39 覚悟が決まった
「……申し訳ありません。弟が貴女を煩わせてしまって」
頭を下げるエリオットに私は慌てた。
「あなたもエリックも私に謝る事など何もないのよ。私の侍女の事だし……それに、私のほうがあなた方に迷惑をかけたもの」
「馬鹿従弟の事なら貴女が気にする事は何もありませんよ」
エリオットもエリックもそう言ってくれるけれど、私が多くの人に迷惑をかけてしまった事実は消せないのだ。
(……そう、たくさんの人に迷惑をかけたわ。だのに、また、これ以上の迷惑をかけるの?)
女王になりたくない。
愛されないなら結婚したくない。
王女に生まれて、そんな我儘は許されないのに――。
いくら演技だとばれていたとしても、今までの私は偽りの自分として友人達と接していた。だから、夏休みが始まるまでは、素の私として友人達と過ごそうと思った。
楽しい思い出を胸に皆の前から姿を消すつもりだった。
全てを放り出して、王族としての責務をアーサーとアルバートに押しつけて――。
そんな事、到底許されやしない。
地獄に堕ちる覚悟なら、とうの昔にしている。
……あの人を二重の意味で騙し続けているのだから。
その報いは、いつか受けなければならない。
私が地獄に堕ちるのも、報いを受けるのも仕方ない。
けれど、アーサーとアルバートまで苦しめていいはずがない。
……特に、アルバート、私の母親の違う弟。
あの子が享受するはずだった愛を私は奪い続けている。
私に今与えられているあの人からの愛は、本来全てあの子に向けられているものなのだから――。
「……王配どころか伯爵になるのも嫌だと言ったわね。全てを放り出したいと思った事はない?」
なぜ、こんな事をエリオットに訊こうと思ったのかは分からない。けれど、気がついたら私の口から言葉が飛び出していた。
王女の突然の話題の転換に、弟の事を持ち出された時以上に驚いた顔になったが、エリオットはきちんと答えてくれた。
「……そうですね。思いました」
何を思いだしたのか、エリオットは、くすりと笑った。
「……子供の頃、『伯爵になんかなりたくない! 俺は将来ヒモになるんだ!』と言ったら親父に容赦なくぶん殴られました」
「まあ!」
私も思わず笑ってしまった。
エリオットの父親、ラングリッジ伯爵は、息子達よりも、どういう訳か血の繋がらない甥であるエドワードとイメージが被る優男っぽい美形だ。いくら息子が、とんでもない発言をしたとしても手を上げる人には見えなかったが、彼も伊達に《脳筋国家》の伯爵をしていないという事だろう。
「お父様に殴られたから諦めて後を継ぐ決心をしたの?」
それだけではないだろう。
ウィザーズ侯爵家やペンドーン侯爵家ほどでなくてもラングリッジ伯爵家も裕福で権力のある家だ。さらには、ウィザーズ侯爵令嬢という才色兼備な婚約者もいる。彼女と結婚すれば、ラングリッジ伯爵家がさらに豊かになるのは誰の目にも明らかだ。
そんな誰もが羨む全てを棄てるのは、やはりためらいがあるのだろう。
「弟が伯父上の、ヴォーデン辺境伯の養子になるまでは、次期ラングリッジ伯爵の地位を弟に押しつけるつもりでした。
けれど、馬鹿従弟は本当に馬鹿で、伯父上がいくら息子を溺愛していても、あれを次期辺境伯にするほど愚かな方ではない。
俺か弟、どちからを次期ヴォーデン辺境伯にと望まれた時、迷わず弟に押しつけました。伯爵と辺境伯なら、より責務が重いのは辺境伯ですからね。長男の俺が次期ラングリッジ伯爵になるのが当然だとかなんとか言って。ただ単に、弟に辺境伯としての重い責務を押しつけただけだった。
俺などよりもずっと真面目で聡明な弟です。馬鹿従弟や俺などよりも、弟のほうがヴォーデン辺境伯に相応しい。それでも、弟に重い責務を押しつけた俺が全てを放り出すなどできないでしょう?」
「……そうね。やっぱり、大切な人を苦しめてはいけないわよね」
だったら、婚約破棄宣言や妊娠発言などするべきではなかった。
エドワードの事をどうこう言えない。私は自分の事しか考えられなかった愚か者だ。
私はエリオットの右手を両手で握った。突然の王女の行動にエリオットは目を瞠った。
「……ありがとう。あなたのお陰で、私、覚悟が決まったわ」
私は久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
この一ヶ月ずっと心がもやもやしていた。
全てを放り出す。
皆の前から消える。
これは、私だけが楽になる事で、アーサーとアルバートに全てを押しつけるものだったからだ。
大切な人を苦しめて自分が幸せになれるはずがないのに――。
「……えっと、王女殿下?」
戸惑っていたエリオットの様子が変わった。はっきりと顔が強張っている。
「エリオット?」
怪訝に思って呼びかけた私は、ようやくこちらに近づいてくるかすかな足音と気配に気づいた。
「……来たのが私でよかったな」
現れたのはアルバート、私の異母弟だ。なぜか厳しい眼差しをエリオットに向けている。
「……王子殿下」
エリオットは心底からほっとしたように体から力を抜いた。
「この時間になっても後宮にいないから、いるなら、ここだと思ったんです」
……弟も私が一人になりたい時、ここに来る事を知っていたらしい。
「まさかエリオットと一緒にいるとは思わなかった」
「妙な誤解をしないでね。ただ話していただけよ」
……告白されたけど、わざわざ言う事でもない。
「来たのが私でよかったな」
アルバートは先程と同じ科白を言った。
「……アーサーだったら考えたくもない」
何を想像しているのか、アルバートは、ぶるりと震えた。その様子は、仮面舞踏会の危険を私に教えた時と同じだ。
「……そうですね」
エリオットも心なしか顔色が悪い。
私が公衆の面前で婚約破棄宣言しようと妊娠発言しようと全く動揺しなかったアーサーだ。仮に、私とエリオット、二人きりで話しているのを見聞きしたとしても、まして、それが恋の告白だとしても、気にしないと思うのだけれど。
アーサーの事よりも、私には気になる事があった。
「エリオット、あなた、アーサーが怖いと言ってるわりには、昨夜は、そんな風には見えなかったけど」
敵対心が露なアーサーに対して飄々と受け答えしているように見えたのに――。
「……虚勢を張ってたんです。好きな女性の前で、みっともない姿は見せたくないので。くだらない男の意地です」
エリオットは、どこか恥ずかしそうに答えた。
「それでも、あのアーサーの前で、そうできるだけ、君はすごいよ」
私が思ったのと同じ事をアルバートが感心したように言った。




