12 女王になりたくない
「まさか、信じないわ」
いくら私の態度が演技だと見抜かれていようと嫌われる言動しかしてこなかったのだ。アーサーが私を大切に想うはずがない。
「……そうね。あなたは、わたくしの言葉など何ひとつ信じない。特にアーサー様の事に関しては」
「まあ、確かに」と納得する私に気を取り直したらしい妾妃が言った。
「これだけは言っておくわ。アーサー様が、この国に必要だと思うのなら彼と結婚しなさい。女王になったところで実務は全てアーサー様に押しつけるのなら問題ないじゃない。彼なら陛下やあなたよりもうまくやるだろうし」
その通りなので反論できない。
「……まさか、わたくしがあなたが女王になる事を望んでいると思っているから嫌がっているの?」
「……あなたがそういう人ならよかった」
「リズ?」
怪訝そうな顔をする妾妃に私はほろ苦く微笑んだ。
「……あなたが権力だけを求める女なら、私を女王にするためなら何でもする女なら、あなたを憎めたのに」
この女は見かけと違って腹黒い女だけど、実の所、自分自身のためだけに権力を求めた事などないのだ。……だから嫌いであっても憎しみまではいかない。憎めれば、どれだけ楽だったか。
「……リズ」
「……小さい頃は確かに、そんな子供じみた気持ちだったわ」
――王位に就くのは誰でも構わない。わたくしの目的が叶えられるのなら。
あれは本心だろう。彼女の思い通りになるアルバートでなくても目的さえ叶うなら誰でも構わないのだ。
妾妃の目的は、この国の改革だ。
妾妃の養父、シーモア伯爵の願いだ。《脳筋国家》と呼ばれるこの国を変えたいという。
妾妃は奴隷だった自分を買い養女にし生まれながらの貴婦人のように教育した伯爵に恩義以上の想いがある。国王の妾妃の一人となり子供を産んだのも伯爵のためだった。
けれど……最初に産んだ息子を「殺された」事で、それは彼女自身の目的になった。
二度と我が子が殺されないように。我が子が無事に生きられるように。
――メアリーは貴女に無事に生きてほしいから、こうしたんだ。
……私とアルバートを復讐の道具として利用するこの女が許せない。
けれど、「母」として我が子を案じる想いに嘘がないのも分かるから……私は彼女を嫌うのに罪悪感を持ってしまうのだ。
「……王位がどういうものか分かったから、だから、絶対に就きたくないの」
妾妃の言う通り国王としての実務を全てアーサーに押しつけたとしても最終責任は女王になる私にある。無論、アーサーならば間違えない。この国をもっと豊かで平和な国してくれるだろう。けれど、名ばかりの女王であっても、この国の全てを、国民の命を私は背負うのだ。
それに気づいた時、耐えられなかった。
「どちらにしろ、アーサー様は、あなた以外の女性を妻に望まない。どれだけ逃げようとしたところで無駄よ」
この妾妃が自分以上に質が悪いと断言したアーサーだ。逃げるのは不可能だろう。
けれど、このまま、おとなしく結婚すれば私は女王だ。それは絶対に嫌だ。
その部屋の前で私は溜息を吐くと意を決して扉をノックした。
「入れ」
威厳のある低い美声。国王リチャード、私の父親の声だ。
妾妃が帰った後、国王に呼び出された。国王から謹慎を命じられた王女が宰相府に駆け込んできたのだ。私の姿を見た誰かが国王に進言したのだろう。
国王の呼び出しだ。無視はできない。
この王宮で最も広い王の部屋。その居間はシンプルではあるが、さすがに置いてある家具は、どれも最高級品だと一目見れば分かる。
この部屋に国王以外の人間はいなかった。
一人掛けのソファに座っている国王は「座れ」と目線で横のソファを示した。「失礼します」と一言言って私は座った。
「お前が俺の言う事など聞かないのは分かっていたが」
国王は公式の場での一人称は「余」だが普段は「俺」だ。
「進言された以上は呼び出して叱らなければいけないからな」
「……モウシワケアリマセンデシタ。これで、よろしいですか?」
棒読みで、とても反省したようには聞こえないが構わないだろう。私が国王の言う事など聞かないのは彼だって分かっているようだし。私に言う事を聞かせたいのなら、まず父親らしい事をひとつでもしてからにしてほしい。
