19 嘘吐き!
「婚約者に誤解されている気がするのです」
困惑する私に構わずアーサーは話し始めた。
「……誤解ですか?」
私がアーサーを誤解している? どういう意味だろう?
「私が王女殿下を嫌っていると思い込まれているようなのです」
「……思い込みも何も、その通りでしょう?」
何を言っているんだ? こいつは?
嫌われる態度しかとらなかった。それで好きになってもらえるはずがないではないか。
「……あんな泣きそうな顔で悪態を吐かれても嫌えませんよ」
アーサーは呆れたような眼差しを私に向けてきた。
「……どうでもいいという事かしら?」
私のアーサーに対する態度が演技かどうかなど、彼にとってはどうでもいい。
それならば、納得できる。
アーサーは他人に対して醒めたところがある。外見だけでなく、そのカリスマ性でも多くの人を惹きつけているというのに、彼は常に他人に対して一線を引いている。十六年傍にいたが彼が特定の誰かを特別視したところなど見た事がない。
……従妹で王女で婚約者である私に対してもそうだった。私がどれだけ悪態を吐いても邪険に接しても常に丁寧な態度で受け流していたのだから。
アーサーにとっての「特別」は私だと妾妃は言ったけれど、彼女は勘違いしているのだ。
ずっと傍にいて彼だけを見てきた。……怜悧で冷静なだけではない彼の一面をつい最近知ったけれど、それでも少しでも彼が私を特別に想ってくれているのなら気づかないはずがない。
「……どうでもいいなら、公衆の面前で婚約破棄や妊娠発言をした婚約者と婚約続行などしませんよ」
「婚約者が王女様だからでしょう?」
私の馬鹿な言動に本心では見限りたくても国王が望む限りは王女と結婚せねばならない。それが王家に忠誠を誓う貴族としての務めだ。
「我慢しなくていいのです。わた……王女様の婚約者でなくなっても、あなたが、この国にとって重要な方なのは誰もが知っています。王女様と婚約解消しても陛下のあなたへの信頼は揺るがないでしょう」
元々、血を分けた我が子である娘と息子よりアーサーを気に入っている国王だ。……王位だとて本当はアーサーにこそ譲りたいのだ。
「陛下は私を信頼などしていませんよ」
アーサーの言葉が意外で私は目を瞠った。……大仰な仮面で彼には分からなかっただろうけれど。
「……え? でも、昔から、わた……王女様や王子様よりも、あなたを可愛がっていたわ」
「……可愛がる、ね」
アーサーは言った。どこか嘲るような口調だった。
「自分の役に立つ人間だから目を掛けているというのなら、そうですね」
アーサーは国王の自分に対する態度を、そう解釈していたのか。何だか悲しかった。
確かに、国王は実の子供達すら愛せず(私とアルバートも、そうだから、お互い様だ)、妻の一人である妾妃の事も役に立つ部下扱いする(妾妃だとて夫や我が子の父親ではなく自分が仕えるに値する主としか認識していなからお互い様だ)人間だ。
だが、それでも――。
「……確かに、陛下には、そんなお気持ちもあるのかもしれません。それでも、あなたを大切に想う気持ちに嘘はないと思いますよ」
娘と息子と妾妃は信じなくても、「俺を国王としではなく一人の男として愛してくれるから愛している」と言った王妃と次代の「王」に望むアーサーだけは信じていると思うのだ。
「陛下が私をどう思っているのか、そんな事、私には、どうでもいいです」
アーサーの言い方は、どこまでも淡々としていて素っ気ない。
「……だったら、わた……王女様の事は、さらに、どうでもいいのよね」
国王や婚約者だけじゃない。アーサーにとっては自分を取り巻く他人など皆「どうでもいい」存在なのだと、ようやく私は気づいた。
その外見とカリスマ性で多くの人間に愛されているだろうに、彼にとっては、そんな事「どうでもいい」のだ。
「……あなたは、きっと誰も愛した事がないのね」
私は、ぽつりと呟いた。
(……それでも、私は、あなたを愛している)
「この言葉」だけは、アーサーには絶対に言わない。
周囲の人間には、とうの昔に私の気持ちがばれているとしても……アーサー本人にも見抜かれているとしても、絶対に言ってやったりはしない。
私の最後の意地だ。
「……付き合ってくださって、ありがとうございました。帰ります」
彼とこれ以上話しても無駄だと思った。彼は誰も愛せない。私が婚約者だろうと初対面の女だろうと、彼にとっては「どうでもいい」のだから。
何を期待していたのだろう?
