14 仮面舞踏会へ
学院から自室に戻って来た私は、ケイティから「王子様がいらしています」と言われて首を傾げた。さして仲のいい姉弟ではない。何の用もなく訪ねてくる間柄ではないのだ。だが、弟が私を訪ねてくる用事などあっただろうか?
実は、これから弟を訪ねに行こうとしていたところだ。取り合えず手間は省けた。制服のまま弟がいる応接間に向かった。
「お帰りなさい。姉上」
「ただいま。何の用かしら?」
アルバートはソファから立ち上がると立ったままの私に向かって頭を下げた。
「アントニアが、私の婚約者が、貴女に失礼な事を言って、申し訳ありませんでした」
どうやら朝の騒動を見ていた生徒の誰かが王子に告げ口してくれたらしい。
「……ああ、うん。確かに、彼女の言動には、いつもむかついてたけど、わざわざあなたが頭を下げる事などないのよ」
「……いつも? 今朝だけではないのですか?」
美しい眉をひそめるアルバートに私は苦笑を向けた。
「私と二人きりでも、周囲に人がいても、彼女はいつもああよ。しかも、それは王女に対してだけじゃない。言ってはなんだけど、王子の婚約者として、どうかと思う」
「……そうですね」
アルバートも、それは気にしていたらしく何の反論もせず頷いた。
「あなたが何を考えて彼女を婚約者にしたのかは分かっている。でも、容姿だけで妻にするには限界があると思う」
弟が彼女を婚約者にした一番の理由は、その容姿だけれど、何の権力もない男爵令嬢だからでもある。下手に権力のある家の娘を婚約者にすれば、王女と王位を巡って争わなければならなくなるからだ。彼は私と同じで王位など望んでいないのだ。
「彼女の父親は領地経営とかは下手だけど、まともな人だ。だから、今も娘と王子との婚約に反対している」
まあ、確かに、まともな父親なら娘が未亡人になる確率が高い男の嫁になどしたくないだろう。
ペンドーン侯爵令息であるアーサーを夫にする王女のほうが王位に近い。今までのテューダ王国の慣習であれば、私が女王になればアルバートは殺されるのだから。無論、私にその気は全くないのだけれど周囲は長年の慣習が行われると思っているだろう。
「……これでも何度も彼女に忠告したのですが」
脳内お花畑の小娘は、王女同様、婚約者の忠告も聞いちゃいなかったのだろう。
「……周囲に大勢の生徒がいる登校中に王女に説教するとは、何を考えているんだか。……そんな事をしたら、あの二人が黙っているはずがないのに。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、ここまでとは。巻き添えはごめんだ」
アルバートは何やらぶつぶつ呟いている。
「……その様子では、アントニアを蹴り飛ばしたローズマリーを非難する気はないようね。よかったわ」
アルバートに密告した誰かは当然アントニアを蹴り飛ばしたローズマリーの事も言ったはずだ。
「……全面的に彼女が悪いし、それに、現在のこの国のあり方では、避けられなかった彼女が悪いという事になるでしょう」
この国のあり方に眉をひそめる事が多いが、今回は救われた。
「ローズマリー・ダドリー伯爵令嬢を心配なさっているのなら大丈夫ですよ。ローズマリー嬢がアントニアを蹴り飛ばしたのを見たのは少数だし、その少数全員がローズマリー嬢の信奉者な上、アントニアを嫌ってますからね」
学力別のクラスでは最下位だが美しく武術の腕も強く面倒見のいいローズマリーは学院で結構人気があるのだ。逆にアントニアは王子の婚約者である事を常に鼻にかけ無意識に上から目線なため嫌われている。
「アントニアの事はいいわ」
私は不愉快でしかないアントニアの話を打ち切った。彼女とこのまま婚約続行するなり婚約解消するなりすればいい。弟の勝手だ。
「私、あなたに用があったの。来てくれてよかったわ」
「用? 何でしょうか?」
私はなるべく興奮を抑えて言った。
「ロースマリーから聞いたのだけど、ダドリー伯爵が仮面舞踏会を開催するらしいの」
ローズマリーの父親、ダドリー伯爵はパーティー好きで特に無礼講ともいえる仮面舞踏会をよく開催する。仮面をつけていても見知った相手ならば、その正体はすぐに露見するのだけど。
「はい。私も聞きました」
「……それで、あなたにお願いがあるの」