「お前がどんな悪あがきをしようと俺はお前をアーサーと結婚させる」
謹慎命令を無視した事や今の物言いに対するお叱りの言葉ではなかった。進言されたからというより結局これを言いたくて呼びつけたのだろう。
「……アーサーを『王』にしたいのなら別の方法をとってください。あなたならできるでしょう? 兄弟姉妹を殺してまで国王になったのだから」
王女で娘であっても、殴られたり牢屋に放り込まれても仕方ない科白だった。いっそそうしてくれればいい。激昂して私を勘当して王女でなくなれば、アーサーと結婚せずに済むのだから。
私の予想に反して国王は、いっそ静かな眼差しで私を見つめた。
「それが俺の逆鱗だと思っているようだが、それくらいでは俺は揺らがないぞ」
さすがは、あの妾妃を十八年も「妻」にしている男だ。私が考える以上に面の皮が厚いらしい。
「兄弟姉妹を殺して王位に就いた事を俺は恥じてなどいない。奴らが弱くて俺が強かった結果だ」
この国は強さこそが正義だ。国王のこの考えこそがまかり通るのだ。
「……ええ。どんな方法で即位したにしろ、今はあなたが国王です。だからこそ、この国を改革してほしいのです」
即位した王以外の王の兄弟姉妹を殺す慣習をなくしてほしい。
王族以外で王の資質に相応しい者がいるのなら、わざわざ王女と結婚しなくても王の養子にするだけで次代の「王」になれるようにしてほしい。
「今のところ、俺はこの国を変える気はない。能力がある者が家を継ぐ。その考えが気に入っているからな」
兄弟姉妹を殺してまで王位に就いたのだ。それはそうだろう。
「だったら、私やアルバートよりもアーサーこそが王になるべきでしょう? 私もアルバートもそれを願っています。ただ、その大前提が私との結婚だから問題なのです」
もう国王には私の演技がばれているため一人称は「妾」ではなく「私」だ。私がそうしても国王は別段驚かなかった。
「お前だってアーサーを愛している。問題なかろう?」
国王は誕生日パーティーの時と同じように言う。
……私がアーサーを愛している事を娘に無関心な国王にまで見抜かれていたとは正直意外だ。
「この国を改革したいのなら、女王になって、そうすればいい」
わざわざ私が女王になって改革する必要などない。アーサーならば、そうしてくれると確信しているからだ。
……アーサーに全てを押しつけるなど卑怯な事この上ない。分かっている。
それでも――。
「……私は女王になりたくないんです。兄弟姉妹を殺してまで、国王になったあなたには理解できないでしょうが」
これは皮肉ではないが、たとえ皮肉であっても、国王は応えないだろう。
思った通り私の今の言葉に国王は全く動じていない。私の言動くらいでは彼は揺らがないのだ。
「……それは、あれが望んでいると思っているからか?」
私は目を瞠った。妾妃と同じ事を言っているからではない。国王のこの言葉だけで理解したからだ。
「……あなたは知っているのですね。私が――」
これ以上は言いたくなかった。国王は私の言葉にしなかった続きが分かったのか頷いた。
「お前もアルバートも俺の子だ。それだけは確かだろう?」
私だけでなくアルバートの「真実」も国王は知っているのだ。わざわざ弟まで「俺の子だ」と言ったので、それが分かった。
黒髪紫眼、それはテューダ王国王族の証。しかも顔まで国王に似ている。私もアルバートも父親が国王なのは間違いない。
「……父親があなたなのは間違いないから、あの女を断罪しないのですか?」
「あれが役に立つからだ。俺個人としては、俺を国王としてではなく一人の男として愛してくれるベッツィを愛しているが、国王としての俺は、あれを必要としている。あれの怜悧な頭脳や冷酷で酷薄な心がな」
国王は突然、脈絡のない事を言いだした。
「十七年前、あれが産んだ息子、お前の兄が亡くなった数日後に大半の貴族の汚職が露見した事があった」
……兄を突然死に見せかけて殺させた貴婦人達の家族の事だ。
なぜ突然そんな事を言いだすのだろう?
