66 エレノアの訪問
翌日、さっそくペンドーン侯爵家に、アーサーの家に向かった。
お供は新たな侍女、グレンダだけだ。
出迎えてくれたのは、ペンドーン侯爵家の使用人全員と女主人、宰相の妻でありアーサーの母親であるイグレーヌだった。
「ようこそお越しくださいました。王女様」
イグレーヌは、にこやかに馬車から降りてきた王女を出迎えてくれた。
出会った頃からアーサーを、彼女の息子を邪険にしてきたのに、イグレーヌはいつだって私に対してにこやかに対応をしてきた。私が王女だから不敬な態度を取れないのだろう。
イグレーヌはエレノアの母親の従妹。エレノアの数年後を思わせる容姿だ。エレノアと同じ黒髪に暗褐色の瞳。中背で華奢な肢体。こういっては失礼だが、超絶美形の宰相やアーサーの妻や母にしては平凡な容姿だ。
「しばらくお世話になりますわ。イグレーヌ夫人」
私はなるべく愛想よく微笑みかけた。
ずっと高慢な王女として振舞い彼女の息子を邪険にしてきた。今更愛想よくしてもイグレーヌの王女に対する心証など良くなるはずもないのは分かっている。
それでも、しばらくお世話になるからだけでなく将来姑になる女性だ。今更であっても少しでも仲良くなりたかった。
イグレーヌの視線が私の後ろにいるグレンダに向けられ「おや?」という顔になった。
「あなた、王妃様の侍女の一人のグレンダよね? なぜ、王女様と一緒にいるの?」
イグレーヌは王妃の兄である宰相の妻。王妃は義姉であるイグレーヌを気に入っているようで、よく後宮に招いていた。そこで王妃の侍女だったグレンダとも顔見知りになったのだろう。
常にベールで顔を隠している王妃の侍女達だが、イグレーヌは私と違ってグレンダの素顔を知っていたようだ。
「昨日から王妃様の侍女から王女様の侍女になったのです」
なぜそうなったかグレンダは話さなかったが、イグレーヌは「そう」と言っただけで聞きだす事はなかった。王妃の義姉であるイグレーヌだ。見当はついているのだろう。
翌日、私はイグレーヌとペンドーン侯爵家を訪ねて来たエレノアと一緒に中庭で紅茶を飲んでいた。
今までさぼっていた分を取り戻すため、あてがわれた部屋に籠って真面目に勉強していた私だが、イグレーヌに「エレノアが訪ねて来たので休憩がてら一緒にお茶にしませんか?」と言われたのだ。
今現在お世話になっている家の女主人であり将来姑になる女性に言われたからだけでなく断る理由もなかったので素直にお茶の席についた私だが、エレノアの私を見る物言いたげな目を見て分かった。彼女は私に何か言いたい事があって訪ねて来たのであり、それでイグレーヌに私を呼んできてもらったのだと。
「お勉強なさっていたのですよね。お邪魔して申し訳ありません」
恐縮するエレノアに私は首を振った。
「いいのよ。ちょうど休憩したかったし」
私は持っていたカップを受け皿に戻すと言った。
「私に何か話したい事があるようだけど、何かしら?」
予想はついていたが尋ねてみた。
「……私と王子様の婚約は、王女様が陛下に仰られたのですか?」
今この時、エレノアがさして親しくもない王女を訪ねてきて聞きたい事など、これしかないだろう。
意を決して尋ねてきたのだろうエレノアに私は首を振った。
「私が頼んだところで聞いてくれるお父様……陛下ではないわよ」
黙って私とエレノアの話を聞いているイグレーヌは、今はまだ公表されていないエレノアとアルバートの婚約の話を聞いても驚いていない。アーサーや宰相から聞いているのだろう。
「アーサーによると陛下が言い出したらしいわよ」
「……陛下が、ですか?」
エレノアは意外そうな顔になった。
「もし、私が、あなたとアルバートの婚約を陛下に頼んでいたとして、あなたは私に文句を言うつもりだったの?」
「文句だなんて、そんな!」
「王女様相手に恐れ多い!」と言いたげなエレノアに、私は首を傾げた。
「でも、わざわざ私に会いにきて、この婚約が私のせいかどうか聞きに来たわ」
言外の私の「あなたは結局、私に何を言いたいの?」という言葉に、エレノアは黙り込んでしまった。
アーサーの親戚らしくエレノアは聡明で冷静な女性だが降って湧いたこの婚約に混乱しているのだろう。ただ、この婚約が王女のせいかどうか確認する以外何も考えずにペンドーン侯爵家にやってきたようだ。
「……失礼ながら、この婚約は十中八九、王女様が言い出されたのだと思っていました」
数秒の沈黙の後、エレノアは、ぽつりと呟いた。
実際、アーサーから国王に頼んでもらうつもりだったので、エレノアの考えは、あながち的外れではない。
「もしそうなら、王女様を説得して、この婚約をなかった事にしてもらおうと思いました。今はまだ公表されていないのなら大事にならずに済むと」
「……アルバートとの婚約を白紙に戻したいの? どうして? あの子を好きなんでしょう?」
エレノアの言葉が意外で私は目をぱちくりさせた。
「……私は王子様が望んでいない事をしたくないのです」
エレノアは仮面舞踏会の帰りの馬車でアルバートが言っていた「生涯誰とも結婚しない」と言った事を気にしているのだろう。
「あの子が望もうが望むまいが、あの子は結婚しなければいけないわ。勿論、あなたもよ」
王侯貴族なら子を作るのは義務だ。
「……確かに、あの子には愛する女性がいる。そんなあの子との結婚を強要するのは申し訳なく思うけど、あの子の恋は絶対に成就しない。いつまでも望みもない恋にしがみつくよりは、傍で想ってくれている妻に、いずれ目を向けるわ。そうすれば、アルバートもあなたも幸せになれるわ」
「……確かに、王子様は愛していなくても妻にした女性を大切にしてくださる方だと思います。だから、私は幸せになれるでしょう。でも、王子様の幸せは……」
言外に「私では王子様を幸せにはできない」と言っているエレノアに、私は言った。
「自分を愛してくれる素晴らしい女性を妻にするのよ。充分、幸せだと思うけど」
「相愛でなければ結婚したくない」と言っていた過去の自分を棚に上げて私は言った。
私とアーサーはもうどうにもならないけれど、アルバートとエレノアなら心温まる家庭を築けると思うのだ。
「……私は王女様が仰るような素晴らしい人間ではありません。それに、私が王子様を愛している一番の理由は……もし、王子様が私に心変わりしたら私の王子様への想いは消滅するでしょう」
エレノアは私が思ってもいなかった驚くべき事を言いだした。
「……私は、あの方を想っている王子様を愛しているのですもの」




