27 弟の婚約破棄の余波2
私に似た系統の顔ながら平凡な容姿の彼女、リジー(ずっと「彼女」呼びもどうかと思うので言いにくいが「リジー」と呼ぶ事にする)は、どちらかというと、おとなしい印象の少女だ。
けれど、リジーが見た目通りの人間でない事を私は知っている。
貴族女性には珍しくもないが、夫のいる身で他の男性と密会していたり(もう別れたらしいが)、王女相手でも臆さず言いたい放題言ったりもした。
今回も大勢に注目されながら背筋を真っ直ぐに伸ばして、リジーはアントニアの前に進み出た。
「王子様の婚約者でありながら見目のいい多数の男性と密会していたでしょう。この学院内で知らぬ者はいないわ」
……私は知らなかった。
存在そのものが苛つくのでアントニアに関する事は見聞きしないようにしていた。
そんな私の気持ちを酌んだのか、私の弟で王子の婚約者を悪く言うのは気が引けたのか、高慢な王女として振舞っていた私と違って人づきあいがよく学院内の噂に熟知している私の友人達は、アントニアに関する事を私の耳に入れなかったのだ。
「……あなた、頭だけでなく股まで緩かったのね」
思わず王女らしからぬ事を言ってしまった私をアーサーに似ているが若干彼より低い美声が諫めた。
「……リズ、いや王女殿下、王女としても若い女性としても、言うべき科白ではないですよ」
声の主は、ロクサーヌの隣にいる彼女の兄、私とアーサーの従兄、ロバート・ウィザーズだ。アーサーと同じ黒髪黒目で顔も似ているが、アーサーが怜悧ならロバートは精悍な印象の美丈夫だ。それは、体格がアーサーより一回り大きく性格も真逆なせいだろう。
私とロバートのやり取りをよそに、アントニアは私が驚く事を喚き始めた。
「あなたに言われたくないわ! あなただって、エリオット・ラングリッジ様と浮気しているくせに!」
(……エリオットと浮気?)
では、彼女が仮面舞踏会で一緒に過ごし別れた想い人というのは――。
リジーは一瞬だけ虚を衝かれた顔を見せたが次いで笑い出した。
「何がおかしいのよ!」
アントニアは食ってかかった。
「家のために両親よりも年上の方と結婚したのよ。若い美形の男性と浮気しても責められる謂れはないわ」
悪びれず堂々と言い放っているリジーだが、彼女の両の拳がわずかに震えている事に私は気づいた。
(虚勢を張っている?)
大勢に注目されている中、自らの不貞を糾弾されるのは、どんな人間だってつらいに決まっている。いくらリジーが王女相手でも臆さず言いたい放題言える人間でもだ。どんな目に遭っても心が折れない強い人間などいるはずがないのだから(……アーサーや妾妃は例外かもしれないが)。
リジーはエリオットを本気で愛している。愛のない結婚をした気晴らしで浮気したのではない。昨夜の会話で、それは明らかだ。
だからこそ、震えながらも逃げ出さず、エリオットが悪く言われないように、迷惑をかけないように、自分を貶める事まで言っているのだ。
自分がどんな目に遭っても愛する人を守りたい――。
リジーのその気持ちが私には分かる。
「……話をすり替えないで。彼女は関係ないでしょう」
そうだ。リジーが夫以外の男性と浮気しようと、アントニアが婚約破棄された事と何の関係もないのだ。
「あなたが何と言おうと、国王陛下立ち合いの下、あなたとアルバートの婚約は解消された。もう、あなたは王子の婚約者じゃなくなったわ」
これだけ王女が、はっきりきっぱり言っているというのに――。
「いいえ! わたくしのお腹にはアルバート様の御子がいるのですもの! わたくしは王子妃に、王妃になるんです!」
アントニアは、また理解不能な事を叫んでくれた。
このテューダ王国に貴族令嬢として生まれ、しかも王子の婚約者にまでなったくせに、アントニアは、どうも王家の慣習を理解していないらしい。彼女の自分の都合のいいようにしか考えられないおめでたい頭の中では、次期国王はアルバートで婚約者(だった)の自分は次期王妃になっているのだ。
確かに、私とアルバートなら統治者に相応しいのはアルバートだ。
私が馬鹿で高慢な王女として振舞っていた事を抜きにしても、個人としての幸福を優先している私よりも、常に王子として考えて行動する弟のほうが相応しいに決まっている。
けれど、そのアルバート以上に、統治者として相応しいのはアーサーなのだ。
そして、そのアーサーを夫にする私こそが女王になる。私はお飾りの女王で、アーサーこそがテューダ王国の真の統治者になるのだ。
アントニアがどう思っていようと、アルバートが次期国王になる事は絶対にない。弟自身、それを望んだ事は一度としてないのだから。
皆、アントニアに白けた眼を向け、中には、この場から離れようとする者まで出てきた。
「放っておこう」と考え始めた私に、アントニアが聞き捨てならない事を喚いてくれた。
「お義姉様だって、婚約者以外の男の子を妊娠しても、アーサー様と婚約したままじゃない!」
頭の中が真っ白になった私の耳に、呆れたような声が、あちこちから聞こえてきた。
「……ここまで馬鹿だったとはな」
「……終わったな」
「……おとなしく婚約破棄されたままなら最悪な事態は避けられたのに」
そんな外野の声など聞こえていないのだろう。アントニアは喚き続けた。
「お義姉様が婚約続行できたのなら、わたくしだってできるわ! だって、わたくしのお腹には、アルバート様の御子がいるのですもの!」
突っ込むのが面倒なのでしないが、アントニアの話は、あまりにも矛盾だらけだ。話している本人が脳内お花畑なので気づいてないのだろう。
誰かが呼んだのか、訳の分からない事を喚き続けるアントニアを数人の教師がどこかに連れて行った。




