17 顔を隠してなら
「……助けに来るなら早く来てくれ」
聞き慣れた美声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けた私は、舞踏会会場となっている大広間の扉から出てくるアーサーと二人の少女に気づいた。
慌てて柱の陰に隠れた私につられたのか、アルバートとエリックも同じ行動をとっていた。
「何、隠れてるんですか。アーサーに話しかけるチャンスですよ」
「……嫌よ。できない」
柱の陰でこそこそ話す私達姉弟に勿論気づかずアーサー達は会話している。
「あら、すぐ助けに行ったのでは、ありがたみがないじゃない」
くすくす笑いながら言うのは、絶世の美少女。美女といってもいいほど大人びて見えるが今年で十七歳だ。仮面をしていても王妃の若い頃は、こうだったに違いないという美貌は充分窺い知れる。漆黒の髪と瞳、すらりとした肢体に真紅のドレスがよく似合う。
私とアーサーの従姉でロバートの妹、エリックの実兄エリオット・ラングリッジ伯爵令息の婚約者、ロクサーヌ・ウィザーズ侯爵令嬢だ。
「……君は、そういう女だよな」
アーサーは、どこかげんなりした様子だった。話からして女性達に囲まれていた彼をロクサーヌが助けたのだろうが、すぐに助け出さず困っている彼を見て楽しんでいたようだ。
「そういえば、王女様とご一緒に来なかったの? 婚約者のあの方が傍にいれば、女性達に絡まれる事もなかったのに」
ロクサーヌの口から王女の話題が出たので、ドキッとした。
「……公式のパーティーは仕方ないけど、それ以外は私と一緒に行きたくないと、はっきり言われたからな」
……そう、かつて私がアーサーに言った事だ。周囲に王女が婚約者を嫌いだと示すために。
「でも、珍しいですね。アーサー様がこういう仮面舞踏会に参加されるなんて」
ロクサーヌの隣にいる少女が言った。アーサーやロクサーヌに比べると、ごく平凡な容姿の少女だ。それは仮面をつけていても分かる。漆黒の髪と暗褐色の瞳、中背で華奢な肢体(私と同じく胸がさほどないので勝手に親近感を抱いている)。
アーサーの母親イグレーヌの若い頃を思わせる容姿の彼女は、彼のはとこ(イグレーヌの従姉の娘)、ロクサーヌのクラスメートで(二人とも特Aクラスだ)親友でもあるエレノア・フォゼリンガム侯爵令嬢だ。
「……事情があってな」
「事情?」
首を傾げるロクサーヌを無視してアーサーはエレノアに言った。
「君こそ、こういう催しは苦手じゃなかったか?」
「……顔を隠してなら、あの方と少しでもお話できる気がして」
「一人じゃ心細いというから、わたくしが一緒に来たのよ」
エレノアの後、ロクサーヌが続けて言った。
「……女性というのは、同じ事を考えるものなんだな」
アーサーが呆れたように言った。
「……でも、あの方、婚約者ではない女性とご一緒で、しかも何やら言い争っていたので、とても話しかけるなどできませんでした」
悲しそうに言うエレノアに私は内心謝った。
(……ごめん! エレノア! アルバートと一緒にいた女は私なのよ! あなたが気にする女じゃないの!)