アルバートは怪訝そうな顔になった。弟に対して、姉が「お願い」した事などないのだから、その反応は当然だ。嫌いではないが肉親の情は抱けない弟に、こう言った事はないのだ。
「……アーサーを仮面舞踏会に連れてきてほしいの」
「……貴女が誘えばいいのでは?」
「なぜ、私にわざわざ頼むんですか?」と言いたげな弟に、私は思わず大声を出してしまった。
「それでは駄目なの!」
私の大声に驚いたらしいアルバートは仰け反った。
「……駄目とは?」
「せっかくの仮面舞踏会よ! いつもの私ではなく、どっかの見知らぬ令嬢としてアーサーと話したいの! ……物心ついた頃からの習慣で、アーサーを前にすると反射的に悪態を吐きそうになるんだもの」
それがとうに見抜かれたものだとしても、できれば素直な気持ちでアーサーに向き合いたかった。それには、いつものエリザベス・テューダでは駄目なのだ。
「……何から突っ込めばいいのか正直分かりませんが、まず第一に、仮面で顔を隠しても、その瞳で王女だとアーサーでなくても分かりますよ」
現在、このテューダ王国で紫眼の女性は王女しかいない。紫は瞳に表れにくい色なのだという。実際、私もテューダ王国王族以外で見た事ははない。
「それは大丈夫。栗色の鬘を被るし、仮面もかなり顔を隠す物にするわ。それも瞳の色に目が向かないような派手なやつにね」
髪色を変えただけで、だいぶ印象は変わる。さらに顔の大半を隠す仮面をつければ、まず私だとばれないはずだ。
「……無駄だと思いますけどね」
アルバートは、ぼそりと呟いた。
「大丈夫。うまくやるわ。だから、お願い! アーサーを連れてきて!」
「アーサーと素直な気持ちで話したいだけなら仮面舞踏会などに行かなくてもいいでしょう? アーサーには、もう貴女のあの態度が演技だとばれたのが分かったのですし」
妾妃から聞いたのか、アルバートはとうに知っていた。
「むしろ、貴女だと分からない状態でアーサーと話が弾んで嬉しいんですか?」
「……それは」
弟の言う通り、仮面舞踏会にこだわる必要はないのだ。
できれば、私は私としてアーサーと素直な会話がしたい。けれど、それは無理だ。
最後にひとつでも彼との間にいい思い出を残したい。……それが私ではない別の人間としてであっても。
……元々、素の私としては接した事などなかった。それが、ばれていたものだとしても。
最後の最後も「嘘の私」として接したとしても、彼への言動だけは「真実の私」で接する。
「……だって、もう、そうするしかないんですもの」
私はそういう形でしかアーサーに素直に向き合えないのだから。
「……分かりました」
アルバートは溜息を吐いた。
「アーサーに来るように言いましょう。だから、仮面舞踏会には私と行ってください」
「え?」
パーティーの大半はカップルで行くのが基本だ。夫婦や婚約者同士、婚約者がいなければ血縁の男性か女性を伴って行くのだ。
だが、仮面舞踏会のような無礼講のようなパーティーでは一人でも複数で行っても構わないはずだ。
実際、私は一人で行くつもりだった。アルバートにはアーサーを連れてくるように頼んだので他の同伴者は思いつかなかったのだ。
物心ついた頃からアーサーという婚約者がいたし、何より王女(しかも高慢な王女だと周囲に思わせている)なので男性のほうが気後れして寄ってこないのだ。……寄って来たのは、自分の分をわきまえず王配を狙ったあの馬鹿くらいだ。
「仮面舞踏会が、どういうものか分かってますか?」
アルバートは呆れた視線を向けてきた。
「無礼講でしょう?」
「まあ、そうですね」
私の答えに頷いた後、アルバートは話を続けた。
「顔を隠しているので建前上、互いが誰か分からない。それをいい事に配偶者や婚約者以外の相手と恋愛を楽しもうとする輩もいるのですよ。……実際、人気のない所で出会ったばかりの相手と、そういう事をする輩もいるんです」
アルバートは何を思っているのか、ぶるりと震えた。
「そんな所に貴女一人を行かせたなどと知られたら……私はアーサーやメアリーから何をされるか、そちらのほうが恐ろしい」
……姉の身(この場合は貞操か?)よりも自分の身(弟の場合は命か?)を心配しているのはともかく、仮面舞踏会にそんな危険があるのならアルバートの言うように一人で行くのはためらいがある。
王女ならば当然そんな危険などない。だが、王女としてではなく、ごく普通の令嬢として乗り込むつもりなのだ。妙な輩に絡まれたくはない。