たとえ、素顔で「素の私」として話したとしても何も変わらなかった。
……私の物心ついてからの彼に対する態度にも勿論問題はある。けれど、それ以上に厄介だったのは、アーサーという人間だったのだ。
……あの婚約破棄宣言した誕生日の夜に、嫌というほど彼という人間を分かったつもりになっていた。けれど、本当はまるっきり分かっていなかったのだ。
……私が態度を軟化させたところで何も変わらない。
あの妾妃が自分よりも「質が悪い」と言い切ったのだ。私などの手に負える人間ではない。
……それでも、私はアーサーを愛している。
彼が誰も愛せなくても、人として大切な何かが欠けていても、彼以外、愛せない。
……それでも、アーサーとは結婚できない。
女王になりたくないからというのもあるが、どれだけ望んでも、何をしても、愛し返してくれないのなら、私には結婚する意味がないからだ。
……分かっている。これは、私の我儘だ。けれど、結婚するのなら相愛の夫婦になりたい。物心ついた頃からの夢だ。諦める事などできない。
「確かに、私は人間として重要な何かが欠けている。けれど、そんな私にも例外はあるのですよ」
ベンチから立ち上がり、そそくさと離れようとしたがアーサーが許さなかった。私の手首を摑んできたのだ。
「例外?」
アーサーの言葉をただ鸚鵡返しする私に、彼は衝撃的な科白を放った。
「貴女以外は、どうでもいい。貴女以外の何かで、この心が動く事はない。それが私という人間です」
「……何、言っているのよ?」
彼が何を言っているのか、私には理解できなかった。
アーサーは仮面を外した。露になった整い過ぎた美貌に真摯な表情を浮かべて彼は言った。
私が絶対に言ってやったりはしないと決めた言葉を。
「貴女を愛しているんです」
それに対して私は――。
「嘘吐き!」
間髪を容れず叫んだ。
これには、さすがのアーサーも呆気にとられたらしい。普段なら、いつも冷静な彼らしくないその様子を楽しむところだが、この時は頭に血が上って、それどころではなかった。
私は摑まれている手首を振りほどくとアーサーと距離をとった。
「嘘吐き! よりによって、よくも、そんな嘘を吐いてくれたわね! 信じられない!」
私は顔につけている仮面と被っている鬘を乱暴にむしり取った。もう彼に隠しても無駄だと悟ったからだ。さらりと長い黒髪が肩や背中に流れ落ちる。
私の露になった顔を見てもアーサーは驚かない。彼が冷静沈着な人間だからというだけでなく、最初から目の前の栗色の髪(鬘)のけったいな仮面の女が婚約者だと分かっていたからだ。
「……人の真剣な告白に対して、それはないと思いますが」
アーサーは声こそ荒げてはいないが、いささかむっとしている。いつも冷静な彼にしては珍しく感情が露になっているのは、思ってもいなかった私の反応に対する衝撃から立ち直っていないからだろう。
「何が『真剣な告白』よ! 信じられる訳ないでしょう!」
「……信じられないなら信じなくても構いませんが」
興奮する私とは対照的にアーサーは醒めた顔になってきた。
アーサーの言葉とその様子に私の胸が、ずきりと痛んだ。
アーサーの「愛している」という言葉など到底信じられない。それでも普通なら信じてもらえるように言葉を尽くすなり行動で示すなりするだろう。彼を私の考える「普通」に当てはめる事が、そもそもおかしいのかもしれないが。
「……アルバートから聞いていたのね。私が、こんなけったいな恰好して来るって」
「でなければ、仮面舞踏会になど参加しませんよ」
私が気を取り直して訊くとアーサーはあっさり白状した。
「……あの愚弟~~っ!」
私は思わずエリックの言い方を真似してしまった。
「内緒だって言ったのに、何でばらしているのよ!」
アーサーがいても気にせず、私は、ここにはいない弟を責めた。
「王子殿下を庇う訳ではありませんが、どんな恰好だろうと私が貴女に気づかないはずありませんよ」
アーサーの言葉は戯言としか思えなかった。
「……さぞ、おもしろかったでしょうね」
私は泣きたくなるのを堪えて微笑んだ。今までアーサーが見た中で一番醜く歪んだ微笑だろう。
アーサーに何度か笑顔を見せた事がある。それは全て演技だったけれど嘲笑だった。彼曰く「拙い演技」だ。私の微笑みなど彼には全て醜く歪んで見えただろうけれど、その中でも、今のこれが一番最悪だ。
……だって、これは演技じゃないから。