心の中で、いくら叫んでもエレノアに届くはずはないのだが、とてもアーサーの前に出る勇気がない私は柱の陰から謝罪の念を送っていた。
何を思ったのか、アルバートが私の手首を摑むと歩き出した。アーサー達に向かって。
「……ちょっ、アルバート」
三人に気づかれないように小声でとめようとする私にアルバートは構わない。
「アーサーと話したくて来たんでしょう。行きますよ」
そうだ。その予定だった。だが――。
「今更怖気づかないでくださいね。公衆の面前で婚約破棄宣言どころか妊娠発言までしたんでしょう。正体を隠して婚約者と話すくらいなんですか」
小声で言い合う私とアルバートに最初に気づいたのはエレノアだった。
「……あっ、王子様」
王子に連れられている私を見てエレノアの顔が強張ったのが仮面越しでも分かった。
「……あっ、違うんですの。王子様は王女様に頼まれて私と同行してくださっただけで」
エレノアは王子が好きなのだ。今の私はアルバートの姉、王女ではなく、ただの令嬢。そんな私が仮面舞踏会に王子と一緒に来たのだ。妙な誤解をしても仕方ない。
私としては、アルバートには脳内お花畑なアントニアよりエレノアと結婚してほしいと思っている。
それは、この世で一番嫌いな妾妃に似ているアントニアより、私と同じでさほど胸がないエレノアのほうに親近感を抱いているからじゃない。
エレノアは特Aクラスに入れるほど聡明でテューダ王国の貴族令嬢らしく武術も優れ、それでいて控えめだ。彼女なら王子妃どころか王妃になっても、うまくやるだろう。
何よりエレノアはアルバートを愛してくれている。いくら私が弟に対して肉親の情が抱けなくても、勿論不幸を望んだりはしない。
……絶対に手に入らない女性をいつまでも想うよりも自分を愛してくれる女性と結婚して幸せになってほしいと姉として願っている。
だが、厄介な事に、ペンドーン侯爵家ほどでなくてもフォゼリンガム侯爵家も結構権力がある。エレノアと王子が結婚すれば、次代の王位を巡って貴族が二分する恐れがある。私は勿論、アルバートだって、そんな事態は絶対に望まない。
……まあそれも、王女が消えれば済む話だ。
「……王女様とお親しいのですか?」
私の必死な弁明が通じたのか、エレノアは、どこかほっとした顔になった。
「……それなりに」
まさか「王女本人なの」とは言えない。
「ごきげんよう。エリック様。まさか仮面舞踏会で、あなたに会うとは思いませんでしたわ」
なぜか私達姉弟にそのままついてきたエリックにロクサーヌが声をかけた。
「……ロバートに、あなたの兄に、誘われたのですよ」
「では、なぜ、この方達とご一緒に行動されているの?」
ロクサーヌの当然の疑問に、エリックは何とも言えない顔になった。
「……成り行きで」
まあ確かに成り行きだ。納得する私の隣で、アルバートがとんでもない事を言いだした。
「アーサー、このご婦人が君と話したいそうだ」
アルバートは私の肩を摑むと、ずいっとアーサーに突き出した。
「アル、王子様!?」
「アルバート」と言いそうになって慌てて「王子様」と言い直した。
「何言いだすのよ」
私は弟に小声で抗議したが彼は醒めた眼差しを向けてきた。
「さっさとアーサーと会話でも、それ以上の事でもしてください。それで、私の役目は終わるので」
弟も小声だが、とんでもない科白が混じっている。どうやら弟は不機嫌らしい。私に付き合わされて仮面舞踏会に来たのに、私が逃げた事や直前になって怖気づいた事に苛立っているのだ。
「……アーサーと話すわ。だから、あなたもエレノアの相手をしてあげて」
さっさと帰る気満々の弟に私は交換条件を出した。
「それとこれは別では?」
アルバートは美しい眉をひそめた。彼は鈍感な人間ではない。自分に向けられるエレノアの好意に気づいていて避けている。彼女に期待を持たせたくないという彼の優しさだ。
アルバートの気持ちも分かるから、どんなにアントニアが気に入らなくてもエレノアと彼をくっつけようとはしなかった。
だが、私と同じように「仮面で顔を隠してなら普通に話せるかもしれない」と考えて、ここに来たらしい(アーサーとの会話からしてそうだろう)エレノアの気持ちを思うと無下にできない。
「分かりました。その方とお話しましょう」
王子が言ったからか、アーサーは、あっさり了承した。
「だからと言う訳ではないのですが、王子殿下はエレノアとお話してください」
「アーサー様!?」
「アーサー!?」
エレノアとアルバートの声が重なった。
(……そっか、はとこのために、私と話す気になったんだ)
母親に似ているからか、昔からアーサーは、はとこを結構気遣っていた。
少しだけがっかりしてしまったが、チャンスだと思って心置きなくアーサーと会話すればいいのだ。……これが最後なのだから。
「それでは行きましょうか」
私の手を取って歩き出そうとするアーサーをロクサーヌがとめた。
「少しお待ちになって。わたくし、その方にお話がありますの」
口調は柔らかだが、私に向けるロクサーヌの眼差しは険しかった。




