29 弟の婚約破棄の余波4
(……ジェロームはリジーが好きだったのね)
ジェロームがこれほどリジーに突っかかるのは、「家の恥をさらした」からではなく、自分が選ばれなかった事への怒りや悔しさや悲しみなどがあるからなのかもしれない。
「父上に奪われたんじゃない! そんな女、こっちから願い下げだ!」
ジェロームの言葉に双子がむっとしてジェロームに駆け寄ろうと(再び蹴ろうと?)したが、今度は予測したらしいリジーが双子の肩を摑んで止めた。
「やめなさい」
「「え――っ!」」
不満そうな双子を無視して、リジーはジェロームに向き直った。
「ジェローム様。弟と妹がした事は謝ります。申し訳ありませんでした」
リジーは制服のスカートの端を摘まむと一礼した。
「お姉様が謝る事ないわ」
「姉上が謝る事はないよ」
今度も双子の科白は同時で、ほぼ同じだった。
「……あなた達は黙っていて」
双子にそう言うと、リジーは話し始めた。
「浮気も不倫も貴族なら当然の事。それでも私を非難できるのは、夫であるジョージ様と」
ここで、リジーはロクサーヌをちらっと見た。
アントニアはいなくなったが、リジーとジェロームのいざこざに、この場に留まっている生徒達はまだ大勢いる。その中には、ロクサーヌもいたのだ。
「……エリオット様の婚約者であるロクサーヌ様だけです。あなたにも誰にも、ごちゃごちゃ……いえ、非難される筋合いはありません」
リジーは言外に「これ以上ごちゃごちゃ言うな」と言っているのだ。
「……浮気したっていうのに、偉そうだな。ロクサーヌ嬢や父上に申し訳ないとか思わないのか?」
ジェロームはリジーを睨みつけた。
「……ロクサーヌ様には、そうですね」
リジーは目を伏せた。
「ほらみろ!」
自分に対して初めてリジーが弱気になったからか、ジェロームは勝ち誇った顔になった。
けれど、それにロクサーヌが水をさした。
「わたくしに申し訳ないとか思う必要はないわよ」
静観していたが自分の事を言われ始めたので口出しする気になったのだろう。
「……ロクサーヌ様」
「わたくしとエリオット様は互いに都合がいい相手だから結婚するの。だから、彼が複数の女性と浮気しようと気にしないわ」
驚いた顔で自分を見るリジーにロクサーヌは微笑んだ。
愛する従弟の婚約者である私には険しい顔しか向けてこなかったのに、愛していない婚約者の情人であるリジーになら優しくできるのか。
……少しだけ複雑な気分だ。
「……私の弟の婚約破棄から始まった話よ。あなた達の家庭の事情は関係ない。恥をかいたとか思わなくていい」
「……王女殿下」
まさか王女まで口を挟むとは思わなかったのだろう。ジェロームは驚いた顔だ。
「ごめんなさい。弟のせいで、あなたにも迷惑をかけたわね」
「王女様が私に謝る事などないです」
王女の謝罪に、リジーは先程のエレノアと同じ科白を彼女とは違い落ち着いた様子で言った。
「連れ込み……いえ、エリオット様と一緒にいる時、アントニア様とよく遭遇しました」
幼い弟妹が傍にいるからだろう。リジーは「連れ込み宿」とは言わず「エリオット様と一緒にいる時」と言い直した。
連れ込み宿でよく遭遇したから、リジーの浮気相手がエリオットだとアントニアは知ったのだ。
「毎回毎回、違う男性を連れているくせに、いけしゃあしゃあと王子様以外とはしていないなどと言った事が許せなかった」
だから、リジーは大勢が注目する中、アントニアのただれた男性関係をばらしたのだ。
「あの状況で彼女の性格なら私の浮気をばらすのは予測できたのに、後先考えずに出しゃばった私の自業自得です」
「……元は弟の婚約破棄の話よ。それに、あなたも言った通り、貴族なら浮気も不倫も当たり前だわ。あなたを非難するのはおかしいわ」
王女の言外の「これ以上、リジーを非難するな」という言葉は、ちゃんとジェロームに伝わったようだ。
「……恐れながら、王女殿下。これは、我が家の問題です」
これまた言外に「ひっこんでろ!」とジェロームは言っているのだ。
馬鹿で高慢な王女として振舞っていたせいか、敬語を遣っていても表情は明らかに私を馬鹿にしている。
これは仕方ない。リジーの言葉ではないが、私の自業自得だから別段馬鹿にされても腹は立たない。
けれど、彼は表面だけでも取り繕うべきだ。いくら《脳筋国家》でも貴族である以上は多少の腹の探り合いはある。こんなに分かりやすいのでは簡単に足をすくわれてしまう。将来子爵家を継ぐ身で大丈夫なのかと思ってしまうのだ。
「あなたが怒っているのは家の問題だからじゃないでしょう? リジーがエリオットに心を奪われた事自体が許せないんでしょう?」
「……な、何を?」
王女の言葉にジェロームは明らかに虚を衝かれた顔になった。
「人の心はどうにもならない」
家のために結婚するのが貴族だ。心を得られなくても愛する人と結婚できれば充分幸せだろう。
けれど、私はアーサーの心も欲しかった。
きっとジェロームも同じなのだ。いや、彼のほうが私よりも、ずっとつらいだろう。
愛する女性に求婚して「浮気しますけれど、それでもよければ」と言われた挙句、実の父親と結婚されたのだ。そして、彼女は義理とはいえ母親になった。家族として常に傍にいるのだ。
忘れたくても忘れられない。
「想う人から想われないつらさは分かる。でも、だからって、理不尽な言動をしていい理由にはならないのよ」
「お前に何が分かる!?」
私の言葉は、どうやらジェロームの癇に障ったらしい。言葉遣いが敬語でなくなった上、「お前」呼ばわりされてしまった。
彼を怒らせた私が言うのは何だが、これくらいで平常心を失うようでは、先程と同じ心配をしてしまう。「これで、グレンヴィル子爵家の次期当主としてやっていけるのだろうか?」と。
ここまでは私も冷静でいられた。けれど、悔し紛れなのか、ジェロームは言ってくれたのだ。
「お前だって浮気したじゃないか! アーサー殿という素晴らしい婚約者がいながら彼を裏切っておいて! よくも私に偉そうに言えるな!」
……何も言い返せなかった。
私のこれまでの態度と誕生日会でした事を思えば非難されるのは仕方ない。
ただ、私が王女だから今まで誰も(アーサーとアントニア以外は)面と向かって言ってこなかっただけだ。
……リジーもおそらく、あの時、こんな気持ちだったのだ。
大勢の前で不貞を糾弾された恥ずかしさ、いたたまれなさ。
けれど、リジーは震えながらも表面上は悪びれない態度を見せていた。愛する人に迷惑をかけたくない一心だったのだろう。