「さして優秀ではなかったが、この国の要職に就いていた奴らだ。あれが即座に彼らなどよりもずっと優秀な人材を進言してくれたから大した混乱はなかった。……事前に、こうなる事が分かっていたように優秀な人材を調べていたようだ。あまりにも素早い進言だったしな」
国王は分かっていたのだ。十七年前の大半の貴族の汚職の露見が妾妃の仕業だと。そして、彼女がなぜそんな事をしたのか、その理由すらも。
彼らの家族が「殺させた」のは妾妃と国王の息子だ。けれど、妾妃がただ私怨で汚職を露見させ破滅させるだけなら国王は許さなかっただろう。彼は父親である前に国王だ。国を混乱させる事態は絶対に許さない。
妾妃は恨みを晴らすのと同時に彼ら以上に優秀な人材を進言した事で国王に自分を認めさせたのだ。「国王としての俺には必要だ」と言わせるくらいに。
「……あの女にも言いましたが、小さい頃は確かに、そんな子供じみた気持ちでした」
私は脱線した話を元に戻した。
「王とは国と民を背負う者。それに気づいた時、私には無理だと思ったのです。いくら夫になるアーサーに全てを押しつけたとしても国と民を背負う事に変わりはないのですから」
国王は溜息を吐いた。
「……俺と俺の兄弟姉妹は王位に就きたくて骨肉の争いをしたが、お前とアルバートは国王になりたくなくて互いに押しつけあうんだな」
「あなたには理解できないでしょうね」
「……そうだな」
国王は長い睫毛を伏せた。そういう顔をすると驚くほどアルバートに似ている。親子なのだから当然だが二人の印象が違い過ぎて、あまり似ている事を感じさせないのだ。だが、二人の印象を真逆にするその瞳の輝きが隠れたお陰で、その顔立ちの相似性だけが際立つのだ。
「俺がお前をアーサーの婚約者にしたのは、アーサーを王配にしたいからだけではない」
国王が気を取り直すように言った。
「そうなのですか?」
意外だった。アーサーを王配に、次代の「王」にしたいからだとばかり思っていたのに。
「アーサーをこの国に繋ぎとめるためだ」
「……意味が分かりません」
「お前が手に入らないのなら、あいつにとっては全てが無意味だ。何のためらいもなく故郷を棄てる」
「……そんな事」
宰相と同じ事を言う国王に反駁しようとする私の言葉は遮られた。
「王女として生まれた以上、女王になったとしても、それはお前の宿命だ。『女王になりたくない』などという我儘は許されない事くらい聡明なお前なら分かるだろう? アーサーがこの国に必要だと思うのなら、まして、あいつを愛しているのなら結婚しろ」
――彼と結婚できるのなら女王の重責くらい背負ってはいかがですか?
弟は愛する女性とは絶対に結婚できない。だからこそ、あんな事を言ったのだ。
重責を背負う事になっても、政略でも、愛する人と結婚できるのなら充分だろうとアルバートでなくても思うのかもしれない。
自分がどれだけ我儘を言っているのか国王に言われるまでもなく分かっている。
だが、それでも私は――。
愛し愛された結婚を。幸せな家庭を。
それが物心ついた頃からの私の唯一絶対の夢。
それを諦める事など到底できない。




