、幼い僕はいい判断をしたなって思っているよ?」

 リルルの頬を親指の腹で撫でて、ルーファスは微笑んだ。

「今回ライバルが7人も減ったんだ。すごく嬉しいよ、リルル。」

 絡め取られるような視線にくすぐったい気持ちになりながら、リルルは蛇に捕獲されるネズミの気分が判った気がした。ルーファスをリルルが子供の頃苦手だと思ったのは、そういうところなのかもしれない。

「ありがとう、ルーファス、」

 照れて俯いたリルルは大人しくランチの続きを食べた。そういう照れた表情も可愛いんだけどな、とルーファスは思った。

 ラウラのような正統派の美人よりも、リルルのような陰のある綺麗な顔の方が好みなんだよね、とルーファスは思う。やっていることも破天荒で、考え方も身勝手で、まるで猫みたいだ。

 なかなか懐かないワガママ黒猫がやっと自分の手の内にやって来たような喜びを感じて、ルーファスはリルルが自分以外の婚約者を早く見限ってくれればいいのに、と思った。

ありがとうございました

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