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30 弟の婚約破棄の余波5

暴力シーンがあります。

「エリック様! どいて!」


 突然のリジーの大声に、反射的に飛びのくエリック。


 ――すると、地面に、ずざざ――っ! とジェロームの体が倒れ込んだ。


「お~~! 見事な回し蹴り!」


 感心した顔で言ったのはロバートだ。


 ロバートの言う通り、リジーがジェロームに何とも見事な回し蹴りを叩き込んだのだ。


 エリックはずっとジェロームの腕を摑んでいた。彼がリジーと双子に暴力を振るうと思ったからだろう。そのエリックを巻き添えにしないために、リジーは大声で「どいて!」と言ったのだ。


「ずるい! お姉様! 私達は止めたのに!」


「ずるい! 姉上! 僕達は止めたのに!」


 これまた双子が同時に、ほぼ同じ科白を不満そうに叫んだ。


「……なっ!」


 突然の攻撃にジェロームは面食らった顔だ。しかも、それ(・・)をしたのは、今まで淡々というか飄々というか、はっきり言えば面倒くさそうに自分と話していたリジーなのだ。


 リジーはつかつかとジェロームに近づくと地面に倒れたままの彼に馬乗りになった。


「……私より遙かにお美しいけど、私に似た王女様に諭されたから余計に腹が立って、あんな言動になったのよね? だからって、許される事じゃないけど」


 ジェロームが私に対して、あんなに分かりやすく激昂したのは、それが理由か。


「……私にだったら何を言ってもいいし殴っても構わない。まあ、後でちゃんと倍にして返すけど」


 リジーは笑った。けれど、目だけは笑っておらず氷のように冷たかった。そのせいか、いつもは勿忘草のように淡い青の瞳がアイスブルーに見える。


 ……今リジーが発散している空気は、誕生日の夜、私を訪ねて来たアーサーと同じだ。彼のほうが遙かに迫力があるが。傍観者という事もあって私は冷静でいられたが、至近で彼女に見つめられたジェロームは明らかに気圧されている。


「……けれど、あなたは、よりによって王女様を侮辱した。絶対に許さない」


 リジーは容赦なくジェロームの顔を殴りつけた。


「や、やめ」


「やめろ!」もしくは「やめてくれ!」と言いたいのだろうジェロームを無視して、リジーはさらに殴りつけた。


 今している暴力行為からは信じられないほどリジーには表情がなかった。


 あの時(・・・)のアーサーと同じ空気を纏っているのだ。リジーは今、この上なく怒っている。


 だのに、リジーの表情には怒りも、暴力行為による嗜虐心さえ感じられない。


 小柄で華奢な少女が暴力を無表情で行っている。


 異様な光景に皆、呑まれたのだろう。この場がしーんと静まり返った。静寂の中、リジーがジェロームを殴りつける音と彼の呻き声だけが響いている。


「やめ」


「やめなさい!」と言おうとした私の口を大きな手が塞いだ。


「しばらく続けさせろ。それが、あの甘ちゃんなお坊ちゃんのためだ」


 私の背後にいつの間にか来ていたロバートが私の口を手で塞いだのだ。


 ロバートの手が外されると、私は早速尋ねた。


「……ジェロームのためって、それ、どういう意味?」


 ロバートの言う「甘ちゃんなお坊ちゃん」がジェロームなのは明らかだ。私もそう思うから。


「好きな女に人前でぼこられるなぞ、男にとってこれほどの苦痛や屈辱はない。これなら、さすがのアーサーも制裁は加えないだろう。まあ、彼女がそれ(・・)を分かっていて、やっているかまでは分からんがな」


 公式の場でない限り、ロバートは王女(わたし)に対して敬語は遣わない。私がそれを許しているのもあるが。ロバートのアーサーに似た容姿は勿論、彼とは真逆な性格も気に入っているのだ。


「アーサー?」


 なぜ、ここで彼の名前が出てくるんだ?


 ロバートが呆れたような視線を向けてくる。


「君を侮辱したんだ。あの(・・)アーサーが何もしないはずないだろう?」


 言外に「なぜ、そんな事も分からないんだ?」と言いたげだ。


 私のほうこそ分からない。どうして、アーサーが私が侮辱されたくらいで制裁を加えると思うんだ?


 公衆の面前での婚約破棄や妊娠発言ではない。「お前こそ浮気したくせに!」と言われただけだ。アーサーにも多少の係わりはあるが私への罵倒なのだ。


 それとも、少しでも自分が係っている事ならアーサーは制裁を加えるとロバートは思うのだろうか?


「これ以上は、君の手が使い物にならなくなる」


 エリックがリジーの細い腕を摑んで止めた。ジェロームではなく彼女の手を心配して止めに入ったらしい。


 リジーは、ようやくジェロームの上からどいた。ジェロームが痛そうに呻いているが、まるで頓着しない。


「……王女様。愚息が失礼な言動をして、申し訳ありませんでした」


 リジーは私に向き直り、スカートの端を摘まむと一礼した。ジェローム相手の時よりも美しい所作だ。


 リジーが謝っているのは、先程の「お前こそ浮気した」発言だけでない事に気づいた。彼女も気づいていたのだ。ジェロームが敬語を遣いながらも、はっきりと王女(わたし)を馬鹿にしていた事に。


「……怒ってないわ。言われて当然な事をしてきたもの。彼に対してもグレンヴィル子爵家に対しても何かするつもりはないから安心して。それよりも――」


 私には気になる事があった。


「教えて。なぜ、あんなに怒ったの?」


 義理の息子(ジェローム)に何を言われようと、平手打ちされそうになっても、リジーは平然としていた。


 だのに、「王女様を侮辱した。絶対に許さない」と言って、ジェロームを殴りだしたのだ。


 リジーの怒りの原因が王女(わたし)である事は明らかだ。


 けれど、なぜ、これほど彼女が怒るのかが理解できない。


「……彼女に対しても愚息に対しても、私を庇う発言をしてくださったので」


 リジーの言う「彼女」はアントニアだろう。「話をすり替えないで。彼女は関係ない」という科白が庇われたように感じたのだろうか? 言葉通り、リジーは関係ないから言っただけだ。


 ジェロームに対しても、元は弟の婚約破棄から始まった話だからというだけでなく、想う人に想われない彼に自分を重ねて、つい偉そうに諭してしまったのだ。……彼が怒るのも無理はない。


 どちらに対しても庇っているつもりはなかった。


 それに、おそらくリジーは――。


「それ、嘘だよね?」


 リジーは目を瞠った。


「私に庇われたと思ったから恩を感じてジェロームを殴った訳ではないでしょう?」


 直感だが間違いではないと思う。


「……恋愛事にはポンコツのくせに、こういう時は鋭いんだよな」


 私の背後でロバートが呆れたように言った。


 抗議したかったが、今はリジーの答えを聞きたかったので無視した。


 じっと見つめる私に根負けしたのか、リジーは私に近づくと耳元で囁いた。周囲に聞かれたくないのだと分かった。


「貴女は私の大事な人の大事な方――」


 思ってもいなかった言葉に、今度は私が目を瞠った。


「だから、貴女が侮辱されたら私も怒る。だって、私が彼を好きになったきっかけは、貴女だから――」


 リジーは微笑んだ。嫉妬も苛立ちもない穏やかな微笑みだった。


 




 


 

















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