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43 知っているわ

「私は妾妃メアリー様の部下だった男です」


 意を決して言っただろうジャックの言葉に私は目を瞠った。


「任務中、足がこうなったので職を辞して、この食堂を始めました。その際には、メアリー様には大変お世話になりました」


「……えっと、このお店の名前が《君影草》なのは、あの女……メアリーから?」


 私は思わず、どうでもいい事を訊いてしまった。


 その美しさから鈴蘭と讃えられる妾妃メアリー。君影草は鈴蘭の別名だ。


「何でよりによって《君影草》なの!?」と心の中で悪態を吐いていたのだが、こういう理由か。


「はい。……貴女にとっては複雑な想いを抱いているお方でしょうが、私にとっては唯一無二の主ですから」


 ――ジャックは知っているのだ。


 私が王女だという事だけではない。


 あの女が私の――。


「……私と知り合ったのは偶然だとして」


 私は、あの日、急に思いついて街中を歩いていた。それに、ジャックは王女(わたし)と知り合うために男達をけしかけたりする人間ではない。


「よく私が王女だと分かったわね」


 テューダ王立学院の制服を着ていたのだ。私が貴族の娘だとは分かっても王女とは分からないはずだ。


「その耳や手の形が、あの方にそっくりなので」


 さすがは、あの女の元部下というべきか。顔だけではなく体のあらゆる部位を見ていた訳か。


「……私が王女だと分かったから……いえ、あの女に頼まれたから私を雇ったの?」


 私は鬘を外すと露になった紫眼でジャックを見据えた。


 ジャックは妾妃(メアリー)には全く似ていない私の素顔を感慨深そうに見つめていた。


「……はい。仰る通りです」


 ……私は国王(クソ親父)だけではなく、あの女の掌の上にもいたのか。


 私がアーサーとの婚約破棄後を考えて市井で働く事を妾妃は見抜いていたのだ。元部下(ジャック)の店で働かせていたのは、他で働かれるよりは安心だと思ったからだろう。……あの女なりに私を愛してくれている。彼女なりに配慮したのだ。


 だからといって、妾妃には(・・・・)感謝はしないけれど。


「……あなたには(・・・・・)感謝するわ。学院と王宮しか知らなかった私が市井の人々の事を知る事ができたのだから。それは、将来、私が女王になった時、必ず役に立つに思うから」


「お役に立ったのなら何よりです」


 ジャックは少し間を置くと思ってもいなかった事を言いだした。


「……メアリー様が最初にお産みになった御子、ヘンリー王子を死なせたのは、私の妻です」


 ……妾妃の元部下だと明かされた時以上に驚いた。


 ジャックが「息子(ジョシュア)が赤ん坊の頃、亡くなった」と言っていた彼の妻。


 私もだが彼もまた自らの正体(妾妃の元部下という事)を隠していたから、自分の妻、息子の母親がいない本当の理由を話せなかったのだ。


 妾妃が最初に産んだ息子……私の兄の一人、ヘンリー。


 妾妃の養父、ヘンリー・シーモア伯爵の名前を名付けられた彼は、世間的には突然死だが、王妃の取り巻き達に息子を人質に取られたヘンリーの乳母に殺されたのだ。


「……あなたの妻がヘンリー兄様を死なせた乳母なら、その時、人質に取られた彼女の息子というのは――」


「……ジョシュアです」


 確かに、生きていればヘンリーはジョシュアと同い年になる。


「……妻は、あの方の侍女で同じ時期に子を産むからと乳母に指名されました。だのに、その信頼を裏切ってしまった」


 王子や王女の乳母は貴族の女性がなるのが慣例だ。


 けれど、当時の妾妃の状況では、とても貴族女性に我が子を任せられなかった。王妃から唯一撃退できなかった妾妃として目の敵にされ、それに倣う貴族の女性が大半だったのだ。


 だからこそ、我が子の乳母を自分の身近にいる侍女にしたのだろうが、その侍女は息子を人質に取られ仕方なくヘンリーを手に掛ける事になってしまった。


「妻が、あの方の御子を死なせてしまったのは、本当に申し訳なく思っています。当時、死んでお詫びしようとしたら、残される息子(ジョシュア)はどうなると諭され、自分に申し訳なく思っているのなら、その分、仕事で成果を見せろと言われました。


 足がこうなって、お役に立てなくなったのに、私がこの店を始める時、力を貸してくださいました。感謝してもし足りません」


 ジャックの表情にも声音にも、言葉通り、妾妃に対する申し訳なさや感謝しかなかった。


「……息子を、ジョシュアを人質に取られて、やむなくヘンリー兄様に手を掛けたのでしょう? だのに、あの女は、お母様……王妃様の取り巻き達ばかりか、乳母だったあなたの妻も粛清したのよ」


「リズ」として出会った私にジャックは「妻は亡くなった」と言ったが、あながち間違いでもない。……おそらく現在、彼の妻は生きていないだろうから。


「それについては、何とも思わないの?」


「……王女として生まれ誰かに(かしず)いた事などない貴女には理解できないでしょうが」


 ジャックの言い方は、決して私を馬鹿にするものではなかった。


「我が子を人質に取られようと、主を裏切るなどあってはならないのです。あの方が妻にした粛清は当然の事だと思っています。私とジョシュアの命を要求されても仕方ないとも思っていました」


「……そんな」


 ジャックに言うように、確かに私には理解できない。


 それが王女と主に従うのが当然と教育された人間の違いだろうか?


「けれど、私とジョシュアの事は許してくださいました。だからこそ、私もジョシュアも、あの方に命を捧げているのです」


 我が子(ヘンリー)を手に掛けたジャックの妻は許せなくて粛清しても、自分に命さえ捧げるほどの忠誠心を持つ有能な部下であるジャックを切り捨てるのは惜しいと思ったのだろう。


 あの女は、そういう人間だ。恨みよりも自らの利益を優先する。


 だからこそ、国王をして「国王である俺に必要な人間だ」と言わしめたのだ。


「確かに、あの方は御姿からは想像できない冷酷で酷薄な一面があります」


「知っているわ」


 否応なしに産まれる前から付き合わざるをえなかった女だ。


 部下として傍にいたジャックよりも誰よりも、私は妾妃を、メアリー・シーモアという女を知っている。


 どれだけ嫌っても憎めないし、まして、殺す事だけは絶対にできない。


 全く忌々しい――。


「けれど、貴女を大切に想うお気持ちだけは真実です。それを失くせば、あの方はあの方でなくなります」


「……何を言いたいの?」


 真剣な顔で語るジャックには申し訳ないが、私には本当に彼が何を言いたいのか理解できなかった。


「こんな事、他人が言うべきでないのは分かっています。でも、それでも、どうか、あの方の貴女を大切に想うお気持ちだけは御心に留めておいてください」


 私がここに来るのは最後だから、ジャックも踏み込むべきではないと分かりつつ言っているのだ。


「……知っているわ」


 先程と同じ言葉を繰り返したが、こちらのほうが重々しく聞こえただろう。


「知っている。分かっている。それでも、私は、あの女を許せないの」


「真実」など何も知らずに、ただ、あの女を嫌えればよかった。


 いや、私が知らなかったとしても「真実」は存在しているのだ。


 私が知らなかったとしても無意味だ。





























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