4. 川から出てくるな。そして服を着ろ。
正確な日にちは賀堂も覚えていないがおよそ一週間程度だろう。一日の大半を徒歩で過ごしわずかな休憩を挟む程度だ。途中、小さなコミュニティーや偶然出会った商隊と取引をして食料や水、そして嗜好品などを買い足した。
もう間も無く目的地の名古屋エリアに到着をするが賀堂は別で寄りたいところがあると言い名古屋近郊にコミュニティーへと向かっている最中である。
「振り向いたらいけませんからね! もし見たら名古屋でお洋服買ってもらいますからね」
と言い残して途中に目についた川で水浴びをする沙耶。もちろん賀堂はそんなことしている暇はないと言い捨てるが汗臭いの嫌と駄々をこねる沙耶に根気負けしたのである。席を外したいところだが外の世界は危険がつきもの。つまり川を背にして見張っていなくてはならない。
視覚は無造作に生えた木々が生い茂っているのを見ればいいが聴覚は聞きたくなくても聞こえてくる。
バシャバシャと水を体にかける音、久しぶりに体の汚れが落とせることに喜ぶ吐息。余すことなく耳にする。
「はぁぁ、気持ちがいいです。賀堂さんも入ればいいのに」
「バカか。誰か襲ってきたらどうする」
「それは……、返り討ちにします!」
賀堂に対しての回答になっていないがもう1週間もこのペースだと慣れたもの。ため息すらつかなくなった。
「それに俺が水浴びしている間はお前が見張りをすることになる」
「別にいいじゃないですか。いいですよ。きっちり見張っていてあげますから」
「俺はお前に命を預けられない!」
きっぱりと断言する。
「なんでですか! 私だってそれぐらいできます!」
「少し外の世界に出たからって調子にのるな。そんな甘くねぇんだよ」
「賀堂さんは意地悪です」
途端に声が止む。
賀堂も異変に気がつくが振り向いては行けないと言われているのでとりあえず従っている。だがわずかな間ではない。何分も声も音もしないのだ。川のせせらぎのみ賀堂の空間で響く。
「おい。今何している?」
またしても反応はない。
振り向くべきか。いや、万が一、沙耶のいたずらかもしれん。賀堂は考えに考えた。最終的に出した結論は振り向くことだ。問題が起きていた場合が最悪だからだ。心に決め賀堂は勢いよく振り向いた。
「にひひ。振り向きましたね」
賀堂の真正面に沙耶の顔があった。彼女は誇らしげに笑みを浮かべる。
「お、お前な!」
沙耶は女子高生にしては大きく盛り上がった胸を腕で隠し四つん這いの状態で賀堂を見ていた。身体中には雫が垂れ流れ肌色のくっきりとしたラインが露わとなる。
賀堂はすぐに川から視線を外し再び背を向ける。
「あ、お触りは禁止ですよ。あとえっちなこともダメです」
「お前の頭の中を見て見てぇ。安易にやるもんじゃねぇぞ。何回も言うが——」
「もう耳にタコができますよ。男の人に襲われるでしょ?」
「ったく。わかっててやるのか」
頭を抱えてため息をついた。確かに沙耶は外の世界の適応能力は高い。何事も楽しそうにやってのける。しかし本当の恐ろしさを体験していない。いくら賀堂が注意しても自ら経験しなくてはわかるものもわからないだろう。
「あ〜、賀堂さんに裸を見られてしまいました」
わざとらしく抑揚のない声調。つまり棒読みだ。
「女の裸は何度も見てる。今にはじまったことじゃない」
「乙女の肌を見た罪は重たいですよ? あ〜名古屋でお洋服を買ってくれたら許してあげるのにな〜」
賀堂は無言を貫く。
「ほれほれ。どうしたのですか? 何か言ったらどうですか?」
「俺は何も買わん!」
「仕方ないですね。じゃあ少しだけ」
水から出る音。ザバァと響いた後に水滴が賀堂の首筋へと当たる。
「一体何してやがる」
「賀堂さんが買ってくれないのでこうすれば気分が変わるかと思いまして」
自らの体を賀堂に押し付けようと近づく。ゆっくり、ゆっくりとだ。弾力のありそうな胸が賀堂の首に触れようとした時だった。
「わかったわかった! 買う! だから出てくんな。俺に近づくな!」
