1 婚約破棄……できなかった
「妾は、お前との婚約破棄を宣言する!」
私は愛する婚約者に指を突きつけると大声でそう言った。
私は、このテューダ王国の王女エリザベスことリズだ。
今日は私の十六歳の誕生日。
それを祝うパーティー最中の主役の爆弾発言に、この場にいる人々は呆気にとられた顔だ。
婚約破棄を宣言された当人、冷静沈着で知られる私の従兄アーサー・ペンドーンもだ。だが、彼はすぐに立ち直ると尤もらしい事を言いだした。
「……殿下、貴女との婚約は我が侯爵家と王家が決めた事。私と貴女の意思だけでは、どうにもならないのですが」
アーサーは私と同じ十六歳、漆黒の髪と瞳、均整のとれた長身の超絶美形。テューダ王国の宰相を務めるペンドーン侯爵の息子だ。
「黙れ! 妾は、お前のような卑劣な男となど結婚しとうはない!」
「卑劣?」
訳が分からないと言いたげなアーサーに、内心では私も(当然の反応よね)と思っている。彼には身に覚えがないのだから。
「お前は妾がエドワードに心を奪われた事を嫉妬して、彼にあらゆる嫌がらせをしただろう! 人を使って服の上からは分からないように殴る蹴るの暴行をしたりしただろう!」
傍目には興奮しているように見える私とは対照的にアーサーは冷静に切り返した。
「身に覚えはありません。そもそも貴女が仰るエドワード殿とは、さして面識がありませんが」
「黙れ! お前はエドワードが妾に嘘を吐いているとでもいうのか!?」
(まあ、嘘を吐いているんだけどね)心の中でそう突っ込みつつ、私はアーサーとのやり取りを傍目には心配そうに見ているエドワードを呼んだ。
「エディ! こちらに」
エディはエドワードの愛称だ。
「はい。殿下」
エドワード・ヴォーデンは私とアーサーより二つ年上の十八歳。ヴォーデン辺境伯の息子で、はっきりいって金髪で碧の瞳の美形という外見以外取り柄がない優男だ。その唯一の取り柄でさえアーサーに負けているし。
エドワードが来ると私は内心の嫌悪感を隠して彼に抱きついた。彼も当然のように私の腰を抱き寄せてきたので反射的に殴りたくなるのを必死に堪えた。
「妾は、お前との婚約を破棄し、このエディと結婚する!」
改めて私は宣言した。
「陛下はご存知なのですか? 貴女の一存だけでは許されませんが」
「お前がどんな卑劣な男か知れば、お父様も婚約破棄を許してくださるさ」
私は、会場の一段高い場所にある玉座に座り泰然と成り行きを見守っている国王リチャード、私の父親をちらりと見た。
黒髪に紫眼の美丈夫。私と異母弟アルバートの顔は父である国王に似ている。
その国王の右隣には妾妃メアリー、異母弟の母親が座っている。彼女は国王とは対照的に心配と不安が入り混じった顔だ。言ってはなんだが、儚げな印象の絶世の美女である彼女には、こういう表情がよく似合う。
長く真っ直ぐな銀髪に淡い緑の瞳。私と同じ小柄で華奢でありながら、私と違って出るべきものは出ている女性美に満ちた肢体の持ち主だ(……羨ましい)。
国王の左隣には本来、私の母である王妃エリザベス(私は彼女の名前を付けられた)ことベッツィがいるはずだが、彼女はパーティー直前になって「具合が悪くなった」と欠席した。
「私が人を雇って彼に暴行したという話ですが、事実無根です。恋敵相手に、そんな生温い事はしません」
「……その釈明は、どうかと思うけど」
思わず突っ込んでしまった後、私は気を取り直して話を続けた。
「エディが妾に嘘を吐いているとでも?」
「証拠もなく彼の言葉だけを信じたのですか?」
呆れた顔を隠しもしないアーサーに私は内心(そうよね)と頷いた。彼の立場なら私も同じ反応になる。
「仮に、私が彼を暴行したとして、対処できなかった彼のほうに問題あるのでは?」
アーサーの言う事は尤もだ。このテューダ王国は強さこそが正義だ。周辺諸国からは《脳筋国家》などと揶揄されている。襲われても殺されても対処できなかったほうが悪いと考えられているのだ。
「とにかく! 妾は、このエディと結婚する! 妾の胎には、すでにエディとの子供がいるのだからな!」
周囲がざわめいた。無理もない。婚約破棄宣言に続き妊娠発言だ。
普段は冷静なアーサーも目をむいている。突然、婚約破棄された以上の反応だ。
(いつも冷静なあなたのそんな顔を見られるなんてね)
何だか楽しくなってきた。これから確実に大変になる。これくらい楽しませてもらってもいいはずだ。私は自分が引き起こした騒動を完全に棚に上げて、そんな事を思っていた。
「アーサー」
今まで黙っていた国王が騒ぎを引き起こした私ではなくアーサーに呼びかけた。
「はい。陛下」
アーサーは優雅な所作で国王に向き直った。
「王女と婚約解消したいか?」
強さこそが正義の国の統治者だ。政治家としてより武人として有名な人だ。そのせいか大抵は前置きなしに単刀直入に言うが今回もそうだった。
「いいえ」
「ちょっ、正気なの!?」
国王との会話中だ。王女とはいえ割り込む事は許されない。それでも思わずそうしてしまったのは、アーサーの答えが信じられなかったからだ。
「わた……妾は、お前という婚約者のいる身で他の男に体を許した上、その男の子を身籠ったのだぞ!」
私は動揺のあまり「私」と言いそうになった。公式の場やごく親しい人以外には「妾」で通しているというのに。
「構いません」
動揺する私とは対照的にアーサーは冷静だ。
「父親が私でなくても貴女の御子ならば紛れもなく王家の血を引いている。問題ないでしょう?」
何でもない事のように言うアーサーに私は悲しくなった。
彼との婚約は先程彼自身が言った通り家同士で決められた事。私と彼の意思は関係ない。だがそれでも私は彼を愛している。身勝手な理由で物心ついた時から彼に嫌われるように振舞っている私が悲しむ権利がないのは充分理解しているが。
「王女殿下の胎の子の父親は私だ。私こそが王女殿下と結婚すべきだろう」
悲しくなって何も言えなくなった私の代わりにエドワードが言った。
「余は王女の夫はアーサー以外認めない。王女の胎に子がいて、その子供の父親がアーサーでなくてもな」
国王が宣った。
「さすがにアーサーが嫌だというのなら考えたが構わないというのなら問題なかろう」
「問題あるに決まっているだろうが! このクソおや」
私は思わず相手が国王だというのも忘れて怒鳴ってしまったが言葉の途中で白く華奢な手に口を押えられた。いつの間にか傍らに来ていた妾妃が私の口を押えたのだ。
「今の発言は不敬ですよ。王女殿下」
「んーっ!(放せ!)」
テューダ王国は強さこそが正義。女性であっても武術を習うのは当然だ。どれだけ王妃に襲撃されても撃退し、十八年、妾妃で居続けられる女だ。決して外見通りの女ではない。私の抵抗をあっさり封じると国王に言った。
「王女殿下は動揺なさっているみたいです。妊娠中、女性の精神は不安定になるもの。どうか寛大なお心で接してください」
「王女が落ち着くまで休ませるがよかろう」
「ありがとうございます。では、王女行きましょう」
妾妃は抵抗する私をものともせず、ずるずると私を引きずってパーティー会場を後にした。