70 他の誰かに奪われるくらいなら(アーサー視点)
今回はアーサー視点です。
リズの部屋を退出した私は内心溜息を吐いた。
自分でも大人げない行動だと分かっているからだ。
冷静沈着、理性的と言われる私だが、婚約者に関してだけは理性も自制心も何の役にも立たない。
――どうして、ついさっきあった出来事をあなたが知っているのかとか、聞いちゃいけない気がするわ。
王女であり将来女王確実なリズには、常に国王や私の影が付いている。
それを頭では分かっていても実際それを突きつけられると、まともな人間ならリズでなくても恐怖するだろう。
リズを怖がらせる気はなかった。
普段なら「ついさっきあった出来事」のために事前の知らせもなく足を運ばない。
ただ今回だけは駄目だった。
「彼」がリズに接触してきたからだ。
皇太子としても偶然リズに会って考えていた事を言っただけなのだと分かっている。
リズを本気で手に入れるつもりなら、とっくにそういう行動に出ていたはずだ。
実際に会話したのは数回だが、それだけでも人間性は大体把握できる。
ただ勉強ができるのではない本当に聡明な人間であり、周囲を気遣う優しさも持っている。
戦時では頼りないが今の平和な時代なら皇帝として申し分ないだろう。
ただリズの婚約者筆頭候補だった男なら警戒しない。
皇太子もまたリズを愛しているからだ。
気づいていないリズには勿論教えない。
王配狙いでリズに近づいてくるような男なら、まだいい。そんな男をリズが愛するはずがないからだ。
厄介なのは、王女ではない一人の女性としての彼女を愛する男達だ。
リズを愛する男達は、私とは真逆な人間ばかりだった。
男として人間として、まともなのだ。
容姿こそ完璧だと自他共に認められるが……私の中身は自分でもどうかと思うほど最低最悪だ。
そんな私をどういう訳か、リズは愛してくれている。
――手に入るならそれでいいと思っているのなら、いずれ破綻がくるぞ。
……そんな事は分かっている。
リズを愛する男、エリオットの科白を思い出して苛立ちが募る。
リズを愛している。
けれど、彼女よりも自分の欲求しか優先できない。
自分の気持ちを抑えて彼女の幸せを願う、彼女を愛する男達。
彼らのようにはなれないし、なるつもりもない。
彼女が私以外の男と幸せになるなど絶対に耐えられない。
私のような人として大切な何かが欠けた人間よりも、他の男といるほうが確実に彼女が幸せになれると分かっていてもだ。
私の愛し方は、彼女をいずれ壊すかもしれない。
そうなったならなったでもいいと本気で思っている私は壊れているのだろう。
他の誰かに奪われるくらいなら彼女を壊す。
そう思っているのが分かっているから、あの女は私をこの世で最も嫌っているのだ。
ついさっき会った妾妃を思い出す。
リズを産んだ生母でありながら外見も中身も彼女に全く似ていない。相似は耳や手の形くらいだ。
まあ、似ていれば、私がリズを愛する事は絶対になかったが。
誰にも見咎められないようにと秘密の通路を通って宰相府の私の部屋にやって来た。
妾妃を毛嫌いしている王女の婚約者というだけでなく私は王妃の甥だ。
歴史を紐解くと王妃と妾妃という立場は、国王の寵愛を巡って、または我が子を王位に就けるために対立するものだ。
それを抜きにしても王妃は妾妃、メアリー・シーモアという女を毛嫌いしている。
その王妃の甥である私と妾妃が接触すれば何を噂されるか分からない。
だから、妾妃は人目を避けてやってきたのだ。
私も彼女も互いをこの世で最も嫌っている。
それでも妾妃がやって来たのは、彼女の最も大切な存在が係っているからだ。
「どうせもう分かっていらっしゃるでしょうが、リズの不正の噂を流した人間達の始末は、わたくしがしますわ」
「よろしいのですか? 遠因は私ですよ?」
飛び級の試験で王女が不正をしたという噂を流したのは、夜会や茶会などで王女の婚約者である私に言い寄ってくる令嬢達だった。彼女達にも婚約者がいるというのにだ。
人を上辺でしか判断しない令嬢達だ。私のような外見が完璧なだけの男に言い寄ってきたり、リズが演じる姿が本性だと思い込み王女である彼女を自分達よりも下に見ている。リズが飛び級で特Aクラスになったのも不正だと思い込み何の裏付けも取らずに噂を流した。
不正の噂を立てられたリズは災難だったが、私にとっては彼女達を始末できる絶好の口実ができた。
「愛する婚約者を裏切る気は毛頭ない」と何度言っても纏わりつく令嬢達には苛立っていたが、言い寄ってきてうっとうしいからという理由だけでは、さすがに始末できない。
王女に対して不正の噂を流したくらいでは、厳重注意の後、せいぜい学院を停学か退学処分、そして、婚約者との婚約解消か破棄か。
それだけでも貴族令嬢にとっては瑕瑾になるだろが、私や妾妃とっては甘すぎる処分だ。
彼女達はよりによって、私と妾妃の至宝、リズの名誉を傷つけたのだから。
法が裁かないのなら私達が納得できるように裁くしかないだろう。
「あの馬鹿の始末で大変でいらっしゃるのでしょう?」
妾妃もまた、あの馬鹿、エドワード・ヴォーデンが修道院を抜け出しリズに会いに行こうとしている情報を摑んでいるようだ。それでも放っておいているのは、私が対処を始めたのを知っているからだ。
偽りでも、あの馬鹿がリズの「恋人」になっている間、散々苛々させられた。
国王から「リズが何をしても、お前との婚約を破棄も解消もできない。将来女王になるしかない事を分からせるために、しばらくは我慢しろ」と言われたから我慢した。
リズが女王になりたくなくて私との婚約破棄のために利用した男だ。当然リズは身も心も許さなかったし、国王から馬鹿の父親のヴォーデン辺境伯のためにも、あまり厳しい罰はやめてやれと言われたのもあって、戒律の厳しい男子修道院に放り込む事で溜飲を下げるつもりだったのに、そんな配慮など吹き飛んだ。
よりによって、あの馬鹿はリズに接触し彼女を煩わせようとしている。
あの馬鹿は王配狙いでリズに近づいたくせに、リズが本気で自分を愛していると思っている上、自分の子を身籠ったという彼女の嘘もまだ信じているらしい。彼女に会えさえすれば、今の自分の状況を何とかできると思い込んでいるのだ。
私と婚約破棄できなかった目的が果たせなかった時点で、役に立たなかった男など、もうリズの頭から消え失せているというのに。
もう配慮などしない。
リズどころか家族や知人の前にも二度と姿を現さないように、人としての尊厳を根こそぎ奪われる場所に送り込む。
「そちらが大変なら、こちらは、わたくしがします」
確かに、あの馬鹿と彼女達を同時に始末するのは大変だ。
「では、お願いします」
この世で最も嫌いな女であるがリズが係っているのなら「お願い」する事も頭を下げる事も厭わない。
それは、この女も同じだろう。
想いの種類は違っても、リズへの想いの強さだけは同じなのだから。
その後、リズは公開試験で実力を示したので、誰ももう王女が不正したなどとは二度と口にしなくなった。
それと同時期に、学院や社交界から伯爵令嬢や子爵令嬢が数人消えたが、さして目立つ令嬢達でなかったため、しばらくはどうしたのかと囁かれていたが、やがて誰も彼女達の事を口にしなくなった。
王女の不正の噂の発生源が彼女達だと知る聡明な人間であれば分かっただろう。
そのせいで、彼女達は消えた……いや、消されたのだと。
次話は皇太子視点です。