「なるほど。こうやっておねだりすればいいと分かりました」
「てめぇ、女を武器に使いやがって」
水浴びが終わるとさっぱりとしたようで陽気な気分となる。それ以上に洋服を買ってもらえることが嬉しいようだ。鼻歌を歌っている。
「さぁ賀堂さん。行きましょうよ。何しているのですか?」
「ほんと自由な奴だな」
勝手にムーの前に立って先導する。ムーは目の前にあるく人間についていく習性がある動物だが沙耶に非常に懐いている。
渋々賀堂もその後ろをついていくことになった。
それから半日もかからない内に目的地であるコミュニティーがみえてくる。小さな集落といえば良いだろう。決してデザインに優れるわけでもなく頑丈に作られているわけでもない雨風がしのげる程度の家が立ち並ぶ。
「賀堂さん。あの村ですか?」
「まぁな」
「一体何の用でしょうか」
「ここにお得意様がいる。要は商売だ」
ちょうど人が見えてきたかと思うと賀堂らを確認すると手を振りだした。
それを返すように賀堂も小さく手を挙げる。
「やだ、奏じゃない。久しぶり!」
出迎えてたのは長く伸びた髪を一つに結っている女性だ。ジーンズにシャツ一枚と洒落には気を使っていない。
「何だ、まだ生きてたか」
「私が簡単に死ぬ訳ないでしょ!」
笑いながら賀堂の肩を容赦なく叩いていたのを沙耶はまじまじと見ていた。それに気がついた女性も沙耶の顔を見ると驚いた表情になる。
「え? 奏……の愛人?」
「ち、違います!」
顔を赤らめて全力で否定する。
「何そんなに本気になっているの。冗談よ!」
不服そうな沙耶を横に笑顔が絶えない。
「私は皐月。この村の……」
間が開く。
「ねぇ、奏。私ってこの村の何かしら」
「俺が知る訳ねぇだろ」
「それもそうね」
結局そんなことどうでもいいと言いだして笑ってごまかす。
「では、村長ってところかしら」
「おいおい、勝手に爺さんを殺すんじゃねぇよ。あそこで居眠りしてるぞ」
木製の手作りらしきベンチに座り杖をつきながらこっくりとうなだれている老人を指差した。沙耶も皐月という女性がいい加減な人間であることに気がついただろう。
「そういえばそうね。ムードメーカー皐月おねぇさんってところかしら」
見た目は二十代半ばぐらいの容姿をしている。皐月自身もそれも理解しての自己評価のようだが賀堂は食らいついた。
「おねぇさんってお前はもうバァ——」
「あら? 何かしら?」
賀堂の首筋に小さなナイフがつきつけられる。一歩でも動いたら皮膚を切り裂き、流血になるだろう。
「あぁ、そうだな。おねぇさんだな」
両手を挙げ降参とアピールをする。目をそらしながら本心ではないという最後の抵抗を残してはある。
「ということでムードメーカー皐月おねぇさんになりました。よろしくね!」
「はぁ、沙耶です。よろしくお願いします」
流れるまま、出された手を両手で握り握手を交わす。
「さぁさぁ、どうせ今回も長い旅なんでしょ。村長の家を使わせてあげるから入った入った」
皐月は慣れた手でムーを先導する。賀堂もその後ろを付いていく形で歩いていく。
「あ、あの。村長さんの家って勝手に使っていいのですか?」
初対面、また新来地ということもあって状況を読み込めていない沙耶。
「いや、だって皐月は村長の娘だからな」
「なるほど。だから次期村長という訳ですね。あれ? では皐月さんってご結婚は――むむぅ!」
賀堂が勢いよく沙耶の口を塞ぎ皐月には聞こえない声で伝える。
「お前それ絶対に本人に言うなよ。もし言ったらすぐに名古屋で娼婦として売ってやるからな」
「むぅ! うぅ!」
口を塞がれているので声を指せないのでうなって返事をする。賀堂が冗談のない目をしていたので禁句だと沙耶にも分かるだろう。塞がれた手が離れると空気を求めて深呼吸をする。
「二人とも何しているの? 早くしなよ」
「すぐ行く! 少し待ってろ」
「賀堂さん! もっと違うやり方があると思います!」
「うるせぇよ。そう突っかかるな」
沙耶はポケットに手を突っ込む賀堂を見てムスッとした表情だった。